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一章 息子に嫁を取ったら戦争になったぜベイベー
四話 だって戦国なんだもん(4)
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1573年(元亀四年)七月末
領地内に武田が引き上げた隙を突くように、徳川の軍勢が長篠城まで侵攻した。
武田が三河方面へ進出するルートを守るのに最適の城であり、徳川に取られた場合は、このルートから織田・徳川連合軍が逆襲に来る危険性が増す。
武田は、武田信豊(信玄の弟の息子)の軍勢を、長篠城の援軍に向かわせた。
武田の最強部隊・赤備えに対抗して、黒備えという黒色の部隊を創設して率いる程に好戦的で目立つのが大好きな武田信豊だったが、長篠城に到着する前に進軍を止めた。
長篠城の城主・菅沼正貞が、一ヶ月の籠城の末に、徳川に降伏してしまった。
「何で?」
呆然とする信豊を、お目付け役に同行した馬場信春が、煙草の煙管で肩を突きながら次の手を急かす。
「菅沼の話を聞いてやろう。一ヶ月は籠城してくれた労を、我々全員で念入りに褒めてあげるついでに、な」
脳筋の信豊でも、これが嫌味だと分かった。
助命を条件に長篠城を徳川に渡し、付近まで来てくれた援軍に合流した菅沼正貞は、援軍の将官たちから冷ややかでキツい目で囲まれたまま、本陣で事の詳細を述べた。
末席でこの『取り調べ』に立ち会った奥平定能・貞昌父子は、菅沼だけでなく自分達にも冷ややかな視線が向けられている現状に、慄然とする。
貞昌は気圧されないように背筋を伸ばすだけで済んだが、定能はポーカーフェイスを保つ為に全神経を使う。
因みに、徳川に再帰順する件は、まだ貞昌には伝えていない。
嘘を吐く人間は、少ない方が内通は上手くいく。
「徳川の方は、長篠城を囲んで、一ヶ月滞陣しただけ。随分と消極的だな。重要な城なのに」
不死身の老将として名高い馬場信春の声には、敵にでも向けるような、毒気が混ぜられている。
「武田の軍勢三万を相手に、八千で挑むような徳川が、矢弾すら撃ち込まずに、済ませるのか?」
定能は、
「そうすれば、アンタらが菅沼を疑って殺してくれるからだろうよ」
と弁護しかけたが、同郷の元徳川陣営武士を庇って共犯者扱いされたくないので、黙っていた。
ここは不運な菅沼に罪を着せた方が、得ではある。
可哀想な菅沼は、自力で弁護をする。
「長篠城は、二つの川と断崖に守られておりまする。唯一無防備な北側も、堀と塀で守っておりますれば、徳川は無駄な犠牲を払う気が、なかった、ものと…」
「ふ~ん。それが本当なら、お主は降伏して城を渡す必要は、全くないよなあ?」
馬場信春は、煙管の灰を、菅沼の首付近の布地に落とす。
敵意を明らかにされて、菅沼正貞は寧ろ腹が据わった。
「一ヶ月で糧食の底が見えた。兵を損なわないうちに引いて、何が悪い」
「悪いぞ。武田が長篠城を取り戻す時には、何百人討死するかな。検討するのも嫌だ」
奥平の本拠地・亀山城(愛知県新城市作手清岳)から長篠城までは、徒歩六時間で行ける。
戦になった時に備えて、何度か直に偵察した事もある。
だから定能も、長篠城の落とし難さは承知している。
囲んで飢えさせる以外の手段で攻めたら、死傷者が周囲に積まれるだけだ。
「お主が空きっ腹を抱えていたら、わしも責めなかったし、疑念を抱かずに済んだ。だが、糧食が尽きそうだから降伏? 尽きてから数日なら、分かる。
だが、お主の降伏は、早過ぎた。
徳川に内通して長篠城を渡したという疑いで、詮議を続ける」
菅沼正貞の頭の上に、馬場信春が煙管の灰を落とそうとしたので、奥平定能は菅沼を大きく蹴転がして回避させる。
目前のイジメに我慢出来ず、持ち前のロック魂が、うっかりと庇う方向で暴発した。
「異議あり。冤罪だ」
詮議に口を出す奥平に、馬場は煙草を一服してから、仕切り直す。
「言えや。どうせ次には、お主を詮議するつもりだった」
プレッシャーをかけるが、知人への無礼で定能の方もロックなテンションが爆上がりしている。
「徳川が菅沼と通じていたら、援軍に合流させるような真似は、すまい。長篠城に留めて、援軍を矢弾の射程圏内に入れてから、攻めてきた筈だ」
「お主は、そうしたかったのか?」
そうしたかったけれど、菅沼の降伏が早過ぎたので失敗した、とは言えないので、屁理屈を真面目に述べる。
「家康は、俺より戦上手だ。今俺が述べたより、上手いやり方で、この援軍を捌いていただろう」
馬場が、奥平の目に煙管でも突き立てたいような目力で、睨み付けてくる。
「我々武田の援軍部隊が、こうして味方を虐めて遊んでいられる事が、菅沼が無罪の証です。菅沼が徳川と内通していれば、我々は今頃、長篠城の堀の中で積み重なるか、川に流されて浮いている」
脳筋で名高い武田信豊ですら、話を理解して青ざめる。
「或いは、今頃撤退中で、またまた馬場殿が殿(最後尾)を務めていたかも。
織田と同じように、徳川が馬場殿の顔を見て逃げ出してくれると、助かりますなあ」
馬場信春の雰囲気が、変わる。
目を細めて、柔らかくにんまりと、微笑む。
定能のお世辞に、気を良くした訳ではない。
(うわあ、大嫌いな極悪死刑囚に、死刑執行を言い渡す時の顔だ)
定能は、疑惑の焦点が、菅沼から奥平に移ったのを悟った。
菅沼と違って100%有罪なので、内心ではガクブルである。
「という訳で、疑心暗鬼に陥って、味方同士で責め合うのは止めよう。人は石垣、人は城だよ」
武田信玄のキャッチフレーズで場を和ませようとすると、馬場も乗ってきた。
「全くだ、奥平殿。一ヶ月戦ってくれた味方を責めるなど、間抜け過ぎる。耄碌したなあ」
馬場は、非常に機嫌良さそうに、煙草を吸い直す。
「済まぬな、菅沼殿。だが、疑念を完全に晴らすのに、この寝返り野郎の弁護のみでは、心許ない。小諸城辺りで、しばらくは逗留して休むといい」
(幽閉だろ、それ)
定能は心中でツッコミを入れつつ、自分への攻撃に備える。
老獪な馬場の追及に対して、気合を入れて屁理屈を並べる用意をする。
馬場信春は、煙草の煙管を仕舞うと、定能に真顔で向き合う。
(来やがれ~~~!! 絶対に、誤魔化す!)
だが、発せられたのは、質問でも誘導尋問でもなく、感想だった。
「どうして家康が、お主を生かしておくのか、不思議だったよ。寝首を掻きそうな問題児なのに。
今川義元も、謀反人のお主を殺さなかった。織田信長と組んで反乱を起こしたのに。
お屋形様も、何故か始末しようとしなかった。
どうせ機を見て裏切るくせに。
今、合点が入った」
老いた名将から客観的な評価を聞かされ、定能は動揺する。
家康に誅殺される可能性を、低く見積もっていた自分の甘さに気付いて、今更ながら動揺する。
(…そうだよ。厚遇が、過ぎる。幸運でも偶然でもない。家康が、ここまで奥平に寛大な理由は…)
定能の興奮と恐怖を隠しきれない態度は、自己弁護の為の緊張と、武田側には受け取られた。
その心境の変化には気付きつつも、馬場信春は、手口を完全に変えた。
「典厩殿(武田信豊)。ジジイは疲れたので、奥平父子の監査を、お任せしたい」
「おう!」
生まれて初めて主役を張れそうな戦役をキャンセルされて気落ちしていた信豊が、馬場に仕事振られて大喜びで食い付く。
「奥平父子が、徳川と内通しているという前提で、物的証拠を探してくだされ。無ければ、監視を強めるだけでいい」
「ご安心ください。無実でも、有罪の証拠を見つけてみせます」
武田信豊は、堂々とコンプライアンス違反を宣言する。
信玄から、亡き弟の忘れ形見として甘やかされたせいで、脳筋思考の制御が効かない武将に育ってしまっている。
(何を宣言していやがる、コイツは?)
脳筋で名高い武将に近辺調査をされる羽目になり、定能は辟易した。
仕事を疑わない馬鹿の方が、騙し難い事もある。
老将・馬場信春の、奥平父子に対する最悪の嫌がらせだった。
「頑張れよ、無実の人」
定能を冷かしてから、馬場は殿(最後尾)を受け持ちに、陣を離れた。
徳川は逃げたりはしなかったが、馬場隊相手の追撃を断念して、長篠城の確保と改築を始めた。
領地内に武田が引き上げた隙を突くように、徳川の軍勢が長篠城まで侵攻した。
武田が三河方面へ進出するルートを守るのに最適の城であり、徳川に取られた場合は、このルートから織田・徳川連合軍が逆襲に来る危険性が増す。
武田は、武田信豊(信玄の弟の息子)の軍勢を、長篠城の援軍に向かわせた。
武田の最強部隊・赤備えに対抗して、黒備えという黒色の部隊を創設して率いる程に好戦的で目立つのが大好きな武田信豊だったが、長篠城に到着する前に進軍を止めた。
長篠城の城主・菅沼正貞が、一ヶ月の籠城の末に、徳川に降伏してしまった。
「何で?」
呆然とする信豊を、お目付け役に同行した馬場信春が、煙草の煙管で肩を突きながら次の手を急かす。
「菅沼の話を聞いてやろう。一ヶ月は籠城してくれた労を、我々全員で念入りに褒めてあげるついでに、な」
脳筋の信豊でも、これが嫌味だと分かった。
助命を条件に長篠城を徳川に渡し、付近まで来てくれた援軍に合流した菅沼正貞は、援軍の将官たちから冷ややかでキツい目で囲まれたまま、本陣で事の詳細を述べた。
末席でこの『取り調べ』に立ち会った奥平定能・貞昌父子は、菅沼だけでなく自分達にも冷ややかな視線が向けられている現状に、慄然とする。
貞昌は気圧されないように背筋を伸ばすだけで済んだが、定能はポーカーフェイスを保つ為に全神経を使う。
因みに、徳川に再帰順する件は、まだ貞昌には伝えていない。
嘘を吐く人間は、少ない方が内通は上手くいく。
「徳川の方は、長篠城を囲んで、一ヶ月滞陣しただけ。随分と消極的だな。重要な城なのに」
不死身の老将として名高い馬場信春の声には、敵にでも向けるような、毒気が混ぜられている。
「武田の軍勢三万を相手に、八千で挑むような徳川が、矢弾すら撃ち込まずに、済ませるのか?」
定能は、
「そうすれば、アンタらが菅沼を疑って殺してくれるからだろうよ」
と弁護しかけたが、同郷の元徳川陣営武士を庇って共犯者扱いされたくないので、黙っていた。
ここは不運な菅沼に罪を着せた方が、得ではある。
可哀想な菅沼は、自力で弁護をする。
「長篠城は、二つの川と断崖に守られておりまする。唯一無防備な北側も、堀と塀で守っておりますれば、徳川は無駄な犠牲を払う気が、なかった、ものと…」
「ふ~ん。それが本当なら、お主は降伏して城を渡す必要は、全くないよなあ?」
馬場信春は、煙管の灰を、菅沼の首付近の布地に落とす。
敵意を明らかにされて、菅沼正貞は寧ろ腹が据わった。
「一ヶ月で糧食の底が見えた。兵を損なわないうちに引いて、何が悪い」
「悪いぞ。武田が長篠城を取り戻す時には、何百人討死するかな。検討するのも嫌だ」
奥平の本拠地・亀山城(愛知県新城市作手清岳)から長篠城までは、徒歩六時間で行ける。
戦になった時に備えて、何度か直に偵察した事もある。
だから定能も、長篠城の落とし難さは承知している。
囲んで飢えさせる以外の手段で攻めたら、死傷者が周囲に積まれるだけだ。
「お主が空きっ腹を抱えていたら、わしも責めなかったし、疑念を抱かずに済んだ。だが、糧食が尽きそうだから降伏? 尽きてから数日なら、分かる。
だが、お主の降伏は、早過ぎた。
徳川に内通して長篠城を渡したという疑いで、詮議を続ける」
菅沼正貞の頭の上に、馬場信春が煙管の灰を落とそうとしたので、奥平定能は菅沼を大きく蹴転がして回避させる。
目前のイジメに我慢出来ず、持ち前のロック魂が、うっかりと庇う方向で暴発した。
「異議あり。冤罪だ」
詮議に口を出す奥平に、馬場は煙草を一服してから、仕切り直す。
「言えや。どうせ次には、お主を詮議するつもりだった」
プレッシャーをかけるが、知人への無礼で定能の方もロックなテンションが爆上がりしている。
「徳川が菅沼と通じていたら、援軍に合流させるような真似は、すまい。長篠城に留めて、援軍を矢弾の射程圏内に入れてから、攻めてきた筈だ」
「お主は、そうしたかったのか?」
そうしたかったけれど、菅沼の降伏が早過ぎたので失敗した、とは言えないので、屁理屈を真面目に述べる。
「家康は、俺より戦上手だ。今俺が述べたより、上手いやり方で、この援軍を捌いていただろう」
馬場が、奥平の目に煙管でも突き立てたいような目力で、睨み付けてくる。
「我々武田の援軍部隊が、こうして味方を虐めて遊んでいられる事が、菅沼が無罪の証です。菅沼が徳川と内通していれば、我々は今頃、長篠城の堀の中で積み重なるか、川に流されて浮いている」
脳筋で名高い武田信豊ですら、話を理解して青ざめる。
「或いは、今頃撤退中で、またまた馬場殿が殿(最後尾)を務めていたかも。
織田と同じように、徳川が馬場殿の顔を見て逃げ出してくれると、助かりますなあ」
馬場信春の雰囲気が、変わる。
目を細めて、柔らかくにんまりと、微笑む。
定能のお世辞に、気を良くした訳ではない。
(うわあ、大嫌いな極悪死刑囚に、死刑執行を言い渡す時の顔だ)
定能は、疑惑の焦点が、菅沼から奥平に移ったのを悟った。
菅沼と違って100%有罪なので、内心ではガクブルである。
「という訳で、疑心暗鬼に陥って、味方同士で責め合うのは止めよう。人は石垣、人は城だよ」
武田信玄のキャッチフレーズで場を和ませようとすると、馬場も乗ってきた。
「全くだ、奥平殿。一ヶ月戦ってくれた味方を責めるなど、間抜け過ぎる。耄碌したなあ」
馬場は、非常に機嫌良さそうに、煙草を吸い直す。
「済まぬな、菅沼殿。だが、疑念を完全に晴らすのに、この寝返り野郎の弁護のみでは、心許ない。小諸城辺りで、しばらくは逗留して休むといい」
(幽閉だろ、それ)
定能は心中でツッコミを入れつつ、自分への攻撃に備える。
老獪な馬場の追及に対して、気合を入れて屁理屈を並べる用意をする。
馬場信春は、煙草の煙管を仕舞うと、定能に真顔で向き合う。
(来やがれ~~~!! 絶対に、誤魔化す!)
だが、発せられたのは、質問でも誘導尋問でもなく、感想だった。
「どうして家康が、お主を生かしておくのか、不思議だったよ。寝首を掻きそうな問題児なのに。
今川義元も、謀反人のお主を殺さなかった。織田信長と組んで反乱を起こしたのに。
お屋形様も、何故か始末しようとしなかった。
どうせ機を見て裏切るくせに。
今、合点が入った」
老いた名将から客観的な評価を聞かされ、定能は動揺する。
家康に誅殺される可能性を、低く見積もっていた自分の甘さに気付いて、今更ながら動揺する。
(…そうだよ。厚遇が、過ぎる。幸運でも偶然でもない。家康が、ここまで奥平に寛大な理由は…)
定能の興奮と恐怖を隠しきれない態度は、自己弁護の為の緊張と、武田側には受け取られた。
その心境の変化には気付きつつも、馬場信春は、手口を完全に変えた。
「典厩殿(武田信豊)。ジジイは疲れたので、奥平父子の監査を、お任せしたい」
「おう!」
生まれて初めて主役を張れそうな戦役をキャンセルされて気落ちしていた信豊が、馬場に仕事振られて大喜びで食い付く。
「奥平父子が、徳川と内通しているという前提で、物的証拠を探してくだされ。無ければ、監視を強めるだけでいい」
「ご安心ください。無実でも、有罪の証拠を見つけてみせます」
武田信豊は、堂々とコンプライアンス違反を宣言する。
信玄から、亡き弟の忘れ形見として甘やかされたせいで、脳筋思考の制御が効かない武将に育ってしまっている。
(何を宣言していやがる、コイツは?)
脳筋で名高い武将に近辺調査をされる羽目になり、定能は辟易した。
仕事を疑わない馬鹿の方が、騙し難い事もある。
老将・馬場信春の、奥平父子に対する最悪の嫌がらせだった。
「頑張れよ、無実の人」
定能を冷かしてから、馬場は殿(最後尾)を受け持ちに、陣を離れた。
徳川は逃げたりはしなかったが、馬場隊相手の追撃を断念して、長篠城の確保と改築を始めた。
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