キヨノさん

Kyrie

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第21話

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「結婚、ですか?
なんだか難しいことを考えているんですね、キヨノさん」

買い出しが終わり、藤代さんは小麦粉、俺は大根を抱えて並んで歩いている。

俺が口を滑らせてしまったため、買い出し中の寄り道は厳禁となってしまった。
藤代さんは俺の分も中川さんに絞られたらしい。
それを聞いて藤代さんに謝り、中川さんにかけ合おうとしたが、藤代さんがそれを止めた。

「いいんですよう。
私が中川さんの立場でもそうします。
私は叱られて当然なんです。
買い出し禁止にならなくてよかった」

藤代さんはにこっと笑ってそう言った。

なので駄菓子屋で餡子玉を買うことはなくなってしまった。
ちょっと寂しかったが、いつか機会を見て俺はキャラメルを買おうと思った。
俺には自分のお給金があるらしいし、藤代さんだけでなく他の人にも配れば大丈夫だろう。




「藤代さんは結婚したいですか」

「うーん、まあ、そうですねえ。
いつかはしたいですよ。
けれど今は中川さんから仕事を教わることで精一杯だし。
好きなコができたら考えます。
まずは恋がしたいですね」

「こい」

「おや、キヨノさん、誰か好きなコ、いなかったんですか」

「す、好きな子?!」

「旦那様に出会う前に、『あ、あのコかわいいな』とか」

「………全然」

「え、なんで。
田村様のところは厳しかったんですかね」

「さあ」

「春めいてきたから、恋の季節ですよ。
ふふふふふ、恋かあ、いいなあ」

「藤代さん?」

俺の呼びかけには応えず、藤代さんはどんどん先を歩いていく。
俺はずり落ちそうな大根を抱え直し、後を追う。







「やあ、キヨノさんじゃないか」

急に声がして驚き、立ち止まってしまった。
白い自動車がすっと俺のそばで止まった。
後ろの窓が開くと、綺麗な顔がのぞいた。
見たことあるけど、誰だっけ。

「これは黒須様」

藤代さんが声色を変え、さっきまでの砕けた雰囲気からきりっとして背筋を伸ばし、礼をした。
俺もぴょこんと頭を下げながら、なりあきさまのご学友の黒須様だと思い出した。

「重そうだね。
キヨノさん、車に乗せてあげるよ」

「いいえ、ご心配にはおよびません」

俺はとにかく頭を下げて断る。

「遠慮しなくてもいいよ。
これから豆大福を買いに行くから、キヨノさんにも差し上げましょう」

「い、いいえ」

「藤代、キヨノさんと大根はあとで三条院の屋敷に送り届けるから」

断って、藤代さん!

「あまり遅くならないようにしていただけるとありがたいのですが」

「ああ、それは大丈夫だよ。
櫻子さんもお送りしなけらばならないし。
夕食までには必ず」

「かしこまりました」

「中川にもよろしく伝えておいて」

「はい」

運転席のドアが開き、運転手が下りてきた。
そして後ろのドアを開けると黒須様が出て来て、それまで座っていらした席に座れと促す。
どうしよう。

藤代さんは黙っている。
そうか、立場があるものな。

仕方なく車に乗り込むと、今度は運転手が助手席のドアを開け、そこに黒須様が座った。
運転手は俺が抱えていた大根を丁寧に後ろのトランクに入れた。

「これもお願いします」と藤代さんは小麦粉も渡してる!

「ではキヨノさん、お夕食までにはお戻りください」

「藤代さん!」

「よろしくお願いいたします」

車はゆっくりと走り出した。






「キヨノさん、隣に座っているのは私の許嫁の鳴滝櫻子さんです」

「あら、あなたが三条院様の。
ごきげんよう、キヨノさん。
櫻子と申します」

ふわりといい匂いがして、櫻子さんが会釈をされた。
前髪を一文字に切って、まるでお人形さんみたいだ。

「キヨノと申します。
よろしくお願いします」

「なんて可愛らしい方。
お会いできて嬉しいです」

櫻子さんは微笑んだ。
いい匂いがする。

「今日は櫻子さんと観劇の帰りなんだ」

「はい」

「それで、そっちはどうだい。
三条院とはうまくやっているかい」

「はい、よくしていただいています」

「今度こそ、キヨノさんのハートを射止めてほしいものだね」

「はぁ」

「でも」

「?」

「結婚なんて形から入っていくのでもいいかもしれないよ。
ね、櫻子さん」

「はい」

「?」

「私たちは自分が生まれる前から親や祖父が決めた相手なんだ。
それでも悪くないと思っている」

はぁ。

「では、こいがなくても大丈夫なのでしょうか」

「鯉?
ああ、恋、ね。
そんなロマンティックなことを言ったのは中川かな。相変わらずだ。
なくてもいいさ」

そうなのか。

「キヨノさんが三条院のことを嫌っていないのなら、あとから好きになっていけばいいし、恋もしたいならすればいい」

「好きじゃなくても大丈夫なのですか」

「……ん、まぁ、ね。
嫌悪じゃなかったら大丈夫でしょう。
あの屋敷にいたいんでしょう」

「はい」

「ならそのうちに好きになるかもしれないじゃないか」

そうか、そういうものなのか。
俺は少し安心した。
あからさま過ぎたのか、黒須様が笑いをこらえていらっしゃるのがわかった。



それから黒須様と櫻子様はこれから行く和菓子屋の豆大福について教えてくれた。
櫻子様のお気に入りで、豆の塩加減と餡子の塩梅がすこぶるいいということだった。
思わず生唾を大きな音をたてて飲み込んでしまい、お二人に笑われてしまった。


和菓子屋に連れていかれて、幾つほしいかと聞かれ「九つ」と答えた。

「一人でそんなに食べるの?」

と驚かれたので、慌てて首を振り、お屋敷の方の分だ、と言った。

「キヨノさんはお優しいんですね」

櫻子様がそうおっしゃり、「キヨノさんはお二つお食べなさい」と黒須様が十も大福を持たせてくれた。




そしてお屋敷まで送ってくださり、大根と小麦粉も下ろされた。

「じゃあ、また、キヨノさん。
もし三条院がいやになったらうちの書生として迎える話はまだ生きているからね」

そう言い残し、黒須様たちを乗せた車は発進していった。
俺は車をぼんやり見送っていたら、後ろから軽くクラクションが鳴り、振り向くと佐伯さんが運転する黒い自動車が止まっていた。

「キヨノさんっ!」

後部座席のドアが乱暴に開き、なりあきさまが飛び出してきた。
そして駆け寄り、俺を抱きしめる。

「なりあきさま、どうして…?」

「ご無事でしたか?
なにもされていませんか?
痛いところは?
嫌なところは?」

「はい、なにもないです」

「ああ、よかった」

なりあきさまは俺をより強く抱きしめた。

「中川から連絡を受けたときには驚きました。
黒須は悪い男ではありませんが、時々突飛なことをしでかすんです。
もしキヨノさんになにかあったらいけない、と心配しました」

「ご心配をおかけしてすみません」

なりあきさまはぐいぐいと俺を抱きしめて、痛いくらいだ。
でも切羽詰まったお声で、俺は本当になりあきさまにご心配をおかけしたのだとわかった。

「いいえ、悪いのは黒須です。
貴方ではありません」

「すみません……」

「………ん?
キヨノさん、なにを抱えていらっしゃるのです?」

「ああ、はい。
黒須様と櫻子様に豆大福を買っていただきました。
みなさんのぶんもあります」

「え」

「九つでいいと言ったのですが、俺は二つ食べろと十も買っていただきました。
ずっしりとしていて、重いです」

「……はぁ」

「なりあきさま?」

なりあきさまはやっと俺を離してくれた。

「きっと九という数字はあまりよくないと考えたのでしょう。
そう言われたのなら、キヨノさんが二つお食べなさい。
それであとのは、どなたかに差し上げるおつもりですか?」

この人はなにを言っているんだろう。

「お屋敷の方のぶんですよ。
好きなだけ買ってくれると言われたので、お願いしてきました」

「……あの二人は驚いていたのでは?」

「はい、とても」

「キヨノさん、私は貴方がもっと好きになりました」

「あ、そうだ」


いつの間にか車を車庫に入れた佐伯さんが、大根と小麦粉を抱えてそばにいた。
なりあきさまが俺が落としそうになっている大福の包みを持ってくれた。

「黒須様から、好きにならなくても結婚はできるのだとお聞きしました。
カタチカラハイレバイイ、と。
そういうのだったら、俺にもできるでしょうか」

「嗚呼」

なりあきさまは額に手を当てて上を向いた。

「そういうことは考えなくてもいいです。
キヨノさんは、キヨノさんがどうしたいかだけを見ていればいい。
それだけですよ。
本当に余計なことをしてくれる」

余計なこと。

「キヨノさんがここにいたいと思えばずっとずっといてくださればいい。
それだけです。
それだけで十分」

「はぁ」





夕食後、みんなで豆大福を食べた。
お二人がおっしゃっていた通り、豆の塩加減と餡子の甘さがちょうどよかった。
二つめの大福はなりあきさまと半分にして食べた。
さすがに二つ全部は食べられないし、藤代さんのほうを見たら目で「だめだめ」と断られた。
それを見られていたらしく、なりあきさまがご自分の半分をもう半分にして藤代さんに渡していた。
俺の半分はもう口の中に入れてしまったあとだったので、ものすごく慌てた。

「いいんです。
藤代にはもっと頑張ってもらわなくてはなりませんからね」

藤代さんは目を白黒させていたけれど、大福はぺろりと食べていた。








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