まだ宵ながら

Kyrie

文字の大きさ
上 下
2 / 4

第二話

しおりを挟む
ぬしの話は面白いものだった。
自分は未亡人の身代わりにこの古い離れに幽閉されているという。
理由ははっきりとは聞かされていないが、口が軽く自分を疎ましく思っている下女が食事を運んでくるたびにちくりちくりと嫌味を言い、それらの話を合わせると自分の状況が薄っすらわかってきたらしい。

「あちらの若旦那様はまだご存命なのだそうです」

「盛大な葬儀を挙げたじゃないか」

「棺の中は空だそうでした」

「じゃあ、どこにいるんだい」

「どなたかいい方と行方をくらましたとか…」

主は言い淀んだ。

「未亡人はどこに行ったんだい」

「突然、若旦那様がいなくなり気落ちしていたところを竹田屋の手代てだいさんが慰め、そのまままた…」

「駆け落ちが二つ、か。
竹田屋も山城屋もとんだ災難だったな」

男が意地悪く言うと、答えに困り主は俯いた。

「それで慌てた両家が未亡人そっくりのおまえさんを連れてきて、替え玉に据えたのか」

「はい」

「替え玉になる前はどうしてたんだい?」

足引山あしびきやまの花街で禿かむろをしておりました」

「へぇ、それはまた」

足引山の花街と言えば、粒ぞろいの陰間かげまばかりがいて男性しか入れない場所だ。
そこで一夜を楽しもうとすれば相当な資金がかかるので、身分が高いか金があるかの男しか遊べない場所だったが、中には一人の陰間に惚れ込み身上しんじょうを潰す者も何人かいた。

「禿、というなら水揚げはしなかったのかい?」

「はい、水揚げ直前に花街から去るように突然言われ、迎えにきた、というお使いの方に連れてこられたのが山城屋様でした」

その花街では、陰間になる前に禿となる。
自分の置き屋の掃除をしたり、陰間の世話をしたり介助役でお座敷に上がったりしながら、その合間に芸を磨く。
禿が一人前の陰間になり、初めて客を取ることを「水揚げ」と言い、禿の頃から人気があれば高い金が積まれ、行列も派手なものとなる。

「ということは、誰にも抱かれなかったのか?」

にやにやとしながら男がいやらしく笑うと、主は赤くなって俯いた。
男は足引山の花街に何度か通ったことがあるので、自分が買った陰間と睦事をしている間、次の間で禿たちが介添のため控えているのを知っていた。

そんなところにいたのに、なんておぼこいことなんだろう。

長い乱れた黒髪で顔が見えなくなり、それがまたそそられる姿だった。

「ああ、暑い」

と、男は合わせを開いた。
主は近くにあった唐風の団扇を取り、ゆるりと男を扇いでやった。

「こう暑いと、冷やした西瓜が食べたいな」

男がこぼす。
それを主は笑い顔で聞き「そうですね」と言った。

「きっとおいしいでしょうね」

客の旦那が陰間の機嫌を取ったり、融通をきかせるために禿に珍しい菓子や甘い果物を持ってくることがある。
それで冷えた西瓜を食べたことがあった。
隣の赤い褥が敷かれた部屋で旦那と陰間の会話や艶やかな喘ぎがぼそぼそと漏れ聞こえる中、主は先輩の禿に混じって赤い果肉にかぶりついた。
懐かしさに目を細め、そして今の自分の現実を思い出す。
食事でさえろくに与えられていないのだ。

「もう食べられないかもしれませんが」

少し自虐的に呟いてしまった。
それを誤魔化すように、主は男にさっきより強めに団扇で風を送ってやった。





そんな様子に気づいているのかいないのか、男が口を開いた。

「それで、おまえさんは正体がばれないためにここに閉じ込められているのか」

「……ええ」

連れてこられた当初はそんなでもなかったのだが、その後短期間でぐんぐんと背も伸び、男らしさも増してしまった。
こうなっては葬儀のときのように人前に出させるわけにもいかず、こんな重大な家の秘密を知った者を放り出すわけにもいかず。

「いつか殺されるのではないか、と考えております」

静かに主が言った。
二つの豪商の醜聞の証拠とも言える主がいなくなってしまえば、両家とも安心する。

「そりゃ物騒だな」

「ただ花街を出るときの証文で五年間はどこにもやらず怪我一つなく命の保証をするように書いてあるので、すぐにではありません」

「花街に閉じ込められ。
山城屋のこんなぼろ離れに閉じ込められ」

男は言葉を区切り、目の前の主を見た。
屋敷に閉じ込められた自分の幼少期を思い出し、いらつき、そして思わず自分と重ねてしまう。


男は側妻そばの子だった。
自分が生まれた数日後、正妻さいの子が生まれた。
丁度その頃、父親である男はひどく気を病んでいて、側妻に潤沢な金を渡してはいて不自由はなかったがそれだけだった。
すぐに父親の家から使いが来て、父が知らぬ間に正妻の子を長男にする、と言った。
母親はそれに素直に従い、男を家の中で育てた。
小さいが狭くはない家で、それに見合う庭もあった。
しかし、男は五つになり父親が慌てて来訪するまでずっと、母親によって庭にも出してはもらえなかった。
ずっと障子の向こうの外の様子をうかがい、大声で泣いたり騒いだりすることも許されなかった。

見知らぬ大きな男が突然現れ、母に「おまえのととさまだよ」と教えられても、男は意味がわからなかった。
走り回ることも日を浴びることもしなかったので、小さく手足も細く、まだ三つにしかならない子どもだと父親が誤解するほどだった。
父という男が狼狽しながらも「すまなかった」と男を抱きしめ泣くのも意味がわからなかった。

それがわかったのは随分大きくなってからだ。
父の来訪後、ほどなくして男は母親と共に大きな屋敷に連れてこられた。
それは父の屋敷であり、正妻と自分の「兄」がいる場所でもあった。
屋敷は増築され、母屋を挟んで西と東に部屋を作り、そこに正妻親子と側妻親子を住まわせた。
そして「兄」と分け隔てなく、食事をとらせ、商人に必要な勉強もさせた。

成人し、父と酒を酌み交わすようになったある春の夜、父は珍しく深酒をした。
毎年春の季節は苦手でよく調子を崩すのが父の常だった。
そして酔うと決まって男に詫びるのだった。

「私がしっかりしておけば、おまえを閉じ込めて育てるなんてさせなかったのに。
すまなかった。
ただし、おまえの母親はおまえの身を案じ、そうしたのだ。
恨むならこの父であり、母ではないよ」

今宵もそんなことを言い始めた。
初めて聞いたときには驚いたが、次第に男は慣れ「ええ、わかっていますよ」と答えるようになった。

「春はなぁ、どうやっても私にはつらすぎるんだよ」

いつも威厳がある父親がすっかり弱った様子を見せるので、男は少し不安に思った。
酒を飲むのを止めるように言ったが、父は止めなかった。
そして、ぽつりぽつりと意味がわからないことを話し始めた。

何度かそういうことがあり、薄々わかったことは、父は家業を継ぐために多大な努力をし、正妻や何人かの豪商の娘を側妻として持ったのも全ては店と家のためであった。
そんな父が一生に一度の出会いを花街でしたらしい。
結局は想い叶わず敗れ、ぼろぼろになったときに男と「兄」が生まれた。
母親は聡い女だったので、父の目が光っていないうちに息子に危害を及ぶかもしれないと踏み、正妻の使いに従い、そして男を家の中に隠した。

恋に狂ったことがある老いた父を男は冷めた目で見ていた。
どんなに謝られても、「この世に存在しない」扱いを受けた不安や恐怖、怒りはすぐには鎮まるはずもなかった。






もしこの未亡人と呼ばれている男が自由になったらどうするのだろう。
この世にある美しいものをもっと見せてやりたい。
もしかしたら一人でどこかに行きたいと言うのかもしれない。
世間知らずできているから、処世術をしっかりと教え込んでそうさせてやるのもいい。
花街の禿をしていたのなら、ある程度の教養と芸はあるはずだ。
それで身を立てたいのなら、それもいいかもしれない。

男は無性に主を自由にさせたくなった。
いつ襲われるかわからないようなところで、生きているのか死んでいるのかわからない状態から救ってやりたくなった。
もっと欲を言えば、寂しげな伏し目がちの顔ではなく、美しい顔が明るく輝き笑っているのも見たくなった。



「おまえさん、ここから出たくはないか」

「……そんなこと、考えてもみませんでした」

あまりの言葉に主は驚いた。
そして静かに涙を頬に流した。
口を一文字に結び、ただただ押し黙って涙が流れるに任せていた。
緩んだ主の手からするりと団扇が抜き取られ、男がそよそよと主を扇いでやった。
男にはわかっていた。
考えないはずはない。
ここを出て、自由になり、大声を出したり、働いたり、笑ったりしたい、と思っただろう。
どうにかして、この生活から抜け出したいと考えただろう。
それらをすべて諦め、ひっそりと誰にも知られず主はここにいるしか術がなかったのだ。


「少し、時間をくれ」

男が低い声で言った。

「すぐは、さすがに難しい。
しかし必ずおまえさんに西瓜を食わせてやる。
それまで待っていてくれないか」

「え」

「迎えに来る。
私を待っていてくれないか」

男は団扇を投げ、主を乱暴に抱きしめた。

「なにを」

「俺がここから出してやる」

「そんな」

「少し時間がかかるが、必ずそうしてやる。
だから」

男は少し身を離し、主の目を見た。
男の目は真剣だった。

「私を待っていてくれないか」

主は迷った。
突然、真夜中に忍び込み、脅してきた見ず知らずの男を信用してもいいものかどうか。

しかし。



「はい」

主は静かに答えた。
どうやっても今のままなら、この不思議な男にすがってもいいと思った。
自分を自由にしてくれる、という甘い夢を見させてもらえるだけでも、これから先しばらくは生きていけそうな気がした。

男はぐいっとまた主を抱き込んだ。

「暑いか」

主は首を振った。
男がもっと力を込めた。



蒸し暑い夜だった。
抱き合った二人は汗だくになっていった。
それでも離れようとはしなかった。
暑くて熱くて息苦しいほどなのに、二人はじっとしていた。
互いの体温と汗の匂いを感じていた。




どれくらいそうしていたのだろう。
男が主の耳元で静かに告げた。

「私は両替商りょうがえしょう掛川かけがわの次男、慶左けいざだ。
この名をしっかり覚えていろ」

両替商の掛川と言えば、花街で有名だったので主でも知っていた。
陰間の中でも秀でた者は花宮となるが、かつて今後現れることはないとまで言われていた花宮を掛川と呉服問屋の飯田橋が争い、愛したということは今でも語り継がれるほどだった。

「あの、掛川様の……?」

「ああ。
勝算のない話は俺はしない。
待っていろ」

「あの、どうしてそこまで……」

「……さぁ、俺にもわからぬ。
が、自由になったおまえさんを見てみたくなったんだよ。
金持ちの坊の気まぐれかもしれない。
だが、真剣だ。
必ず迎えにくる。
それまでどんなところからの求婚があっても断ってくれ」

これではまるで求婚のようではないか。
主は驚きそう思ったが、短い夏の夜の夢として見るのもいいかもしれない。
そう考えると「はい」と返事をした。


男は主に名前を問うたが、主は首を振った。
禿の頃の仮の名は花街を出るときに返上し、山城屋に幽閉されてからは未亡人となった娘の名前でしか呼ばれなかったので、名はない、と答えた。

「次に会うときまでに、よい名を考えておく」

「嬉しく思います」

そう答えた主をぐっと懐に抱き込み、そして男は離れた。
そして再度他の誰かのところには行かず自分を待っておくように念を押すと、去っていった。




しばらくすると短い夜が白々と明けてきた。
主はまだぼんやりと男が消えた庭の方を見ていた。

あれはなんだったのだろう。
不確かで乱暴で夢のようで甘い。

慶左がそこにいた証拠は何一つ残っていなかった。
暑苦しい夜に見た悪夢かもしれないし、狐に化かされたのかもしれない。
しかし、無味乾燥した生活にぽちりとなにかが灯された気がして、頰が緩んだ。
が、すぐに何事もなかったように布団と単の乱れを整えるとまだしばらく間がある朝の目覚めの時間まで身体を横たえた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

まにときり

Kyrie
BL
ひよこのまにとこねこのきりは大のなかよし。 * Twitterのフォロワーさんたちとのやりとりでできあがった、童話風なお話。 * 他サイトにも掲載。 * 表紙 かじったっけさん https://twitter.com/kajittakke 表紙について ブログ https://etocoria.blogspot.com/2018/06/novel-cover-manikiri.html

カフェ ILYA

Kyrie
BL
重厚な雰囲気のカフェ。美しくかわいらしい40代バリスタ。バリスタに淡い好意を寄せている会社員。その友達。そして波乱の空気をまとった男。 * 題字・協力 310 https://twitter.com/310__sato 協力 マーケット https://twitter.com/market_c_001 * fujossy おじ様の色香短編コンテスト入選作品に加筆修正。 * コーヒーに関しては完全にファンタジーです。 * 他サイトにも掲載。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

学校の脇の図書館

理科準備室
BL
図書係で本の好きな男の子の「ぼく」が授業中、学級文庫の本を貸し出している最中にうんこがしたくなります。でも学校でうんこするとからかわれるのが怖くて必死に我慢します。それで何とか終わりの会までは我慢できましたが、もう家までは我慢できそうもありません。そこで思いついたのは学校脇にある市立図書館でうんこすることでした。でも、学校と違って市立図書館には中高生のおにいさん・おねえさんやおじいさんなどいろいろな人が・・・・。「けしごむ」さんからいただいたイラスト入り。

白イ手ノ中デ、イク

Kyrie
BL
眠れない熱帯夜。あるいは苦手な雷が鳴る夜。 高校生の「オレ」は白イ手に翻弄される。 * 183cmのバスケ部員。怖いときには「心の友」をぎゅっと抱きしめるちょっとヘタレな「オレ」のへなちょこちょいホラー風味。 * 表紙 たかまなつきさん http://mecuru.jp/illust/21804 * 2017年 fujossy 〜Summer Love〜真夏のBL短編小説コンテスト 参加作品 * 他サイトにも掲載。

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

フライドポテト

Kyrie
BL
2人のリーマンが、フライドポテト、枝豆、水、ケーキを食べるだけ。 * 協力 ・Kさん(マレーバク) ・いんさん ・マーケットさん(https://twitter.com/market_c_001) * 他サイトにも掲載。 * 隠しテーマは「手」とその周辺。

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

処理中です...