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平和の終わり(2)

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「叔父上! 状況は!?」

 バルコニーを飛び出し、奥の部屋から回廊へと向かいながら、アンリは叫ぶように尋ねた。
 魔物の吠え声は、今もどこからか響き続けている。
 兵たちの声も止まず、剣を打ち鳴らす音が聞こえていた。

「数は多いが魔物だらけだ。今のところはこちらが押している」

 コンラート様の声は落ち着いていた。
 そこまで状況が悪くないのだと、ほっと息を吐く私の横で、しかしアンリは険しい顔のままだ。

「今のところは、ということは、なにかあるんですね」
「ああ」

 コンラート様は頷くと、眉をひそめて足元を見た。
 バルコニーから繋がるこの部屋にも、アデライトの魔法で気絶した魔物たちで埋め尽くされていた。

「魔物が多すぎるんだ。だが、離宮の外部から侵入したという報告はない。これだけの数の魔物が離宮内部にいるにもかかわらず」
「……外部からの侵入ではない?」

 回廊へ続く扉の前で足を止め、コンラート様は頷いた。
 それから私たちを順に見据え、重たげな口を開く。

「姉上は、内通者を疑っている」

 その言葉に、私はぞわりとした。
 脳裏に浮かぶのは父の姿だ。かつての魔族の内通者。今なおアンリを狙い続ける人間の裏切り者。
 もしかして、また――。

 ――いえ。

 父は離宮にはいない。頭ではわかっている。
 私は妄想めいた考えを振り払うと、静かに息を吐き――はっと顔を上げた。

「……陛下!」

 アンリに抱えられ、別館から飛び出したとき、ほんの一瞬だけ見えた後ろ姿を思い出す。
 誰もいない回廊を走るあの姿は、今思えば明らかに異常だった。

「三階の回廊で陛下の姿を見たんです! 軟禁されているはずなのに!」

 アンリとコンラート様は顔を見合わせ、互いに頷き合う。
 迷っている暇はなかった。

「ミシェル、回廊のどのあたりかはわかるか? すぐに案内してくれ!」
「はい!」

 扉を押し開き、回廊に駆け出すアンリを追いかけながら、私は大きく頷いた。

 〇

 三階の回廊の突き当り。屋上に出る階段の手前で、私たちは陛下を捕まえた。

「な、なんだ貴様ら! わしになにをするつもりだ!!」

 途中で合流した兵たちに剣を向けられ、陛下は怯えた声で叫ぶ。
 後ずさろうにも背後にも兵がいて、逃げる道はない。

「わしはなにも知らん! わしはなにもしていない! ま、魔物が出たのだろう!? さっさと倒しに行かんか、無能ども!!」

 私たちがなにか聞くよりも先に、陛下は首を振って否定する。
 それだけで、後ろめたいことがあるのは明らかだった。

「……父上」
「ひいっ!?」
「どうして部屋から出られたのです? この先に、なんの用があったというのですか?」
「へ、部屋から出たからなんだ! わしはグロワール国王だ! わしの好きにしてなにが悪い!」
「魔物の襲撃があって、一人でなにをするおつもりだったのですか」
「な、なんだっていいだろう! 誰か! 誰かこの無礼者を捕らえろ!!」

 問答はらちが明かない。
 どうしたものか、とコンラート様が苦い顔で肩を竦めた。

「口を割りそうにないな。脅すか?」

 平然と告げた言葉にぎょっとした。
 コンラート様は澄ました顔で剣に手をかける。

「仮にも国王相手にはやりにくいだろう。私ならしがらみもない。まあ、国際問題になるかもしれないが」
「いえ」

 冗談とも思えないコンラート様に首を振ると、アンリは陛下に足を向けた。
 そのまままっすぐに近づいてくるアンリに、陛下は「ひっ」と悲鳴を漏らす。
 思わず、という様子で逃げ出そうとするけれど――それよりも、アンリが陛下を捕まえる方が早かった。

「な、なにをする化け物!?」

 アンリは陛下の肩を掴むと、迷いなく彼の懐に手を入れた。
 陛下も周囲も驚く中、彼が掴みだしたのは折りたたまれたいくつかの紙切れだ。

「そ、それは……!」

 陛下は慌てて紙切れを取り返そうと手を伸ばした。
 だけどもう遅い。アンリは紙を開き、中に目を通している。

「――手紙だ。何通かあるな。内容は……離宮の構造や兵力を聞いている。見返りは離宮からの逃亡の手助け。屋上で待ち合わせていたみたいだ」

 それは明らかな魔族への内通だ。
 兵たちがざわめき、陛下が青ざめる。
 アンリはまだ、手紙をめくり続けている。

「最初の手紙は、離宮に来るよりも前に送られたものだな。どれも、魔力が込められている。……手紙を通じて、魔物を呼び寄せる魔法だ」

「差出人は誰だい?」

 動揺する兵たちの中、コンラート様が冷静に尋ねた。
 アンリは差出人名が書かれているであろう、手紙の下部に目を落とし――。

 少し、言葉をためらった。

「………………ダニエル・フロヴェール」

 ――……え。

「フロヴェール卿が、この手紙の差出人だ」

 苦々しく目を伏せ、静かに吐き出すアンリの言葉に、私はよろめいた。
 頭から血の気が引いていく。
 悪い夢でも見ているような気分だった。

 ――お父……様……。

 逃げるように足を引き、私は数歩後ずさった。
 だけど、それ以上は下がれない。
 背中がなにかにトンと触れ、誰かの手が私の肩を掴んだ。

「――グロワール国王陛下、感謝いたしましょう」

 聞こえたのは、凍るように冷たい声だった。

「勇者にして器の気を逸らし、枷を手にできたのは、すべて陛下のおかげです。――ええ、なれば約束通りに陛下を逃がして差し上げたいところですが」

 肩を掴む手は青白い。
 恐怖の予感に、私は震えながら顔を上げた。

「約束をしたのは伯爵ですので。我々魔族に守る義理はなく」

 目に映るのは、ぞっとするほどに整った仮面のような美貌。
 貴公子然とした佇まいに、私は覚えがあった。
 ……王宮で見た魔族だ。

「我々の用件は済みましたので、これにて」

 魔族はそう言うと、私でもわかるほどの魔力をたぎらせた。
 その呑まれるような魔力に、悲鳴を上げることさえできない。

「――――ま」
「枷を返してほしければ、王宮までお越しください。お待ちしておりますよ」
「待て! ミシェル!!」

 すべてが凍り付いたような静けさの中、アンリの叫び声が響く。
 私を取り返そうと必死に伸ばされた手は、だけど届かない。

 アンリの手が私を掴むよりも早く、魔族は私の体ごと、とぷりと地面に溶けて消えた。
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