オカルトアワー～都市伝説怪奇譚～

第一話「オカルトアワー～都市伝説怪奇譚～」

1-1.オカルトアワー～都市伝説怪奇譚～

　七月も半ばを過ぎ、日付が変わるような時間になろうともまだ空気はじっとりと熱を帯びている。その熱気に浮かされたか、少年が一度ついた眠りを妨げられ、目を覚ます。いつもなら水でも飲んでもう一度布団にもぐるところだが、この時は唐突にある欲求がこみあがった。
　コーラが飲みたい。
　普段あまり甘い飲み物は飲まないが、ときたま、特にこういう時期のこういう時間になるとなにとはなく飲みたくなるのである。しかしこの家にコーラの買い置きはなく、外に買いに出る必要があった。
　少年は、てきぱきと寝間着を着替え、財布を手に取りなるべく音のしないように戸の開け閉めを行い、するりと家の外に出た。この少年、高校生程度だろうにやけに手慣れた手つきで深夜徘徊に向かうものだ。
　首尾よく外に出ると、角を一つ曲がったところにある自動販売機に向かった。少年が住む家は、いかにも閑静な住宅街、といったところの中ほどにあり、コンビニは少々離れたところにあるが、自動販売機なら住宅街の中に何個かある場所を知っている。そこまではほんの数十メートルといったところで、何の問題もなく行って、帰ってくることができる……はずだった。

　自動販売機に小銭を入れ、お目当てのコーラの缶の下についてあるボタンを押す。ガコン、と重みのある音で缶が落ちてきたことを知ると、それを取ろうと腰を下ろす。と、不意に後ろから声を掛けられる。
「私って、キレイ……？」
　心臓が体ごと浮き上がる感覚。足音もしなかったはずだ。草木も眠る丑三つ時、まさか声をかけられるとは思ってもみなかった。少年は困惑の声をあげながら振り向く。
「な……なにが……」
　そこにいたのは、白装束を身にまとい、大きなマスクで口元を隠した、女。少年の表情が困惑から驚愕、更には恐怖へと変わり、緊張が全身を走る。
　そして、少年に行動する時間も与えずに女はマスクのひもに手をかけ、外しながら言う。
「これでもか！」
　マスクを外した女の顔は、もはや顔のほとんどがそう見えるほどに大きく開かれた、『口』！
「ひっ」
　少年は小さく悲鳴を上げ、後ろに大きく飛びのいた。そのすぐ後、ブオンと空を裂く音が響く。この異様な顔立ちの女……いや、化け物は、鰐か何かのように顎を九十度まで開き、今にも噛み殺そうと牙を見せつけながら、さらにはその手に持った草刈鎌を少年に向かって振り下ろしてきたのだ！
「うわあああああああああ！！！！」
　少年は悲鳴をあげながら一目散に駆け出した。当然のように化け物もその後ろを追いかける。
　しばらく走り続けるが、化け物にはすぐに追い付かれないまでも距離が離れるようなことはない。このまま走り続ければいずれは体力の限界に達し、その牙か鎌の刃の餌食になることだろう。このまま鬼ごっこを続けても解決はしない。かといって通り過ぎる民家はすでに明かりが消え、飛び込もうにも鍵がかかっていることは間違いないだろう。そもそも単なる民家に飛び込んだところで解決になるとは思われなかった。かといって助けてくれそうな、例えば警察などは少年の走力、体力の続くようなところにはなかった。
　今にも殺されかねない恐怖の中で、少年は賭けに出た。
　いっそのこと立ち向かおう、戦おう。心に勇気の火がともる。
　暗闇に慣れてきた目が向かう先にゴミ捨て場をとらえる。そこにはおあつらえ向きに手頃な大きさの角材が数本捨ててあった。あれを拾って奴をぶっ叩けば、化け物と言えど無事では済まないだろう。思い立ったら早かった。ゴミ捨て場を通り抜けざまに角材を拾い上げ、両手に持ち直す。奴がすでに角材の間合いに入っていることは足音でよくわかった。足を止め、そのまま体を思いきり反転させその勢いのまま角材を奴の頭にぶち込んだ！
　手ごたえあり！……いや、ありすぎた。
　化け物は走ることこそ止めているものの、まるでダメージを受けていないように直立の姿勢を崩さない。化け物の大きく開いた口が、ニヤリと笑ったように見えた。そのまま手に持った鎌を大きく振り上げ少年までの距離を走り寄る。
　万事休す。少年はもはやこれまで、とこれから起こることを覚悟した。その時！
「よくぞ動きを止めた！少年よ！」
　甲高い声が響き、少年と化け物の間に何者かが割って入った。化け物は一瞬面くらったように動きを止めたが、その何者かもろとも少年を仕留めようと突進してきた。立ちふさがった何者かは右手を広げ、手のひらを奴に向けながら叫んだ。
「狐火きつねびーム！！！」
　珍妙な掛け声とともに手のひらから白い光線のようなものが化け物に向かって放たれた。直撃した化け物は、よく見えないが動きは止まっているようだ。あまりに現実離れした光景に、少年は口をぽかんと開けただ見つめるばかり。光線に照らされた何者かはＴシャツにジーパン姿の女性で、眼鏡が光り、背中までの長い髪は、光線の反動のようなものでなびいていた。
　しばらく光線が放たれ続けたが、それも止む。化け物の方を見ると地面にあおむけで倒れていた。いつの間にか座り込んでいた少年に割り込んだ何者かが手を差し伸べながら声をかける。
「よう頑張ったのう少年よ。さぞや怖かったことじゃろう？」
　若々しい声とは裏腹にいかにも年寄りじみたような口調でしゃべりかけられ、少年は一瞬の戸惑いの後、返事をする。
「た、助かった……んですか？あなたは何者なんですか？あの化け物は？それにあの光線は何なんです？」
　差し伸べられた手を取り立ち上がりながら、緊張の糸が切れ、堰を切ったように心の中の質問を次々に口に出す。
「んおお。そうじゃなあ……なんと言ったものか。まあとりあえず言うとすれば、化け物は倒れ、お主は助かったってところじゃろうな」
　少年は立ち上がり、そう答える何者か……助けてくれた女性に改めて礼を言う。
「あ、ありがとうございます。現実感はないけど……あのままだったらどうなっていたこと……や……ら……？」
少年の声は尻すぼみに小さくなる。表情も安堵の色が消え、先ほどまでの恐怖の色が戻ってきたようだ。
「どうした？少年よ、もう危機は去ったのじゃぞ？」
女性が明るくそう答えるが、少年の目線が自分ではなくその後ろ、先ほどまで化け物が立っていた場所に向いていることに気づき、その目線をたどり振り向くとそこには……。
　あの化け物があおむけに倒れた状態から手も使わずに直立状態に起き上がっている。
「な、なんじゃとおおお！！！」