上 下
2 / 13

第2話 連理の枝

しおりを挟む
 レンリは深い森の中を彷徨っていた。
 一応、彼女の頭の中には異世界の知識が入っている──このカサンドラという人物が生前に経験しただけの知識が。この知識は借り物で、一種の埃くさい書庫のようなものだ。例えば異世界の何かが知りたい、と思った時。瞑想するようにその事物の事を深く考えなければならない……これが平和的な知識ならばいいものの、例えば戦闘中にこのような魔法は無いか?というような問いを浮かべたところで考えている内にパッと命を落としてしまうだろう。先程彼女はそれをやりかけたのだ。
 転移魔法で移動した先は見覚えのない森の中──見渡してそこが王城の傍だと分かったが、建物と自分とは目と鼻の先。大して移動距離を稼ぐことも出来ず、悪い事は重なるもので既に他の人間達に情報が伝わっているのか……兵士に追いかけられる羽目になったのである。
 呑気に「あの伝達の速さは何だ」と記憶の欠片を手繰っている最中に真っ直ぐ走れるわけもなく一度転びもした。それでも何とか……転移魔法を用いて短距離を移動し、人の気配がしないほどの距離までやってきたのである。
 
 人間、痛い目に遭わなければ変わらない……。
 カサンドラは適当に歩きながら拾った枝を組んで火を付けた。そうして草の上にどかりと腰を下ろす。つい先ほどまで自分の姿形など気にしたこともなかったが──この娘は白いドレスのようなものを着ていた。本来のカサンドラはこのように走り回ったり、地べたに腰を下ろすような娘ではなかったのであろう。自分の中にある記憶がそう叫んでいる。だがしかし今は自分の身体だ。死人は喋らない。
 生前誰かがそんなことを言っていたかもしれない。カサンドラの記憶を手繰り寄せることが出来たとて、自分の本来の記憶には靄がかかったまま。
 一先ず「自分の一族」というものは滅ぶだろう。然しながら家族とはいえ、それは公爵令嬢カサンドラ・リールの家族であって自分の家族ではないのだ。それは仕方のないことだ。屋敷に火でも放たれるかもしれないし、一族郎党皆殺しにされるかもしれない。そもそも赤の他人の家族を助けてやる義理も無いのだが。もし本当の家族がいたとして、自分がそれを守ってやるか?と言えば必ずしもイエスとは言えない。自分は前世から極めて利己的な人間であったようだ。──だからこそ死んだのか?
 王家はさぞお怒りだろう。実家に帰るという選択肢はない。長距離の転移魔法を使えるなら……今すぐ自宅へ帰って家財を漁り、そのまま何処かへ逃げ去るという手も有るのだろうが。少なからずこのカサンドラという娘はそういった芸当を持ち合わせていないらしい。全くもって使えない。
 しかし転生というものは修行の一環として行われると聞いたことが有り……だとすればこれもまた不便な場所で鍛錬せよということなのかもしれない。

「これだけのことで怒るって小さい人間だと思いませんか?器も……」

 草の上で名前も知らない虫が跳ねている。火に照らされた身体は艶やかに輝いている。虫は当然人の言葉など理解しないため、カサンドラの言葉は闇の中に消えて行った。虫たちのダンス、擦れる草の音。呑気なものだ。生ぬるい風が木々を撫で、火は周囲を温かく照らし──徐々に夜が追いやられていく。
 自業自得ではあるのだが、全く明日が見えてこない。
 自分は……そうだ!明日からはもれなく犯罪者の身だ。恐らく。何処かで名前を聞かれたら偽名を使った方がいいだろう。明日以降はレンリと名乗ろう。そして今後はカサンドラと自分を区別するのだ。
 草の中に仰向けに寝転ぶと思い出せない故郷──何処か近代的な建造物が建ち並ぶ知らない景色の夜空を思い出す。故郷では星というものを長らく見ていなかった気がするし、何よりそこまで興味を持たなかった気がする。昼間は薄く灰色がかった空で、夜は青に黒を混ぜたような紺色というほど綺麗とは呼べない色。
 それがどうだろう。こちらはいくらか空気も澄んでいて星も見える。星座には詳しくないが漠然と悪くない景色だと感じる。どちらかと言えば都会よりは少し緑が残っている方がいいだろう。
 しかしまあ、何にせよ。地べたに臓器の一部を置いておくのは衛生面以前に虫のエサになってしまうから持っていた方がいいのだろうか。最悪明日以降食べるものが無ければこれも非常食だ。何度か婚約者の口に突っ込んでやってはみたものの、洗えばそこは何とかなるだろう。恐らく。個人的には虫に食われる方が受け付けない。
 火の始末をして眠りに落ちた後にまで握っていられる自信はないが……レンリは自らの服をごそごととまさぐるようにして手を突っ込んでみると懐から運よくハンカチを見つけた。暗闇の中ではあるが、色は恐らく白。カサンドラもこんなものを包んでおくとは一度も考えなかっただろう……しかし、今カサンドラの物は全て自分の物だ。
 財産も奪わなかったのだからむしろ有難く思ってほしい──ああ、明日以降……下手をすれば今頃派手に壊されているかもしれないが、それはそれだ。直接こちらが手を下したわけではないのだから、責めるのはよしてほしい。
 この手の憑依、或いは転生というものは……時に死者の声が聞こえてくるとかそういったものがある種テンプレート化している。詳細な作品までは思い出せないが、古来より死者の声を聴くという概念は存在する。もしこの場にカサンドラの魂が残っているのであれば今頃泣く叫ぶ……或いは自分を責め立てる声の一つでも聞こえてきそうなものではあるが、今のところは何もない。
 結構だ。強者は群れない。そもそも自分……キャシーには行くべき場所、すべきことが視えているのだから。

 先ほど虫にかけたような言葉も「内なる神」にかけた言葉であったのだ──そう、誰にも理解されなかったから、誰にも言わなかった。内なる神。前世から自分が困った時には都度神託を下し、私を評価し、受容した存在。
 これを世間一般的には幻聴・幻覚。レンリが住んでいた前世の世界でもこれには恐らく病名が付いたであろう。だからといってレンリはそれを決して肯定しなかっただろうし、狂人扱いされるのが分かっているから黙っていた。誰かに話して理解出来るような御方じゃない、というのがレンリの主張である。
 然しながらレンリも神の姿を見たことはないし、ただ多大なストレスを感じた時に柔らかい声が降ってきたような……曖昧な記憶しか残っていない。
 それでも、それでもだ。先ほど王太子を去勢せよと言ったのは内なる存在であるし、それは正しい行いであるはずだ。
 ……咄嗟の転移魔法もその声のお陰である。となれば異世界まで神の手は届くのだ。
 無一文、見えない明日──家を出た以上既に無いようなものではあるが、失われた財産と実家。とても良いスタートとは言い切れないが、少なくとも行くべき場所とすべきことは理解出来る。
 一先ず今日はこの森の中で眠ってしまいましょう。魔物は出るかもしれないけれど、それほどの場所にこの国の人間は早々入ってこない。旅人ならもっといい隠れ場所を知っている。魔物が出たら魔法で対処するか……何なら気配を察知する魔法でもあるのか、カサンドラの知識に聞いてみましょうか?
 漠然と夜空を見上げている内に欠伸が一つこぼれ出る。夜空では知らない星が煌々と地上を照らしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~

ルッぱらかなえ
大衆娯楽
★作中で出来上がるビールは、物語完結時に実際に醸造する予定です これは読むビール、飲める物語 ーーーー 時は江戸。もしくは江戸によく似た時代。 「泥酔して、起きたらみんなちょんまげだった!!!」 黒船来航により世間が大きく揺らぐ中、ブルワー(ビール醸造家)である久我山直也がタイムスリップしてきた。 そんな直也が転がり込んだのは、100年以上の歴史を持つ酒蔵「柳や」の酒を扱う居酒屋。そこで絶対的な嗅覚とセンスを持ちながらも、杜氏になることを諦めた喜兵寿と出会う。 ひょんなことから、その時代にはまだ存在しなかったビールを醸造しなければならなくなった直也と喜兵寿。麦芽にホップにビール酵母。ないない尽くしの中で、ビールを造り上げることができるのか?! ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。

さよなら、英雄になった旦那様~ただ祈るだけの役立たずの妻のはずでしたが…~

遠雷
恋愛
「フローラ、すまない……。エミリーは戦地でずっと俺を支えてくれたんだ。俺はそんな彼女を愛してしまった......」 戦地から戻り、聖騎士として英雄になった夫エリオットから、帰還早々に妻であるフローラに突き付けられた離縁状。エリオットの傍らには、可憐な容姿の女性が立っている。 周囲の者達も一様に、エリオットと共に数多の死地を抜け聖女と呼ばれるようになった女性エミリーを称え、安全な王都に暮らし日々祈るばかりだったフローラを庇う者はごく僅かだった。 「……わかりました、旦那様」 反論も無く粛々と離縁を受け入れ、フローラは王都から姿を消した。 その日を境に、エリオットの周囲では異変が起こり始める。

王妃となったアンゼリカ

わらびもち
恋愛
婚約者を責め立て鬱状態へと追い込んだ王太子。 そんな彼の新たな婚約者へと選ばれたグリフォン公爵家の息女アンゼリカ。 彼女は国王と王太子を相手にこう告げる。 「ひとつ条件を呑んで頂けるのでしたら、婚約をお受けしましょう」 ※以前の作品『フランチェスカ王女の婿取り』『貴方といると、お茶が不味い』が先の恋愛小説大賞で奨励賞に選ばれました。 これもご投票頂いた皆様のおかげです! 本当にありがとうございました!

泥酔魔王の過失転生~酔った勢いで転生魔法を使ったなんて絶対にバレたくない!~

近度 有無
ファンタジー
魔界を統べる魔王とその配下たちは新たな幹部の誕生に宴を開いていた。 それはただの祝いの場で、よくあるような光景。 しかし誰も知らない──魔王にとって唯一の弱点が酒であるということを。 酔いつぶれた魔王は柱を敵と見間違え、攻撃。効くはずもなく、嘔吐を敵の精神攻撃と勘違い。 そのまま逃げるように転生魔法を行使してしまう。 そして、次に目覚めた時には、 「あれ? なんか幼児の身体になってない?」 あの最強と謳われた魔王が酔って間違って転生? それも人間に? そんなことがバレたら恥ずかしくて死ぬどころじゃない……! 魔王は身元がバレないようにごく普通の人間として生きていくことを誓う。 しかし、勇者ですら敵わない魔王が普通の、それも人間の生活を真似できるわけもなく…… これは自分が元魔王だと、誰にもバレずに生きていきたい魔王が無自覚に無双してしまうような物語。

悪役令嬢に転生しましたが、行いを変えるつもりはありません

れぐまき
恋愛
公爵令嬢セシリアは皇太子との婚約発表舞踏会で、とある男爵令嬢を見かけたことをきっかけに、自分が『宝石の絆』という乙女ゲームのライバルキャラであることを知る。 「…私、間違ってませんわね」 曲がったことが大嫌いなオーバースペック公爵令嬢が自分の信念を貫き通す話 …だったはずが最近はどこか天然の主人公と勘違い王子のすれ違い(勘違い)恋愛話になってきている… 5/13 ちょっとお話が長くなってきたので一旦全話非公開にして纏めたり加筆したりと大幅に修正していきます 5/22 修正完了しました。明日から通常更新に戻ります 9/21 完結しました また気が向いたら番外編として二人のその後をアップしていきたいと思います

→誰かに話したくなる面白い雑学

ノアキ光
エッセイ・ノンフィクション
(▶アプリ無しでも読めます。 目次の下から読めます) 見ていただきありがとうございます。 こちらは、雑学の本の内容を、自身で読みやすくまとめ、そこにネットで調べた情報を盛り込んだ内容となります。 驚きの雑学と、話のタネになる雑学の2種類です。 よろしくおねがいします。

ソロ冒険者のぶらり旅~悠々自適とは無縁な日々~

にくなまず
ファンタジー
今年から冒険者生活を開始した主人公で【ソロ】と言う適正のノア(15才)。 その適正の為、戦闘・日々の行動を基本的に1人で行わなければなりません。 そこで元上級冒険者の両親と猛特訓を行い、チート級の戦闘力と数々のスキルを持つ事になります。 『悠々自適にぶらり旅』 を目指す″つもり″の彼でしたが、開始早々から波乱に満ちた冒険者生活が待っていました。

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート! ***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!

処理中です...