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第48話 ハヤシライスと桜餅
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いつもなら大概、昼のサイレンが鳴ると三条院、白洲、黒須で連れだって外に食べに行く。
今日は黒須が「三条院がこの間食べたいと言ってたからね」と蘭胆亭のハヤシライスを食べよう、と白洲に声をかけ、三条院の部屋を訪れた。
しかし三条院は「すまない、今日はここで食べるよ」と藍染めの小さな風呂敷を仕事机の上に取り出した。
「今朝、急にキヨノさんが米を炊いて握り飯を作ったと持たせてくれたんだ」
でれでれに脂下がる三条院は弁当しか目に入っておらず、とにかく嬉しそうだった。
去年、悲劇的なできごとから妻であるキヨノに拒まれ、げっそりとやつれてしまった三条院が最近ようやく持ち直しつつあるのを見てきたので、黒須も白洲も何も言えなくなった。
包みの中身は筍の皮に包まれた握り飯と川崎が作ったおかずが詰めてある小さな曲げわっぱだった。
それを三条院は愛おしそうに見つめる。
キヨノのやつれようもひどい、と何度か見舞いに行った櫻子から聞いていた。枯れ木のようにやせ細り、到底十五になった男子とは思えないほどだと、櫻子が顔を曇らせながら話した。
「そうか。まだまだ新婚だものな。今日は二人で行ってくるよ」
黒須はからかうような口ぶりで笑い、軽く片手を上げ、三条院から離れた。
「ああ、悪いな」
三条院はそう言った。
白洲は心配そうに黒須を見遣った。
「蘭胆亭でよかったのか。別日に行ってもいいんだぞ」
パレスの敷地内から出ながら、白洲は言った。
「江の蕎麦屋でもいいし」
「いいんだよ。せっかくだからハヤシライスを食べよう。君と二人ということは花見の打ち合わせもできるということだから」
黒須は丸縁眼鏡の向こうから表情が読み取れない笑みを浮かべ、さっさと蘭胆亭への道を行く。
それでいいのか。
白洲はつんと痛む心臓を感じながら、黒須に追いつき横を歩いた。
蘭胆亭は人気の洋食屋で、中でもハヤシライスとオムライスが絶品だ。
二人は席に着くと早速ハヤシライスを注文した。
三月も中旬を過ぎ、暖かい日差しが差し込む窓際の席は気持ちがいい。
黒須は肘をつき、ぼんやりと窓の外を眺めているふうだったが、実のところはなにも見ていないのだろうと白洲は思っていた。
がっかりしているな。
黒須はあまり感情を表に出さない男だ。人をからかったり、ばかなことを言って笑うこともあるが、目の奥は笑っていない。
優しい物腰と口調で彼に夢中になる婦女子も多いが、それもどこまでが本心なのか白洲にもわからなかった。
唯一、黒須の目に感情が宿るのは三条院のことだけだった。
キヨノの故郷の村に三人を中心とした部隊で派遣され、妖とやり合い部隊全員が負傷した。中でも三条院が一番ひどく、なかなか治らないのを知ると不安で不安で動揺していたのも、そのあとキヨノに襲い掛かり憔悴してしまった三条院を見つめる視線がつらくてつらくてたまらなくなっていたのも、黒須の変化に気づいたのは白洲だけだった。
「なぁ、さっき花見のことを言っていたがなんの打ち合わせだ」
向かい合わせに座っているというのに、自分のことは目に入っていない黒須に切なくなって白洲が声をかけた。
「うん? ああ、そうだね」
顎を手から離し、ようやく黒須が白洲に気を向けた。
花見というのは去年、祝言を挙げた三条院とキヨノのところから今年も花見に招待されていることだ。
「私は今年も桜餅を手土産にするよ」
去年の花見には黒須と白洲はそれぞれ長命寺と道明寺の桜餅を手土産にした。和菓子が好きだというキヨノに合わせたものだったが、同じものだったのでお互いに面白くなかったのも事実だ。当のキヨノは「二種類もあります!」と普段の硬い表情からは想像もできないほどの笑みを浮かべ、嬉しそうに食べていた。
「ならば俺はプディングにするかな」
「君も桜餅にしたまえよ」
「どうしてだ」
「キヨノさんはまだ食が細いと聞いている。洋のものは食べつけないと体への負担が大きいからね。
私は長命寺にするから、黒須は道明寺にするといい」
つらくはないのか。
白洲は、また窓の外を見始めた黒須を見た。
黒須も白洲もキヨノのことが好きだ。
三条院が強引に屋敷に連れてきたのには驚いたし、多少の憤りを感じて本気で助けてやりたいと思った。
しかし、キヨノさんと三条院が仲睦まじいのを君は見ることになるのだぞ。
「それでいいのか」
重苦しい声だった。
さすがの黒須もそれには気づき、目の前の男をぽかんと見た。
「ああ、私はそれでいいよ。あそこの長命寺は評判がいいからね」
白洲が懸命に黒須の眼鏡の奥を探ったが、光はなく、なにも感じることができなかった。
「どうかしたのか、白洲。まさかおまえも体調が悪いのか」
「いや、そうではない」
「春だからな。平生と違っていても仕方ないよ」
黒須は軽く微笑む。
「春か……。三条院もつらいな」
「?」
「狐の発情期も春だからな」
「な。おまえ、こんなところで」
「キヨノさんにふれることもできなくなったとしょげ返ってから、どれだけ経つかな。つらい春になるだろうに」
「それはそうだろうが」
「せいぜいからかって、気を紛らわせてやろう」
「しかし」
「お。ハヤシライスが来たぞ。今日もうまそうだ」
白いエプロンドレスのメイドが恭しくハヤシライスを二人のもとへ運んできた。
黒須は優雅な手つきで合掌するとスプーンを手にした。
白洲はそれ以上なにも言えなくなり、同じように手を合わせるとスプーンを取り上げた。
第48話 了
今日は黒須が「三条院がこの間食べたいと言ってたからね」と蘭胆亭のハヤシライスを食べよう、と白洲に声をかけ、三条院の部屋を訪れた。
しかし三条院は「すまない、今日はここで食べるよ」と藍染めの小さな風呂敷を仕事机の上に取り出した。
「今朝、急にキヨノさんが米を炊いて握り飯を作ったと持たせてくれたんだ」
でれでれに脂下がる三条院は弁当しか目に入っておらず、とにかく嬉しそうだった。
去年、悲劇的なできごとから妻であるキヨノに拒まれ、げっそりとやつれてしまった三条院が最近ようやく持ち直しつつあるのを見てきたので、黒須も白洲も何も言えなくなった。
包みの中身は筍の皮に包まれた握り飯と川崎が作ったおかずが詰めてある小さな曲げわっぱだった。
それを三条院は愛おしそうに見つめる。
キヨノのやつれようもひどい、と何度か見舞いに行った櫻子から聞いていた。枯れ木のようにやせ細り、到底十五になった男子とは思えないほどだと、櫻子が顔を曇らせながら話した。
「そうか。まだまだ新婚だものな。今日は二人で行ってくるよ」
黒須はからかうような口ぶりで笑い、軽く片手を上げ、三条院から離れた。
「ああ、悪いな」
三条院はそう言った。
白洲は心配そうに黒須を見遣った。
「蘭胆亭でよかったのか。別日に行ってもいいんだぞ」
パレスの敷地内から出ながら、白洲は言った。
「江の蕎麦屋でもいいし」
「いいんだよ。せっかくだからハヤシライスを食べよう。君と二人ということは花見の打ち合わせもできるということだから」
黒須は丸縁眼鏡の向こうから表情が読み取れない笑みを浮かべ、さっさと蘭胆亭への道を行く。
それでいいのか。
白洲はつんと痛む心臓を感じながら、黒須に追いつき横を歩いた。
蘭胆亭は人気の洋食屋で、中でもハヤシライスとオムライスが絶品だ。
二人は席に着くと早速ハヤシライスを注文した。
三月も中旬を過ぎ、暖かい日差しが差し込む窓際の席は気持ちがいい。
黒須は肘をつき、ぼんやりと窓の外を眺めているふうだったが、実のところはなにも見ていないのだろうと白洲は思っていた。
がっかりしているな。
黒須はあまり感情を表に出さない男だ。人をからかったり、ばかなことを言って笑うこともあるが、目の奥は笑っていない。
優しい物腰と口調で彼に夢中になる婦女子も多いが、それもどこまでが本心なのか白洲にもわからなかった。
唯一、黒須の目に感情が宿るのは三条院のことだけだった。
キヨノの故郷の村に三人を中心とした部隊で派遣され、妖とやり合い部隊全員が負傷した。中でも三条院が一番ひどく、なかなか治らないのを知ると不安で不安で動揺していたのも、そのあとキヨノに襲い掛かり憔悴してしまった三条院を見つめる視線がつらくてつらくてたまらなくなっていたのも、黒須の変化に気づいたのは白洲だけだった。
「なぁ、さっき花見のことを言っていたがなんの打ち合わせだ」
向かい合わせに座っているというのに、自分のことは目に入っていない黒須に切なくなって白洲が声をかけた。
「うん? ああ、そうだね」
顎を手から離し、ようやく黒須が白洲に気を向けた。
花見というのは去年、祝言を挙げた三条院とキヨノのところから今年も花見に招待されていることだ。
「私は今年も桜餅を手土産にするよ」
去年の花見には黒須と白洲はそれぞれ長命寺と道明寺の桜餅を手土産にした。和菓子が好きだというキヨノに合わせたものだったが、同じものだったのでお互いに面白くなかったのも事実だ。当のキヨノは「二種類もあります!」と普段の硬い表情からは想像もできないほどの笑みを浮かべ、嬉しそうに食べていた。
「ならば俺はプディングにするかな」
「君も桜餅にしたまえよ」
「どうしてだ」
「キヨノさんはまだ食が細いと聞いている。洋のものは食べつけないと体への負担が大きいからね。
私は長命寺にするから、黒須は道明寺にするといい」
つらくはないのか。
白洲は、また窓の外を見始めた黒須を見た。
黒須も白洲もキヨノのことが好きだ。
三条院が強引に屋敷に連れてきたのには驚いたし、多少の憤りを感じて本気で助けてやりたいと思った。
しかし、キヨノさんと三条院が仲睦まじいのを君は見ることになるのだぞ。
「それでいいのか」
重苦しい声だった。
さすがの黒須もそれには気づき、目の前の男をぽかんと見た。
「ああ、私はそれでいいよ。あそこの長命寺は評判がいいからね」
白洲が懸命に黒須の眼鏡の奥を探ったが、光はなく、なにも感じることができなかった。
「どうかしたのか、白洲。まさかおまえも体調が悪いのか」
「いや、そうではない」
「春だからな。平生と違っていても仕方ないよ」
黒須は軽く微笑む。
「春か……。三条院もつらいな」
「?」
「狐の発情期も春だからな」
「な。おまえ、こんなところで」
「キヨノさんにふれることもできなくなったとしょげ返ってから、どれだけ経つかな。つらい春になるだろうに」
「それはそうだろうが」
「せいぜいからかって、気を紛らわせてやろう」
「しかし」
「お。ハヤシライスが来たぞ。今日もうまそうだ」
白いエプロンドレスのメイドが恭しくハヤシライスを二人のもとへ運んできた。
黒須は優雅な手つきで合掌するとスプーンを手にした。
白洲はそれ以上なにも言えなくなり、同じように手を合わせるとスプーンを取り上げた。
第48話 了
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