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番外編 第44話 シトラス
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早朝から騒がしい。
軽く身支度をして部屋を出、階段を下りていると兄もまた、同じように起き出していて、2人で下を目指した。
正面のドアが開きっぱなしで、アルベルトの声がしている。
誰かをぎゅうぎゅうと抱きしめている後ろ姿が見え、その向こうには美貌で名高い騎士のヴェルミオンが立っていた。
ちらりとアルベルト越しに干し草色の外套の端が見えた。
まさか。
喜びがこみ上げる。
「ちょっとー、あたしもお腹空いてるんだけどー」
ヴェルミオンのからかいを含んだ、しかし嬉しそうな声に自分の声もやや高くなる。
「それは申し訳ありませんでした、騎士様。うちで朝食を召し上がっていってください」
私の声に外套の主がひょっこりとアルベルトの腕の端から目を見せる。
手を振ってやると嬉しそうに眼を細めた。
そして私の横にいる兄の姿を見つけると、アルベルトの腕から飛び出してきた。
「ルーポ」
「カヤ様ーーーー!!」
兄が呼ぶ声に引き寄せられるように走ってきて、飛びかかるように抱き着いていた。
兄はルーポをがっしりと抱き留め、愛おしそうに包み込む。
2年ぶりに、行方不明になっていた我らの薬師殿が帰還された。
緘口令が引かれるくらいだから、あまり詳しいことは話せないだろうと思い、アルベルトを通じて使用人には不要なことをルーポに尋ねないように指示した。
皆、心得ている様子だった、とアルベルトから報告を受けた。
腹ぺこの薬師殿と騎士様と朝食を共にすると、ルーポは屋敷の者に挨拶をしに回った。
兄もアルベルトもそれについて回るのが面白くて、私もついていく。
仕事が滞るが、夜や明日の早朝やってしまえばいい。
私だってルーポの帰還は嬉しい。
しかし、午後からは仕事に戻ることにした。
アルベルトにも手伝わせることにする。
少しは2人きりにするという気遣いを見せればいいのに、アルベルトは兄のことになると冷静さを欠く。
夕方、ルーポは風呂を1人で使うようだ。
やっと1人になった兄を自分の部屋に招き入れる。
にやついて顔が緩んでしまう兄をからかうと面白そうだったが、それは止めることにした。
「ルーポが帰ってきたの、知っていたんだね」
「ああ。
挨拶もそこそこに俺の治療を始めて、やりすぎてぶっ倒れてしまったから、今日やっとまともに会話した」
「おやおや」
「俺もその治療がきつかったせいか、ここでまた厄介になってるし」
「そんな言い方したらアルベルトが悲しむよ、カヤ」
突然、動けない兄が運び込まれて屋敷は強い緊張に包まれた。
これまでこうやって運び込まれたときには必ず、ひどい傷を負っていたからだ。
しかし、今回は顔色もよくどこにも負傷した様子がない。
とにかく安静にしておけばいい、と付き添ってきた医者は言い、それから二日は朝晩に往診に来た。
「それはそうと、兄さん」
俺は飾り棚の奥の隠し戸棚から茶色の硝子の小瓶を取り出した。
「これ、準備してあるの?」
独特の形なので、一目でカヤもそれがなにかわかったようだ。
それを承知できゅぽんと音を立て、小瓶の蓋を開けてみる。
ふわりとシトラスの香りが漂った。
「ない」
そりゃそうだろうね。
屋敷に戻ってから一歩の外に出ていないんだから。
俺は貴族で、次期当主としても期待され、今は財務大臣の父の手伝いをしている。
その気になれば、夜の相手には困らない。
真剣につき合う人ができたときのために、この小瓶は常備されている。
残念なことに、今は恋愛にも結婚にも関心がないので本気で使うことはない。
どこのどいつが始めたのか知らないが、家特有の香りつきを準備するのもなかなか苦労する。
劣化するため長期保存ができず、定期的に新しいものと入れ替える。
一度、破棄されるのなら、と小瓶を一つ持ち出し、花街で女と過ごした。
小柄で華奢な女で、背中がとても綺麗だった。
うつ伏せに寝かせ、小瓶の中の油を垂らす。
ねっとりとした水たまりが背中のくぼみにでき、そこから溢れたものは脇腹を伝い敷布に落ちた。
「いい香り」と女は言い、シトラスの匂いを大きく吸った。
油を伸ばすように背中に広げてやるとするすると滑る。
「気持ちいい」と小さく呟いたのが可愛らしくて、俺はそのまま背中をなでていた。
やがて女は軽い寝息を立て始めた。
化粧で派手に見え年上だと思っていたが、寝顔はあどけなく起こす気になれなかった。
そのまま寝かせておいてやると、明け方目が覚めた女は慌てふためいた。
仕事をしなかったのが雇い主にわかると折檻されると怯えた。
その前に客である俺になにかされると怖がった。
俺はなにもしないしなにも言わない、と言った。
ただ朝なので窮屈になった前をなんとかしてほしい。それからたくさん口づけをしてほしい、と言った。
女は小さな舌を使い、キスをたくさんし、俺の股間に顔を埋め口と舌と手で俺を鎮め、吐き出したものを飲んでくれた。
帰ってから、俺はアルベルトに怒られた。
あの潤滑油は遊びで使うものではない、とても大切な人に対して使うものだ、と。
「今夜、必要だろ。
持ってく?」
「………」
くくく。
言葉を失うカヤを見るのは楽しかった。
あまり兄弟でこういう話題はしてこなかったからな。
俺が思春期を迎える頃には、兄さんは屋敷を出て騎士養成学校に勝手に入っていたし、そのあとは傭兵として長期間メリニャにいなかったし、戻ってきたかと思えば騎士として戦っていたから屋敷に戻ってくるはずもなかった。
居心地悪そうにし不機嫌な顔のカヤは、見ごたえがあった。
「ああ、そこまで気が回っていなかった。
ありがたくもらっていく」
!
俺は驚いた。
自分の想像では兄は恥ずかしがってちょっと怒り出すはずだった。
なのに。
「ルーポを傷つけるわけにはいかないからな。
それに、この匂いは好きだと言っていた」
「……そう。
それならなおさらよかった。
何本いる?」
「5本」
………
だめだ。
からかうつもりだったが、こっちが照れてしまった。
5本!
5本だと?!
どれだけするつもりなんだ……!!!
ふと思い出す。
2年前、カヤがルーポを抱いた夜のこと。
俺たちの部屋の壁は厚く音が漏れにくくなっているとはいえ、カヤの部屋に一番近い俺の部屋では静かにしていれば、ルーポの艶やかな甘い声が微かに聞こえてきていた。
かっと身体が熱くなる。
兄の夜のことなんて、そんなに知りたいはずはないだろう。
恥ずかしくなって、小瓶を5本、カヤに押しつけた。
「早く持っていけ」
「ああ、ありがとう、ロダ」
カヤはしれっとそれを受け取ると、俺の部屋から出ていった。
俺はそばの椅子に座り込んだ。
今夜はワインを用意させよう。
気を紛らわせないとやりきれないかもしれない。
あんなにデレデレなカヤを初めて見たぞ!
口元を手で覆い、呆然としてしまう。
顔から熱が引くのに、時間がかかってしまった。
***
「空と傷」の舞台裏公開
随時質問も受け付け中
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軽く身支度をして部屋を出、階段を下りていると兄もまた、同じように起き出していて、2人で下を目指した。
正面のドアが開きっぱなしで、アルベルトの声がしている。
誰かをぎゅうぎゅうと抱きしめている後ろ姿が見え、その向こうには美貌で名高い騎士のヴェルミオンが立っていた。
ちらりとアルベルト越しに干し草色の外套の端が見えた。
まさか。
喜びがこみ上げる。
「ちょっとー、あたしもお腹空いてるんだけどー」
ヴェルミオンのからかいを含んだ、しかし嬉しそうな声に自分の声もやや高くなる。
「それは申し訳ありませんでした、騎士様。うちで朝食を召し上がっていってください」
私の声に外套の主がひょっこりとアルベルトの腕の端から目を見せる。
手を振ってやると嬉しそうに眼を細めた。
そして私の横にいる兄の姿を見つけると、アルベルトの腕から飛び出してきた。
「ルーポ」
「カヤ様ーーーー!!」
兄が呼ぶ声に引き寄せられるように走ってきて、飛びかかるように抱き着いていた。
兄はルーポをがっしりと抱き留め、愛おしそうに包み込む。
2年ぶりに、行方不明になっていた我らの薬師殿が帰還された。
緘口令が引かれるくらいだから、あまり詳しいことは話せないだろうと思い、アルベルトを通じて使用人には不要なことをルーポに尋ねないように指示した。
皆、心得ている様子だった、とアルベルトから報告を受けた。
腹ぺこの薬師殿と騎士様と朝食を共にすると、ルーポは屋敷の者に挨拶をしに回った。
兄もアルベルトもそれについて回るのが面白くて、私もついていく。
仕事が滞るが、夜や明日の早朝やってしまえばいい。
私だってルーポの帰還は嬉しい。
しかし、午後からは仕事に戻ることにした。
アルベルトにも手伝わせることにする。
少しは2人きりにするという気遣いを見せればいいのに、アルベルトは兄のことになると冷静さを欠く。
夕方、ルーポは風呂を1人で使うようだ。
やっと1人になった兄を自分の部屋に招き入れる。
にやついて顔が緩んでしまう兄をからかうと面白そうだったが、それは止めることにした。
「ルーポが帰ってきたの、知っていたんだね」
「ああ。
挨拶もそこそこに俺の治療を始めて、やりすぎてぶっ倒れてしまったから、今日やっとまともに会話した」
「おやおや」
「俺もその治療がきつかったせいか、ここでまた厄介になってるし」
「そんな言い方したらアルベルトが悲しむよ、カヤ」
突然、動けない兄が運び込まれて屋敷は強い緊張に包まれた。
これまでこうやって運び込まれたときには必ず、ひどい傷を負っていたからだ。
しかし、今回は顔色もよくどこにも負傷した様子がない。
とにかく安静にしておけばいい、と付き添ってきた医者は言い、それから二日は朝晩に往診に来た。
「それはそうと、兄さん」
俺は飾り棚の奥の隠し戸棚から茶色の硝子の小瓶を取り出した。
「これ、準備してあるの?」
独特の形なので、一目でカヤもそれがなにかわかったようだ。
それを承知できゅぽんと音を立て、小瓶の蓋を開けてみる。
ふわりとシトラスの香りが漂った。
「ない」
そりゃそうだろうね。
屋敷に戻ってから一歩の外に出ていないんだから。
俺は貴族で、次期当主としても期待され、今は財務大臣の父の手伝いをしている。
その気になれば、夜の相手には困らない。
真剣につき合う人ができたときのために、この小瓶は常備されている。
残念なことに、今は恋愛にも結婚にも関心がないので本気で使うことはない。
どこのどいつが始めたのか知らないが、家特有の香りつきを準備するのもなかなか苦労する。
劣化するため長期保存ができず、定期的に新しいものと入れ替える。
一度、破棄されるのなら、と小瓶を一つ持ち出し、花街で女と過ごした。
小柄で華奢な女で、背中がとても綺麗だった。
うつ伏せに寝かせ、小瓶の中の油を垂らす。
ねっとりとした水たまりが背中のくぼみにでき、そこから溢れたものは脇腹を伝い敷布に落ちた。
「いい香り」と女は言い、シトラスの匂いを大きく吸った。
油を伸ばすように背中に広げてやるとするすると滑る。
「気持ちいい」と小さく呟いたのが可愛らしくて、俺はそのまま背中をなでていた。
やがて女は軽い寝息を立て始めた。
化粧で派手に見え年上だと思っていたが、寝顔はあどけなく起こす気になれなかった。
そのまま寝かせておいてやると、明け方目が覚めた女は慌てふためいた。
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その前に客である俺になにかされると怖がった。
俺はなにもしないしなにも言わない、と言った。
ただ朝なので窮屈になった前をなんとかしてほしい。それからたくさん口づけをしてほしい、と言った。
女は小さな舌を使い、キスをたくさんし、俺の股間に顔を埋め口と舌と手で俺を鎮め、吐き出したものを飲んでくれた。
帰ってから、俺はアルベルトに怒られた。
あの潤滑油は遊びで使うものではない、とても大切な人に対して使うものだ、と。
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居心地悪そうにし不機嫌な顔のカヤは、見ごたえがあった。
「ああ、そこまで気が回っていなかった。
ありがたくもらっていく」
!
俺は驚いた。
自分の想像では兄は恥ずかしがってちょっと怒り出すはずだった。
なのに。
「ルーポを傷つけるわけにはいかないからな。
それに、この匂いは好きだと言っていた」
「……そう。
それならなおさらよかった。
何本いる?」
「5本」
………
だめだ。
からかうつもりだったが、こっちが照れてしまった。
5本!
5本だと?!
どれだけするつもりなんだ……!!!
ふと思い出す。
2年前、カヤがルーポを抱いた夜のこと。
俺たちの部屋の壁は厚く音が漏れにくくなっているとはいえ、カヤの部屋に一番近い俺の部屋では静かにしていれば、ルーポの艶やかな甘い声が微かに聞こえてきていた。
かっと身体が熱くなる。
兄の夜のことなんて、そんなに知りたいはずはないだろう。
恥ずかしくなって、小瓶を5本、カヤに押しつけた。
「早く持っていけ」
「ああ、ありがとう、ロダ」
カヤはしれっとそれを受け取ると、俺の部屋から出ていった。
俺はそばの椅子に座り込んだ。
今夜はワインを用意させよう。
気を紛らわせないとやりきれないかもしれない。
あんなにデレデレなカヤを初めて見たぞ!
口元を手で覆い、呆然としてしまう。
顔から熱が引くのに、時間がかかってしまった。
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