80 / 86
銀狐の章
第068話「親と子と ③」
しおりを挟む
「さあ少年、こちら側へ渡ってくるのだ!」
オレの言葉にのぼる君は静かに頷いた。
「小童、頑張るのじゃ」
「いざとなったらニャン隊員が守ってやるのニャ」
両脇には神狐と神猫。
二人共のぼる君の手を握ってはいない。あくまでも自主的に信号を渡らなければ意味がない。
のぼる君は信号が青になるとすぐに一歩踏み出そうとした。
だがすぐに伸ばしかけた足を引っ込めてしまう。
オレは何も言わない。
ただ待つ。ひたすらに待つ。
無理強いさせてもダメなものはダメだ。
根気強く。いつまでも。
相手がその気になり、自らの力で、一歩踏み出すまで――待つ。
のぼる君は横断歩道に何度も挑戦し、その度に悔しそうに足を止めた。
日が沈む。あと少しで黄昏時ではなくなる。
その時だった――
「のぼるちゃん……」
女性の声が聞こえた。
驚いて隣を見る。
そこに30代くらいの女性がいた。
――いつの間に?
突然にして現れたかのような錯覚すら抱いてしまいそうな現れ方だった。
彼女は横断歩道に立ち真剣な瞳でのぼる君を見つめている。
――この人は、母親かもしれない。
不思議なことだが、自然とそう思えた。
「のぼるちゃん!」
女性の声に気づいたからだろうか、のぼる君が一歩踏み出した。
一歩、一歩、ゆっくりと確実に――
しっかりと前を見据えがちがちになりながら足を進める。
――がんばれ、がんばれ!
「……頑張れ!」
思わず声が出た。駄目だ。見守ると決めていたはずなのに――応援してしまった。
いや、これはオレのわがままだ。
わがままで何が悪い。
愚直なことを応援しないオレは――ただのバカだ。
「頑張れ!のぼる!」
「頑張るのじゃ、母君も待っておるぞ!」
「そうなのニャ!お主の為にわざわざ来てくれたのニャ!」
不思議な言い方をする奴だ。
母親は心配になって来たのだろう「わざわざ」なんて言わなくてもいい。
――シェンはどうしてこの女性を「母親」だと断定できたんだ?
ふとした違和感。通りすがりの人がたまたまいただけかもしれない。知り合いに女性だったり友達のお母さんだったり……
――いや違う。
シェンは知っているんだ。そしてニャンもこの女性を知っている――いや、のぼる君がどういう存在かを――解っている。
シェンは「視えるのか?」と聞いてきた。
黄昏時に出会った少年。
――ああ、そういうことか……
すんなりと、その事実が胸の中に入ってきた。
「がんばれ!のぼる!」
――だからどうした?
のぼる君が頑張ることと、オレの応援。何一つ無駄な物なんてない。
後には何も残らないかもしれない。
そんなこと知ったことか!
オレはオレの信じる道を進むだけだ。
他の誰がなんと思おうともそれは変わらない。
のぼる君にも信じる道を進んで欲しい。
のぼる君が近づいてきた。
あと一歩。
それがゴール。のぼる君の目標。
そして――恐らくはこの少年が達成することができなかった事――
のぼる君が横断歩道を渡り切った。
「のぼるちゃん!」
「ママ!」
女性がのぼる君を抱きしめる。しっかりと抱きしめる。
「お兄ちゃん、ボクできたよ!」
のぼる君の目がまっすぐにオレを見つめる。
「ああ、そうだな。えらいぞ!」
オレの言葉にのぼる君は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
女性の声が――消え入りそうなか細い声が響いた。
二人の姿が光に包まれだした。
「……達者でな」
シェンの手が優しくのぼる君の頭を撫でた。
「母っちと仲良くするのニャ」
ニャンはしゃがみ込みのぼる君の肩を抱いた。
「お姉ちゃん達、ありがとう!」
「………………」
こんな時になって言葉が出てこなかった。のどに何かが詰まったように何も言うことができなかった。
涙が頬をぬらす。
のぼる君が手を伸ばした。
小さな手だ。
未来をつかみ取れるはずだった小さな手。
未来を失った手。
過去に失われた手。
それを掴もうとした手が――空を掻いた。
ありがとう。
小さなつぶやきが耳に残った。
日が沈んだ。
黄昏時が終わったのだ。
そこには誰もなかった。
子供もその母親も――誰もいない。何もない。
まるで幻を見ていたような――
「お主様……」
シェンが手をつないできた。
ニャンもオレと手をつなぐ。
二人がオレの手を強く握ってくれた。
「なぁ……あの二人は……」
「お主様のおかげで、あの親子は再び会うことができたのじゃ」
「まさかモチにゃんに視えるとは思っていなかったのニャ」
そうだ。本来視えないモノ。それをオレは「視る」ことができた。
「我様と共にあるのじゃ、自然と霊格が上がっておるのかもしれぬな」
この自称【神】と一緒にいることでオレにも何かしらの影響が出ているということなのだろうか。
そのことによって出会ってしまった。いや、出会うことができた。
オレにとっての黄昏時の出会い。
「これから二人は……」
言いかけてやめた。
「………………」
シェンは何も言わなかった。
もしかしたら、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。
「シェン……」
「魂は……廻るモノじゃ」
輪廻転生。千年前の魂がオレに宿っているというのなら、二人の魂もきっとどこかで巡り合うことができるだろう。
――できることなら、二人の魂が再び出会えますように……
それはオレの小さな願い。
心に秘めた願いだった。
「……行くか……」
オレの言葉に二人は小さく頷く。
信号機の根元に置かれた空の瓶が信号の赤い光にひっそりと照らされていた。
オレの言葉にのぼる君は静かに頷いた。
「小童、頑張るのじゃ」
「いざとなったらニャン隊員が守ってやるのニャ」
両脇には神狐と神猫。
二人共のぼる君の手を握ってはいない。あくまでも自主的に信号を渡らなければ意味がない。
のぼる君は信号が青になるとすぐに一歩踏み出そうとした。
だがすぐに伸ばしかけた足を引っ込めてしまう。
オレは何も言わない。
ただ待つ。ひたすらに待つ。
無理強いさせてもダメなものはダメだ。
根気強く。いつまでも。
相手がその気になり、自らの力で、一歩踏み出すまで――待つ。
のぼる君は横断歩道に何度も挑戦し、その度に悔しそうに足を止めた。
日が沈む。あと少しで黄昏時ではなくなる。
その時だった――
「のぼるちゃん……」
女性の声が聞こえた。
驚いて隣を見る。
そこに30代くらいの女性がいた。
――いつの間に?
突然にして現れたかのような錯覚すら抱いてしまいそうな現れ方だった。
彼女は横断歩道に立ち真剣な瞳でのぼる君を見つめている。
――この人は、母親かもしれない。
不思議なことだが、自然とそう思えた。
「のぼるちゃん!」
女性の声に気づいたからだろうか、のぼる君が一歩踏み出した。
一歩、一歩、ゆっくりと確実に――
しっかりと前を見据えがちがちになりながら足を進める。
――がんばれ、がんばれ!
「……頑張れ!」
思わず声が出た。駄目だ。見守ると決めていたはずなのに――応援してしまった。
いや、これはオレのわがままだ。
わがままで何が悪い。
愚直なことを応援しないオレは――ただのバカだ。
「頑張れ!のぼる!」
「頑張るのじゃ、母君も待っておるぞ!」
「そうなのニャ!お主の為にわざわざ来てくれたのニャ!」
不思議な言い方をする奴だ。
母親は心配になって来たのだろう「わざわざ」なんて言わなくてもいい。
――シェンはどうしてこの女性を「母親」だと断定できたんだ?
ふとした違和感。通りすがりの人がたまたまいただけかもしれない。知り合いに女性だったり友達のお母さんだったり……
――いや違う。
シェンは知っているんだ。そしてニャンもこの女性を知っている――いや、のぼる君がどういう存在かを――解っている。
シェンは「視えるのか?」と聞いてきた。
黄昏時に出会った少年。
――ああ、そういうことか……
すんなりと、その事実が胸の中に入ってきた。
「がんばれ!のぼる!」
――だからどうした?
のぼる君が頑張ることと、オレの応援。何一つ無駄な物なんてない。
後には何も残らないかもしれない。
そんなこと知ったことか!
オレはオレの信じる道を進むだけだ。
他の誰がなんと思おうともそれは変わらない。
のぼる君にも信じる道を進んで欲しい。
のぼる君が近づいてきた。
あと一歩。
それがゴール。のぼる君の目標。
そして――恐らくはこの少年が達成することができなかった事――
のぼる君が横断歩道を渡り切った。
「のぼるちゃん!」
「ママ!」
女性がのぼる君を抱きしめる。しっかりと抱きしめる。
「お兄ちゃん、ボクできたよ!」
のぼる君の目がまっすぐにオレを見つめる。
「ああ、そうだな。えらいぞ!」
オレの言葉にのぼる君は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
女性の声が――消え入りそうなか細い声が響いた。
二人の姿が光に包まれだした。
「……達者でな」
シェンの手が優しくのぼる君の頭を撫でた。
「母っちと仲良くするのニャ」
ニャンはしゃがみ込みのぼる君の肩を抱いた。
「お姉ちゃん達、ありがとう!」
「………………」
こんな時になって言葉が出てこなかった。のどに何かが詰まったように何も言うことができなかった。
涙が頬をぬらす。
のぼる君が手を伸ばした。
小さな手だ。
未来をつかみ取れるはずだった小さな手。
未来を失った手。
過去に失われた手。
それを掴もうとした手が――空を掻いた。
ありがとう。
小さなつぶやきが耳に残った。
日が沈んだ。
黄昏時が終わったのだ。
そこには誰もなかった。
子供もその母親も――誰もいない。何もない。
まるで幻を見ていたような――
「お主様……」
シェンが手をつないできた。
ニャンもオレと手をつなぐ。
二人がオレの手を強く握ってくれた。
「なぁ……あの二人は……」
「お主様のおかげで、あの親子は再び会うことができたのじゃ」
「まさかモチにゃんに視えるとは思っていなかったのニャ」
そうだ。本来視えないモノ。それをオレは「視る」ことができた。
「我様と共にあるのじゃ、自然と霊格が上がっておるのかもしれぬな」
この自称【神】と一緒にいることでオレにも何かしらの影響が出ているということなのだろうか。
そのことによって出会ってしまった。いや、出会うことができた。
オレにとっての黄昏時の出会い。
「これから二人は……」
言いかけてやめた。
「………………」
シェンは何も言わなかった。
もしかしたら、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。
「シェン……」
「魂は……廻るモノじゃ」
輪廻転生。千年前の魂がオレに宿っているというのなら、二人の魂もきっとどこかで巡り合うことができるだろう。
――できることなら、二人の魂が再び出会えますように……
それはオレの小さな願い。
心に秘めた願いだった。
「……行くか……」
オレの言葉に二人は小さく頷く。
信号機の根元に置かれた空の瓶が信号の赤い光にひっそりと照らされていた。
0
お気に入りに追加
106
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる