無限電子レンジ

seisuke

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食堂

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ジリリリリリリリ

カチャ

目が覚めた。眠気はなく、二度寝なんて言葉はよぎらない。今日は特別な日だから。掛け布団を払いのけ、足を振り上げ体を起こす。

「うん、絶好調。」

先週から始まった一人暮らし、少しずつだけどこの生活にも慣れて来た。カーテンを開けると、日差しが目に突き刺さる、細目で空を眺めながら桜の舞うこの季節に僕は希望に満ちていた。今日は入社式だ。

式を終えて社内を案内される、ここがこれから40年近くお世話になる職場、言わば第2の自宅になるわけだ、心躍らせながら働く自分を想像して少しだけにやけた。

案内人「ここが食堂です。社員の皆様は社員証があれば利用できますのでご自由にどうぞ。献立は毎日違いますので安心してくださいね。ふふ、献立表はこちらからご覧になれます。あ、言い忘れましたけど有料ですからね、当たり前ですよね。あはは」

陽気で落ち着いたお姉さんだ、こんな人と社内恋愛とかしたりして……秘密の恋愛って燃えるよなあっと……今は考えるのはやめておこう。

案内人「もちろん、お弁当も持ち込み自由ですのでその際はあちらに置かれている電子レンジをお使い下さい、3つ常備してありますのでご自由にどうぞ、丁度今は社長が使われていますね、まああの電子レンジは社長専用となってしまっているので必然的に他の2つを使う事になるとは思いますが。」

僕「専用とはどういう事でしょうか?社長が使ってない時も利用できないという意味でしょうか?」

案内人「空いていればどうぞ、無理でしょうけど。あはは」

???まだ理解出来なかった、空いていれば?そりゃ空くでしょ2、3分だろ?長くて5分とかか?終わってからも社長が目の前でお弁当食べ始めて使えないとか?あは、そんなわけないか、終わったらすぐ電子レンジの掃除を始める超のつくほどの潔癖症とか?んーこれはありそうかな。

しつこく質問攻めしても悪いと思い、今日にでもすぐわかるだろうと流した。

明日から本格的に研修が始まる、先ずは弊社の扱う商品を熟知する為にも倉庫整理から始まるみたいだ。初めからカッコいい仕事なんてできない事は分かっている、ここから同僚たちよりも頭1つ抜けてやろう。倉庫整理だろうがなんだろうが全力でやってやる。

帰り際、食堂に表示されていた営業成績を見に行こうと再び足を運んだ、微かに聞こえる機械音、誰かいる、先輩達は仕事してるし同期の誰かかな?そんな事を思いつつ顔を向けた。

社長……

オレンジ色に光る黒い直方体、変わらない姿勢でそれを見つめ続ける社長をみて、少しだけ寒気がした。中で回るタッパー、中身はなんだろう……そう言えばお昼時間、皆んなでここに来た時に挨拶していなかった。そんな事気にも留めない案内人の赴くままに機械的に通り過ぎた、しかし、案内の最中ではあったけど、挨拶くらいさせてくれたって良かったんじゃないかと全員が不思議に思ったはずだ。まあでも、ここで僕だけ挨拶しておけば、好感度アップ間違いなしだな。

不敵な笑みを押し殺し、爽やかな笑顔で駆け寄った。

僕「お疲れ様です!初めまして!今日から入社する事になりました、白波と申します!宜しくお願い致します!」

社長「……………」

僕「………あの、これからお力になれるように精一杯頑張ります!」

社長「……………」

返事がなかった、無視をしている様子もない。真っ直ぐに、ただひたすら回る回転物を見つめていた。

キーン

耳鳴りがした。この空気は何だろう、眼鏡が光を反射しその目の奥を上手く捉える事は出来なかったけど、その水晶体にはきっとタッパーしか映っていない。それにしても長すぎる、一体何を温めているのだろう、タッパーの中身は確認できない、覗き込む事も気が引ける、ちらっと残り時間を確認した。

「9年11ヶ月22日19時間12分14秒」

………言葉を失い、目を疑った。9年?いや、約10年か、そんな表示生まれてこのかた見た事がない、電子レンジだぞ?そんな事あってたまるか、いや、しかしここに、今そこに確かに存在しているんだ、その不可思議な電化製品が。百歩譲ってそんな事も出来る電子レンジがあるとしよう、こんな時代なんだ、様々なアイデア商品が溢れるこんな時代なんだ、今まさにIT革命が起きようとしている時代なんだ、人類の進歩を、化学の進歩を受け入れよう。さて、質問は1つだ。

何を温めているんだ?

容器は見たところ良くある何処でも買えそうな透明なタッパー、中身が……分からない、もう一度見るのも勇気がいる、突然怒鳴られるのではないのか、そんな恐怖心。ちらりともう一度社長の顔を伺う、キラリと光る眼鏡、ふわりと風になびく事もない頭。口に出したら殺されそうだ。これ以上の詮索はやめておこう、まだ始まったばかりじゃないか、これから上司、先輩、同僚たちに聞けばいいだけの話、そのうち解決するだろう。

耳鳴りは気づかないうちに消えていた、その場を後にし背中を向けて歩き出した、コツンと響く足音が部屋の中を走って消えた。

少しだけ奇妙だったけど、少しだけ寂しそうにも見えた。

チュンチュン

目が覚めた、シャワーを浴びてコーヒーを入れる。気力を必要としない朝の習慣をこなし一息ついた。4月の朝はまだ寒い、足先が冷えきっているのを感じてさすってみる、こんな事したって気休め程度にしかならない事は重々承知している、ジェラートピケの靴下でも買おうかとぼんやり考えて、冬も終わりだし少しの辛抱と言い聞かせて終わる。コーヒーから立つ湯気を吹いて眺める春の空は、雲が多く点在していた。

先輩「今日から少しの間倉庫整理を皆さんにはやってもらいます。分からないことがあれば逐一質問するように、何かが起こってからでは遅いので未然に防止できるように努めましょう。じゃあまた後で。」

先輩の話し方の癖だろうか、敬語とタメ語が入り混じり僕らに指示を出して自分の机に戻っていった。出勤後、ここに来る前に僕はすぐに食堂に向かった、確認せずにはいられなかったんだ、もしかしたら昨日見た嘘みたいな光景は見間違いだったのかもしれないと僅かな期待を込めていたが、そんな期待はシャボン玉の如く壊れて消えた。居た、何時からいるんだろう?朝の清々しい空気の中、昨日と変わらぬ機械音と薄光り、それを見つめる会社の長、今回は声をかけることなく戻った。

仲を深め始めた同僚と共に作業を開始する

僕「あの、社長について何か知ってる?」

同僚「いや?まあ、就職活動の時は企業理念とか経営方針とか調べたけどそういう事?」

僕「違う違う、昨日食堂で電子レンジ使ってたじゃん?」

同僚「あー使ってた、みんなで挨拶するのかと思ったら華麗にスルーだもんな、はは、吹き出しそうになったよ。」

僕「そうだろ?その後説明会終わってから帰る前に食堂に行ったんだよ、5時前だったかな、そんでまだ居たから挨拶したんだよ、そしたら完全無視、でもあれは無視というより聞こえてない感じだった、その横で動いてる電子レンジ見たら残り時間9年って、知ってた?」

同僚「すごいなそれ、確かに朝俺も始業前にコーヒー入れに食堂行った時社長居たなあ、全く気にしなかったよ。」

僕「僕もすごい気になっちゃってさあ、上司も先輩も何も言わないじゃん?それがますます気味が悪くて、今度思い切って、」

先輩「おーい手もちゃんと動かせよー。」

同僚、僕「はい!すみません!」

話しも道すがらに作業に戻った。

先輩「あれ?これやったの白波?」

僕「はい、そうですが、何かありましたか?」

先輩「あーこれとこれ見た目はすごい似てるけど違う商品なんですよ。ほら、ここ無糖って書いてあるけどこっちの商品はないでしょ?別々の棚に置かないといけないんだよ。」

僕「申し訳ございません。すぐやり直します。」

何をやっているんだ僕は初日からこんな初歩的なミスを……社長の事が気になって集中できてなかったか……いやそんな事、ただの言い訳か……

先輩「気にしなくて大丈夫ですよ。まだ小さな事で良かったじゃん。大切なのはミスをしてしまった後焦らずに活路を見出し迅速に対応する事、そうすればマイナスだった評価をプラスに変えることだって出来る。お、こいつ立ち上がり速いなってね、要はブレない強靭な精神力の持ち主って見られるのかな、更にそこで二度と起きないように対策をとる事が出来る。ピンチはチャンスなんて古くから使われてますが、いい言葉ですよね。まあ、毎回ミスしてちゃダメだけどね、はは。」

僕「はい!ありがとうございます!」

凄く救われた、心が軽くなった、まだ会って間もない先輩を完全に信頼してしまっていた。上司、先輩は選べないから厳しい人の下に配属され苦労して病んでしまう人だって大勢いるんだ、ついてる、先輩が良い人で本当に良かった。

昼食時間

まだいる、9年以上あるんだもんな当たり前か、同僚と先輩と一緒に同じ物を注文して同じ席でくつろいだ。お互いまだまだ知らない事だらけ、趣味、好きな音楽、休日の過ごし方等、合コンの様な質問で笑いあった、壁が少しだけ取り除かれてきた良い雰囲気の中、思い切って聞いてみた。

僕「あの、そういえば社長って何をずっと温めてるんですか?」

先輩「ああ、新しく入る人はみんな気になりますよね。でもね、全員知らないんだ、その事。社長に聞いても魂が抜けたように何も答えないから時間が経つにつれて誰も疑問に思わなくなったよ。もう、背景の一部分として過ごしてる。」

同僚「9年ってなってますけどあれいつから始まったんですか?」

先輩「10年前らしいんだ、僕もまだ入社してませんでした。僕が入った時も同じ事思ったよ。最初20年で設定されてから今までずっとあんな感じらしい。」

20年……益々奇妙だ……その後も少しその事について話したがそれ以上の情報は何も分からないらしい、先輩が言うように考えてもしょうがない、もうこれ以上気にするのはやめて9年後を楽しみにしておこう。

それからはいつも通りの生活を送った、会社も順調に成長している。人間関係にも恵まれた、そして生涯を共にする 妻との出会いもあり、僕の人生は平凡ながら幸せで、これから先もこんな幸せが続いていけばと願っている。

そしてついに、その時がやってきた。

僕「あと24時間ですね、なんだか感慨深いですね。」

先輩「はは、怪獣産まれたらどうしような。」

同僚「それはそれでうちの会社が更に知名度を上げるチャンスですよね!」

僕「あれ、珍しいですね、副社長が電子レンジの前の社長のところに行って何か喋ってますね、でも、社長が反応する様子はないですね。」

先輩「ああ、おそらく唯一あの人だけ何か知っていると思うんだけど、聞いても知らないの一点張りなんだ、だからみんな聞くのをやめた。そして誰も知らずにこんな事になってる。もともとこの会社ってあの2人が共同で始めて2人で大きくしていってんだ、でも社長がああなってからは対人関係は全部あの人で、社長はメールで指示だして、それでも上手くいってるんだけどね。」

同僚「やっぱり社長にも普通に喋ってた時代があったんですね。」

先輩「まあね、熱い人だったらしい。会社が軌道にのる前はほとんど会社で生活していたくらい忙しく働いていたらしい。もしかしたら明日全てが終わって元どおりの社長が帰ってくるかもしれない。副社長もそれを期待しているのかな。」

それぞれ仕事に戻った、社長に何があったのか、明日全てが明らかになると思い気持ちが高まった。それと共に何か悲しい過去があったに違いないと、少しだけ胸が締め付けられた。

帰り道、夜桜で賑わう上野公園を横目に笑みがこぼれた。またこの季節、春の訪れが僕に郷愁を与える。まだ30歳を過ぎたばかり、長い目で人生を俯瞰すればまだまだ始まったばかりだ。もうすぐ産まれてくる子供にも沢山の綺麗な景色を見せてあげたい。

ざわざわ

お昼休みの食堂、こんな事は今までに一度だってなかった。社員総勢124名、電子レンジに集結した。残り時間が3分を切る、あれだけ横長に並んでいた数字が残り3つ、そこから広がる水平線に朝日が昇る。社長はいつも通り瞬きも忘れ見つめ続けている、これだけの野次馬が集まっているのにもかかわらず、平静を保ち続けている。残り2分を切った、心臓が剥き出しているのか、全員の鼓動が聞こえる様だ、戦々恐々、この空気の重圧に足が震える。59秒、58秒、喧騒は沈黙へと姿を変えた。全ての視線が電子レンジに注がれる、この瞬間を、社長はどれ程心待ちにしていただろう、突然泣き出すのではないかと少し思った。

3…2…1…チン!

ガチャ

タッパーを取りだし蓋を開けた、赤黒くドロドロした液体が湯気を立てている、それを指ですくってペロリと舐めた。

しばらく沈黙した、全員の視線は社長に注がれている、何か喋るのか、期待が集まる。

そして蓋を閉め、再び電子レンジに入れると、慣れた手つきで操作した。

30年

鈍い機械音とオレンジ色が再び灯った。何事もなかったように。呆然とした、そこにいた全員が理解出来なかった。あの液体はなんだったのか、まだ充分に温まってはいなかったのか。それぞれが顔を見合わせて仕事に戻る。30年が始まった、20年では足りなかったみたいだ、副社長は肩を落として机に戻っていく。何も解決しなかった、しかし、今なら何か語ってくれるかもしれないと思い、副社長に駆け寄った。

僕「あの、社長って、何かあったんですか?」

副社長「正直なところ、本当に私も分からないんだ。昔、2人で始めた頃は熱血で全国に名前を轟かすんだーってよく言ってたんだ、今みたいに社員も雇えずに2人で毎日残業続きで頑張ってきて、ようやくここまで来たんだ、あいつは始めた頃から結婚していて幸せそうに人生を謳歌していたように思えた。しかし、会社で過ごす時間が生活の殆どになってた頃にあいつ「妻が最近冷たいんだ、そりゃ確かに構ってやれてはいないが、仕事が忙しく手が離せないこの時期を理解して欲しいもんだ。」って漏らしていたよ、その後にタッパーを持ってきたんだ、奥さんのお弁当だと僕は思って、仲直り出来たんだなって安心したんだけど。一切喋らなくなってしまった。対人関係は私が代わりにやり、それ以外の仕事はいつも通りこなすからここまで成長できたけど。昔みたいに飲みに行ったり出来たらと今日を期待していたが……」

顔を覆ってしまった。もうこれ以上思い出させるのも悪いと思った

僕「そうだったんですね。ありがとうございました、これからもお二人の負担を減らせるように頑張ります。」

いつも通り、何も変わらない、社長が電子レンジをずっと使っている、特別だけど特別ではない。

人はそれぞれ、他人には話せない秘密の1つや2つ持っているものだ。それを他人が詮索するなんて、あまり聞こえのいい事ではない。このままそっとしておこう。僕には帰ったら温かい妻が僕を迎えてくれる、これ以上の幸せはいらない、いつか社長が自分から話してくれるのをみんなで待とう。

少しだけ、ほんの少しだけ、昔の社長の言葉を頭の中で繰り返した。そんな事…あるわけないよね。ふるふると横に首を振った。それにしても一体……

何を温めているんだろう?
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