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⑦卑屈

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誰かと、連絡を取ってみたい。
今までの生活の中で、思う事があまり無かった。

渡された名刺に、携帯電話の番号が記されていたけれど
晩になってもかける事はできなかった。

そもそも、どんなタイミングが良いのかも分からない。
少なくとも、観測会が終わってから。
もっと言えば、週を改めてからの方が良い気がする。

こんな小さな印刷物に、彼の情報がぎゅっと詰まっているのかと思うと
重みすら感じる。

貰った名刺は自室の壁面にあるコルクボードに
ピンで刺す事は気が引けたので、縁にそっと立てかけた。

肉筆は、人間性を時に浮き彫りにさせる。

祖父の知り合いの家が書道教室をしていたため、子供の頃
自分は通っていた。
他には特に学習塾に行く事も無く。

細いペン先で書かれたであろう、繊細そうな文字は
なんとなく気がかりではある。

大学に入学してから、自分の中だけでは完結しない
答えを他者に求める機会が少しずつ増えた気がする。

今までは、学校と家との往復がほとんどで。
残りの自由な時間は、読書が多かった。

ここに存在しながら、本の中の世界に意識を移している様な感覚。

でも、ここの所は現実世界で起きる事が心を波立たせてくる。

「…聞きたかったな。」

今となっては、叶わぬ事だけれど。
きっと、心から好きな世界の話だからそれは楽しみだったのではないかと
想像する。

誰かの心を考える、終わりがないけれど
あっという間に時間が過ぎて行ってしまう。

ベッドに寝そべり、天井から近い高所窓を見つめる。
何故かは分からないけれど、落胆している。
でも、午後からずっと面映ゆい気持ちも心の真ん中あたりに
同じ様に存在している。

眼科で、テスター用のレンズを入れた時に眼鏡とは違う
境の無いはっきりとした視界に安心した。

視野の外には、自分は臆病になる。
ちゃんと、物事を正しく理解できているのだろうかと
不安になるのだ。

彼からもたらされた機会にも、これで良いのだろうかと
及び腰になる。

頭の中も心の声も、全部自分は内容を知っているし
導き出される答えにも、心当たりがある。

だけど、意味が分からない。

このまま眠ってしまおう。
きっと上手く眠れやしないだろうけれど。

もうこれ以上、考えたくない。


思ったより簡単に眠りに就けたらしく、目覚めは良かった。
今日は明日の準備の為に市の天文台へと向かう。
電車とバスを乗り継いで、1時間は見ておかなければいけない。

自然豊かな丘陵の中にもう20年以上前からある天文台。
何度も施設には訪れた事があり、大きく様変わりする事は
ないけれど。
それがかえって、懐かしさを呼び起こしてくれる。

天文台のスタッフさんと、向井先輩をメインに会議室で行われる。
場慣れしなくて、俺は緊張しつつも明日のタイムテーブルを頭の中に
入れて行く。

よく晴れた夜空を期待していた。

ただ、今日になって明日の降水確率が上がっていた。
こればっかりは、どうしようもない領域の話でもあり
曇天や雨天の場合は、館内での星座の解説だけで終わる事や
最悪、中止になってしまうと耳にした。

勿論、晴れ空を願ってやまない。

帰り道、向井先輩の車で自宅前まで送ってもらう事になった。
『遠江先輩、かなり憔悴してた。昨日、連絡してみた?』
「それが、まだで…」
『ぇ、千代くん…マジで?あの人、滅多に人に連絡先なんて渡さないと思う。』

助手席に座っていて、何となく居心地が悪い視線を向井先輩から
一瞬感じた。

「俺が、どうしたらいいのか分からなくて。」
『そもそも、え?2人は知り合いなのか、どうなの?』
ハンドルに集中しながらも、向井先輩は時折俺へと視線を向けて来る。

「知っては、いますけど。それだけです。何か、祖父が言うには昔から
ウチの書店にもよく来てたらしいですよ。」
『らしいですよ、って。』
「電話、苦手なんです。呼び出し音にもびっくりするし…。俺、あの人と特に
話す事も無いでしょうし。後、変に緊張するんで。」

盛大なため息が隣から聞こえた。

『千代くん。遠江さんって…雑誌にも載る様な人なんだよ?』
「…はぁ。」
『SNSでもすごいフォロワーがいて』
「S、NS…?」
『お願いだから、スマホぐらい持って…。俺も何だったらショップまで行くから。』
「~でも、祖父も一緒の方が良いって。」
『今の元号、言える?千代くん。』
「……いや、ぬけがけはダメでしょ。」

家の前で車から降ろしてもらい、向井先輩にお礼をする。
『明日の天気、怪しいけど…とりあえずはある方で動いて。』
「分かりました。送ってもらって有難うございます。助かりました。」
『今日、夜!頼むから掛けてあげて!お願い、千代くん。』
「あ、~電話ですか?ちょっと何とも言えませんね。」
『何でそんなに意固地なの!?』
「…来週掛けます~。」

緩やかに手を振って、向井先輩を見送った。

まだ、自分の中で何かを捉えきれていない。
ふと空を仰ぐ。湿り気の強い少しだけ雨の匂いがする。
「今日ならいいかな。」

家に入って、しばらくすると雨が降って来た。

ガラスに滴り落ちる雨。空の雲の奥は明るい。
こんな時は軽い頭痛が襲ってくる。

向井先輩は、彼をよく知っているから分る事が多いんだろう。
でも、まだ自分はよく知らないのだ。
だから、さも知っている様な振る舞いをできない。

もし自分だったら、放っておいて欲しいけどな。
心の整理がつくとかは、そんなに簡単ではない事を知っているつもりだ。

時間が必要だと感じると、俺はより一層自分の深い内面に
沈んでいこうとする。

いつかは浮上するだろう。
きっと、酸欠になるその前に。
どうしても必要なものを求める。

夜になれば、また明子伯母さんのお店を手伝いに行く。
帰りは少し遅くなる。
なのに、誰かに電話を掛けようだなんて気は起らないものだ。

いつもの様に繰り返す日常。
大きな変化は望んでいない。

と、思っていた。


日曜日、今日が観測会の当日。
朝からずっと雨。
天気予報は本当に当たっているのだろうか?と思う程に
いわゆる局所的大雨が朝から続いている。

朝から身支度を整える。階下の店を祖父が開けていた。
『こりゃ、無理だろ。』
「テレビでも、警報が出てる…。」
『最近、こんなのばっかりだな。』
「一応、連絡は待ってないと。」

俺は先日、向井先輩に教えて貰ったメッセージをやり取りできるアプリを
PCに入れておいた。
今のところ、向井先輩とはやりとりをできている。
朝からも、何件かメッセージが送られて来ていた。

『しょっちゅう来るんか?』
「ん~…では無いけど。続く時は続くし。」
『電話の方が早いな。』
「…まぁ、そうかも。」

午後からの予報も、散々で傘マークと雷の絵が記されている。
午後を過ぎた頃に、正式に天文台からの連絡があったらしく
観測会は中止・延期となった。

体の力が抜ける。
無力感もついでに襲って来ているせいか
なんだか全てがどうでも良い気がして。

今日は明子伯母さんのお店は定休日だ。
2階に上がって来たらしく、俺は居間で読書をしていた所
捕まった。

『雪緒~、お取り寄せしたケーキ。解凍できたから切って食べましょう。』
「明子伯母さん、外…雨すごいのに来てくれたんだ?」
『隣でしょうが、気にもならないわよ。雪緒、お湯沸かして?』
俺は本から視線を外して、立ち上がる。
「コーヒー?紅茶?」
『…そうね、アッサムティーで良いかな。』
「分かった。」

すぐに卓上ケトルに水を入れて、電源ボタンを入れる。
ソーサ―やケーキ皿を用意すると、テーブルの上には
華やかな赤いイチゴのケーキが置かれていた。
『フランボワーズが美味しそうでしょ?』
「こっちのイチゴも、酸味が効いてて美味しそう。」
『今日、雪緒の予定が…残念なことになったでしょう?また、きっと楽しい事は
ある筈だから。』
「…中止だけど、延期になっただけで。でも、なんだろ…思ったより引き摺ってる。」

冷静な言葉に自分の心が、今どう感じているのか自覚する。
『そりゃあショックでしょ。初めてのイベント事じゃない。天文サークルの』
「うん。…そう、そうなんだけど」

お湯が沸いて、ロックが下りる音がした。
カップにティーバッグとドリップバッグをセットして
ゆっくりとお湯を注いでいく。

蒸らしの時間も計っている間に、明子伯母さんがケーキを等分してくれた。
『…どうかしたの?』
「実は、」

明子伯母さんに、俺は彼との話を伝えた。
『あら、雪緒はスマホ無いものね。でも、電話からでも掛けられたでしょ?』
「無理、気恥ずかしい。」
『ものすごく、勇気を出したのはその彼も同じじゃない?』
「そ、れは…思うけど。」
『なんで明日なの?雪緒が勝手に決めたタイミングって』
「…なんとなく?」

昨日聞いたようなため息がまた、聞こえた。
『私なら、だけど。その日に電話無かったら…悪いけど、それまでって思うけど。』

昔から、ハキハキした物言いの明子伯母さんらしい。
綺麗に切り分けられたケーキのピースを見ながら、とりあえず頷く。
「でも、友達でも…ないし…」
『え…アンタそれ、絶対に他の人の前で言うんじゃないわよ?』

明子伯母さんの引きつった顔を見ていると、自分がどれだけの事を
してしまったのか、少しずつ理解できてきた。

「時間がもう少し経ってからでも良いかなって、」
『…でも、わざわざ名刺に掛けて来て。ってあったらその日に掛けない?』
「迷惑かなって、」
『迷惑なら、そんな事いちいちしないわよ。』

俺もため息をついて、落胆する。

『雪緒は昔から卑屈なところがあるせいで、上手くいくチャンスを逃してる。』
「前にも、明子伯母さんに言われました。」
『成長しないわね~…見てて心配を通り越して、イライラしそうよ?』
「こわ。」
『この大雨の中、夜もどうせ降ってるでしょ?お通夜よ。』
「……」
『これ以上は、言わない。さ、食べましょう。雪緒を責めたい訳じゃないし私。』

明子伯母さんの、いつもの明るい笑顔に俺は少しホッとした。

晩ご飯も、明子伯母さんが作ってくれて3人で食卓を囲むのは
久し振りだったからとても楽しかった。

風呂から上がって、祖父も寝てしまった夜の22時過ぎに
俺は2階の廊下に置いてある固定電話で、彼の携帯電話へと
電話を掛けてみた。

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