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遠江国掛川城死闘篇

掛川城で、お茶を(3)

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 1568年(永禄十一年)十二月二十日。
 家康が徳川の兵八千&今回の遠征で吸収した国人マイナー地方領主の軍勢二千、合わせて一万の軍勢に移動を命じた。
 天竜川に舟橋を設置して最短ルートで渡河した徳川勢は、今度こそ掛川城攻略へ向かう。
 十年前は駿河・遠江・三河の三ヶ国を支配していた強国・今川の所有する城は、今や掛川城一つのみ。

「まさか倅の初陣が、今川に止めを刺す戦とはな」

 本多広孝は、渡河を終えた部隊に渡される、道中の野営地を記した地図(製作・服部隊)を受け取りながら、米津常春に感慨を零す。

「うんうん、俺たち世代の初陣は、今川の露払いとして最前線でタダ働きだったもんね」

 多忙過ぎる常春が適当に返事していると、本多広孝は舌打ちしながら倅と顔合わせさせる。
 折り目正しく真正面からお辞儀して、十五歳の初陣少年は挨拶を始める。

「本多彦次郎康重やすしげです。殿の康に、重という字を合わせて、康重《やすしげ》です」
「知っている」
「覚えていてくれたのですか?!」
「覚えているふりをしただけだから、君は感動したふりを続けなさい、一生」
「真心が籠っていますね」
「大人の智慧は、真心の塊さ」

 常春は、天竜川の東岸で次の渡河武将に地図を手渡しながら、初陣者に説教垂れる。

「野営地の便所の位置は、マジに把握しろ。奇襲を喰らった時に、便所に足を取られて死んだら、親父さんが泣くぞ。便所で踏ん張る度に、泣くぞ」
「野営地の用意で、だいぶお疲れですね」
「一万人が毎日寝泊まりに使う場所の確保と、下水道の整備を想像してみろ。忍者の有り難みが違って見えるから」

 忍者の仕事というと、諜報活動や暗殺・破壊活動が有名だが、野営地の確保・整備という、地味だが作業量が桁違いに多い重要な仕事が任されている。
 これに手抜かりが有ると、寝不足や流行病、集団食中毒で戦にならない。
 将来有望な若武者は便所の話よりも、大手柄を立てられる方法を質問してくる。

「城の本丸に乗り込んで、敵の大将まで辿り着く秘訣は?」

 常春は戦友の渋い顔を見て、この話題を任されたのを確認して康重と目を合わせる。

安祥あんじょう城でのやり方を、教える気は無い。君は二十年前の俺と違って、使い捨ての端武者ではない。本多家を統率する指揮官の一人として期待されている」
「…指揮官として、部下にやらせる為に知りたいと言っても、駄目ですか?」

 常春は、動きを止めて、笑顔を作り笑顔で凝固させた。
 激怒の気配を察して康重は一歩下がり、お辞儀をしてから先を急ぐ。

「察しの良さそうな若者だね」

 服部隊の更紗が、新しく収集された情報が書かれた巻紙を渡しながら、本多康重の尻を見送る。

「あれを夜這いに行ったら、本多家の皆さんは本気で怒ると思うか?」
「その点に気付けるようになったのだね。常春は嬉しいぞ」

 痴女忍者も十年で最低限の社会性や常識を持ち得るのだと、常春は感動した。

「いや、本気で子種を絞りに行きたいので、本気で返答してくれ」
「本気で聞いてんじゃねえぞ、このパーフェクト馬鹿!!」
「妊娠適齢期の女性が、本気で妊活しているのに、常春は理解がない」
「君、標準的な女性じゃないよね? 君、標準的な女性じゃないよね?」
「変人である事を恐れるな、常春。縞模様の褌シマパン履くか?」
「要らん。それより、原川城への偵察要員を五人増やせ。ったく、目障りな城だなあ~」

 先に中身を見た更紗は、無表情ながらも溜め息を吐く。





 原川城(掛川城から西に六キロに位置する城)の現状を知って、掛川城城主・朝比奈泰朝は溜め息を吐く。
 掛川城の三の丸最前線防衛ラインでは、見慣れ始めた光景だ。

「掛川城に入るのは、原川城が落ちてから?」

 使者から返答を聞き、朝比奈泰朝は呆然とする。
 使者は讃岐入道という。
 原川城城主・原川大和守頼政の弟で、坊主頭の僧形だが、それ以外は筋骨隆々の巨漢である。

「原川城の兵は、一千。徳川の兵を足止めするには、十分です。その隙に、朝比奈殿が掛川城から出れば、徳川の横腹を突けます。つまり勝てます」

 外見に違わず脳筋なので、朝比奈泰朝は説得に苦労する。

「原川城の周辺では、私の軍勢が迂回して敵の横に回れるような道がありません。だから、その策は不可能なのです」
「根性を出せば、道なんか何とかなりますよ」

 東海道最強を謳われる朝比奈泰朝は、「根性を出せばいい」という精神論を一切信じていない。
 根性で戦争に勝った例など、無い。
 根性なんて、敵も持っているのだ。
 味方だけが根性を発揮しているなどという頭の悪い思い込みを、朝比奈泰朝は軽蔑している。

「はっきり言いますが、敵の到着と同時に、原川城は落ちます。私の軍との連携は、出来ません」
「いえ、根性で保たせますから」

 脳筋の精神論には一切構わず、朝比奈泰朝は説得を続ける。

「城が落ちたら、追撃されます。掛川城に逃げ延びようとする展開ぐらい、三河勢なら初めから織り込み済みですよ。絶対に、追撃を仕掛けて来ますよ。掛川城に逃げ込めるのは、百にも満たない人数でしょう」
「い、いや、そんな、瞬殺が前提とか、おかしいですよ朝比奈殿」
「今直ぐにでも、原川城を放棄して、掛川城に戦略的転進をするべきです」
「なるほど、転進ですか」
「そう、転進です」

 なんとなく納得してくれた讃岐入道を帰らせると、鎧の製作を終えて暇を潰しに来た日根野ひねの弘就ひろなりが原川城の件で口を挟む。

「今の会話、本気か? 原川城なんて、俺が守っても半刻一時間保たないぞ」
「ここに入らないのは、もう徳川に鞍替えしたからだとばかり…実際は、脳筋なだけでした」
「勿体ないなあ。確か千名はいたよな、兵が」
「ええ。喉から手が出るほどに欲しい兵力です。兵数が三千に増員出来れば、なのに」

 日根野ひねの弘就ひろなりは、大型肉食獣の笑顔で朝比奈泰朝に提案する。

「その第二別働隊。俺に率いさせてくれ。久しぶりに『殺戮家老』として喝采を浴びたい」
「阿鼻叫喚の間違いでは?」
「死んでいく奴の主観なんざ、気にするな。肝心なのは、生きている奴の評価だ」

 東海道最強と殺戮家老が不穏な含み笑いをする中、美朝姫が伝令を追い抜いて、本丸から見えた異変を伝えに来る。

「朝比奈~! 西の原川城が、燃やされているぞ~!」

 美朝姫としては、この機会に戦時用の戦国モンペ衣装を披露して、新しい萌えを朝比奈泰朝の瞳に焼き付けてフラグを立てようという深慮遠謀であったが、当の朝比奈泰朝は兜を引っ掴んで西側へと疾駆して去ってしまった。
 まだ事態を理解していない美朝姫に、日根野ひねの弘就ひろなりが丁寧親切に教えてあげる。

「あのね、姫様。もう、ラブコメ展開をする余裕が、ないかもよ? 徳川の本隊が、ついに登場したから」
「お主が働いて、その余裕を作れ、給料泥棒め。美朝が朝比奈と結ばれれば、掛川城が廃墟になっても、今川の勝ちなのだ今川フォーエヴァー!」
「うわああ、高貴な血筋が大爆発してるうう」

 美朝姫に興を唆られた日根野ひねの弘就ひろなりは、隙を見て今川親子を拉致して武田や織田に売り飛ばす計画の優先順位を下げる。

「よっし。じゃあ、二の丸に入って、北側の守りに着きますわ」
「んんん? 徳川は、西から来ておるのであろう?」
「進路上の邪魔な小城を燃やしただけですよ。本命は間違いなく、北からです」

 美朝姫から幾分かの感心する視線を浴びながら二の丸に移動した日根野は、家康の本陣が既に北東五百メートルに位置する天王山龍華院に到着した光景に出会す。金色の扇を本陣の目印に高く掲げると言う、功名目当ての武士には涎が止まらない馬印を立てる武将は、徳川家康で間違いない。
 その指示を受けた軍勢は、掛川城を包囲するように進軍し、よく連携の取れた動きで波の様に畝る。

「…速くて隙のない用兵だ。戦国大名は、こうでなくちゃ」

 五十匁筒大火縄銃の弾込めを始めながら、日根野は指示を出す。

盛就もりなり、昼飯の準備を早目に終えさせろ。弥吉は、弾込めの差配に専念。暴発させるなよ」
「逃げないのですか?」

 日根野軍団の副将・日根野盛就もりなりは、兄の指示に抵抗する。

「徳川の布陣を見ただけで、敗北は必至。関わるだけ、損です」
「あん? 朝比奈泰朝を、少しは再評価しろ。この戦況で、最善の手は打ちに行った」



 街道脇の原川城が燃え落ちるのを待っている間に、米津常春は横を通る酒井忠次から挨拶をされた。

「随分と思い切り燃やしたな。降伏勧告もせずに。悪い兵法書でも読み漁ったのか?」

 次いで忠次は、城の焼ける臭いに異変を覚える。

「人は燃やしていないようだが?」
「逃げたよ。掛川城へ」
「追撃には、誰が行った?」
「誰も行っていないし、止めたよ」
「・・・殿しんがりに、朝比奈泰朝が出たのか?」
「正解!」

 米津常春は、酒井忠次の非難に満ちた凝視を浴びて、抗弁する。

「酒井殿が朝比奈泰朝と戦いたいなら、止めないよ?」
「次は必ず追撃し、掛川城に逃げ込む兵と混じって城内まで攻め込め」
「朝比奈泰朝が出て来たら?」

 そんなにハードに働きたくないとは言えず、常春は最強の敵を出汁に使って責任を回避する。

「渡辺守綱もりつなや本多重次しげつぐ、服部半蔵に任せろ。この三人は此度、朝比奈泰朝を討ち取る事に専念させる」

 そう指示すると、酒井忠次は掛川城を西から攻める為に、原川城跡を去る。
 煩いのが視界から消えてから、常春は背後に控える更紗に新しい指示を出す。

「よっしゃ、火が消える前に、焼き芋だ」


 1568年(永禄十一年)十二月二十七日。
 正午前。
 徳川勢一万は、掛川城への攻撃を開始した。
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