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第9話
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体育祭の次の週末、私は部活の練習試合のために学校に来ていた。
「おはようございます」
「あ、高野さん、おはよう」
部室で着替えていると、あとから来た先輩部員と挨拶を交わす。
先日のあの部活中の一件以来、佐倉はすっかり大人しくなっていて、何事もなく過ごしていた。
大人しくなったというよりかは、そもそも部活に来ることも、睨みに来ることもなくなっていた。
(藤堂くんにもハッキリ言われてたし。美織にもいろいろと難はあるけど、あれは堪えるよね……。まぁでも、美織自身の問題である以上、考えても仕方ないか)
愛花はそう思いなおすと、考えるのを止めて、部室を後にした。
体育館に着くと、部員たちは談笑していたり、準備運動をしていたり、各々過ごしている。
(別に私が試合に出るわけではないけど)
他校生が来るって思うと少し緊張する。練習とは言え、試合は試合。要は見られるわけだし。
(確かこの試合中に相手チームの一人がいちゃもんを付けてきて揉めるんだよね。で、藤堂くんが矢面に立って)
そこまで思考が巡ったところでパタリと手が止まる。今日はXデー。愛花の入部のキッカケともなった例のイベントが起きる日だった。
それなのに、藤堂のことを一ミリも考えることなく、完全に失念していたのだ。
(いくら美織といろいろあったとは言え)
そんなことに思いを巡らせている間にも話は進む。気づくと、練習試合の相手となる他校生が来ていた。
一礼して始まる試合。
キュッキュとシューズの擦れる音、ボールが飛び交う音、アタックが決まったときのハイタッチの音。
そのとき、ネットがかすかに揺れた。
すぐさま試合が中断して、顧問の判断でタッチネットの判定が出る。
しかし、相手チームの部員が認める様子なく、味方もごり押しでなかったことにしようとしていて、ゲームどおりの展開になってしまった。
「こっから見てたけど、あいつの手が当たって確かにネットは揺れた」
藤堂が語気を強めて言うと、部員たちが同調する。すると、怒号が飛び、藤堂を殴る音が館内に響いた。
愛花は思わず目をつぶる。
次の瞬間、目を開けると、唇を切ったのか、わずかながら血が流れていた。
「試合は止めだ。帰りなさい」
顧問が言う。
「高野さん、保健室まで付き添ってあげて」
「……は、はい」
愛花には分かっていたことだが、実際に起きてみると何も出来ず、ただ立ち尽くすしかなかった。
顧問の一声ではっと我に返ると、愛花の頭が動き始める。
「行こう」
駆け寄ってどうにか口を開く。
「おう、わりぃな」
藤堂が短く返事をすると、二人は並んで体育館を出た。
しばらくの間、どちらも黙ったままで静かだったが、保健室のある校舎まで来た辺りで沈黙が破られる。
「なんかかっこ悪いところ見せたな」
「ううん。藤堂くんは何も悪くないでしょ」
「だけど、なんつーか、殴られるとかやっぱかっこ悪いだろ」
首を横に振る愛花を見るでもなく、目をそらすでもなく、藤堂は先に先に歩いていく。歩幅を合わせる素振りなんてないものだから、必然的に愛花は駆け足になっていた。
(こういうところ、あの人と似てるんだよな……)
愛花はもとの世界に置いてきた夫のことを思い出していた。
今でこそ愚痴のネタ満載だけど、なんだかんだ恋愛結婚した相手だ。好きなキャラと似ていないように見えて意外と似ている所もあるものなのかもしれない。
「失礼します」
明かりの付いていない保健室の扉をコンコンと叩いてから開け、中に入る。ほんのり薬品のにおいがした。
入ってすぐに手探りで電気を付ける。
チカチカと何度か点滅したあとで、部屋が明るくなった。
「そこ座って」
愛花は藤堂を促すと、消毒セットと絆創膏を探す。初めて入った場所だけど、ゲーム画面越しに少し見ていたお陰かすぐに用意が整った。
血を軽く拭き取ると、ピンセットで丸められた綿を摘み、透明の液に浸す。そして、「染みると思うけど我慢してね」と言って、ポンポンと消毒を施す。
「いっつ」
見た目どおり痛いらしく、藤堂は少し顔を歪めたが、そのまま続いて新しい綿を摘まんで、今度は茶色い液に浸して付けた。
「そういえばさ」
藤堂がおもむろに口を開く。
「美織と喧嘩でもしたのか?」
「あーまぁそんなところ」
まさか面と向かって、あなたが原因で喧嘩中ですだなんて言えるはずもなく、言葉を濁す。
「そっか。なんつーか、あいつ、あんなだけど悪いやつじゃないからさ」
「知ってるよ」
だけど、と言って続ける。
「美織に友達を続ける気がなかったらどうにも出来ないことだから」
消毒セットの蓋を閉めて、絆創膏を取り出すと頬に貼る。
「余計な世話だったな……そっか……悪かったな」
そう返すと、藤堂は礼を言って保健室を出た。
少し間をおいて、愛花が保健室を出ると、佐倉がいた。
「美織」
思わず構える。
しかし、最近よく目にしていたキツい表情ではなく、どことなく泣きそうな面持ちだった。
「愛花……バカなことしてた。ごめん、なさい」
消え入りそうな声でそう言うと、深々と頭を下げる。
「男ってバカだよね」
愛花はため息を吐きながら目を細め、遠くを見つめていた。
(気にしたことなかったけど、意外と似ているところが多いのかも。変なところ気にして、でも私の気持ちは伝えども伝えども一向に伝わらなくて……)
「何それ、言ってることおばさんみたい」
佐倉が涙を頬に這わせながら笑う。
(そうだった。軽く忘れちゃってたけど、今の私はおばさんじゃないんだった)
こっちの世界にやってきたのはついこないだのことのはずなのに、遠い過去のことのような気がしてくる。
「でしょ。お母さんからの受け売りだしね」
取り繕うようにそういうと、今度は二人、クスクスと笑いあう。
頭の中にあるものはまったく違う。けど、きっとこれでいいんだ。こんなギクシャクした関係、さっさと終わらせてしまったほうがいい。
「久しぶりに一緒に帰る?」
「……いいの?」
「私、バカだから。根に持たないタチなの」
佐倉は「何それ?」と言って笑うと、「じゃあ、うん。しょうがないから付き合ってあげる」と返した。
「おはようございます」
「あ、高野さん、おはよう」
部室で着替えていると、あとから来た先輩部員と挨拶を交わす。
先日のあの部活中の一件以来、佐倉はすっかり大人しくなっていて、何事もなく過ごしていた。
大人しくなったというよりかは、そもそも部活に来ることも、睨みに来ることもなくなっていた。
(藤堂くんにもハッキリ言われてたし。美織にもいろいろと難はあるけど、あれは堪えるよね……。まぁでも、美織自身の問題である以上、考えても仕方ないか)
愛花はそう思いなおすと、考えるのを止めて、部室を後にした。
体育館に着くと、部員たちは談笑していたり、準備運動をしていたり、各々過ごしている。
(別に私が試合に出るわけではないけど)
他校生が来るって思うと少し緊張する。練習とは言え、試合は試合。要は見られるわけだし。
(確かこの試合中に相手チームの一人がいちゃもんを付けてきて揉めるんだよね。で、藤堂くんが矢面に立って)
そこまで思考が巡ったところでパタリと手が止まる。今日はXデー。愛花の入部のキッカケともなった例のイベントが起きる日だった。
それなのに、藤堂のことを一ミリも考えることなく、完全に失念していたのだ。
(いくら美織といろいろあったとは言え)
そんなことに思いを巡らせている間にも話は進む。気づくと、練習試合の相手となる他校生が来ていた。
一礼して始まる試合。
キュッキュとシューズの擦れる音、ボールが飛び交う音、アタックが決まったときのハイタッチの音。
そのとき、ネットがかすかに揺れた。
すぐさま試合が中断して、顧問の判断でタッチネットの判定が出る。
しかし、相手チームの部員が認める様子なく、味方もごり押しでなかったことにしようとしていて、ゲームどおりの展開になってしまった。
「こっから見てたけど、あいつの手が当たって確かにネットは揺れた」
藤堂が語気を強めて言うと、部員たちが同調する。すると、怒号が飛び、藤堂を殴る音が館内に響いた。
愛花は思わず目をつぶる。
次の瞬間、目を開けると、唇を切ったのか、わずかながら血が流れていた。
「試合は止めだ。帰りなさい」
顧問が言う。
「高野さん、保健室まで付き添ってあげて」
「……は、はい」
愛花には分かっていたことだが、実際に起きてみると何も出来ず、ただ立ち尽くすしかなかった。
顧問の一声ではっと我に返ると、愛花の頭が動き始める。
「行こう」
駆け寄ってどうにか口を開く。
「おう、わりぃな」
藤堂が短く返事をすると、二人は並んで体育館を出た。
しばらくの間、どちらも黙ったままで静かだったが、保健室のある校舎まで来た辺りで沈黙が破られる。
「なんかかっこ悪いところ見せたな」
「ううん。藤堂くんは何も悪くないでしょ」
「だけど、なんつーか、殴られるとかやっぱかっこ悪いだろ」
首を横に振る愛花を見るでもなく、目をそらすでもなく、藤堂は先に先に歩いていく。歩幅を合わせる素振りなんてないものだから、必然的に愛花は駆け足になっていた。
(こういうところ、あの人と似てるんだよな……)
愛花はもとの世界に置いてきた夫のことを思い出していた。
今でこそ愚痴のネタ満載だけど、なんだかんだ恋愛結婚した相手だ。好きなキャラと似ていないように見えて意外と似ている所もあるものなのかもしれない。
「失礼します」
明かりの付いていない保健室の扉をコンコンと叩いてから開け、中に入る。ほんのり薬品のにおいがした。
入ってすぐに手探りで電気を付ける。
チカチカと何度か点滅したあとで、部屋が明るくなった。
「そこ座って」
愛花は藤堂を促すと、消毒セットと絆創膏を探す。初めて入った場所だけど、ゲーム画面越しに少し見ていたお陰かすぐに用意が整った。
血を軽く拭き取ると、ピンセットで丸められた綿を摘み、透明の液に浸す。そして、「染みると思うけど我慢してね」と言って、ポンポンと消毒を施す。
「いっつ」
見た目どおり痛いらしく、藤堂は少し顔を歪めたが、そのまま続いて新しい綿を摘まんで、今度は茶色い液に浸して付けた。
「そういえばさ」
藤堂がおもむろに口を開く。
「美織と喧嘩でもしたのか?」
「あーまぁそんなところ」
まさか面と向かって、あなたが原因で喧嘩中ですだなんて言えるはずもなく、言葉を濁す。
「そっか。なんつーか、あいつ、あんなだけど悪いやつじゃないからさ」
「知ってるよ」
だけど、と言って続ける。
「美織に友達を続ける気がなかったらどうにも出来ないことだから」
消毒セットの蓋を閉めて、絆創膏を取り出すと頬に貼る。
「余計な世話だったな……そっか……悪かったな」
そう返すと、藤堂は礼を言って保健室を出た。
少し間をおいて、愛花が保健室を出ると、佐倉がいた。
「美織」
思わず構える。
しかし、最近よく目にしていたキツい表情ではなく、どことなく泣きそうな面持ちだった。
「愛花……バカなことしてた。ごめん、なさい」
消え入りそうな声でそう言うと、深々と頭を下げる。
「男ってバカだよね」
愛花はため息を吐きながら目を細め、遠くを見つめていた。
(気にしたことなかったけど、意外と似ているところが多いのかも。変なところ気にして、でも私の気持ちは伝えども伝えども一向に伝わらなくて……)
「何それ、言ってることおばさんみたい」
佐倉が涙を頬に這わせながら笑う。
(そうだった。軽く忘れちゃってたけど、今の私はおばさんじゃないんだった)
こっちの世界にやってきたのはついこないだのことのはずなのに、遠い過去のことのような気がしてくる。
「でしょ。お母さんからの受け売りだしね」
取り繕うようにそういうと、今度は二人、クスクスと笑いあう。
頭の中にあるものはまったく違う。けど、きっとこれでいいんだ。こんなギクシャクした関係、さっさと終わらせてしまったほうがいい。
「久しぶりに一緒に帰る?」
「……いいの?」
「私、バカだから。根に持たないタチなの」
佐倉は「何それ?」と言って笑うと、「じゃあ、うん。しょうがないから付き合ってあげる」と返した。
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