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本編

第二六話 彼女は彼女だった

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 八鳥との屋上での会話の中で、実は一つだけ気になることがあった。
 翠川には、八鳥よりも前に僕との間を取り持つよう頼んでいた友達がいたという話だ。

 あのとき、僕は八鳥に友達と呼べる人間はいないと言った。
 だが、よくよく考えてみれば、仲を取り持つだけなら何も共通の友達である必要はないような気もするのだ。
 単純に僕と接触できたり、僕の情報を翠川に伝えられればいい。
 さらにその友達は今はあてにならないと言っていたことから鑑みるに、別の高校を受験した等の理由で今はもう近くにいないということが考えられないか。

 となると、怪しいのは中学時代の同級生だ。
 しかし、そうなってしまうと今度は捜索範囲が広すぎて人物の特定は難しい。
 ただ、人物は特定できなくとも、そこから考えられることがある。

 それは、翠川が僕を知ったのは高校に入学してからではなく、実はもっと前からなのではないかという可能性についてだ。

 少なくとも僕の記憶では、翠川と会話をしたのはあのスケッチブックを拾ったタイミングが初めてである。
 だが、八鳥は翠川が四月のかなり早い段階から僕に目線を送っていたと言っていた。
 それはつまり、僕らが実は高校に入学するよりも前に何処かで会っていて、そのときからすでに翠川から好意を抱かれていたという可能性を示唆しているのではなかろうか。

 まあ、ここまで真面目に推理しておいて、実は本当にただの一目惚れでしたというオチだったら笑えないのだが……。
 
「おにい、難しい顔してる」

 家族で夕食を囲んでいると、アユミが箸の先を僕の顔に近づけてきた。
 お行儀が悪いからやめなさい。

「そうよ、アユミ。でも、アッくん、何か悩みがあるなら言ってね」

 母上が優しく言ってくれる。
 うむ、考えるのに疲れたら母上の胸で癒してもらおう。

「もう! アユのおっぱいが大きくなったら、そういうことはアユに任せてよね!」

 おい、やめろ。親の前でそういうことを言うな。

「ははは、相変わらず二人は仲良しだねぇ」

 親父はのほほんと笑っている。
 いや、笑ってて良いのか? 兄妹だぞ?
 まあ、この歳で母の胸に癒しを求める僕もどうかしているか。
 いやでも、母上のおっぱいは驚異だぜ。赤ちゃんに戻ってむしゃぶりつきたいもん。

「もう、アッくんたら……よっぽど深い悩みなのね」

 母上は困ったように笑っている。なんか好意的に解釈してくれた。
 そういうところが愛おしいぜ、我が母よ。
 しかしそれはそれとして、ここは藁にもすがる思いで訊いてみるか。

「実は、知り合いかもしれない女の子がいてさ」
「え、昔のオンナってこと?」

 おお、なんだか大人っぽい響きだな。
 でも、お兄ちゃんは童貞なんだ。昔のオンナなんていないぜ。

「そうだった!」
「名前はなんていう子なんだい?」

 アユミとのやりとりは無視して、親父が訊いてくる。
 親父のこういう進行力、さすが家長って感じで尊敬してるぜ!

「翠川陽菜っていうんだけど」
「ミドリカワさん……ねぇ。うちの道場生の中では思い当たらないなぁ」

 ぼんやりと天井を見上げ、無精髭をさすりながら親父が言う。
 親父の記憶力はかなりあてになるので、思い当たらないと言うならいないのだろう。
 ワンチャンあるかなと思ったが、そううまくはいかないか。
 
「……あれ? ハルナちゃんって子、いなかったっけ」

 ――と、アユミが何かを思い出したように言う。

「あたし、一緒に小さいころによく遊んだ記憶あるよ。なにハルナちゃんだっけ?」

 そういえば、僕にも中学に上がるまでは毎日のようによく遊んでいた子がいたな。
 こう見えて、小学校のころはわりと陽キャよりだったのだ。
 早熟で身長が伸びるのも早かったし、運動神経も良かったからな。
 ま、中学校で周り全員に抜かされちゃうんだけどね! チクショーめ!

 というか、その仲の良かった子も、下の名前は覚えてないんだよな。
 今もそうだが、僕は基本的に相手のことは苗字で呼ぶタイプなのだ。

「それって、安藤さんのところのハルナちゃんじゃない?」

 母上も何かを思い出すように小首を傾げながら言う。仕草がいちいち愛らしいぜ!

「ああ、安藤さんのところの……」

 親父も何か思い出したように頷く。
 安藤……アンドウ……。

 そうだ、アンドーだ。

 僕が小学校六年生の途中までめちゃくちゃ仲良くしていた友達である。
 出会ったのは小学校の一年生くらいだろうか。
 うちの道場に通っていて、よく一緒に稽古をしていた。
 小学校も同じところに通っていたから、一日中一緒にいることも多かった。
 背が小さくて、髪の毛も短くて、女の子だけど男の子みたいなやつだった。
 アユミともよく一緒に遊んでいた記憶がある。
 小学生のころはまだ僕のほうが二人より頭一個以上大きくて、アユミも入れて三人で遊んでいると三兄妹だと間違われることも多かった。

 しかし、アンドーは安藤である。翠川ではない。

「んー……あれは悲しい事故だったね」

 急に親父がしんみりしだした。
 アンドーが道場を辞めたときのことを言っているのだろうか。
 あれは確か六年生の夏休みの話だ。
 夏祭りの日に僕とアンドーはひどい喧嘩をしてしまって、次の日からアンドーはまったく稽古に来なくなってしまった。
 そして、そのまま道場も辞めてしまい、夏休みが終わるころには転校までしてしまった。
 あのとき僕は自分のせいでアンドーが道場を辞めて転校してしまったのだと思い、とんでもなく落ち込んだことを覚えている。

「そうだったねぇ……」

 親父は小さく笑った。少し悲しげな笑いかただった。

「あなた、そう言えばアッくんには……」
「うん、まあ、今ならもう話しても大丈夫か」

 ……ん? 何やら親父と母上が意味深に顔を見合わせているな。
 僕もアユミと顔を見合わせておくか。
 アユミはダディとマミィが何の話をしてるかご存じかな?

「ご存じないよ」

 まあ、そうだろうよ。

「ハルナちゃんって、お兄ちゃんが泣かしたから辞めちゃったんじゃないの?」

 僕の代わりにアユミが訊いてくれる。
 というか、泣かしたっていうな。泣いてしまったのは事実だが。

「うん。実はそうじゃないんだ。あの夏祭りの日……」

 親父は言葉を選ぶようにしながら、何故か僕の顔をじっと見つめて言った。

「安藤さんのところのお父さんが、交通事故で亡くなられたんだ」

 なん……だと……? そんな話、誰もしていなかったぞ?

「夏休みだったし、すべて内々でやられたみたいだよ。僕らもお通夜のときに焼香だけあげさせてもらって、あとはお香典を出したくらいだからね。それに、アッくんにはこのことは秘密にしておこうってアキエさんと話してたんだ」

 なんでさ。いや、確かにあのとき、ただでさえヘコんでたから、そんな話まで聞いてたら相当に参ってたかもしれないが……。

「ごめんね……アッくんもそうだけど、ハルナちゃんのほうがショックが大きかったの。とてもアッくんに会わせられる状態じゃなかったのよ。ただでさえ喧嘩のあとだって聞いていたし……」

 母上が悲しそうな顔で言う。
 ま、マジかよ。アンドーがそんなことになっていたとは……。

「そのあと、ハルナちゃんの家族はお母さんの実家に移り住むことになってね。そのときに姓もお母さんの旧姓に戻されたんじゃなかったかな」

 なるほど、だから夏休みの間にアンドーは引っ越してしまったのか。
 まあ、今になって冷静に考えれば、子どもの喧嘩で転校なんてありえんか。

 ――いや、ちょっと待て。旧姓に戻しただと?
 その旧姓って、なんだ?
 もしかして、いや、そんなまさか……。

「うーん、父さんもちょっとそこまでは……」

 そうか。親父は覚えていないか。良かった。
 なんかもうこれに関してはあまり追及しないほうが良い気がする。
 闇の中に封印しましょう。
 この話はここで終了といたします。

「そう言えばアッくん、さっき言ってた子の名前、なんだったかしら?」

 母上が何かを思い出したような顔でこちらを見ておられる。
 い、いやぁ……なんて名前だったかなぁ……?
 ど、ド忘れしちゃったかも。まあ、忘れる程度の子ってことで……。

「ミドリカワって言ってたよ」

 うおおおおい! 我が妹よ、なんたるキラーパスを出しとるんだ!

「そうそう、確かハルナちゃんのお母さんの旧姓、翠川だったはずよ。いちおうママ友だったから、その後も少し連絡を取り合ってたの。最近はめっきりご無沙汰だけど……」

 ま、マジかよ……こいつはヘヴィだぜ……。

 その後、僕はもうこの話題には触れず、味のない夕食を掻き込んで部屋に戻った。
 ぐたっとベッドに倒れ込み、これまでのことを色々と思い返す。

 翠川が、あのアンドーだと……?
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