70 / 76
もう一つの秘密(1)
しおりを挟む
「あなたの役割は、器の心を揺さぶることです」
父と聖女の話が終わると、魔族は私に向けてそう言った。
「同時に、器を呼び寄せるための餌でもあります。あなたがここにいれば、器は必ず奪いに来るでしょう」
魔族の態度は慇懃だ。だけど少しも情はない。
冷たく無情な目が、私を見据えている。
「離宮で秘宝が使えればよかったのですが、あそこは人が多すぎて、誰が魔王様の心を得るかわかりません。魔王様の器には力ある者にこそ相応しい。……その点では、勇者も非常に惜しいのですが」
アンリは魔王の力を拒み続けている。
彼らにとって重要なのは、あくまでも魔王であり、その体ではないのだ。
「あなたを殺して、勇者に真の魔王になっていただくという案もあったのですが。その前に伯爵が興味深い提案をしてくれました」
魔族の言葉に父が頷く。
私に向ける表情はやはり侮蔑の色しか見られない。
わかってはいたけれど――やはり父の提案とは、私の命を救うためのものではないのだろう。
「どうせなら、聖女の力も勇者の力も得てしまおうと。なるほど、人間は強欲なものです。しかし試す価値はあると思えました。弱い心はなくとも、オレリア様も十分魔王に相応しいお心をお持ちです」
……それは、悪い心を持っているという意味だろうか?
「聖女と勇者、両方の力を得るに越したことはありません。我々の望みは、最上の状態で魔王様の復活をお迎えすることですから」
「……どうして、私にそこまで話をするの」
言葉を切って一礼する魔族に、私は眉をひそめた。
自分の置かれた状況はわかったけれど、そこまで言われて大人しく人質はしていられない。
この大広間にいるのは、私たち四人だけだ。
体も思いだけで、特に拘束はされていない。
隙を見れば逃げ出せるかもしれないと、私は一歩足を引く。
「なに」
そんな私を嘲笑うように、魔族は目を細めた。
「知っていた方が増す恐怖と言うのもありましょう。勇者に助けられたときに、あなたが満面の笑みでは困るのですよ」
だから――と言って、魔族は私に歩み寄る。
私は思わず、もう一歩足を引いた。
逃げるためではない。魔族に気圧されたせいだ。
「だから、これは罠なんですよ。じきに、勇者とともに離宮の兵が押し寄せてくるでしょう。あちらの兵力はグロワール国王の手紙で把握しているので、こちらもそれにふさわしい準備をしました。……勇者以外の、すべてをすり潰せるだけの数と力を」
「罠……?」
「離宮の兵は王都に入る前に殲滅されるでしょう。どうにかここまでたどり着いた勇者も、この場で魔王様のお心と分離されます。頼りの勇者が失われれば、人間たちの結末は見えていますね? それを知ったうえで、あなたには勇者を出迎えていただきたいのです」
私は息を呑む。
もしも今、アンリが助けに来てくれたとして――。
この話を聞いてしまった以上、私は彼を喜んで迎えられない。
離宮の動きは読まれている。離宮が襲撃されたときよりも、さらに圧倒的な数で魔族たちは迎え撃つだろう。
魔族たちを躱して大広間まで来ても、待ち構えるのは聖女と、彼女の持つ秘宝だ。
最悪の結末が頭をよぎる。
嫌な予感に、全身から血の気が引いた。
「動揺する姿を、勇者に見せてほしいのです。枷であるあなたが、勇者の救いに戸惑う姿を」
「なんのために……」
よろめく足が、さらに後ろに下がる。
だけどそれ以上下がるよりも先に、横から誰かが腕を引いた。
逃がすまいと私を掴むのは――父だ。
「もちろん、あの王子の心を揺さぶるためだ。魔王様のお心を取り出しやすくするため」
「お父様……!」
慌てて振り払おうとしても、父が込める力は強まっていくばかりだ。
爪が腕に食い込んで、鋭い痛みに私は顔をしかめた。
「まったく、今からあの男が来るのが楽しみだ。いったいどんな顔をするやら!」
「離して……!」
私の言葉など、父の耳には届かない。
もがく私を目にも留めず、父は口元を吊り上げた。
「ああ、早くあの忌々しい善人ぶった男の顔を歪ませてやりたい! 私を陥れたあの男に、この屈辱を思い知らせてやる!」
「お父様、離して!」
暴れてももがいても、父の手は離れない。
狂気じみた目に喜びを浮かべ、父は甲高い声で笑った。
「ああ、待ち遠しい! やっとあの男に復讐を果たせるのだ!!」
「いや」
その笑い声を、誰かが短く否定する。
同時に、ぴり、と肌に緊張が走った。
広間の空気が一瞬にして変わる。
研ぎ澄まされた鋭いこの感覚は、魔族たちの魔力とも違う。
これは――もっと純粋で、圧倒的な『力』の気配だ。
「待つ必要はない」
聞こえたのは空を切る音。
次いで響き渡る『なにかが崩れる音』に、私はようやく状況を理解した。
音の先に、剣を構えたアンリが立っている。
崩れ落ちるのは、アンリと大広間を隔てる壁。
そして――大広間を支える、巨大な柱だ。
アンリはその剣で、壁ごと柱を切り落としたのだ。
天井が落ちてくる――。
父と聖女の話が終わると、魔族は私に向けてそう言った。
「同時に、器を呼び寄せるための餌でもあります。あなたがここにいれば、器は必ず奪いに来るでしょう」
魔族の態度は慇懃だ。だけど少しも情はない。
冷たく無情な目が、私を見据えている。
「離宮で秘宝が使えればよかったのですが、あそこは人が多すぎて、誰が魔王様の心を得るかわかりません。魔王様の器には力ある者にこそ相応しい。……その点では、勇者も非常に惜しいのですが」
アンリは魔王の力を拒み続けている。
彼らにとって重要なのは、あくまでも魔王であり、その体ではないのだ。
「あなたを殺して、勇者に真の魔王になっていただくという案もあったのですが。その前に伯爵が興味深い提案をしてくれました」
魔族の言葉に父が頷く。
私に向ける表情はやはり侮蔑の色しか見られない。
わかってはいたけれど――やはり父の提案とは、私の命を救うためのものではないのだろう。
「どうせなら、聖女の力も勇者の力も得てしまおうと。なるほど、人間は強欲なものです。しかし試す価値はあると思えました。弱い心はなくとも、オレリア様も十分魔王に相応しいお心をお持ちです」
……それは、悪い心を持っているという意味だろうか?
「聖女と勇者、両方の力を得るに越したことはありません。我々の望みは、最上の状態で魔王様の復活をお迎えすることですから」
「……どうして、私にそこまで話をするの」
言葉を切って一礼する魔族に、私は眉をひそめた。
自分の置かれた状況はわかったけれど、そこまで言われて大人しく人質はしていられない。
この大広間にいるのは、私たち四人だけだ。
体も思いだけで、特に拘束はされていない。
隙を見れば逃げ出せるかもしれないと、私は一歩足を引く。
「なに」
そんな私を嘲笑うように、魔族は目を細めた。
「知っていた方が増す恐怖と言うのもありましょう。勇者に助けられたときに、あなたが満面の笑みでは困るのですよ」
だから――と言って、魔族は私に歩み寄る。
私は思わず、もう一歩足を引いた。
逃げるためではない。魔族に気圧されたせいだ。
「だから、これは罠なんですよ。じきに、勇者とともに離宮の兵が押し寄せてくるでしょう。あちらの兵力はグロワール国王の手紙で把握しているので、こちらもそれにふさわしい準備をしました。……勇者以外の、すべてをすり潰せるだけの数と力を」
「罠……?」
「離宮の兵は王都に入る前に殲滅されるでしょう。どうにかここまでたどり着いた勇者も、この場で魔王様のお心と分離されます。頼りの勇者が失われれば、人間たちの結末は見えていますね? それを知ったうえで、あなたには勇者を出迎えていただきたいのです」
私は息を呑む。
もしも今、アンリが助けに来てくれたとして――。
この話を聞いてしまった以上、私は彼を喜んで迎えられない。
離宮の動きは読まれている。離宮が襲撃されたときよりも、さらに圧倒的な数で魔族たちは迎え撃つだろう。
魔族たちを躱して大広間まで来ても、待ち構えるのは聖女と、彼女の持つ秘宝だ。
最悪の結末が頭をよぎる。
嫌な予感に、全身から血の気が引いた。
「動揺する姿を、勇者に見せてほしいのです。枷であるあなたが、勇者の救いに戸惑う姿を」
「なんのために……」
よろめく足が、さらに後ろに下がる。
だけどそれ以上下がるよりも先に、横から誰かが腕を引いた。
逃がすまいと私を掴むのは――父だ。
「もちろん、あの王子の心を揺さぶるためだ。魔王様のお心を取り出しやすくするため」
「お父様……!」
慌てて振り払おうとしても、父が込める力は強まっていくばかりだ。
爪が腕に食い込んで、鋭い痛みに私は顔をしかめた。
「まったく、今からあの男が来るのが楽しみだ。いったいどんな顔をするやら!」
「離して……!」
私の言葉など、父の耳には届かない。
もがく私を目にも留めず、父は口元を吊り上げた。
「ああ、早くあの忌々しい善人ぶった男の顔を歪ませてやりたい! 私を陥れたあの男に、この屈辱を思い知らせてやる!」
「お父様、離して!」
暴れてももがいても、父の手は離れない。
狂気じみた目に喜びを浮かべ、父は甲高い声で笑った。
「ああ、待ち遠しい! やっとあの男に復讐を果たせるのだ!!」
「いや」
その笑い声を、誰かが短く否定する。
同時に、ぴり、と肌に緊張が走った。
広間の空気が一瞬にして変わる。
研ぎ澄まされた鋭いこの感覚は、魔族たちの魔力とも違う。
これは――もっと純粋で、圧倒的な『力』の気配だ。
「待つ必要はない」
聞こえたのは空を切る音。
次いで響き渡る『なにかが崩れる音』に、私はようやく状況を理解した。
音の先に、剣を構えたアンリが立っている。
崩れ落ちるのは、アンリと大広間を隔てる壁。
そして――大広間を支える、巨大な柱だ。
アンリはその剣で、壁ごと柱を切り落としたのだ。
天井が落ちてくる――。
0
お気に入りに追加
2,895
あなたにおすすめの小説
「僕は病弱なので面倒な政務は全部やってね」と言う婚約者にビンタくらわした私が聖女です
リオール
恋愛
これは聖女が阿呆な婚約者(王太子)との婚約を解消して、惚れた大魔法使い(見た目若いイケメン…年齢は桁が違う)と結ばれるために奮闘する話。
でも周囲は認めてくれないし、婚約者はどこまでも阿呆だし、好きな人は塩対応だし、婚約者はやっぱり阿呆だし(二度言う)
はたして聖女は自身の望みを叶えられるのだろうか?
それとも聖女として辛い道を選ぶのか?
※筆者注※
基本、コメディな雰囲気なので、苦手な方はご注意ください。
(たまにシリアスが入ります)
勢いで書き始めて、駆け足で終わってます(汗
【完結】逆行した聖女
ウミ
恋愛
1度目の生で、取り巻き達の罪まで着せられ処刑された公爵令嬢が、逆行してやり直す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初めて書いた作品で、色々矛盾があります。どうか寛大な心でお読みいただけるととても嬉しいですm(_ _)m
俺の婚約者は侯爵令嬢であって悪役令嬢じゃない!~お前等いい加減にしろよ!
ユウ
恋愛
伯爵家の長男エリオルは幼い頃から不遇な扱いを受けて来た。
政略結婚で結ばれた両親の間に愛はなく、愛人が正妻の扱いを受け歯がゆい思いをしながらも母の為に耐え忍んでいた。
卒業したら伯爵家を出て母と二人きりで生きて行こうと思っていたのだが…
「君を我が侯爵家の養子に迎えたい」
ある日突然、侯爵家に婿養子として入って欲しいと言われるのだった。
悪役令嬢の生産ライフ
星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。
女神『はい、あなた、転生ね』
雪『へっ?』
これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。
雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』
無事に完結しました!
続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。
よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m
義妹が勝手に嫉妬し勝手に自滅していくのですが、私は悪くありませんよね?
クレハ
恋愛
公爵家の令嬢ティアの父親が、この度平民の女性と再婚することになった。女性には連れ子であるティアと同じ年の娘がいた。同じ年の娘でありながら、育った環境は正反対の二人。あまりにも違う環境に、新しくできた義妹はティアに嫉妬し色々とやらかしていく。
継母の心得
トール
恋愛
【本編第一部完結済、2023/10/1〜第二部スタート☆書籍化 4巻発売中☆ コミカライズ連載中、2024/08/23よりコミックシーモアにて先行販売開始】
※継母というテーマですが、ドロドロではありません。ほっこり可愛いを中心に展開されるお話ですので、ドロドロが苦手の方にもお読みいただけます。
山崎 美咲(35)は、癌治療で子供の作れない身体となった。生涯独身だと諦めていたが、やはり子供は欲しかったとじわじわ後悔が募っていく。
治療の甲斐なくこの世を去った美咲が目を覚ますと、なんと生前読んでいたマンガの世界に転生していた。
不遇な幼少期を過ごした主人公が、ライバルである皇太子とヒロインを巡り争い、最後は見事ヒロインを射止めるというテンプレもののマンガ。その不遇な幼少期で主人公を虐待する悪辣な継母がまさかの私!?
前世の記憶を取り戻したのは、主人公の父親との結婚式前日だった!
突然3才児の母親になった主人公が、良い継母になれるよう子育てに奮闘していたら、いつの間にか父子に溺愛されて……。
オタクの知識を使って、子育て頑張ります!!
子育てに関する道具が揃っていない世界で、玩具や食器、子供用品を作り出していく、オタクが行う異世界育児ファンタジー開幕です!
番外編は10/7〜別ページに移動いたしました。
[完結]気付いたらザマァしてました(お姉ちゃんと遊んでた日常報告してただけなのに)
みちこ
恋愛
お姉ちゃんの婚約者と知らないお姉さんに、大好きなお姉ちゃんとの日常を報告してただけなのにザマァしてたらしいです
顔文字があるけどウザかったらすみません
【本編完結】捨てられ聖女は契約結婚を満喫中。後悔してる?だから何?
miniko
恋愛
「孤児の癖に筆頭聖女を名乗るとは、何様のつもりだ? お前のような女は、王太子であるこの僕の婚約者として相応しくないっっ!」
私を罵った婚約者は、その腕に美しい女性を抱き寄せていた。
別に自分から筆頭聖女を名乗った事など無いのだけれど……。
夜会の最中に婚約破棄を宣言されてしまった私は、王命によって『好色侯爵』と呼ばれる男の元へ嫁ぐ事になってしまう。
しかし、夫となるはずの侯爵は、私に視線を向ける事さえせずに、こう宣った。
「王命だから仕方なく結婚するが、お前を愛する事は無い」
「気が合いますね。私も王命だから仕方無くここに来ました」
「……は?」
愛して欲しいなんて思っていなかった私は、これ幸いと自由な生活を謳歌する。
懐いてくれた可愛い義理の息子や使用人達と、毎日楽しく過ごしていると……おや?
『お前を愛する事は無い』と宣った旦那様が、仲間になりたそうにこちらを見ている!?
一方、私を捨てた元婚約者には、婚約破棄を後悔するような出来事が次々と襲い掛かっていた。
※完結しましたが、今後も番外編を不定期で更新予定です。
※ご都合主義な部分は、笑って許して頂けると有難いです。
※予告無く他者視点が入ります。主人公視点は一人称、他視点は三人称で書いています。読みにくかったら申し訳ありません。
※感想欄はネタバレ配慮をしていませんのでご注意下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる