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本編
第5話
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店の外に出ると、ぐっと冷えた空気に包まれた。
閑静な住宅街にひっそりとブラック・バニーズはあるので、車も人も少ない。
ぽつぽつと薄暗い街灯が道を等間隔に照らしていた。
「桐谷様、こちらへ」
熱でぼんやりしていると一緒に店を出た優也が桐谷に声をかけた。
事前に呼んでいたタクシーがいて、後部座席の後ろに押し込まれた。
車内で二人は話をしなかった。
ただ行き先を告げた時、優也がちらりと桐谷を見た。
桐谷はそれに気がついていたが、黙ったままだった。
タクシーは桐谷の指示通りに進み、洒落たマンションのそばに着いた。
優也が支払いをし、二人はマンションに入った。
「おかえりなさいませ」
エントランスではコンシェルジュが声をかけてきた。
桐谷は軽く片手を上げて応え、優也を伴ってエレベーターに乗り込み、18階へと上った。
ワンフロアに一室。
現在の桐谷の住処はここだった。
カードキーでドアを開け、中に入って明かりをつけた。
少しふらつく桐谷を優也は支え、ソファに座らせた。
緩く空調がかかったままだったが、これでは熱がある桐谷には寒すぎる。
優也は壁にあったコントローラーを見つけ、室温の設定を上げた。
そして、また桐谷の額に手を押し当てた。
「そんなに熱は上がっていないですね。
入れそうならお風呂に入って温まったほうがいいですが、いかがされますか?」
「ふふふ、ここでも『優也』なんだね、君は。
そうだな、さっぱりして眠りたいな」
「失礼します」
優也は勝手に桐谷の部屋を歩き回り、バスルームを見つけ湯を溜めだした。
ソファに沈む桐谷のそばに、そっと優也が座った。
そして自分のせいで乱れてしまった桐谷の前髪を整えた。
「今はこちらにお住まいなんですね」
桐谷と関係していた頃、優也は桐谷の自宅に何度か連れて行かれたことがあった。
それは一軒の屋敷だった。
それが、今、マンション住まいになっている。
一人で住むには広すぎるほどだが、それでもあの頃の桐谷の暮らしぶりを知っているとなんとも心もとなくなるほど、縮小されていた。
「ああ、あの家は息子に譲ったんだよ。
もう古かったから好きに建て直していたよ。
私には広すぎるしね。
私の代は終わったから」
ぽつりと話す桐谷はブラック・バニーズや再会してか優也を抱いたホテルで見せた顔とは全く違っていた。
「体調を崩されたというのは?」
「大したことはないんだよ。
ちょっと入院したぐらいで」
「入院?!」
優也が声を上げた。
「そんなに大声を出すもんじゃないよ。
すぐに退院もしたし、おとなしく自宅療養もしていたんだけどね」
桐谷は可笑しそうに笑った。
「ずっと一人でいると寂しくなってしまって。
今夜は君に会いに行ったんだ」
「こんなときに冗談なんて言わないでください」
「本当だよ。
ずっとベッドの上で、話す相手もいなくて退屈になってしまったんだ。
優也の顔を見たらすぐに帰るつもりだったんだよ」
「すみません」
まだ寒いだろうと思い、コートもマフラーも身につけたままソファに座らせていた。
その桐谷が力なく笑った。
自分も焦っていて、コートを着たままだった。
優也は思わず、桐谷に抱きついた。
「桐谷様」
桐谷は優也の髪を静かになでた。
「店を出たらどう呼ぶんだったかな」
「仁、心配をかけないでください。
どうして連絡してくれなかったんですか」
「連絡しようにも、私は君の連絡先を知らないんだから仕方ないね」
「あ」
「ブラック・バニーズは緩いようで厳しいところだろう?
バニーズの連絡先は客に教えてはいけないし、私も聞いてはいけない。
また遊びに行きたいからね、聞かなかった」
「そんな…
今、私は黒服です」
「それでも私の中では最高のバニーなんだよ、優也は」
音楽が鳴り、風呂の湯が溜まったことを知らせた。
「じゃあ、温まってくるかな」
桐谷が優也の身を離した。
優也は名残惜しそうにそれに従った。
桐谷がコートや上着を脱ぐのを手伝いながら、優也は桐谷に言った。
「今夜、私もここに泊まっていいですか」
「うん?
ああ、いいよ。
ゲストルームに案内しよう」
「仁の隣にいたい」
一瞬動きを止めたが、桐谷は笑いながら言った。
「いいよ、優也の好きにするといい」
桐谷は一応ゲストルームの場所を教え、そこのクローゼットの中のパジャマやタオルを自由に使うといい、と告げるとバスルームに消えた。
それを見送ると、途端に桐谷は身体の力が抜けた気がして、ソファに座り込んだ。
「どうしよう、久しぶりにこんなに我儘を言った」
まだ腕に抱えていた、桐谷のコートと上着を抱きしめる。
「私に会いに来た、ってずるいです、仁」
かつて遂げることができなかった想いに火の粉が舞い落ちる。
空中で消えていく火の粉だったが、その中のどれかが燃え尽きる前に想いに届き、再燃させるかもしれないことに震えた。
もう逃したくない。
自分も逃げたくない。
何年もかけて吹っ切ったと思った想いの深さと大きさを優也は思い知った。
好きです、仁。
ずっとずっと愛してました。
閑静な住宅街にひっそりとブラック・バニーズはあるので、車も人も少ない。
ぽつぽつと薄暗い街灯が道を等間隔に照らしていた。
「桐谷様、こちらへ」
熱でぼんやりしていると一緒に店を出た優也が桐谷に声をかけた。
事前に呼んでいたタクシーがいて、後部座席の後ろに押し込まれた。
車内で二人は話をしなかった。
ただ行き先を告げた時、優也がちらりと桐谷を見た。
桐谷はそれに気がついていたが、黙ったままだった。
タクシーは桐谷の指示通りに進み、洒落たマンションのそばに着いた。
優也が支払いをし、二人はマンションに入った。
「おかえりなさいませ」
エントランスではコンシェルジュが声をかけてきた。
桐谷は軽く片手を上げて応え、優也を伴ってエレベーターに乗り込み、18階へと上った。
ワンフロアに一室。
現在の桐谷の住処はここだった。
カードキーでドアを開け、中に入って明かりをつけた。
少しふらつく桐谷を優也は支え、ソファに座らせた。
緩く空調がかかったままだったが、これでは熱がある桐谷には寒すぎる。
優也は壁にあったコントローラーを見つけ、室温の設定を上げた。
そして、また桐谷の額に手を押し当てた。
「そんなに熱は上がっていないですね。
入れそうならお風呂に入って温まったほうがいいですが、いかがされますか?」
「ふふふ、ここでも『優也』なんだね、君は。
そうだな、さっぱりして眠りたいな」
「失礼します」
優也は勝手に桐谷の部屋を歩き回り、バスルームを見つけ湯を溜めだした。
ソファに沈む桐谷のそばに、そっと優也が座った。
そして自分のせいで乱れてしまった桐谷の前髪を整えた。
「今はこちらにお住まいなんですね」
桐谷と関係していた頃、優也は桐谷の自宅に何度か連れて行かれたことがあった。
それは一軒の屋敷だった。
それが、今、マンション住まいになっている。
一人で住むには広すぎるほどだが、それでもあの頃の桐谷の暮らしぶりを知っているとなんとも心もとなくなるほど、縮小されていた。
「ああ、あの家は息子に譲ったんだよ。
もう古かったから好きに建て直していたよ。
私には広すぎるしね。
私の代は終わったから」
ぽつりと話す桐谷はブラック・バニーズや再会してか優也を抱いたホテルで見せた顔とは全く違っていた。
「体調を崩されたというのは?」
「大したことはないんだよ。
ちょっと入院したぐらいで」
「入院?!」
優也が声を上げた。
「そんなに大声を出すもんじゃないよ。
すぐに退院もしたし、おとなしく自宅療養もしていたんだけどね」
桐谷は可笑しそうに笑った。
「ずっと一人でいると寂しくなってしまって。
今夜は君に会いに行ったんだ」
「こんなときに冗談なんて言わないでください」
「本当だよ。
ずっとベッドの上で、話す相手もいなくて退屈になってしまったんだ。
優也の顔を見たらすぐに帰るつもりだったんだよ」
「すみません」
まだ寒いだろうと思い、コートもマフラーも身につけたままソファに座らせていた。
その桐谷が力なく笑った。
自分も焦っていて、コートを着たままだった。
優也は思わず、桐谷に抱きついた。
「桐谷様」
桐谷は優也の髪を静かになでた。
「店を出たらどう呼ぶんだったかな」
「仁、心配をかけないでください。
どうして連絡してくれなかったんですか」
「連絡しようにも、私は君の連絡先を知らないんだから仕方ないね」
「あ」
「ブラック・バニーズは緩いようで厳しいところだろう?
バニーズの連絡先は客に教えてはいけないし、私も聞いてはいけない。
また遊びに行きたいからね、聞かなかった」
「そんな…
今、私は黒服です」
「それでも私の中では最高のバニーなんだよ、優也は」
音楽が鳴り、風呂の湯が溜まったことを知らせた。
「じゃあ、温まってくるかな」
桐谷が優也の身を離した。
優也は名残惜しそうにそれに従った。
桐谷がコートや上着を脱ぐのを手伝いながら、優也は桐谷に言った。
「今夜、私もここに泊まっていいですか」
「うん?
ああ、いいよ。
ゲストルームに案内しよう」
「仁の隣にいたい」
一瞬動きを止めたが、桐谷は笑いながら言った。
「いいよ、優也の好きにするといい」
桐谷は一応ゲストルームの場所を教え、そこのクローゼットの中のパジャマやタオルを自由に使うといい、と告げるとバスルームに消えた。
それを見送ると、途端に桐谷は身体の力が抜けた気がして、ソファに座り込んだ。
「どうしよう、久しぶりにこんなに我儘を言った」
まだ腕に抱えていた、桐谷のコートと上着を抱きしめる。
「私に会いに来た、ってずるいです、仁」
かつて遂げることができなかった想いに火の粉が舞い落ちる。
空中で消えていく火の粉だったが、その中のどれかが燃え尽きる前に想いに届き、再燃させるかもしれないことに震えた。
もう逃したくない。
自分も逃げたくない。
何年もかけて吹っ切ったと思った想いの深さと大きさを優也は思い知った。
好きです、仁。
ずっとずっと愛してました。
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