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第三章 三つ目の願いを握った小さな娘
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「今日は終業式だけだったねえ? 帰りは早いのかい?」
「そうなんですけど、銀将君の仕事を手伝う約束しているので、ちょっと何時になるのか分かりません」
「ああ、そうだったねえ。それじゃあ、しっかり学んできなさい。食事を用意して待っているから、必ず帰ってきなさいねえ」
「はい。分かりました。そう言えば、神槍さんは、どこ行ったんですか?」
「ああ、彼女なら、君が眠っている間に帰ったよ。今度は、そっちが遊びに来いってさ。いつか、勉強がてら、遊びに行くと良いよ」
軽く頭を下げて、響介さんに背を向けた。大広間の畳を踏んで、廊下へと出る。
「染宮殿! 今朝は、しっかり食事を取られていましたね? お体の方は、もう宜しいのですか?」
「はい、お陰様で。ご迷惑をお掛けしました」
「ちっとも、迷惑なんか、掛かっていませんよ。あまり無理をなさらず、お休みされても宜しいのに」
「いや、流石に今日を逃したら、次の学校は夏休み明けですからね。もう大丈夫です」
「そうですか。では、いってらっしゃいませ」
小さく顎を引いて、玄関を出た。夏真っ盛りといった太陽の日差しに、手庇で日光を遮りながら、飛び石を渡る。
数日前の絶望しかなかった夜が明け、真君の部屋で話していた。その後、部屋を飛び出した真君を追っている最中に、僕は廊下でぶっ倒れた。バタバタと床を駆ける音が遠くで聞こえたかと思ったら、気を失ったようだ。九十九さんに聞いた話によると、四十度近い高熱に侵され、うなされていたようだ。そして、うなされていた間、僕は夢を見ていた。
真君と雫さんと僕、そして元町先輩の四人で、遊園地で遊んでいる夢だ。
どうして、あの楽しかった夢で、うなされていたのか不思議だ。
「おお、時坊。もう良いのか?」
「ええ、お陰様で。琥珀さんは、辛そうですが」
長い舌を出して、樹木の木陰で横になっている琥珀さんは、虚ろな目をしていた。時坊? そんな呼ばれ方をしたのは、初めてだ。
「ワシは、暑いのは苦手なんじゃて」
「そ、そうですか。ごゆっくりして下さい」
会釈をして、門扉を潜る。砂利道を通り、玄常寺の本堂を回ると、凛とした空気感とは似つかわしくない罵声が、響いている。
「ごちゃごちゃ煩いんだよ! このデカ口ババア!」
「何ですって!? もう一度、言ってみなさいよ!」
「デカ口ババア!」
「本当に、もう一度言ってんじゃないわよ! この三つ目小娘!」
「僕は男だ!」
祈子さんと真君が、今日も元気に激論を繰り広げている。僕は小走りで二人に接近し、間に割って入る。
「はいはいはいはい! 朝っぱらから、何をやってるんですか!?」
この二人の距離は、なかなか縮まらない。
「勝手に割り込んでくるんじゃねえよ! このお節介焼きの良い格好しい!」
「そうよそうよ! 八方美人の蝙蝠男!」
えー!? どうして僕が、罵られているんだ? その後も、二人からの容赦ない罵詈雑言を受け、身が持たないと判断し、戦線を離脱した。この二人に、口喧嘩で勝てる気がしない。一応、病み上がりなんだから、少しは労わって欲しい。二人して、生き生きと好き放題言いやがって! 仲良しか!
「時! 帰りに、たけのこの里買ってきてね!」
「はあ!? きのこの山でしょ!? 何にも分かってないのね!?」
「なんだとお!?」
「何よお!?」
ああ、もう勝手にやってくれ。僕は、耳を塞ぎながら、千年階段を下っていく。
タタン! タタン! と言う、下駄でスキップをするような、電車が陸橋を渡る音と川のせせらぎを聞きながら、堤防沿いの道を歩いていく。通いなれた道なのに、この牧歌的な雰囲気が、とても懐かしく感じた。
「おう! 時! もう良いのか?」
「ああ、銀将君! おはよう! うん、お陰様で!」
「そうか、そりゃ何よりだ! じゃあ、バトンタッチな!」
銀将君は、僕の腕を掴み、軽快に手を合わせてきた。そして、全速力で走り去って行った。何事かと首を傾げていると、背後から無数の足音が聞こえてきた。振り返ってみると、落ち武者の軍団が、血相を変えて追いかけてきている。
あんなのを押し付けられたら、たまったものじゃない!
僕は、銀将君を追いかけるように、必死で逃げた。
「時! こっちくんじゃねえよ!」
「何言ってんだよ! あんなの引き連れてこないでよ! 何とかしてよ! 御三家でしょ!?」
「ざけんな! あんな連中に構ってられっかよ!」
朝一から、銀将君のせいで、全力疾走をするはめになった。本当に、いい迷惑だ。猛然と学校へと駆け込むと、追ってきていた軍勢は、いつの間にかいなくなっていた。
「ああ、畜生! 汗だくだ! じゃあ式が終わったら、迎えに行くからよ」
銀将君は、手で顔を扇ぎながら、校舎へと入って行った。学校が終わったら、銀将君の仕事を手伝うことになっている。先が思いやられる。下駄箱で上履きに履き替え廊下に出た所で、見覚えのある後ろ姿を発見した。駆け寄ろうとしたけれど、一瞬躊躇い立ち止まった。何て声をかけたものかと、言葉を探している。しかし、長考していても距離が離れるばかりなので、覚悟を決めて走り出した。
「おはようございます! 元町先輩! もう体調は良いんですか?」
ちょっと無理をして、明るく声をかけた。元町先輩の細い肩が少し跳ねて、恐る恐る振り返っている。
「ええと、ああ、確か玄常寺の人・・・えっと、名前は・・・」
「染宮時です。あの・・・覚えてないんですか?」
「あ、ご、ごめんなさい。何だか、頭がボーとしてて、記憶が曖昧なの。ずっと、眠っていたような感覚で」
「そうですか」
無理もないことだ。実際に、結構長い間眠っていたのだから。雫さんに支配され使役されていた時の時間を含めれば、もっと長いだろう。ある意味、記憶がなくて良かったのかもしれない。操られていたとは言え、僕に傷を負わせて、人間ではないとは言え、人の形をした少年を刺し殺してしまったのだから。雫さんは、現在でも病院の集中治療室で眠ったままだ。そして、急遽転校したことになっている。
「あの、元町先輩。雫さん、藍羽さんのことは、残念でしたね? 元町先輩が眠っている間に転校しちゃって。でも、またすぐに会えますよ。だから・・・」
「あ! あの! 染宮君?」
「え? あ、はい、何ですか?」
「藍羽さんって・・・誰?」
「え?」
僕が茫然と元町先輩を眺めていると、彼女は居心地が悪そうに、小さく会釈をして、逃げるように去って行った。僕は、未だに、茫然と廊下の先を見つめている。
元町先輩は、雫さんのことを覚えていない? これは、いったいどういうことなのだろうか? 雫さんが証拠隠滅の為に、そういう術を組み込んでおいたのだろうか? もしかしたら、保身の為ではなく、元町先輩のことを慮っての配慮なのだろうか?
これも、僕の希望的観測だ。今回の一連の騒動の黒幕は、御三家の元当主である長縄縛寿だ。そして、孫娘である藍羽雫さん・・・いや、長縄雫さんは、意図的に加担していた。長縄縛寿の野望を理解した上で、協力していた。紛れもない共犯者だ。しかし、最後の最後で、実の祖父に裏切られ酷く傷ついた。
だからこそ、雫さんが完全なる悪者だとは、どうしても思えなかった。思いたくなかった。もしかしたら、これは―――
恋心の正当化なのかもしれない。
初恋の人が、悪人だったなんて、ほろ苦いどころの話ではない。
やはり、これも、失恋と言うものなのだろうか?
僕は、雫さんと話したいことが沢山ある。尋ねたいことが沢山ある。それこそ、山のようにだ。
雫さんは、本当に、ただ僕のことも利用価値があると、思っていただけなのだろうか? それじゃあ、あまりにも惨めじゃないか!
だから、雫さん。必ず、元気になって、目を覚まして下さい。
大きく深呼吸をして、廊下を歩き始めた。
終業式が終わり、クラスメイト達が、浮かれ気分で学校を出て行く。僕は教室で一人、銀将君を待っていた。すると、教室の後ろの扉から、クラスメイトの明方光さんが戻ってきた。
「あれ? 明方さん? どうしたの? 忘れ物?」
声をかけて違和感を覚えた。いつもの明方さんの明るい雰囲気ではなかったのだ。神妙な面持ちで、躊躇しながら、近づいてきているように見えた。
「明方さん?」
僕の席の前で立ち止まった明方さんが、俯いたまま動かなかった。僕が首を傾けていると、明方さんはゆっくりと顔を上げる。なんだか、顔色が悪い気がする。
「・・・あの、染宮君・・・染宮君って、玄常寺っていうお寺さんに住んでいるんだよね?」
「え? あ、うん。そうだけど、それがどうしたの?」
また俯いてしまった明方さんは、何かを言い淀んでいる。そして、たっぷりと間をおいて、明方さんが顔を上げた。
「・・・あの、ちょっと、相談に乗って欲しいことがあるんだけど・・・」
高校入学と共に、玄常寺で住み込みで働くようになって四か月弱。日常では味わえないような経験をしてきた。そのほとんどが、苦くて苦しいものだったけれど、きっと全ての経験が糧となり肥やしになっているはずだ。
様々な価値観に触れ、その多様性と世界の広さを知った。でも、まだまだ知らないことは、沢山ある。実際、何が知らないことなのかを知らない。無知の知というものだ。だからこそ―――
僕がやるべきことは、現段階で僕に出来ることを、真摯に・ひたむきに・ガムシャラに取り組む事だ。多くの仲間の助力を借りながらでも、まっすぐに歩いていくことだ。
「うん! 大丈夫だよ! 僕に出来ることなら、協力するよ!」
僕は、玄常寺の主である歪屋響介の右腕になる。
『もののけもの』なのだ。
「そうなんですけど、銀将君の仕事を手伝う約束しているので、ちょっと何時になるのか分かりません」
「ああ、そうだったねえ。それじゃあ、しっかり学んできなさい。食事を用意して待っているから、必ず帰ってきなさいねえ」
「はい。分かりました。そう言えば、神槍さんは、どこ行ったんですか?」
「ああ、彼女なら、君が眠っている間に帰ったよ。今度は、そっちが遊びに来いってさ。いつか、勉強がてら、遊びに行くと良いよ」
軽く頭を下げて、響介さんに背を向けた。大広間の畳を踏んで、廊下へと出る。
「染宮殿! 今朝は、しっかり食事を取られていましたね? お体の方は、もう宜しいのですか?」
「はい、お陰様で。ご迷惑をお掛けしました」
「ちっとも、迷惑なんか、掛かっていませんよ。あまり無理をなさらず、お休みされても宜しいのに」
「いや、流石に今日を逃したら、次の学校は夏休み明けですからね。もう大丈夫です」
「そうですか。では、いってらっしゃいませ」
小さく顎を引いて、玄関を出た。夏真っ盛りといった太陽の日差しに、手庇で日光を遮りながら、飛び石を渡る。
数日前の絶望しかなかった夜が明け、真君の部屋で話していた。その後、部屋を飛び出した真君を追っている最中に、僕は廊下でぶっ倒れた。バタバタと床を駆ける音が遠くで聞こえたかと思ったら、気を失ったようだ。九十九さんに聞いた話によると、四十度近い高熱に侵され、うなされていたようだ。そして、うなされていた間、僕は夢を見ていた。
真君と雫さんと僕、そして元町先輩の四人で、遊園地で遊んでいる夢だ。
どうして、あの楽しかった夢で、うなされていたのか不思議だ。
「おお、時坊。もう良いのか?」
「ええ、お陰様で。琥珀さんは、辛そうですが」
長い舌を出して、樹木の木陰で横になっている琥珀さんは、虚ろな目をしていた。時坊? そんな呼ばれ方をしたのは、初めてだ。
「ワシは、暑いのは苦手なんじゃて」
「そ、そうですか。ごゆっくりして下さい」
会釈をして、門扉を潜る。砂利道を通り、玄常寺の本堂を回ると、凛とした空気感とは似つかわしくない罵声が、響いている。
「ごちゃごちゃ煩いんだよ! このデカ口ババア!」
「何ですって!? もう一度、言ってみなさいよ!」
「デカ口ババア!」
「本当に、もう一度言ってんじゃないわよ! この三つ目小娘!」
「僕は男だ!」
祈子さんと真君が、今日も元気に激論を繰り広げている。僕は小走りで二人に接近し、間に割って入る。
「はいはいはいはい! 朝っぱらから、何をやってるんですか!?」
この二人の距離は、なかなか縮まらない。
「勝手に割り込んでくるんじゃねえよ! このお節介焼きの良い格好しい!」
「そうよそうよ! 八方美人の蝙蝠男!」
えー!? どうして僕が、罵られているんだ? その後も、二人からの容赦ない罵詈雑言を受け、身が持たないと判断し、戦線を離脱した。この二人に、口喧嘩で勝てる気がしない。一応、病み上がりなんだから、少しは労わって欲しい。二人して、生き生きと好き放題言いやがって! 仲良しか!
「時! 帰りに、たけのこの里買ってきてね!」
「はあ!? きのこの山でしょ!? 何にも分かってないのね!?」
「なんだとお!?」
「何よお!?」
ああ、もう勝手にやってくれ。僕は、耳を塞ぎながら、千年階段を下っていく。
タタン! タタン! と言う、下駄でスキップをするような、電車が陸橋を渡る音と川のせせらぎを聞きながら、堤防沿いの道を歩いていく。通いなれた道なのに、この牧歌的な雰囲気が、とても懐かしく感じた。
「おう! 時! もう良いのか?」
「ああ、銀将君! おはよう! うん、お陰様で!」
「そうか、そりゃ何よりだ! じゃあ、バトンタッチな!」
銀将君は、僕の腕を掴み、軽快に手を合わせてきた。そして、全速力で走り去って行った。何事かと首を傾げていると、背後から無数の足音が聞こえてきた。振り返ってみると、落ち武者の軍団が、血相を変えて追いかけてきている。
あんなのを押し付けられたら、たまったものじゃない!
僕は、銀将君を追いかけるように、必死で逃げた。
「時! こっちくんじゃねえよ!」
「何言ってんだよ! あんなの引き連れてこないでよ! 何とかしてよ! 御三家でしょ!?」
「ざけんな! あんな連中に構ってられっかよ!」
朝一から、銀将君のせいで、全力疾走をするはめになった。本当に、いい迷惑だ。猛然と学校へと駆け込むと、追ってきていた軍勢は、いつの間にかいなくなっていた。
「ああ、畜生! 汗だくだ! じゃあ式が終わったら、迎えに行くからよ」
銀将君は、手で顔を扇ぎながら、校舎へと入って行った。学校が終わったら、銀将君の仕事を手伝うことになっている。先が思いやられる。下駄箱で上履きに履き替え廊下に出た所で、見覚えのある後ろ姿を発見した。駆け寄ろうとしたけれど、一瞬躊躇い立ち止まった。何て声をかけたものかと、言葉を探している。しかし、長考していても距離が離れるばかりなので、覚悟を決めて走り出した。
「おはようございます! 元町先輩! もう体調は良いんですか?」
ちょっと無理をして、明るく声をかけた。元町先輩の細い肩が少し跳ねて、恐る恐る振り返っている。
「ええと、ああ、確か玄常寺の人・・・えっと、名前は・・・」
「染宮時です。あの・・・覚えてないんですか?」
「あ、ご、ごめんなさい。何だか、頭がボーとしてて、記憶が曖昧なの。ずっと、眠っていたような感覚で」
「そうですか」
無理もないことだ。実際に、結構長い間眠っていたのだから。雫さんに支配され使役されていた時の時間を含めれば、もっと長いだろう。ある意味、記憶がなくて良かったのかもしれない。操られていたとは言え、僕に傷を負わせて、人間ではないとは言え、人の形をした少年を刺し殺してしまったのだから。雫さんは、現在でも病院の集中治療室で眠ったままだ。そして、急遽転校したことになっている。
「あの、元町先輩。雫さん、藍羽さんのことは、残念でしたね? 元町先輩が眠っている間に転校しちゃって。でも、またすぐに会えますよ。だから・・・」
「あ! あの! 染宮君?」
「え? あ、はい、何ですか?」
「藍羽さんって・・・誰?」
「え?」
僕が茫然と元町先輩を眺めていると、彼女は居心地が悪そうに、小さく会釈をして、逃げるように去って行った。僕は、未だに、茫然と廊下の先を見つめている。
元町先輩は、雫さんのことを覚えていない? これは、いったいどういうことなのだろうか? 雫さんが証拠隠滅の為に、そういう術を組み込んでおいたのだろうか? もしかしたら、保身の為ではなく、元町先輩のことを慮っての配慮なのだろうか?
これも、僕の希望的観測だ。今回の一連の騒動の黒幕は、御三家の元当主である長縄縛寿だ。そして、孫娘である藍羽雫さん・・・いや、長縄雫さんは、意図的に加担していた。長縄縛寿の野望を理解した上で、協力していた。紛れもない共犯者だ。しかし、最後の最後で、実の祖父に裏切られ酷く傷ついた。
だからこそ、雫さんが完全なる悪者だとは、どうしても思えなかった。思いたくなかった。もしかしたら、これは―――
恋心の正当化なのかもしれない。
初恋の人が、悪人だったなんて、ほろ苦いどころの話ではない。
やはり、これも、失恋と言うものなのだろうか?
僕は、雫さんと話したいことが沢山ある。尋ねたいことが沢山ある。それこそ、山のようにだ。
雫さんは、本当に、ただ僕のことも利用価値があると、思っていただけなのだろうか? それじゃあ、あまりにも惨めじゃないか!
だから、雫さん。必ず、元気になって、目を覚まして下さい。
大きく深呼吸をして、廊下を歩き始めた。
終業式が終わり、クラスメイト達が、浮かれ気分で学校を出て行く。僕は教室で一人、銀将君を待っていた。すると、教室の後ろの扉から、クラスメイトの明方光さんが戻ってきた。
「あれ? 明方さん? どうしたの? 忘れ物?」
声をかけて違和感を覚えた。いつもの明方さんの明るい雰囲気ではなかったのだ。神妙な面持ちで、躊躇しながら、近づいてきているように見えた。
「明方さん?」
僕の席の前で立ち止まった明方さんが、俯いたまま動かなかった。僕が首を傾けていると、明方さんはゆっくりと顔を上げる。なんだか、顔色が悪い気がする。
「・・・あの、染宮君・・・染宮君って、玄常寺っていうお寺さんに住んでいるんだよね?」
「え? あ、うん。そうだけど、それがどうしたの?」
また俯いてしまった明方さんは、何かを言い淀んでいる。そして、たっぷりと間をおいて、明方さんが顔を上げた。
「・・・あの、ちょっと、相談に乗って欲しいことがあるんだけど・・・」
高校入学と共に、玄常寺で住み込みで働くようになって四か月弱。日常では味わえないような経験をしてきた。そのほとんどが、苦くて苦しいものだったけれど、きっと全ての経験が糧となり肥やしになっているはずだ。
様々な価値観に触れ、その多様性と世界の広さを知った。でも、まだまだ知らないことは、沢山ある。実際、何が知らないことなのかを知らない。無知の知というものだ。だからこそ―――
僕がやるべきことは、現段階で僕に出来ることを、真摯に・ひたむきに・ガムシャラに取り組む事だ。多くの仲間の助力を借りながらでも、まっすぐに歩いていくことだ。
「うん! 大丈夫だよ! 僕に出来ることなら、協力するよ!」
僕は、玄常寺の主である歪屋響介の右腕になる。
『もののけもの』なのだ。
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