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⑤重なる影と影

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火傷の痕を確認すると、
「…まだ、治るにはしばらく掛かりそうだ。衣服の衣擦れにも気を配る様に。」
『お腹のあたり、時々熱く感じるんです。』
「あぁ、多分…記憶しているのかもしれない。肌の記憶か、脳の記憶か…」

通院した際に火傷の薬も貰っていたらしく、少しずつ傷の修復を待っているのだと聞いた。
それより、肌着が明らかに女性もので驚いた。

『急には良くならないものですよね。』
「焦らずに、気長に…。それよりも、事務所は響の事を女性だと勘違いしてないか?」
『ぁ…、ハイ。えーっと、襲われたと言う話もあったせいで、身長も低くなったせいか
どうやら、勘違いはされています。』

「そもそも、背が高かろうが低かろうが…前にも変質者に襲われかけた事があるだけに…。」
『…やっぱり。伯明先生は僕の事、以前から知っているんですよね?』
「知っている。でも、なかなか伝えるのに躊躇していた。」
『そんな、どうして…?もっと、早くに教えて貰いたかったです。』

言ってもいいが、きっと響翠は混乱してしまうだろう。

いけ好かない、と思いながらもずっと心のどこかで
追い続けていた存在を、自ら認める事が出来ずに苦しんでいた日々。

「出来なかった。私は、結局…自分が可愛いだけの人間だからだ。」
『でも、僕には優しくしてくれます。僕がキッチンで高い場所に収納してある
ものを手が届かなくて困っていたら、代わりに取ってくれたりして。実は、火傷の
痕が引き攣れてしまうので、あんまり背伸びをしたり無理な体勢をすると
まだ少し痛むから。とても助かりました。』

「気付かなかった。そうか、これからは遠慮なく呼んでくれ。」
『でも、お仕事の邪魔になりますよ。踏み台があるので、それを遣えば何とかなります』
「お前は、魔法被害者なのに…なんでこんな低賃金で働くんだ?」
『…それは、僕が伯明先生の名前を伝えたから。被害者も、社会復帰を望む場合には
労働する環境と生活の為の場を提供されますし。医療費の負担も確かに少なくて済むんですが…』
「この後は、どうして生活していくつもりだ?まさか、ずっと事務所に世話になる訳でもないんだろう?」

ベッドから体を起こして、響翠が衣服を直す。

『もう少し、働きたいです。記憶の事についてはこれと言った治療も今は無いらしくて…』
「無い、と言うのは嘘だ。あるけれども、あまりにも現実的ではない。だから、治療向きでは
無いと言われているものは、いくつか存在している。」
『どんなものが、あるんですか?』

響翠には、残酷な話かもしれない。

「被害者の記憶の再現を、魔法を用いて行う。」
『僕が記憶を無くす前の?』
「被害に遭った時の再現を自分で自覚する。いわばショック療法だ。」

響翠が俯いて、私の方に体を向ける。

『もし、僕が…その治療を受けると言ったら、伯明先生が…行ってくれますか?』
「それは、出来ない。」
『でも、医師の資格があるんでしょう?』
「考えても見てくれ。私は、この療法は…あまり勧めたくは無いからだ。傷口を開くような真似を
したくはないんだ。しかも、言っちゃなんだが…身長は戻らないと思う。」

救いのない言葉を並べて、響翠を崖の淵から突き落とした気分だった。

『伯明先生は、確かに優しい。僕に…すごく優しいです。』
「優しくなんかない。勘違いしてもらっては、困る。」
『僕、記憶を失った事が哀しいんじゃないんです。』
「……」
『僕にはきっと、大切な人が居た。分かるんです、この事だけは。なのに、好きな人を
想う心を忘れてしまったのが、特に…哀しかった。』

響翠が言う、大事な人。とは?
気がかりではある。
私と響翠との共通の友人も、確かチラッと言っていた気がする。

しばらく、その友人とも会えていない。
響翠に会わせてみるのも、刺激になるだろうか?

「恋、だろう。私には無縁な言葉だ。」
『恋…。伯明先生が言うと、何だかぐっと大人な雰囲気がしますね。』
「恋なんて、心臓に悪いだけだよ。やたらとドキドキして、鼓動がうるさくて。」
『…今の、僕みたいですね。』
「緊張したんだろう。人に診られるとな。致し方ない。」

響翠は、私の手を両手でとって自らの胸へと当ててジッと見つめた。

代わりに私は目をつむり、響翠の鼓動に集中する。

『あなたが側に居ると、色んな気持ちが…溢れて来る。』
響翠の少し冷たい指先が、私の手と重なる。

以前の響翠にも、不可思議な恋慕の様なものはあったのかもしれない。
深く関わる事を避けてきながら、愛憎にも似た感覚で理不尽に
響翠を歪んた尺度で見ていた。

しかし、今の響翠はあまりにも献身的で素直な反応に心がグラつきそうになるのだ。

どんなにか、戸惑う事や心身の苦痛が多い事だろうと思う。
生家にもろくに帰る事が叶わず、ただ通院と私の家を事務所から往復する日々。

庇護したい。

人の心とは、こうも容易く変化するものかと
ゆっくりと目を開けると、響翠と視線が合う。

『僕、伯明先生の事が……』

穏やかで、今にも後光が差しそうな笑顔が眩しい。
これ以上、言わせてはいけない。
そう思って、私は響翠の唇を静かにキスで塞いだ。

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