ブラック・バニーズ

Kyrie

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本編

第8話

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7月も末、桐谷は黒地に金の文字の洒落たカードを持って、ブラック・バニーズに現れた。
それは8月からリニューアルオープンするブラック・バニーズのプレオープンへの招待状だった。
いつものドアを開くと、全バニーズがずらりと一列に並び客を出迎えた。
壮観であった。
バニーズは新調された黒いサテンのバニースーツに身を包み、黒く長い耳、白い襟とカフス、黒い蝶ネクタイ、バックシームつきの網タイツ、黒のハイヒール、ほわほわの白い尻尾をつけていた。
そして、腰前につけられた金で名前の書かれた黒いロゼッタが真新しい。
「ブラック・バニーズ」の名前にふさわしい姿だった。
一番最後にバニーズを引き連れているように、ブラックスーツの新オーナーの草津が立っていた。

桐谷はバニーズの前を愛想よく歩き、草津の前に立った。

「いらっしゃいませ、桐谷様。
お着物がよくお似合いです」

「いつも派手な色の服を着ている君が黒だなんて珍しいね。
私も負けじと黒にしてみたよ」

そう言って、桐谷は涼やかに笑った。
この日の桐谷は、前日髪を切ってさっぱりし、黒の絽の着物を着ていた。
襟足から見える清潔感のあるうなじが桐谷に色気を加えていた。

「リニューアルオープン、おめでとう」

桐谷は草津と握手をして言った。

「ありがとうございます。
お陰様で間に合いました。
今夜は私も黒子に徹するので、この暑いのに黒スーツですよ」

「今日は楽しませてもらうよ」

桐谷はにやりと笑い、バニーズのほうをぐるりと見て言った。

「今日はバニーズに花を持ってきたよ。
佐伯、頼むよ」

「はい」

ダークスーツを着て、桐谷の後ろで両手いっぱいに花束を抱えていた桐谷の秘書の佐伯が返事をした。
そばにいた黒服がさっと佐伯を手伝いながら、一人ずつに華奢な花束を渡していった。
桐谷はといえば、草津との挨拶を終えるとつかつかと草津の後ろに控えていた優也に近づいた。

「これは、君に」

優也に手渡したのは、凛とした青紫のアイリスの花束だった。
他の花束は全部佐伯に持たせていたくせに、優也のものだけ桐谷がずっと抱えていた。
すっとのびた凛としたアイリスを受け取ると優也は微かに頬を染めて礼を言った。
特別な扱いが純粋に嬉しかった。

「桐谷さん、黒服に花束なんて困りますよ~」

全然困った様子もなく草津がからかうように言うと、桐谷は手をひらひらさせ、黒服の案内についていき、席についた。
その様子を見届け、佐伯は店から出ていった。




招待された客は少なかったが、ここでの楽しみ方をよく知った者のようで、いつもの猥雑な空気は微塵も感じなかった。
内装は特に変化がなかったが、バニーズを始め黒服の立ち居振る舞いが違っていた。
優也が毎晩、へとへとになって帰ってきていたのを桐谷は知っている。
従業員への再教育がどれくらいのものか、桐谷は興味があった。

店からシャンパンの入ったグラスが配られ、草津の短い挨拶のあと乾杯をし、ざわざわと新しいブラック・バニーズを楽しむ声が聞こえた。
事前に聞かれていたので、桐谷は一朗太を指名していた。
美崎や早霧は人気で、彼らがいるテーブルは他のテーブルよりわいわいとにぎわっている。
それをよそに、一朗太は桐谷のテーブルに登場した。

「こんばんは、桐谷様。
ご指名ありがとうございます」

一朗太はぴょこんと礼をした。
桐谷は喉の奥で笑い、水割りを注文して一朗太に作らせた。

一朗太は一番最近にバニーズに加わった新人だった。
澤老人の厳しい教育にも耐えてきたが、経験が足りず他のバニーズとは仕草がまだまだ完成されていなかった。
それだけではなく、一朗太は目立っていた。
一度も染めたことのなさそうな太い黒髪は短く刈り上げ、運動をしてついた柔らかな筋肉が身体を作っていた。
他のバニーズの多くが、中性的あるいは女性的な美しさやかわいらしさを持っているのに、一朗太は力強さや凛々しさがあった。
初々しくはあったが、そこには美しさも可愛らしさもなかった。

一朗太が水割りを桐谷に差し出すと、桐谷は何かを試すように一口飲んだ。

「ほう」

「加減はいかがですか?」

太い声で一朗太が聞いた。

「まずまずだよ。
君に私の好みの濃さを言ったことがあったかな?」

「いいえ、桐谷様のお相手をさせていただくのも初めてです」

「ではどうして私の好みを知っているんだい?」

「ここのバニーズは全員、桐谷様のお好みの水割りが作れますよ。
澤さんに特訓されました」

「へぇ、澤さんがねぇ」

桐谷は感慨深げにまた一口、水割りを飲んだ。
生意気で叩き上げで昇り詰めた桐谷にブラック・バニーズでの遊び方を徹底的に仕込んだのが、初代オーナーと共にブラック・バニーズを創り上げた黒服の澤だった。
その澤に認められたような気がして、桐谷も零れる笑みが隠せなかった。
が、澤は今回、特別にブラック・バニーズの教育係として関わっている。
今も姿は見せないが、おそらくどこかから自分を見ているに違いない。
そう思うと、桐谷は背筋をしゃんと伸ばした。

桐谷が一朗太に飲み物を勧めると、生ビールを注文した。
ビールが届くと二人は軽く乾杯した。
喉が渇いていたのか、一朗太はごくごくと喉を鳴らして飲み、「あっ」と気がついて止めた。

「ヤバい。
あとで俺、澤さんに叱られる!」

「はははははは。
ビールの飲み方も今の言葉遣いも絶対に叱られるね」

一朗太はぎゅっと背筋を伸ばした。

「まぁ、気をつけるんだね。
今日はプレオープンの大切な時なのに、そんなボロが出るようじゃ叱られても仕方ない。
素直に聞いておくことだ」

「はい、すみません」

「いいよ」

桐谷はからからと笑った。

「桐谷様、どうして今日は私を指名してくださったのですか?」

「ん?
気になる?」

「はい。
きっと美崎さんか早霧さんを指名されるのだと思っていました」

真面目な顔をして一朗太は言った。
桐谷は背中をソファに預け、一朗太に流し目を遣って、質問した。

「君はヘテロかい?」

「はい」

「女装趣味はあるの?」

「いいえ」

「どうしてバニーボーイになったの?」

「え、なんとなく好奇心でどうなんだろうと…」

もごもご答える一朗太に、桐谷は強烈な視線を投げかける。

「ほら、そういうとこだよ。
女の子が好きで、女装趣味もない。
スポーツのユニフォームか柔道着のほうが似合う体育会系の子が、バニースーツを着ているんだよ。
とても背徳的でエロティックだ」

すっと桐谷は一朗太との距離を縮めた。
太い首にはどくどくと血液の流れを感じさせる血管が見え、たくましい太腿に入った筋の線もとても男性的なのに、それをサテンのバニースーツが包む。
なんとも倒錯的な感覚を覚える。
人差し指で彼の上腕筋からひじのほうへ、むっちりついて筋肉を楽しむように肌をなぞる。

「なんだかとても悪いことをしているような気になる」

「……」

「一部のマニアックな奴にはたまらないだろうね。
非常に男くさいバニーなんて。
気をつけないとトラブルに巻き込まれそうだが」

桐谷は指を止めた。

「一朗太なら大丈夫だね?
君ははっきりと自分の意思を言うから」

「はい。
澤さんからは馬鹿正直すぎる、と言われますが、嫌なことは嫌とはっきり言います」

「じゃ、今、私がさわっているのは嫌じゃないんだね」

「はい。
それでお願いがあります」

唐突な言葉に一朗太を見た桐谷は、ぐいぐいと圧迫するような一朗太の目力にとらえられた。

「私にキスをしてください」

「キス?」

「はい」

「えらく突然だね」

「これまで一度もしたことがありません。
もしかしたらこの先、仕事でしないといけなくなるかもしれません」

「したくなかったら、断ってもいいのは知っているだろう?」

「はい、でも興味もあって」

顔を赤らめて真剣にこんなことを言うスポーツ少年のような一朗太に、さすがの桐谷もどうしたらいいのかわからず、彼を見ていた。

「もし男の人とキスをするなら、キスが上手そうな人がいいと思って」

ここまで聞いて、桐谷は噴き出した。
そんな桐谷を見て、一朗太はきょとんとしている。

「要するに、一朗太は好奇心の塊なんだ。
したくなかったらしないつもりだけど、男とのキスにも関心があって、それもキスが上手い奴としたい。
これで合っているかい?」

一朗太はこくんとうなずいた。

「君はバニーをすぐに辞めて、探検家や冒険家になったほうが似合っているかもしれないよ」

桐谷は笑いながら言ったが、真剣な目で一朗太を見続けた。

「私がキスが上手いと思うの?」

「はい」

一朗太はどこまでもストレートに桐谷にぶつかってくる。

「だめでしょうか?」

「いいよ。
ただし」

桐谷は一朗太の肩を抱き寄せた。
弾力があり、もっとさわってみたい気もする。

「私からお願いしたことにしようか」

「どうしてです?」

「そうしたら、お小遣いがあげられる」

「それはいりません」

桐谷は一朗太のあごに手をやり、自分のほうを向かせる。

「甘えることも覚えたほうがいいよ、この先バニーを続けるなら」

それまで一朗太のほうがぐいぐいと桐谷に迫っていたが、風向きが変わった。
一朗太のほうがとらわれる。

「一朗太、君にキスがしたい。
いいね?」

「……はい」

「綺麗な目だね。
いつまでも見ていたいけど、閉じて」

素直に目を閉じた一朗太に「いい子だ」と小さく囁き、桐谷は唇を重ねた。
乾いた唇はやや肉厚でぽってりしていた。
コドモのように唇を合わせただけだったが、すぐに桐谷が角度を変え、何度かキスをした。
息苦しくなって一朗太が少し口を開けたところに、桐谷はすっと舌を差し入れた。
一朗太は驚いたようにぐっと身体に力を入れたが、桐谷の蠢く舌におずおずと自分の舌を絡めてみた。
とらえられてきゅっと吸われたとき、一朗太の身体がぴくんと反応した。
桐谷がもう一度、同じように舌を吸った。
塞がれた口の奥で濡れた声が漏れた。
途端、一朗太がぐいぐいと桐谷の舌を押し戻し、今度は一朗太の舌が桐谷の口に入り込んだ。
そしてとにかくぐいぐいと押し、追い詰める。

桐谷が唇を離した。
不意にキスが終わったので、一朗太は驚いたように目を開け、桐谷を見た。
桐谷は苦笑していた。

「一朗太、君はキスをどういうものだと思ってるの?
これじゃ相撲を取ってるみたいだよ」

「あっ」

「君が好奇心旺盛でいろいろやってみたいのはよくわかったけど、全然気持ちよくないねぇ」

一朗太がしゅんとして俯き加減になる。

「最初に君の舌を吸ったとき、気持ちよかっただろう?」

「はいっ」

ぱっと顔を上げ、きらきらした目で一朗太は答えた。
桐谷は微笑ましくそれを見ながら続けた。

「私も気持ちよくなりたいんだよ、相撲なんかじゃなくて。
そしてね」

一朗太の耳たぶにふれながら、桐谷は耳元で囁いた。

「エロティックな気分にもなりたいね、君と一緒に」

照れてぽやんと体温が上がり余計な力が抜けた一朗太の顎を取り、桐谷はもう一度唇を合わせた。
今度はぐいぐいと押してばかりせず、一朗太はきちんと桐谷の舌の動きに合わせて絡めた。
そして自分がされて気持ちよかった舌の動きを桐谷にしようとする。
しかし、桐谷の次から次へと繰り出される気持ちいい動きに追いつかなくなり、しまいには桐谷の舌に翻弄され、一方的に受けるばかりになっていった。


しばらくそうやって唇を合わせていたが、頃合いを見計らって桐谷が唇を離した。
一朗太がそっと目を開けると、涼しい顔をした和装の桐谷が自分を見つめていた。

「な…んで……?」

「ん?」

「俺…こんなになってるのに、なんで……?」

初めて交わした官能的なキスに、くらくらしてソファの背もたれに寄りかかり少し息が乱れている一朗太に、桐谷はにやっと笑った。

「キスが上手い奴としたかったんだろう?」

「上手いキスってこんななの?」

桐谷は答えずににやにやしながら、懐から自分のスマホを取り出した。

「一朗太、いやらしい唇になっているよ」

スマホを起動させ、カメラをセルフィーモードにし、鏡代わりに一朗太に差し出した。

「見てごらん。
変わらず男くさいバニーなのに、唇だけひどく真っ赤だ」

画面をのぞき込むと、柔道着のほうが似合いそうな自分がバニースーツを着てうさぎの耳を生やし、不自然に赤い唇を半分開け、とろんとした目つきで写っていた。

「なにこれ……」

「とても倒錯的だ。
面白い。
マニアックなファンができそうだね、一朗太。
きっと君に負けないくらい好奇心旺盛のファンが」

桐谷はそう言うと、一朗太の手からスマホを取り上げ、懐に戻した。

「そう簡単に写真を撮らせてはいけないよ。
君は貴重なバニーだが、標本になってはいけない。
わからなければ、草津か、まだいらしたら澤さんに相談するといい」

桐谷はグラスを取り、水割りを飲んだ。

「一朗太、氷が解けてしまった。
また作ってくれるかい?」

「……はい」

一朗太はのろのろと水割りを作り出した。
まるでまだ夢から覚めていない寝起きのようにぼんやりしている。





あちらでは歓声が上がっている。
澤の教育の成果で上品になった美崎だったが、おしゃべりはいつも通りで客を煽っているらしい。
向こうでは早霧が華やかに笑っている。
草津はテーブルをゆっくり回り、乗客にリップサービスをしながら話し込んでいる。

面白くなりそうだ。

桐谷はフロアの様子をざっと見て、ほくそ笑んだ。
そして、かつて自分が派手に遊んでいた頃の、煙草の煙にまみれ、嫌味っぽくもっと金と地位を自慢し合っていたブラック・バニーズを思い出した。

あの頃はがつがつしていたな。
新しいブラック・バニーズは少し上品すぎるか?
上品そうに見えて、欲望が渦巻いていたブラック・バニーズは時代に合わない?

ぼーっとしてぎこちない仕草で水割りを作っている一朗太に視線を移す。

昔を懐かしむだなんて、歳を取ったな。
その時が楽しければいい、と思っていたのに。

まだ夢見心地のような一朗太がようやく新しい水割りを作り、桐谷の前に置いた。

「ありがとう」

桐谷はそれを飲み、そして財布を取り出し、札を一枚抜くとさっきのキスの礼だとグラスで冷たくなった指を札と共に一朗太の胸元に滑り込ませた。

「んんっ?!」

不意の冷たい感触に一朗太はようやく目が覚めた。
目を見開き驚いた表情の一朗太に桐谷は悪戯っぽく笑った。









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