くずちゃん

Kyrie

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前編

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掌の上にすくい上げたのは、本当にくず饅頭まんじゅうにそっくりのものだった。
辺りに散乱するガラスの破片。
濡れた床。
寺島は感触も葛饅頭にそっくりなものをその中から注意深くすくい上げたはいいが、次にどうすればいいのかわからず焦っていた。

「ただの水じゃないって言っていたけど、でも水しかないし。中身がなんなのかもわからないし。だけどこのまんまじゃ干からびちゃうし。水、水でいいか。おい、水でいいよな」

ひんやりぽてりとした正体不明のものに話しかけるように寺島は考えを声に出すと、気に入っているグラスに水を入れ、そこに葛饅頭を入れようとした。が、葛饅頭はねったぁっと寺島の指に甘えるようにすり寄り、しかし力が足りずそのままこぽんと音を立てグラスの中に落ちていった。
え。
と寺島は思った。
預かったとき、山村は「こいつは動かない」と言っていたではないか。慌てすぎて勘違いしてしまったのか。
寺島は頭を数回振り、グラスの中を見た。水中の葛饅頭はこれまでと何も変わった様子はなかった。ほっとして床の掃除を始めたのはもう真夜中すぎのことだった。



***

大学のゼミで一緒だった山村がふらりと寺島を訪ねてきたのは3日前だった。
卒業後も同じマンションに住んでいたせいか、山村は迷わずここまで来たらしい。大きなスーツケースと機内持ち込み用のバッグをごろごろと転がしながら突然やってきて、この「餡子の入っていない葛饅頭のようなもの」を押しつけた。

「急な呼び出しだったんだ。悪いがこれを預かっておいてほしい」

背の低いグラスに入れられ、上はラップで覆われていた。寺島が驚いてあわあわしているうちに山村は「せっかくの大事な時だとわかっていての嫌がらせだ」「室内に置いておくだけでいい」「ラップは外しておいてくれ」「動かないから大丈夫」「人の側に置いておかないとだめなのに」「友達?いないからここに来てる。同僚?あんなカスに預けられん」と一方的に言うと、「フライトの時間に間に合わない」とグラスを強引に寺島の手に持たせた。たぷんと中の液体が揺れ、葛饅頭もそれに合わせてグラスの底でゆらりと転がった。

「そうだ。中の液体は水じゃないが、そのまま放置していても問題ない。むしろそのままにしておいてくれ。じゃ」

がちゃんとドアが閉まり、寺島は葛饅頭と部屋に残された。




どうしたものかと思ったが、グラスを倒してはいけない、と普段、あまりものを出し入れしないオープンシェルフの手前に置いた。直射日光は当たらないが、暗すぎるわけでもない。広くないワンルームだから、少し視線をやればすぐに様子が見える。
葛饅頭の居場所を確保すると安心したのか、寺島はいつも通りの生活をし、最後にシャワーを浴びて寝た。


翌日、目が覚めると寺島はグラスを覗き込んだ。葛饅頭は液体の底にいる。
確認できると、トーストにコーヒー、罪滅ぼしのような野菜ジュースという朝食を済ませ、身支度をし出社した。

帰宅すると葛饅頭は朝と変わらず液体の底にいた。液体は濁った様子もない。寺島は安心して買ってきたコンビニ弁当とから揚げをテーブルに広げ、ひょいと葛饅頭の入ったグラスもテーブルに置いた。そしてテレビをつけ、くちゃくちゃと食べながらスマホでSNSやLINEをチェックしたり、ゲームをいじったりした。
ひとしきりそれが終わると、ごみを片付け、実家から持ち帰った父親特製の梅酒に氷と炭酸水を注いだグラスを持ってまたテーブルに座り、葛饅頭の入ったグラスを眺めながらちびりちびりと飲み始めた。

見れば見るほどおかしいものだった。
「餡子のない葛饅頭」という形容がぴったりの、まるで水を固めたような、底は平らで頭はつるんと丸い、一口で食べられそうな大きさだった。
その正体はなんなのか、さっぱりわからない。もし食品だったとして、いくら気候がよくなったとはいえ日中はまだまだ暑く、閉め切ったこの部屋で冷蔵庫に入れていなければすぐに傷んでしまうだろう。

寺島は山村のことを思い出そうとしたが、たった4年前のことなのにあまり思い出せるものはなかった。
「同じゼミ」とは言え、顔を合わせたのは何回あっただろうか。一度、教授に頼まれて山村の「大事な大事な忘れ物」を届けに家に行ったことがあった。自分が住んでいるマンションより何倍もいいマンションにたどりついたときはびっくりした。山村の風貌は清潔感がなく、着ているものも安っぽい、それも「着られればなんでもいい」という服ばかりだった。持ち物も同じようだし、ほとんど口も利かない。
教授から教えられた携帯番号に電話するとエントランスのドアが開いた。
言われるままにエレベーターに乗り指定された階で下りると、先ほど知らされた番号のドアの前でインターフォンを鳴らした。
音もなくドアが開くと生臭い臭いと共に山村が顔をのぞかせた。そして預かってきた大判の封筒を渡すと無言で受け取り、中身を確認していた。
山村越しに見えた部屋の中は薄暗く、こぽこぽと音がしていた。大小、どれくらいの数があるかわからないくらいの水槽が頑丈な棚の中に並んでいた。まるで水族館のようだった。こぽこぽという音はエアポンプの音で、あとはモーターの音もしていた。水槽には明かりが灯っているものとそうでないものがあった。比較的明るいものは水草がゆらゆらしているのも見えた。

「世話になった」

「大事な大事な忘れ物」の確認が終わると山村はそう言い、ガチャンとドアが閉じられた。寺島は驚いた。もっと労いの言葉があるとか、もしそうなったらどうしようか迷うが「あがってお茶でも」という声掛けとか、なにかあると思ったがそれらがまったくなかった。
そしてそれを理由にもう1度インターフォンを鳴らす気にもなれなかった。あの部屋は不気味だ。
寺島は諦めてすごすごと来た道を戻るしかなかった。
そこまでされて滅茶苦茶腹を立てなかったのは、教授からおつかい料として三千円の焼肉券をもらったからだ。それも高級和牛の。胡散臭いとは思ったが、不快な思いもしたことだし、寺島は遠慮なく一人で焼肉を食べた。ランチで、しかも物足りないとも思ったがあんな店、普段ならランチでも行けない店だからいいにした。




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