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優しいパパ

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「誠に反省しています、はい」
 結局彼方が我を取り戻したのはそれから三十分ほど後のことだった。もちろん裸ではない。俺のお古のパジャマを着させている。
 そして、時刻はすでに午前一時となっており、俺の中に睡魔が芽生え始めていた。
「ああ、もう別にいい。俺は眠い」
 怒る気も眠気のせいで失せてしまったので俺は睡眠の準備に取り掛かることにした。押し入れから布団を取り出して床に敷く。ベッドはないのかって? そんな高価なものうちの家にはないに決まってる。
「って、そういや彼方の寝る場所決めてなかったな。外でいいか?」
「凍死します」
「だろうな」
 予想通りの返答。まぁ確かにこの真冬に外なんかで寝たら風邪どころじゃ済まず、凍死してしまうことだってありえなくはない。
「だったら一緒に寝ましょう! 冬ですし寒いですし二人で寝た方があったかいですよ!」
「駄目だ。不純異性交遊とみなして次の日遠江に問答無用で殺される」
「え? でもママ怒って帰りましたし今パパのことどうでもいいーって考えてるんじゃないんですか?」
「知らねえのか? 遠江はな、尋常なまでに根に持たないタイプなんだ。どれだけ盛大に喧嘩をしたとしても次の日にはケロッと声をかけてくる、そういう奴だ。しかもあいつはな、俺を学校に行かせるために毎日必ず起こしにやってくるんだ。つまりだ、お前と俺が一緒に寝てる現場をあいつが見たら……」
「見たら?」
「写真撮られて当日に学校新聞に載せられるだろう」
「肉体的ではなく精神的に攻めるところがゲスいですね。社会的に死ぬじゃないですか、私たち」
「ま、つーわけで同じベッドで寝るのは却下だ。ったく、仕方ねえ。俺が押し入れで寝るか」
 ちなみにうちには毛布が押し入れの中に結構ある。なぜか? それは遠江が毛布集めというコア過ぎる趣味の持ち主であるからだ。遠江曰く家にもう毛布を置くスペースがないらしく、そんで殺風景な俺の家を物置にし始めた。迷惑極まりない話である。
「思ったんですけど」
 押し入れの方向に足先を向けた俺に、彼方が声をかけた。
「パパって、不良っぽいオーラ出してますけど、優しいですよね、ほんと」
「あ?」
「お世辞ではありませんよ? 本心からそう思いました。だって、パパ見ず知らずの私を泊めさせてくれて、布団まで譲ってくれました」
「そりゃお前が俺を脅迫したからだ。本来なら俺はお前を泊めるつもりなんてなかった」
「脅迫?」
 なぜかくすくすと笑う彼方。脅迫のどこに笑う要素があったのか教えてほしい。
「だったらパパが逆に脅迫すればよかったじゃないですか。ドスの効いた声でそれ以上言うなとか言ってみたり、暴力で黙らせたりだとか。聞きますが、何でしなかったんですか?」
「そりゃ……」
 なぜなのだろう。俺は答えが出ずにいた。
 沈黙が訪れ、その沈黙を破るのは彼方の声。
「優しいからですよ」
 彼方がそう言った。
「優しい、だと?」
 聞き返す。返答は間を空けずに返された。
「ええ、優しいからです。多分ですが、パパはまだ私が未来からやってきた娘だということを疑っている、半信半疑な状態です。まぁ当たり前ですね。根拠もないですし、疑われて当然です」
 儚げに彼方は言葉を並べ、そのまま続けた。
「つまり、パパから見て私は単なる怪しい女にしかならないのです。そんな私でも、パパはママに宿泊の連絡を取ってくれようとしましたし、現に今パパは見知らぬ私を宿泊させています。全てが嘘かもしれないというのに、宿泊させているんです」
 そして、表情を笑顔へと変えて、彼方は告げたのであった。

「――それを、優しいと言わずして何と言うんですか、パパ」

「……知るか」
 反論出来なかった。正しくは、反論しようとしたが、適切な言葉が思い浮かばなかったのだ。
「ちっ」
 無性に腹が立つ。こんな天然馬鹿にここまで綺麗に論破をされてしまうと、癪に触って仕方がない。
 だから俺はシーリングライトから垂れ下がっている紐を掴みながら言ってやった。
「少し俺の家の話をしてやろう」
「へ? 随分と唐突に関係のないことを話すんですね」
 彼方は布団の上に座りながら言葉を返す。
「で、どんな話なんですか?」
「実はここの一室ってな、浴室もあるのに家賃が八千円なんだ、安いだろ?」
「そうですね、破格の値段と言ってもいいですね。でもそんなに安いのなら何かしら理由があるんじゃないんですか?」
「そうだ。何年も前、二十年前くらいにそりゃもうラブラブと表現してもいいほどアツアツな夫婦がいたそうだ。でもな、夫が不倫して妻は離婚された。でも妻はそんな事実を受け入れようとはせず、ずっとここの一室で夫の帰りを待ってたそうだ。もちろん夫は帰ってこない、でも妻は待ち続けた。それで、最終的には餓死してしまったそうだ」
「? それがどうかしましたか?」
「察しが悪いな、つまりだな」
 咳払いをして、俺は告げた。
「その妻は死んでもなおこの部屋で夫を待ってる、幽霊になってもな。ってことを言いたかっただけだ」
「――ッッッ!?!?!?」
「んじゃ、お休みー」
 効果てきめん。声にならない悲鳴を上げる彼方に背を向けた俺は電気を問答無用で消し、上と下にスペースのある押し入れの上の方に中に入り込んだ。ちなみに下の方の押し入れには大量の毛布が詰め込まれており、入ることは不可能なため上の方で寝なくてはいけないのだ。その付近には下で入り切らなくなった毛布があるのでそれに包めばかなり温かいはずだ。
 しかし、正直驚いた。
 まさかあいつと同じ弱点を持つ奴がいたとはな。
「……、ふぅ」
 まぁそんなどうだっていいことを考えるのは時間の無駄か。寝よう、どうせ明日も早いのだから。
 ガラッ。
 毛布に包まった直後、押し入れの襖が開けられた。
 暗闇に目が慣れていなかったからか、視界は真っ暗だったが時間が経つとぼんやりとだが彼方の顔が見えてきた。
「パパぁ……」
 胸元に枕を抱きながらうるうると目を潤ませてこちらを見つめていた。その姿は餌を訴える小動物を連想させた。
「うっ――」
 あまりに愛らしい顔をしていたからか、俺の胸が不覚にもキュンと高鳴った。
「何だ」
「怖いです……一緒に寝て――」
「却下だ」
 とすん、と襖を閉めたがノータイムでまた開けられた。
「うぅ……」
「いや、あの話は冗談だ。ちょっとしたジョークって奴だ。うん、多分」
「多分って何ですかぁっ。確証はないんですかぁ」
「いいことを教えてやる。この世に百パーセントっていうのは存在しないんだ」
「格好悪いです」
「うるさいっ、黙れっ」
 この名言を世に放った学者に謝れ!
「小学生じゃねえんだから寝れるだろうが。目を瞑って羊でも数えてりゃいつかは寝れる」
「それでも中学生三年生ですよ……怖くて当たり前じゃないですかっ」
「待て、ちょっと待て。マジで待て。何つったお前? 中学生? は? だったら何で高校に入学出来てんだよおかしいだろうが」
「さぁ? わかりません。ただ優しい人が色々と手配してくれて、気づいたら入学出来てました。パパも少し違和感があったんじゃないですか? こいつ本当に高校生かって」
「確かに少し幼いとは感じたが、軽くスルーは出来るレベルだ。ただ、少しロリコンが好みそうだなって思っただけで、他には何とも思わなかった」
「じゃあパパはロリコンですか?」
「違う! ふざけんな!」
「え? でもパパお風呂で目を背けてる振りをしながらもちろちろとこちらを見てたじゃないですか」
 何でその視線に気づいてんだよ! 悟られぬよう必死だったってのに。
「それでも違う、俺は普通だ。巨乳が大好きな健全な高校生だ――ってお前何で布団の中に潜り込んでんだ! 殺すぞ!」
「不良とかって殺す殺す言ってますけど、実際殺す気なんて毛頭ないのが事実です。つまり自称不良(笑)のパパのその言葉は嘘だと仮定します。よっこいせ」
「――ッ!?!?」
 視界に映った光景に息を詰まらせた俺は、彼方から視線を外してごろりと寝返りを打つ。
「? どうかしましたか?」
 言えない。まさか俺のパジャマが彼方にとってはぶかぶかで、前のめりになた拍子に胸元の空いたスペースから小さいながらも谷間と呼べるものが見えたなんて言えない。
「まぁ好都合です」
 くすりと彼方が微笑む声が聞こえ、襖が閉じられた音がした後、俺の背中になぜか熱が生じた。熱いとかそういう類のものではなく、温かい。
 現状を説明すれば、彼方が俺の背中にくっついたのだ。
「おおおお前、な、何して――」
「私がパパにやってみたかったことベスト4をしてるだけです。ママとはよくこうやって寝てたんですが、パパはママとは違う温かさがありますね」
 俺はこんなことされたのは初めてだ!
「ああ……固くて大きい……逞しいですねパパのこれ」
「腕のことを言っているのはわかるがもう少し言い方に気をつけてくれ。その口振りだと何だかやらしい感じに聞こえる」
 何だかわざと言っているようにしか聞こえない。
「まぁわざとですけどねもちろん」
 わざとなのかよ!
「それにしても眠いですね。流石に瞼が重いです。……ふぁあ」
「じゃあ寝ろ。あっちに戻って」
「寝ます。……お休みなさい、パパ……」
「って待て! ここで寝るなって――」
「すぅ……」
「はええ!?」
 最後に言葉を発したその三秒後に彼方は深い眠りの中に落ちていた。とてもじゃないが、俺はたったの三秒で寝れるだなんてそんな特技はありはしない。
「クソ……こんな状況で寝れるかっての」
 と言って、そこから抜け出そうとしたのだが、なぜか引っ張られるような感覚が背中から生じた。横目でそちらを見やると彼方の手が器用にも俺のシャツの裾を掴んでいた。
 手を動かしてゆっくりと掴んでいる指を外そうとするも、意外にも力が強くこの態勢では外すことは不可能だった。
 結局俺は諦めた。下手に動けば彼方を起こしてしまう可能性があったからだ。
 いや、違うか。そんなもの、都合のいい建前にしか過ぎないな。
 俺はただ、この背中の温かさをもう少し感じていたかったのだ。
 とても温かくて、とても安心出来て。
 そしてどこか――懐かしい。
 いつしか俺の意識はまどろみ始め、気がついた時にはもう意識は深い闇の中に溶け込んで行ったのであった。
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