空と傷

Kyrie

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第20話

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カヤの部屋に2人きり。
ルーポがベッドのそばにいることを確認すると、カヤは枕をちょうどいい具合に動かし、しっかりと横になった。

「おまえのマッサージを受けると、とても眠たくなるんだ」

「……きっと……血の巡りがよくなったからだと思います」

「すごく気持ちがいい」

「そうですか。よかったです」

ルーポは小さく微笑んだ。

「よかったら寝てください」

「しばらくいてくれるか」

カヤはもうまぶたを下ろしながら言った。
その言葉はルーポの心臓を甘くきつく締めあげた。

「……はい、いますよ」

「すまないな」

「いいえ。
しっかり休んで明日、先生から起き上がってもいい許可をいただきましょう」

「そうだな。
そうしたら、おまえの準備を手伝える」

「……もう、十分です」

「受勲式のことだけじゃない。
ルーポはメリニャを背負っていく薬師になる。
そのためには知識も経験も必要だ。
付け焼刃かもしれないが、ここにいる間はありったけのものを持っていくといい」

「ありがとう…ございます……」

「すまないな」

「?」

「生憎、俺は何一つ持ってないし、与えてやれない」

「そんな……そんなことっ、ありませんっ。
あなたがっ、カヤ様がっ、このお屋敷に連れてきてくださらなかったら、僕は……」

「俺にツテがあって、よかったよ。
悔しいなぁ、俺もルーポになにかやれたらよかったのに……」

「もう、十分です。
僕のほうこそ、なにもお返しできそうに、ありませ」

「言うな。
おまえに救われたって言っただろ、ルーポ」

カヤは閉じていたまぶたを緩く開いて、涙が盛り上がった空色の目を見た。

「ああ、こんなにしちまって」

伸びてくる手に怯え、思わず閉じてしまったため、ルーポの目から涙が弾けこぼれた。

「泣くな、ルーポ」

「……は、はい。すみません」

カヤはルーポの右頬をくにくにと揉んだ。

「ちったぁ見られるような顔になったな。
もっと食え、ルーポ」

「……はい」

「もう少しふっくらしてもいいぞ、おまえ」

「お、女の子じゃありませんよ」

「わかっているよ、狼のルーポ」

カヤは面白そうに笑うと、ルーポの頬から手を離し、掛布団の中に収めた。
ルーポが布団の首元を整えてやると、カヤは満足そうに微笑んで、静かにまぶたを閉じ、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。

誰もいなければ、ルーポはこの切なく締めあげられる心臓の痛みにのたうち回りそうだった。
朝のように熱を孕んだどきどきずくずくとした衝動が身体を巡ることはなかったが、息苦しくてたまらなかった。
涙を拭い、目元を赤く腫らしてカヤを見る。

やっぱり、僕は……


消せない炎はちろちろとルーポの中に灯ったが、それを大きくするわけにはいかない。
とにかくカヤの安眠だけをルーポは祈った。

が、やがて疲れからかルーポもベッドに上半身を伏せて眠っていた。
その、眉をひそめた寝顔と涙の跡を切なそうに見た人物は、聞こえないくらいの溜息をついた。






翌朝早くに町医者がアルベルトが手配した迎えによって、屋敷に連れてこられた。
ぶつぶつと文句を言いながらもカヤの足を中心に診察した。
それをロダ、アルベルト、ルーポが心配そうに見つめていた。

「ま、悪くはないな。
昨日言ったことを守って無茶はしないことだ」

「今日から起きてもいいか?」

抑えられないカヤの声に町医者は少し顔をしかめたが「くれぐれも無茶はしないようにな。どれだけの人に心配をかけたと思っているんだ、おまえは」と言った。

「まったく小さい頃から怪我ばかりで、傭兵になって、騎士となって、傷だらけじゃないか。
少しは周りの人間の身にもなってみろ」

お小言を言われたが、カヤはにやにやとしているばかりだった。

「先生、朝早くからありがとうございました」

ロダがそう言うと「まったくだ」と言いながらも、町医者もカヤの回復の早さに驚き、喜んでいるようだった。

「早く医局長のユエ先生がごっそりと連れていった医者を戻してほしいものだ。
そうすれば、俺の忙しさも多少マシになる」

「そうですね。
もうすぐ遊学から戻られますよ。
受勲式の時にユエ先生も薬局やくきょく長のイリヤ先生も報告のために参列されるそうです」

ロダがそう言い、町医者に帰りも馬で送るから朝食はどうかと誘っていた。
町医者は今朝は余裕があるせいか、それを受けることにしたらしい。
ロダはその相手をするために町医者とアルベルトと共にカヤの部屋から出た。



3人が出ていたあと、カヤは掛布団と飛ばす勢いでベッドから飛び起きた。
そして「ルーポ!」と言いながら大股で近づくと、ぎゅうううっとルーポを力強く抱きしめた。

「やったぞ!
今日から自由だ!
ありがとう、ルーポ!」

「あ、お、おめでとうございます。
あ、いたっ、痛いです、カヤ様!」

カヤは「わはははは」と嬉しそうに大きく笑ってルーポを抱きしめたままぐるぐると回った。

「や、それ、目、ま、回るぅ」

「え、もっと?」

「やあっ、ち、がいま……」

ふざけてカヤは速度を上げてぐるぐると回り、給仕係が食事を運んでくるまで続いた。
腕の中から解放されたルーポはくったりしていた。
上機嫌なカヤは用意された朝食をもりもりと食べた。
なにか言いたかったルーポだが、そんなカヤに何も言う気になれず小さく肩をすくめながら笑い、気を取り直して食事をした。
まだ量は少なかったが、ルーポがほぼ一人前の朝食を食べるのを見て、カヤも微笑んだ。


食後はそのまま、メリニャやその周辺の国々のことについてカヤから教わった。
どうしてこれを教えようとするのかずっと疑問に思っていたルーポが、恐る恐るカヤに尋ねてみた。

「それは、ルーポが薬草を扱うからだ」

「?」

「メリニャで採れる薬草は限られているんだろう?
その薬草がどんな場所で育ち、どんなルートを通りメリニャに運ばれてくるのか知っておいたほうがいい。
遠い異国からきた薬草は高価かもしれないが、知らないからと言って足元を見られ必要以上に高く支払う必要はない」

「はい」

「それに、これからはきっと国をまたいだ交流をすることになるだろう」

「?」

「おまえは直にメリニャを代表する薬師になる」

「まさか」

「俺の勘がそう言っている、間違いない」

「そんな」

「他の国の薬師と関わることもあるだろう。
心優しい薬師ばかりだと信じたいが、そうでない可能性も大いにある。
おまえには自分を助ける知識と経験が必要だ」

「……」

「経験はどうしようもしてやれないが、知識は少し持たせてやれる。
幾つかの国については俺が実際に過ごしたことがあるから、詳しく教えてやれるぞ」

「カヤ様……」

「王族だの貴族だのと付き合いのある輩の中には、見た目や知識で人を計る奴もいる。
それも人を計るひとつだが、大概、それは歪んでしまっているよ。
俺は、ルーポを歪んで計られたくない。
交渉も優位に運んでほしい」

「カヤ様、僕はそんな……」

「おまえにはその資質がある。
どうせ、おまえは薬局には今、戻れない。
あと少しだけ、自由になる時間があるんだ。
毒にはならん。
もう少し、俺の話を聞け」

「それは……カヤ様がお話くださることはどれも珍しくて楽しいですが」

「じゃあ、いいな。
さぁ、狼のルーポ、ケルニアについての続きだ。
この国は川が多く、灌漑も進んでいて豊かな国だ」

「はい、薬草の栽培も盛んでメリニャにもたくさん輸入されています」

こうして、ルーポはカヤからみっちりと地理や歴史、国々の特徴や情勢を教わった。




昼食からはこれにロダが加わった。
ロダはカヤよりも威圧感がなく、話し上手だった。
これまでのルーポの屋敷での生活を聞き、夕食はロダが「屋敷の主」役をやりたいと言い出し、そうすることにした。

食後はロダが王宮内のことを面白く話してくれた。
長い廊下に飾られた絵画や王宮に伝わる不思議な話、王族だけが知っている秘密の小部屋、敷かれた絨毯から壁紙の産地まで豊富で面白く、ルーポは目をくるくるとさせて聞いた。

「面白いでしょう?
あまり挙動不審なのもいけないが、受勲式のときにその目で確かめてみるといい」

「そんな時間、あるかなぁ」

「退屈な話を聞いているときに、視線をそっとやるくらいは大丈夫じゃないかな」


十分に時間をおいてから、ルーポは敷布を広げ、カヤのマッサージを始めた。
足に関してはルーポがこれまで通りにやり、アルベルトには腰のマッサージを教えることにした。
アルベルトは動きやすい服装になっており、真剣にルーポがやることを見て、時折質問をしていた。
ルーポが汗だくで両足のマッサージを済ませ、カヤにうつ伏せになってもらった。
広い腰の右半分を使ってルーポがやることや気をつけることをゆっくりと話しながら、アルベルトに見せた。
アルベルトの番になった。
最初はルーポに何度も止められていたが、コツをつかんだのかそれも少なくなっていった。
まだ少ししかマッサージをしていなかったが、アルベルトは汗だくになっていた。

「こんなに、大変なものなのですね」

「あの、代わりましょうか」

「いいえ。
あなたがへとへとになる理由がわかりましたよ。
できるところまでやらせてください。
私一人でできるようになりたい」

「はい」

しばらくルーポが見守っていたが、ロダが声をかけ、自ら冷えたレモン水を注ぎ、部屋の隅の椅子を勧めた。
ロダがアルベルトとカヤを見ながら言った。

「アルベルトは兄を溺愛しています」

溺愛かどうか判断がつかなかったが、大切にしていることはわかったので、ルーポは「はい」と答えた。

「兄の傷のことを聞いていますか」

「傭兵や騎士様としての戦いの中でついた、ということだけなら」

「あの顔の傷、あれは傭兵時代にある国で戦が終結したばかりの頃に、子どもが数人近づいてきてね。
親を失って保護が必要な子どもかと近づいていったら、小さなナイフで切りつけられたそうです。
もう少しで失明するところだった、と帰国した兄から聞きました」

右の頬の傷跡をルーポはまじまじと見ようとしたが、カヤはうつ伏せていて見ることはできなかった。

「それから、左足。
あれは帰国してから騎士として内乱を鎮静するために戦っていたときのことです。
その日の戦いが終わり、やっぱり子どもがいたんですよ。
その子を反乱軍の兵士が人質に取ろうとしてのをかばって、ざっくりと。
そのときにはうちに運ばれてきました。
両親も私も、もちろんアルベルトも屋敷中の者全員で看病しました。
一時は命も危うかった。
助かりましたが、兄は戦えない人になっていた。
優しすぎるんですよ、カヤは。
戦う人には向いていないのに」

ルーポはロダの厳しい横顔を見上げた。

「足を悪くした兄を両親もアルベルトも屋敷に引き留めようとしましたが、やっぱり彼は出ていってしまい、それから2度と屋敷には戻ってきませんでした。
あなたを連れて帰るまでは」

ロダは静かに言った。

「兄がアルベルトに罪悪感を感じているのはご存知ですか。
アルベルトもまた、兄に対して罪悪感を感じている。
兄が家を出た原因の一つは自分だと思っている。
強いて言えば、その原因は家族の問題であるんでしょうが。
あの2人は親兄弟よりも近くで長く過ごしてきましたからね。
私たちにはわからない絆がある。
だからああやって、アルベルトは兄に尽くそうとしているんです。
やりすぎそうになったら、今度は私が止めますよ。
安心してください」

「あの……
なぜ、僕にそんなお話を……」

「なんとなく、話したい気分になったのです。
兄について、あなたによく知っていてほしかった」

深い紺碧の瞳で空色の瞳を包み込む。

「時が満ちたのかもしれませんね」

ロダはそうつぶやくと口を閉ざしてしまった。
ルーポも黙るしかなかった。



やがてアルベルトが声をかけ、ルーポがカヤの左の腰にふれた。
まんべんなくやっているつもりでも足りない箇所があったので、ルーポはそこをアルベルトに触らせながら仕上げのマッサージを施した。




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