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第6話
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次の日のお昼は定時に食べずに、伯爵様のおかえりを待っていた。
伯爵様は先に食べていていいよ、とおっしゃったが、気が引ける。
他の人たちはそれぞれの仕事があるために、交代にいつもの時間に食べていたので、いい匂いを嗅ぐと腹が鳴ったが、我慢した。
これまで昼飯をくいっぱぐれることはよくあったし。
黒塗りの自動車が戻ってきた、と言われ、俺は玄関に伯爵様を出迎えにいった。
しかし伯爵様はいつものはぐときすをしなかった。
やっと俺のことを赤ん坊じゃない、とわかってくれたのかと思ったがひどいお顔をされていた。
「身体が重く、頭が痛い」
そうおっしゃると中川さんに支えられるようにして、ご自分のお部屋に向かってしまわれた。
俺は渡された伯爵様の重い革の鞄を抱えて、その後姿を見送った。
そのあと、俺は厨房で昼食を温め直してもらい、隅で食べた。
川崎さんが作ってくれた豚汁はとてもうまかった。
そこへ中川さんがやってきた。
「ご主人様はいかがですか」
俺が聞くと中川さんは静かに答えた。
「どうやらお風邪を召していらっしゃるようです。
熱も高くないようですので、ゆっくりとおやすみになればお元気になられますよ」
「もしかして、俺のせいでしょうかっ」
俺は今朝のことを思い出して、中川さんに聞いた。
久しぶりに熟睡し起きてみると、一緒の布団に入って寝ていたはずの伯爵様は、俺に布団をしっかりかけ、ご自分は半分くらい布団がないまま寝ていらっしゃった。
俺は慌てて布団から出ると伯爵様にかけた。
そして音を立てないように和室から出て身支度を整えるために、俺の部屋になっている部屋に行った。
「なんとも言えませんね。
旦那様はいつも仕事熱心であまりお休みを取られないのですよ。
これまでのお疲れが出たのかもしれません」
「でも」
「旦那様はキヨノさんがいらして久しぶりにお休みの日にゆっくりと過ごされるとお決めになりました。
屋敷の者は嬉しかったです、もちろん私もね」
中川さんの言葉に厨房にいた他の人たちもうんうんとうなずいている。
「川崎さん、なにか温かいものを旦那様に飲んでいただこうと思うのですが」
「しょうが湯はいかがでしょうか」
「いいですね、お願いします」
そう言うと、中川さんは厨房から出ていかれた。
川崎さんは俺に言った。
「キヨノさん、手伝いますか」
「はい!」
上等の葛粉を使い、少しとろみのついたしょうが湯ができると俺は無理を言って伯爵様のところへ運ばせてもらった。
「旦那様からはキヨノさんにうつってはいけないので、決して旦那様のお部屋には入れないようにときつく言われているのですが」
と中川さんは言っていたが、丸い小さなお盆に載せた湯呑を運ぶ俺を止めはしなかった。
「失礼します」
俺は中川さんにドアを開けてもらい、そっとそっと歩いた。
「キヨノさん?!」
伯爵様の声はかすれていた。
「川崎さんがしょうが湯を作ってくれました。
お飲みになりますか」
「どうしてここへ。
来てはいけないと聞いていませんか」
「はい、すぐに出ていきます」
伯爵様は赤いお顔をしていらした。
俺はベッドのそばの小さな机にお盆を置いた。
「お熱がありますか」
「だからここに来てはいけないと言ったのに。
うつったら大変です」
「なりあきさま」
しんどそうだ。
効けばいいけど。
俺は掛布団から出ていた伯爵様の手を取り、ぎゅっと掴むと唇を押し付けた。
「!」
「アイシテルトイウアラワレ」
「!!!」
「おまじないを唱えましたから、きっとお元気になります。
失礼します」
俺は頭を下げると足早に部屋から出ていった。
はぐときすはあれで合っていただろうか。
俺は困っていたつもりだったけど、伯爵様と一緒に過ごすのを楽しみにしていたのかもしれない。
ちょっとがっかりした気分でいる。
しかし、伯爵様が早く元気になるほうが大事だ。
さわったとき、そこまでは熱くなかったので、寝ていたら熱も引くかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は今日も掃除をしたり荷物を運んだり薪を割ったりした。
川崎さんが伯爵様のためにお粥を炊いた。
食欲はあるそうなので、卵粥だった。
今度は中川さんがお部屋に運び、そして戻ってこられた。
器は空っぽだった。
みんなでほっとした。
夜になり、藤代さんに聞かれたので俺はまた和室で寝ることに決めた。
もう場所もわかっているので、挨拶をすると一人で和室に行き、布団を敷いて寝た。
明け方、目が覚めた。
今日は寒さのせいではない。
藤代さんに言ったら、ふかふかの毛布を貸してくれた。
俺はそっと布団から抜け出した。
音を立てないように爪先立ちでそっと歩く。
ふれる床はひどく冷たい。
伯爵様はこの冷たい床を歩いてこられたのか、と思いながらそっと歩く。
そして、いつもならこんこんと鳴らすドアを黙って開けた。
音がしないように素早く閉じると、また息をひそめてベッドに近づいた。
「……キヨノさん?」
え、ばれた?
なんで?
音、立てなかったつもりなのに、うるさかった?
「どうされたのです、キヨノさん」
「………なりあきさまがきちんと眠れているかどうか、確かめにきました」
「?」
「一人では眠れないとおっしゃっていたから」
「ああ、キヨノさん!」
伯爵様は思わぬ強い力でぐっと俺の腕を引っ張った。
「早くベッドに入ってください。
今度は貴方が風邪をひいてしまう」
「これくらいならひきません」
「私が貴方の倍以上生きているからおじさんだと言いたいんですか」
「いえ、それは違います」
そんなことを言いながら、ぐいぐい引っ張られるので俺はベッドに上がった。
「こんなに冷えてしまって」
伯爵様に抱き込まれ、背中をさすられ、爪先は伯爵様の足に挟まれ、温められた。
「心配して来てくださったんですね」
「眠れましたか」
「ええ、寝ていました。
寝すぎて目が覚めてしまいましたが。
でも、寂しかった。
貴方が来てくれて嬉しいです。
ありがとう、キヨノさん」
「いえ」
伯爵様はぎゅうぎゅうと俺を抱きしめる。
まだちょっと熱いな。
熱、少しあるな。
「寝ましょう、なりあきさま。
きっとまだお熱が少しありますよ」
「そうですか。
貴方と一緒ならまた眠れそうです」
「早く治しましょう」
「ええ、貴方がおまじないをしてくれましたからね」
「おまじない、効きますように」
思っていたより、伯爵様は元気そうだ。
もう一日寝ていれば治るだろう。
よかった。
俺はほっとして、本格的に寝ようと目を閉じた。
伯爵様は先に食べていていいよ、とおっしゃったが、気が引ける。
他の人たちはそれぞれの仕事があるために、交代にいつもの時間に食べていたので、いい匂いを嗅ぐと腹が鳴ったが、我慢した。
これまで昼飯をくいっぱぐれることはよくあったし。
黒塗りの自動車が戻ってきた、と言われ、俺は玄関に伯爵様を出迎えにいった。
しかし伯爵様はいつものはぐときすをしなかった。
やっと俺のことを赤ん坊じゃない、とわかってくれたのかと思ったがひどいお顔をされていた。
「身体が重く、頭が痛い」
そうおっしゃると中川さんに支えられるようにして、ご自分のお部屋に向かってしまわれた。
俺は渡された伯爵様の重い革の鞄を抱えて、その後姿を見送った。
そのあと、俺は厨房で昼食を温め直してもらい、隅で食べた。
川崎さんが作ってくれた豚汁はとてもうまかった。
そこへ中川さんがやってきた。
「ご主人様はいかがですか」
俺が聞くと中川さんは静かに答えた。
「どうやらお風邪を召していらっしゃるようです。
熱も高くないようですので、ゆっくりとおやすみになればお元気になられますよ」
「もしかして、俺のせいでしょうかっ」
俺は今朝のことを思い出して、中川さんに聞いた。
久しぶりに熟睡し起きてみると、一緒の布団に入って寝ていたはずの伯爵様は、俺に布団をしっかりかけ、ご自分は半分くらい布団がないまま寝ていらっしゃった。
俺は慌てて布団から出ると伯爵様にかけた。
そして音を立てないように和室から出て身支度を整えるために、俺の部屋になっている部屋に行った。
「なんとも言えませんね。
旦那様はいつも仕事熱心であまりお休みを取られないのですよ。
これまでのお疲れが出たのかもしれません」
「でも」
「旦那様はキヨノさんがいらして久しぶりにお休みの日にゆっくりと過ごされるとお決めになりました。
屋敷の者は嬉しかったです、もちろん私もね」
中川さんの言葉に厨房にいた他の人たちもうんうんとうなずいている。
「川崎さん、なにか温かいものを旦那様に飲んでいただこうと思うのですが」
「しょうが湯はいかがでしょうか」
「いいですね、お願いします」
そう言うと、中川さんは厨房から出ていかれた。
川崎さんは俺に言った。
「キヨノさん、手伝いますか」
「はい!」
上等の葛粉を使い、少しとろみのついたしょうが湯ができると俺は無理を言って伯爵様のところへ運ばせてもらった。
「旦那様からはキヨノさんにうつってはいけないので、決して旦那様のお部屋には入れないようにときつく言われているのですが」
と中川さんは言っていたが、丸い小さなお盆に載せた湯呑を運ぶ俺を止めはしなかった。
「失礼します」
俺は中川さんにドアを開けてもらい、そっとそっと歩いた。
「キヨノさん?!」
伯爵様の声はかすれていた。
「川崎さんがしょうが湯を作ってくれました。
お飲みになりますか」
「どうしてここへ。
来てはいけないと聞いていませんか」
「はい、すぐに出ていきます」
伯爵様は赤いお顔をしていらした。
俺はベッドのそばの小さな机にお盆を置いた。
「お熱がありますか」
「だからここに来てはいけないと言ったのに。
うつったら大変です」
「なりあきさま」
しんどそうだ。
効けばいいけど。
俺は掛布団から出ていた伯爵様の手を取り、ぎゅっと掴むと唇を押し付けた。
「!」
「アイシテルトイウアラワレ」
「!!!」
「おまじないを唱えましたから、きっとお元気になります。
失礼します」
俺は頭を下げると足早に部屋から出ていった。
はぐときすはあれで合っていただろうか。
俺は困っていたつもりだったけど、伯爵様と一緒に過ごすのを楽しみにしていたのかもしれない。
ちょっとがっかりした気分でいる。
しかし、伯爵様が早く元気になるほうが大事だ。
さわったとき、そこまでは熱くなかったので、寝ていたら熱も引くかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は今日も掃除をしたり荷物を運んだり薪を割ったりした。
川崎さんが伯爵様のためにお粥を炊いた。
食欲はあるそうなので、卵粥だった。
今度は中川さんがお部屋に運び、そして戻ってこられた。
器は空っぽだった。
みんなでほっとした。
夜になり、藤代さんに聞かれたので俺はまた和室で寝ることに決めた。
もう場所もわかっているので、挨拶をすると一人で和室に行き、布団を敷いて寝た。
明け方、目が覚めた。
今日は寒さのせいではない。
藤代さんに言ったら、ふかふかの毛布を貸してくれた。
俺はそっと布団から抜け出した。
音を立てないように爪先立ちでそっと歩く。
ふれる床はひどく冷たい。
伯爵様はこの冷たい床を歩いてこられたのか、と思いながらそっと歩く。
そして、いつもならこんこんと鳴らすドアを黙って開けた。
音がしないように素早く閉じると、また息をひそめてベッドに近づいた。
「……キヨノさん?」
え、ばれた?
なんで?
音、立てなかったつもりなのに、うるさかった?
「どうされたのです、キヨノさん」
「………なりあきさまがきちんと眠れているかどうか、確かめにきました」
「?」
「一人では眠れないとおっしゃっていたから」
「ああ、キヨノさん!」
伯爵様は思わぬ強い力でぐっと俺の腕を引っ張った。
「早くベッドに入ってください。
今度は貴方が風邪をひいてしまう」
「これくらいならひきません」
「私が貴方の倍以上生きているからおじさんだと言いたいんですか」
「いえ、それは違います」
そんなことを言いながら、ぐいぐい引っ張られるので俺はベッドに上がった。
「こんなに冷えてしまって」
伯爵様に抱き込まれ、背中をさすられ、爪先は伯爵様の足に挟まれ、温められた。
「心配して来てくださったんですね」
「眠れましたか」
「ええ、寝ていました。
寝すぎて目が覚めてしまいましたが。
でも、寂しかった。
貴方が来てくれて嬉しいです。
ありがとう、キヨノさん」
「いえ」
伯爵様はぎゅうぎゅうと俺を抱きしめる。
まだちょっと熱いな。
熱、少しあるな。
「寝ましょう、なりあきさま。
きっとまだお熱が少しありますよ」
「そうですか。
貴方と一緒ならまた眠れそうです」
「早く治しましょう」
「ええ、貴方がおまじないをしてくれましたからね」
「おまじない、効きますように」
思っていたより、伯爵様は元気そうだ。
もう一日寝ていれば治るだろう。
よかった。
俺はほっとして、本格的に寝ようと目を閉じた。
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