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一章 息子に嫁を取ったら戦争になったぜベイベー
二話 だって戦国なんだもん(2)
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1570年(元亀元年)
武田信玄が織田信長を討伐する前段階として、徳川の領地への侵攻を始めた。
全軍ではなく、まずは猛将・秋山虎繁の部隊二千五百名が、奥三河へと侵攻を開始。
奥平定能は、息子の貞昌を伴って迎撃に出たが、戦うのは他の部隊に任せて、武田の軍勢とは刃を交えなかった。
武田が織田・徳川連合軍の第一陣に勝つ姿と、第二陣に敗れて撤退する有様の両方を息子に見せてから、逃げ帰った。
「どうだ。参考になっただろう?」
作手亀山城に帰って井戸水で身体を洗いながら労うと、息子の貞昌は大真面目にクレームを入れる。
「父上。勝ち戦を、経験しておりません」
十五歳に凛々しく逞しく育った息子は、一度も抜かずに済ませてしまった刀の手入れをしながら、若武者らしい不満を言ってみる。
「勝ち戦だけは、経験出来ませんでした」
「全員無事に帰ってきたから、勝ち戦だろ」
「攻め込まれたのは。この奥三河です。あの後、我々の軍勢が秋山の部隊を背後から攻撃すれば、武田は…」
そこまで言ってから、その先を考えて、貞昌は天を見上げる。
「うん、分かるよな、その先は。馬鹿には育てなかったから、俺」
武田の目的は、三河は勿論、織田信長の持つ全ての領地である。
通過点でしかない奥三河は、そこを支配している武家が恭順を示せば、素通りする。
戦わなければ、みんな幸せ。
その為の不戦撤退である。
「仕方ないのでしょうか?」
十五歳の若武者は、まだ恥じらいを捨てられなかった。
「上手く立ち回ると、他人からは小狡く見えるかもな。けど、それに拘って死んだら損だ。強い方に従い直して生き残る」
そこで「父上、カッコいい」とは言わずに、ジト目で引いている息子に成長を感じつつ、更にドン引きしそうな話題を持ち出す。
「さて、武田に誠意を見せた後は、人質を送る」
「はい」
「仙千代(次男)を、武田に渡す」
十歳の弟を人質に差し出す事に、貞昌は少し眉を顰めるだけに留める。
「だが、これだけでは、足りない」
「足りない?!」
「仙千代は、奥平定能が武田に送る人質だ。奥平貞昌が武田に送る人質は、別に用意しなければならない」
「・・・」
人質に出せる要員を一人しか考えられないので、貞昌は沈黙する。
不条理な展開に、怒りを溜めている。
横で茶を飲みがら、親子の会話を静観していた定勝(定能の父、貞昌の祖父)が、ニヤニヤと口を出す。
「不条理ではない。用心だ。世の中には、父親と反対側の陣営に付くのが平気な不届き者が珍しくないからな」
定能はキツい言葉を返すかと思いきや、定勝に念押しする。
「父上。父上は、武田に付きますよね?」
「? そうだぞ。九八郎(定能)も、そうであろう?」
「いいえ、俺と九八郎(貞昌)は、徳川に忠義を尽くします」
「はあ?!」
親でさえ、奥平定能の忠義心なんぞ、存在を信じていない。
今川義元に赦免してもらって生き長らえているのに、恩返しは一切していない。
「戦争中に陣営を替えるなんて恥ずかしい事、出来ませんよ」
「嘘を吐くな、前科者」
「でも、父・九八郎(定勝)が武田に付くように家臣に根回しをしてしまったので、致し方なく、俺と九八郎(貞昌)は武田に付きます。ここ、重要」
「ほうほうほう。で、万が一、織田・徳川連合軍が勝ち残った場合は、この九八郎(定勝)を悪者にして、徳川に再帰順すると?」
「流石は父上。九八郎(定能)は感心しました」
「逆の場合は、今度こそ永久に高野山に追放してやる」
「次は父上の番ですよ」
「おい、九八郎(貞昌)。その九八郎(定能)を見限りたい時は、この九八郎(定勝)に遠慮なく、好きな陣営に亡命しなさい」
祖父の労りに、孫は素直に頷いた。
父と祖父の性格は、既に把握しており、余計な感想は口にしなかった。
注意・奥平は三代続けて通称を九八郎にしてしまったので、祖父・父・息子が揃って会話をすると、他人は混乱します。
定能に手拭いを渡す雑用人に化けて話を聞いていた服部半蔵は、辛うじて話を理解する。
奥平定能のようなジョーカーの去就は、服部半蔵クラスに見極めさせないと、危ない。
連絡役どころか、二重スパイ任務を放棄したと判断したら、そのまま始末する構えであった。
そこまで保険を掛けてから使われている事に、定能は幸いにも気付かなかった。
気付かせないからこそ、服部半蔵が採用された。
気付かれたら、定能のロック気質が、徳川に向けられかねないのだ。
稀代の智慧者・徳川家康は、慎重に、この危険物を掌で取り扱っている。
「不満なら、お主だけ奥平家を抜けて、北条や織田に鞍替えしてもいい。それも有りだ」
自分ならそうするとは、定能は教えない。
複数のやり方を提示しても、決断は本人に任せる。
決断の出来ない武将に、地方領主をやる資格は無いのだ。
「おふうが子供を産めるようになるまで、待てませんか?」
貞昌が娶った妻おふうは、この時まだ十三歳。
「待てませんよね」
今より結婚・出産が早い時代であっても、無理をさせられない年齢だ。
子供を人質に出す方法は、使えない。
「貞昌。此方から裏切らない限りは、人質は無事だ。俺もそうだった」
この件で定能に慰められても、あんまり効果は無い。
助かったのは、祖父が義理堅かったからであり、今川義元が一周回ってこのロック野郎を飼ってくれただけである。
どれだけの幸運か、定能だけが理解していない。
「自分も、父上並みの幸運値が欲しいです」
とは言わずに、親とは逆方向に健やかに成長した貞昌は、人質問題を優先させる。
妻を人質に差し出すか、妻と一緒に他の勢力に入ってやり直すかの選択肢。
この地は、もう最前線。
半端な決断をする贅沢は、危険だ。
貞昌は、大きく息を吐くと、手入れの済んだ刀を鞘に収める。
「おふうを、武田へ人質に出します」
「うむ」
「武田から離反する時は、父上だけは武田に残ってください。そうすれば、弟だけは助かります」
「いや、その時は、逆に貞昌が武田に残れ。おふうが助かる」
「成る程。考えておきます」
何かの壊れる音がして、三世代は貞昌の手元を見る。
刀を収める力が強過ぎて、鞘が壊れていた。
「そんなに、嫌か?」
「大嫌いです、この慣わしは」
「俺も大嫌いだ」
人質制度は大嫌いでも、奥平定能の役割は、二重スパイである。
念入りに武田の信用を得ないと、動きが取れなくなる。
服部半蔵と家康の真意には気付かなくても、二重スパイ任務が果たせない場合は見切られるフラグが立ってしまうので、意外と真剣に考えている。
「うまく立ち回って、人質を返してもらえる事もある。必要以上に、心を乱すな」
こういう件に慣れてしまっている定勝は、息子と孫を慰めようとして、失敗した。
二人とも口に出さなかったので、定勝には分かってもらえなかった。
服部半蔵はその場を去り、奥平の本格的な潜入開始を、主人に伝えた。
人質制度を誰よりも苦々しく嫌っている徳川家康は、この後に待ち受ける奥平親子の心痛を、真面目に共有した。
無事に取り戻しはしたが、家康は人質になった妻と子供二人を、見捨てる決断をした男だ。
奥平親子が将来味わう苦痛を、徳川家康は正確に予測しつつも、武田と戦う為に干渉を控えた。
それでも、服部半蔵には、指示を付け加えた。
「奥平親子が徳川に恨み言を言っても、申告しなくていい。彼らには、言う権利が有る」
「御意」
鬼面の忍者は、顔が綻ばないように、気を引き締めた。
「今、笑ったのか?」
付き合いが長いので、すぐにバレた。
「失敬。優しい処置でしたので、つい」
「ん、処置が足りなくて笑われたのかと、自虐してしまった」
「足りませぬか?」
家康が、爪を齧りながら思案を練る。
奥平に内通を任せるには、一つ大きな問題が残されている。
「うむ。このままだと、九八郎が危ない」
服部半蔵は、三秒考えて、聞き返す。
「殿。どの九八郎でしょうか?」
「…三人とも、九八郎か。うちも代々竹千代だから、人の事は言えぬが」
武家あるあるで脱線しつつも、家康は服部半蔵に、奥平のフォローを重ねて命じた。
武田信玄が織田信長を討伐する前段階として、徳川の領地への侵攻を始めた。
全軍ではなく、まずは猛将・秋山虎繁の部隊二千五百名が、奥三河へと侵攻を開始。
奥平定能は、息子の貞昌を伴って迎撃に出たが、戦うのは他の部隊に任せて、武田の軍勢とは刃を交えなかった。
武田が織田・徳川連合軍の第一陣に勝つ姿と、第二陣に敗れて撤退する有様の両方を息子に見せてから、逃げ帰った。
「どうだ。参考になっただろう?」
作手亀山城に帰って井戸水で身体を洗いながら労うと、息子の貞昌は大真面目にクレームを入れる。
「父上。勝ち戦を、経験しておりません」
十五歳に凛々しく逞しく育った息子は、一度も抜かずに済ませてしまった刀の手入れをしながら、若武者らしい不満を言ってみる。
「勝ち戦だけは、経験出来ませんでした」
「全員無事に帰ってきたから、勝ち戦だろ」
「攻め込まれたのは。この奥三河です。あの後、我々の軍勢が秋山の部隊を背後から攻撃すれば、武田は…」
そこまで言ってから、その先を考えて、貞昌は天を見上げる。
「うん、分かるよな、その先は。馬鹿には育てなかったから、俺」
武田の目的は、三河は勿論、織田信長の持つ全ての領地である。
通過点でしかない奥三河は、そこを支配している武家が恭順を示せば、素通りする。
戦わなければ、みんな幸せ。
その為の不戦撤退である。
「仕方ないのでしょうか?」
十五歳の若武者は、まだ恥じらいを捨てられなかった。
「上手く立ち回ると、他人からは小狡く見えるかもな。けど、それに拘って死んだら損だ。強い方に従い直して生き残る」
そこで「父上、カッコいい」とは言わずに、ジト目で引いている息子に成長を感じつつ、更にドン引きしそうな話題を持ち出す。
「さて、武田に誠意を見せた後は、人質を送る」
「はい」
「仙千代(次男)を、武田に渡す」
十歳の弟を人質に差し出す事に、貞昌は少し眉を顰めるだけに留める。
「だが、これだけでは、足りない」
「足りない?!」
「仙千代は、奥平定能が武田に送る人質だ。奥平貞昌が武田に送る人質は、別に用意しなければならない」
「・・・」
人質に出せる要員を一人しか考えられないので、貞昌は沈黙する。
不条理な展開に、怒りを溜めている。
横で茶を飲みがら、親子の会話を静観していた定勝(定能の父、貞昌の祖父)が、ニヤニヤと口を出す。
「不条理ではない。用心だ。世の中には、父親と反対側の陣営に付くのが平気な不届き者が珍しくないからな」
定能はキツい言葉を返すかと思いきや、定勝に念押しする。
「父上。父上は、武田に付きますよね?」
「? そうだぞ。九八郎(定能)も、そうであろう?」
「いいえ、俺と九八郎(貞昌)は、徳川に忠義を尽くします」
「はあ?!」
親でさえ、奥平定能の忠義心なんぞ、存在を信じていない。
今川義元に赦免してもらって生き長らえているのに、恩返しは一切していない。
「戦争中に陣営を替えるなんて恥ずかしい事、出来ませんよ」
「嘘を吐くな、前科者」
「でも、父・九八郎(定勝)が武田に付くように家臣に根回しをしてしまったので、致し方なく、俺と九八郎(貞昌)は武田に付きます。ここ、重要」
「ほうほうほう。で、万が一、織田・徳川連合軍が勝ち残った場合は、この九八郎(定勝)を悪者にして、徳川に再帰順すると?」
「流石は父上。九八郎(定能)は感心しました」
「逆の場合は、今度こそ永久に高野山に追放してやる」
「次は父上の番ですよ」
「おい、九八郎(貞昌)。その九八郎(定能)を見限りたい時は、この九八郎(定勝)に遠慮なく、好きな陣営に亡命しなさい」
祖父の労りに、孫は素直に頷いた。
父と祖父の性格は、既に把握しており、余計な感想は口にしなかった。
注意・奥平は三代続けて通称を九八郎にしてしまったので、祖父・父・息子が揃って会話をすると、他人は混乱します。
定能に手拭いを渡す雑用人に化けて話を聞いていた服部半蔵は、辛うじて話を理解する。
奥平定能のようなジョーカーの去就は、服部半蔵クラスに見極めさせないと、危ない。
連絡役どころか、二重スパイ任務を放棄したと判断したら、そのまま始末する構えであった。
そこまで保険を掛けてから使われている事に、定能は幸いにも気付かなかった。
気付かせないからこそ、服部半蔵が採用された。
気付かれたら、定能のロック気質が、徳川に向けられかねないのだ。
稀代の智慧者・徳川家康は、慎重に、この危険物を掌で取り扱っている。
「不満なら、お主だけ奥平家を抜けて、北条や織田に鞍替えしてもいい。それも有りだ」
自分ならそうするとは、定能は教えない。
複数のやり方を提示しても、決断は本人に任せる。
決断の出来ない武将に、地方領主をやる資格は無いのだ。
「おふうが子供を産めるようになるまで、待てませんか?」
貞昌が娶った妻おふうは、この時まだ十三歳。
「待てませんよね」
今より結婚・出産が早い時代であっても、無理をさせられない年齢だ。
子供を人質に出す方法は、使えない。
「貞昌。此方から裏切らない限りは、人質は無事だ。俺もそうだった」
この件で定能に慰められても、あんまり効果は無い。
助かったのは、祖父が義理堅かったからであり、今川義元が一周回ってこのロック野郎を飼ってくれただけである。
どれだけの幸運か、定能だけが理解していない。
「自分も、父上並みの幸運値が欲しいです」
とは言わずに、親とは逆方向に健やかに成長した貞昌は、人質問題を優先させる。
妻を人質に差し出すか、妻と一緒に他の勢力に入ってやり直すかの選択肢。
この地は、もう最前線。
半端な決断をする贅沢は、危険だ。
貞昌は、大きく息を吐くと、手入れの済んだ刀を鞘に収める。
「おふうを、武田へ人質に出します」
「うむ」
「武田から離反する時は、父上だけは武田に残ってください。そうすれば、弟だけは助かります」
「いや、その時は、逆に貞昌が武田に残れ。おふうが助かる」
「成る程。考えておきます」
何かの壊れる音がして、三世代は貞昌の手元を見る。
刀を収める力が強過ぎて、鞘が壊れていた。
「そんなに、嫌か?」
「大嫌いです、この慣わしは」
「俺も大嫌いだ」
人質制度は大嫌いでも、奥平定能の役割は、二重スパイである。
念入りに武田の信用を得ないと、動きが取れなくなる。
服部半蔵と家康の真意には気付かなくても、二重スパイ任務が果たせない場合は見切られるフラグが立ってしまうので、意外と真剣に考えている。
「うまく立ち回って、人質を返してもらえる事もある。必要以上に、心を乱すな」
こういう件に慣れてしまっている定勝は、息子と孫を慰めようとして、失敗した。
二人とも口に出さなかったので、定勝には分かってもらえなかった。
服部半蔵はその場を去り、奥平の本格的な潜入開始を、主人に伝えた。
人質制度を誰よりも苦々しく嫌っている徳川家康は、この後に待ち受ける奥平親子の心痛を、真面目に共有した。
無事に取り戻しはしたが、家康は人質になった妻と子供二人を、見捨てる決断をした男だ。
奥平親子が将来味わう苦痛を、徳川家康は正確に予測しつつも、武田と戦う為に干渉を控えた。
それでも、服部半蔵には、指示を付け加えた。
「奥平親子が徳川に恨み言を言っても、申告しなくていい。彼らには、言う権利が有る」
「御意」
鬼面の忍者は、顔が綻ばないように、気を引き締めた。
「今、笑ったのか?」
付き合いが長いので、すぐにバレた。
「失敬。優しい処置でしたので、つい」
「ん、処置が足りなくて笑われたのかと、自虐してしまった」
「足りませぬか?」
家康が、爪を齧りながら思案を練る。
奥平に内通を任せるには、一つ大きな問題が残されている。
「うむ。このままだと、九八郎が危ない」
服部半蔵は、三秒考えて、聞き返す。
「殿。どの九八郎でしょうか?」
「…三人とも、九八郎か。うちも代々竹千代だから、人の事は言えぬが」
武家あるあるで脱線しつつも、家康は服部半蔵に、奥平のフォローを重ねて命じた。
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