もののけもの

ふじゆう

文字の大きさ
上 下
41 / 41
第三章 三つ目の願いを握った小さな娘

エピローグ

しおりを挟む
「今日は終業式だけだったねえ? 帰りは早いのかい?」
「そうなんですけど、銀将君の仕事を手伝う約束しているので、ちょっと何時になるのか分かりません」
「ああ、そうだったねえ。それじゃあ、しっかり学んできなさい。食事を用意して待っているから、必ず帰ってきなさいねえ」
「はい。分かりました。そう言えば、神槍さんは、どこ行ったんですか?」
「ああ、彼女なら、君が眠っている間に帰ったよ。今度は、そっちが遊びに来いってさ。いつか、勉強がてら、遊びに行くと良いよ」
 軽く頭を下げて、響介さんに背を向けた。大広間の畳を踏んで、廊下へと出る。
「染宮殿! 今朝は、しっかり食事を取られていましたね? お体の方は、もう宜しいのですか?」
「はい、お陰様で。ご迷惑をお掛けしました」
「ちっとも、迷惑なんか、掛かっていませんよ。あまり無理をなさらず、お休みされても宜しいのに」
「いや、流石に今日を逃したら、次の学校は夏休み明けですからね。もう大丈夫です」
「そうですか。では、いってらっしゃいませ」
 小さく顎を引いて、玄関を出た。夏真っ盛りといった太陽の日差しに、手庇で日光を遮りながら、飛び石を渡る。
数日前の絶望しかなかった夜が明け、真君の部屋で話していた。その後、部屋を飛び出した真君を追っている最中に、僕は廊下でぶっ倒れた。バタバタと床を駆ける音が遠くで聞こえたかと思ったら、気を失ったようだ。九十九さんに聞いた話によると、四十度近い高熱に侵され、うなされていたようだ。そして、うなされていた間、僕は夢を見ていた。
 真君と雫さんと僕、そして元町先輩の四人で、遊園地で遊んでいる夢だ。
 どうして、あの楽しかった夢で、うなされていたのか不思議だ。
「おお、時坊。もう良いのか?」
「ええ、お陰様で。琥珀さんは、辛そうですが」
 長い舌を出して、樹木の木陰で横になっている琥珀さんは、虚ろな目をしていた。時坊? そんな呼ばれ方をしたのは、初めてだ。
「ワシは、暑いのは苦手なんじゃて」
「そ、そうですか。ごゆっくりして下さい」
 会釈をして、門扉を潜る。砂利道を通り、玄常寺の本堂を回ると、凛とした空気感とは似つかわしくない罵声が、響いている。
「ごちゃごちゃ煩いんだよ! このデカ口ババア!」
「何ですって!? もう一度、言ってみなさいよ!」
「デカ口ババア!」
「本当に、もう一度言ってんじゃないわよ! この三つ目小娘!」
「僕は男だ!」
 祈子さんと真君が、今日も元気に激論を繰り広げている。僕は小走りで二人に接近し、間に割って入る。
「はいはいはいはい! 朝っぱらから、何をやってるんですか!?」
 この二人の距離は、なかなか縮まらない。
「勝手に割り込んでくるんじゃねえよ! このお節介焼きの良い格好しい!」
「そうよそうよ! 八方美人の蝙蝠男!」
 えー!? どうして僕が、罵られているんだ? その後も、二人からの容赦ない罵詈雑言を受け、身が持たないと判断し、戦線を離脱した。この二人に、口喧嘩で勝てる気がしない。一応、病み上がりなんだから、少しは労わって欲しい。二人して、生き生きと好き放題言いやがって! 仲良しか!
「時! 帰りに、たけのこの里買ってきてね!」
「はあ!? きのこの山でしょ!? 何にも分かってないのね!?」
「なんだとお!?」
「何よお!?」
 ああ、もう勝手にやってくれ。僕は、耳を塞ぎながら、千年階段を下っていく。
 タタン! タタン! と言う、下駄でスキップをするような、電車が陸橋を渡る音と川のせせらぎを聞きながら、堤防沿いの道を歩いていく。通いなれた道なのに、この牧歌的な雰囲気が、とても懐かしく感じた。
「おう! 時! もう良いのか?」
「ああ、銀将君! おはよう! うん、お陰様で!」
「そうか、そりゃ何よりだ! じゃあ、バトンタッチな!」
 銀将君は、僕の腕を掴み、軽快に手を合わせてきた。そして、全速力で走り去って行った。何事かと首を傾げていると、背後から無数の足音が聞こえてきた。振り返ってみると、落ち武者の軍団が、血相を変えて追いかけてきている。
 あんなのを押し付けられたら、たまったものじゃない!
 僕は、銀将君を追いかけるように、必死で逃げた。
「時! こっちくんじゃねえよ!」
「何言ってんだよ! あんなの引き連れてこないでよ! 何とかしてよ! 御三家でしょ!?」
「ざけんな! あんな連中に構ってられっかよ!」
 朝一から、銀将君のせいで、全力疾走をするはめになった。本当に、いい迷惑だ。猛然と学校へと駆け込むと、追ってきていた軍勢は、いつの間にかいなくなっていた。
「ああ、畜生! 汗だくだ! じゃあ式が終わったら、迎えに行くからよ」
 銀将君は、手で顔を扇ぎながら、校舎へと入って行った。学校が終わったら、銀将君の仕事を手伝うことになっている。先が思いやられる。下駄箱で上履きに履き替え廊下に出た所で、見覚えのある後ろ姿を発見した。駆け寄ろうとしたけれど、一瞬躊躇い立ち止まった。何て声をかけたものかと、言葉を探している。しかし、長考していても距離が離れるばかりなので、覚悟を決めて走り出した。
「おはようございます! 元町先輩! もう体調は良いんですか?」
 ちょっと無理をして、明るく声をかけた。元町先輩の細い肩が少し跳ねて、恐る恐る振り返っている。
「ええと、ああ、確か玄常寺の人・・・えっと、名前は・・・」
「染宮時です。あの・・・覚えてないんですか?」
「あ、ご、ごめんなさい。何だか、頭がボーとしてて、記憶が曖昧なの。ずっと、眠っていたような感覚で」
「そうですか」
 無理もないことだ。実際に、結構長い間眠っていたのだから。雫さんに支配され使役されていた時の時間を含めれば、もっと長いだろう。ある意味、記憶がなくて良かったのかもしれない。操られていたとは言え、僕に傷を負わせて、人間ではないとは言え、人の形をした少年を刺し殺してしまったのだから。雫さんは、現在でも病院の集中治療室で眠ったままだ。そして、急遽転校したことになっている。
「あの、元町先輩。雫さん、藍羽さんのことは、残念でしたね? 元町先輩が眠っている間に転校しちゃって。でも、またすぐに会えますよ。だから・・・」
「あ! あの! 染宮君?」
「え? あ、はい、何ですか?」
「藍羽さんって・・・誰?」
「え?」
 僕が茫然と元町先輩を眺めていると、彼女は居心地が悪そうに、小さく会釈をして、逃げるように去って行った。僕は、未だに、茫然と廊下の先を見つめている。
 元町先輩は、雫さんのことを覚えていない? これは、いったいどういうことなのだろうか? 雫さんが証拠隠滅の為に、そういう術を組み込んでおいたのだろうか? もしかしたら、保身の為ではなく、元町先輩のことを慮っての配慮なのだろうか? 
 これも、僕の希望的観測だ。今回の一連の騒動の黒幕は、御三家の元当主である長縄縛寿だ。そして、孫娘である藍羽雫さん・・・いや、長縄雫さんは、意図的に加担していた。長縄縛寿の野望を理解した上で、協力していた。紛れもない共犯者だ。しかし、最後の最後で、実の祖父に裏切られ酷く傷ついた。
 だからこそ、雫さんが完全なる悪者だとは、どうしても思えなかった。思いたくなかった。もしかしたら、これは―――
 恋心の正当化なのかもしれない。
 初恋の人が、悪人だったなんて、ほろ苦いどころの話ではない。
 やはり、これも、失恋と言うものなのだろうか?
 僕は、雫さんと話したいことが沢山ある。尋ねたいことが沢山ある。それこそ、山のようにだ。
 雫さんは、本当に、ただ僕のことも利用価値があると、思っていただけなのだろうか? それじゃあ、あまりにも惨めじゃないか!
 だから、雫さん。必ず、元気になって、目を覚まして下さい。
 大きく深呼吸をして、廊下を歩き始めた。
 終業式が終わり、クラスメイト達が、浮かれ気分で学校を出て行く。僕は教室で一人、銀将君を待っていた。すると、教室の後ろの扉から、クラスメイトの明方光さんが戻ってきた。
「あれ? 明方さん? どうしたの? 忘れ物?」
 声をかけて違和感を覚えた。いつもの明方さんの明るい雰囲気ではなかったのだ。神妙な面持ちで、躊躇しながら、近づいてきているように見えた。
「明方さん?」
 僕の席の前で立ち止まった明方さんが、俯いたまま動かなかった。僕が首を傾けていると、明方さんはゆっくりと顔を上げる。なんだか、顔色が悪い気がする。
「・・・あの、染宮君・・・染宮君って、玄常寺っていうお寺さんに住んでいるんだよね?」
「え? あ、うん。そうだけど、それがどうしたの?」
 また俯いてしまった明方さんは、何かを言い淀んでいる。そして、たっぷりと間をおいて、明方さんが顔を上げた。
「・・・あの、ちょっと、相談に乗って欲しいことがあるんだけど・・・」
 高校入学と共に、玄常寺で住み込みで働くようになって四か月弱。日常では味わえないような経験をしてきた。そのほとんどが、苦くて苦しいものだったけれど、きっと全ての経験が糧となり肥やしになっているはずだ。
 様々な価値観に触れ、その多様性と世界の広さを知った。でも、まだまだ知らないことは、沢山ある。実際、何が知らないことなのかを知らない。無知の知というものだ。だからこそ―――
 僕がやるべきことは、現段階で僕に出来ることを、真摯に・ひたむきに・ガムシャラに取り組む事だ。多くの仲間の助力を借りながらでも、まっすぐに歩いていくことだ。
「うん! 大丈夫だよ! 僕に出来ることなら、協力するよ!」
 僕は、玄常寺の主である歪屋響介の右腕になる。
『もののけもの』なのだ。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

形だけの正妃

杉本凪咲
恋愛
第二王子の正妃に選ばれた伯爵令嬢ローズ。 しかし数日後、側妃として王宮にやってきたオレンダに、王子は夢中になってしまう。 ローズは形だけの正妃となるが……

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

処理中です...