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六、
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糸括が十を迎えるのを知ると、誰が水揚げするのか、しばらく花街で話題となった。
陰間の付き添いとして姿を見せる見習いの少年を、客の男たちは素知らぬ顔をしながら吟味する。
そしてその子が陰間となるとき、水揚げできないものかと狙うのだ。
糸括は目立たない華のなさそうな少年だった。
しかし、それはわかりやすい華ではないからであった。
ふとした時に見せる瑞々しい艶と清純な潔さに気づく男は少なく、玄人好みであった。
気づいた男たちは、糸括の清純さを守りたいという庇護欲に駆られる者、あるいはその足跡のない雪のような清らかさを自分の色に染めたくなる者に二分された。
すでに陰間になっている者は、一見地味な糸括は自分の人気を脅かすものではない、と高を括っていた。
しかし、水揚げに名乗りを上げ始めた男たちの噂を聞いて驚いた。
そしてその中から二人の男が有力ではないか、と憶測をし始める。
一人は両替商の旦那の掛川。
両替商の中では若いがたっぷりとした余裕を持つ偉丈夫であった。
若さに任せて手荒なこともせず、よく陰間の話を聞いてやるので頼り甲斐もあり、陰間の人気も高かった。
もう一人は呉服問屋の若旦那の飯田橋。
次男として呑気に甘やかされて育っていたが、父の後を継ぐことになった。
軽快なので不安を覚える者もいるが、斬新な考えで周囲を驚かせ、今風の遊び心を持っているため流行りものが好きな陰間に人気があった。
二人とも陰間の人気が高かったので、糸括の水揚げに名乗りをあげたという噂が広まると、陰間の羨望と嫉妬の渦が巻き上がった。
それで身を崩す者もいれば、自分の芸をますます磨こうとする者も出た。
どちらに決まるのか、寄るとさわると噂されていたが、決まったのはなんと御衣黄のご隠居だった。
まさかの大物に、花街はますます騒然となった。
御衣黄の正体は誰も知らなかったが、かの切ヶ谷皇子の落とし胤《だね》ではないかという噂のある、不思議な好々爺だった。
若い頃は花街で派手に遊び、陰間の中から選ばれる極めて芸も人気も高い花宮《はなみや》の身請けをし正妻に据えたことでも有名であった。
生涯で一人の陰間を身請けすることができる男はそうそうおらず、それも花宮の身請けとなるとほんの一握りの限られた者だけだった。
それなのに御衣黄は近年、もう一人、陰間を身請けし、正妻と共にそばに置いている。
その陰間は悪戯が過ぎたが、もしそれがなければ花宮になってもおかしくないほどの陰間であった。
そのご隠居が今を時めく若い男二人を差し置き、糸括を水揚げする。
その話が広まると、花街は一気に大混乱となった。
置屋笹部の前に惣吉のところからの駕籠が到着した。
置屋の中から緊張に顔をこわばらせた糸括が現れた。
最後の別れを兄や弟たちにする。
次に帰ってくるときには新しい名前を戴《いただ》いた陰間となっている。
見習いには許されたことが許されなくなることもたくさんある。
無邪気に笑いながらわいわいと兄弟で楽しくやっていた日々には戻れない。
気を抜くと涙が落ちそうになるのを堪え、見送られながら糸括は駕籠に乗り込んだ。
駕籠が到着したのは、花街の南の赤い門のそばだった。
あの時、気がつけば赤い門の前に立っていた、名前もなにもかも失っていた糸括に必要なものを授けた男、惣吉の屋敷がここにあった。
中に入ると惣吉が出迎え、糸括は早々に湯殿に連れられていった。
そこで二人の少年に体の隅から隅まで清められ出ると、惣吉が待っていた。
そして全裸の糸括に赤い腰布を巻き、緋色の肌襦袢《はだじゅばん》を着せた。
ああ。
声にならない声を糸括は上げた。
赤い肌襦袢は陰間が着用するものだからだ。
今宵、糸括の水揚げが行われる。
惣吉は糸括を連れ、二つか三つ先の部屋の襖を開けた。
そこには髪結いが待っていた。
鬢付け油を用い、糸括の素直な黒髪を結っていく。
水揚げのときの飾りは置屋ごとに違っており、金細工、螺鈿細工、珊瑚づくしなどあったが、笹部のものは鼈甲づくしであった。
十の陰間用に小ぶりには作ってあるが、飴色の櫛や簪を髪に刺していくごとに頭は重くなっていった。
髪が結い上がると、惣吉はまた糸括を連れて長い廊下を歩き、襖を開けた。
そこには紋付き袴の源蔵と番頭見習いの年若い雨宿が正座をして待っていた。
糸括は凛々しい源蔵の姿に見とれてしまいそうになるのを抑えた。
黙ったまま軽く会釈をした。
惣吉が二人の前に糸括を立たせると、源蔵は黙ったままそばにあった畳紙を開いた。
糸括は初めて今宵の自分の着物を見た。
「糸括や、見てごらん。
この着物は源蔵がお前のために選んでこしらえさせたものだ」
惣吉が声をかけた。
真っ青な海に激しい白波が立ち、そこに桜の花が咲き狂い散り乱れていた。
「おまえは一見おとなしく静かに見えるが奥底に激しさを秘めている、と源蔵は言って聞かなかったのだよ。
私はもっと赤や桃の可愛らしいものがいいと思ったんだがね」
惣吉は溜息混じりに続ける。
「そうしたらご隠居から帯が届いてね」
帯は黒地に大胆に金の稲妻模様があしらわれていた。
織模様は亀甲で、光の加減でそれが見え隠れした。
「これまた恐ろしい柄だろう?
私はこれがお前に似合うのかどうか少々不安なのだよ」
苦笑していたが、惣吉は言った。
「源蔵はともかく、お前を一度も見たことがない御衣黄様がこんな荒々しい帯を贈ってくるだなんて、お前はなにを秘めているんだい?
それを見せてもらおうじゃないか。
源蔵、雨宿、始めてくれ」
二人は手をついてお辞儀をすると立ち上がった。
糸括の前後に立つと軽く礼をし、そして蘇芳《すおう》の長襦袢を肩にかけた。
いつもより深く衣紋《えもん》を抜かれた。
細い首がざわめいた。
陰間の付き添いとして姿を見せる見習いの少年を、客の男たちは素知らぬ顔をしながら吟味する。
そしてその子が陰間となるとき、水揚げできないものかと狙うのだ。
糸括は目立たない華のなさそうな少年だった。
しかし、それはわかりやすい華ではないからであった。
ふとした時に見せる瑞々しい艶と清純な潔さに気づく男は少なく、玄人好みであった。
気づいた男たちは、糸括の清純さを守りたいという庇護欲に駆られる者、あるいはその足跡のない雪のような清らかさを自分の色に染めたくなる者に二分された。
すでに陰間になっている者は、一見地味な糸括は自分の人気を脅かすものではない、と高を括っていた。
しかし、水揚げに名乗りを上げ始めた男たちの噂を聞いて驚いた。
そしてその中から二人の男が有力ではないか、と憶測をし始める。
一人は両替商の旦那の掛川。
両替商の中では若いがたっぷりとした余裕を持つ偉丈夫であった。
若さに任せて手荒なこともせず、よく陰間の話を聞いてやるので頼り甲斐もあり、陰間の人気も高かった。
もう一人は呉服問屋の若旦那の飯田橋。
次男として呑気に甘やかされて育っていたが、父の後を継ぐことになった。
軽快なので不安を覚える者もいるが、斬新な考えで周囲を驚かせ、今風の遊び心を持っているため流行りものが好きな陰間に人気があった。
二人とも陰間の人気が高かったので、糸括の水揚げに名乗りをあげたという噂が広まると、陰間の羨望と嫉妬の渦が巻き上がった。
それで身を崩す者もいれば、自分の芸をますます磨こうとする者も出た。
どちらに決まるのか、寄るとさわると噂されていたが、決まったのはなんと御衣黄のご隠居だった。
まさかの大物に、花街はますます騒然となった。
御衣黄の正体は誰も知らなかったが、かの切ヶ谷皇子の落とし胤《だね》ではないかという噂のある、不思議な好々爺だった。
若い頃は花街で派手に遊び、陰間の中から選ばれる極めて芸も人気も高い花宮《はなみや》の身請けをし正妻に据えたことでも有名であった。
生涯で一人の陰間を身請けすることができる男はそうそうおらず、それも花宮の身請けとなるとほんの一握りの限られた者だけだった。
それなのに御衣黄は近年、もう一人、陰間を身請けし、正妻と共にそばに置いている。
その陰間は悪戯が過ぎたが、もしそれがなければ花宮になってもおかしくないほどの陰間であった。
そのご隠居が今を時めく若い男二人を差し置き、糸括を水揚げする。
その話が広まると、花街は一気に大混乱となった。
置屋笹部の前に惣吉のところからの駕籠が到着した。
置屋の中から緊張に顔をこわばらせた糸括が現れた。
最後の別れを兄や弟たちにする。
次に帰ってくるときには新しい名前を戴《いただ》いた陰間となっている。
見習いには許されたことが許されなくなることもたくさんある。
無邪気に笑いながらわいわいと兄弟で楽しくやっていた日々には戻れない。
気を抜くと涙が落ちそうになるのを堪え、見送られながら糸括は駕籠に乗り込んだ。
駕籠が到着したのは、花街の南の赤い門のそばだった。
あの時、気がつけば赤い門の前に立っていた、名前もなにもかも失っていた糸括に必要なものを授けた男、惣吉の屋敷がここにあった。
中に入ると惣吉が出迎え、糸括は早々に湯殿に連れられていった。
そこで二人の少年に体の隅から隅まで清められ出ると、惣吉が待っていた。
そして全裸の糸括に赤い腰布を巻き、緋色の肌襦袢《はだじゅばん》を着せた。
ああ。
声にならない声を糸括は上げた。
赤い肌襦袢は陰間が着用するものだからだ。
今宵、糸括の水揚げが行われる。
惣吉は糸括を連れ、二つか三つ先の部屋の襖を開けた。
そこには髪結いが待っていた。
鬢付け油を用い、糸括の素直な黒髪を結っていく。
水揚げのときの飾りは置屋ごとに違っており、金細工、螺鈿細工、珊瑚づくしなどあったが、笹部のものは鼈甲づくしであった。
十の陰間用に小ぶりには作ってあるが、飴色の櫛や簪を髪に刺していくごとに頭は重くなっていった。
髪が結い上がると、惣吉はまた糸括を連れて長い廊下を歩き、襖を開けた。
そこには紋付き袴の源蔵と番頭見習いの年若い雨宿が正座をして待っていた。
糸括は凛々しい源蔵の姿に見とれてしまいそうになるのを抑えた。
黙ったまま軽く会釈をした。
惣吉が二人の前に糸括を立たせると、源蔵は黙ったままそばにあった畳紙を開いた。
糸括は初めて今宵の自分の着物を見た。
「糸括や、見てごらん。
この着物は源蔵がお前のために選んでこしらえさせたものだ」
惣吉が声をかけた。
真っ青な海に激しい白波が立ち、そこに桜の花が咲き狂い散り乱れていた。
「おまえは一見おとなしく静かに見えるが奥底に激しさを秘めている、と源蔵は言って聞かなかったのだよ。
私はもっと赤や桃の可愛らしいものがいいと思ったんだがね」
惣吉は溜息混じりに続ける。
「そうしたらご隠居から帯が届いてね」
帯は黒地に大胆に金の稲妻模様があしらわれていた。
織模様は亀甲で、光の加減でそれが見え隠れした。
「これまた恐ろしい柄だろう?
私はこれがお前に似合うのかどうか少々不安なのだよ」
苦笑していたが、惣吉は言った。
「源蔵はともかく、お前を一度も見たことがない御衣黄様がこんな荒々しい帯を贈ってくるだなんて、お前はなにを秘めているんだい?
それを見せてもらおうじゃないか。
源蔵、雨宿、始めてくれ」
二人は手をついてお辞儀をすると立ち上がった。
糸括の前後に立つと軽く礼をし、そして蘇芳《すおう》の長襦袢を肩にかけた。
いつもより深く衣紋《えもん》を抜かれた。
細い首がざわめいた。
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