上 下
62 / 76

雨が上がれば(2)

しおりを挟む
 翌朝。
 私とアンリは、フロランス様へ昨日のことを報告しに行った。

 報告の内容は、アンリが一人で出て行こうとしたこと――ではない。
 私が、求婚の話を受けたことだ。

「――ああ、良かった……アンリ、ミシェル」

 私たちの話を聞いて、フロランス様はかすかに声を震わせた。
 いつもは冷たい夜色の瞳が、今は感情に揺れている。
 それは喜びというよりも――安堵に似ていた。

「ありがとう、ミシェル」

 そう言ったのは、フロランス様がアンリと私を順に抱きしめたときだ。
 私の耳元にだけ聞こえるように、彼女は小さく、かすれた声で囁きかける。

「本当に、ありがとう。この子を引き留めてくれて……」

 幻のようにこぼれた言葉に、私ははっとした。

 もしかして――フロランス様は、ずっとアンリの心に気が付いていたのかもしれない。
 魔王のことは知らなくても、その揺れる心を見抜いていたのかもしれない。
 いつか立ち去ると決めていた、彼の決意を。

「――あなたたちの話はわかりました」

 私たちを解放すると、フロランス様は一度目元を拭い、顔を上げた。
 その顔には、すでにいつもの毅然とした表情が戻っている。
 鋭い視線に、私は思わず背筋を伸ばした。

「喜ばしい話ですが、話を進めるのはすべてが落ち着いてからです。今は王都を取り戻すのが最優先。非常事態であることを忘れてはなりません。ソレイユの援軍が来るまで、いましばらくの時間はありますが――」

 そこで言葉を区切ると、フロランス様はどこか意味深に、アンリに目を向けた。

「浮かれすぎないようになさい。最低限の節度は守るように!」

 思いがけない言葉に、思わずげほっとせき込む私の横。
 フロランス様の視線に射貫かれ、アンリはそっと目を逸らした。

 〇

「はははは! 私はこうなると思っていたよ!」

 コンラート様の反応は、フロランス様とは真逆だった。
 私たちの報告に大きく笑ってから、私とアンリを同時に抱きしめて、頭をくしゃくしゃに撫でる。

「つまりマルティナの話は継続、ミシェル君は本当に私たちの娘となるわけだ! いやあ、計画通り計画通り、これからよろしく頼むよ!」
「よろしくね、ミシェルさん。わたしたちには子供がいないから、本当に嬉しいわ」

 私をもみくちゃにするコンラート様の横で、レーア様も微笑む。
 笑顔の二人の姿に、私はしばし瞬いた。

 マルティナの計画は、私がフロヴェール家から離れられるようにと、アンリが考えていたものだ。
 すでに大臣たちにも根回しをし、正式な婚約者として周囲には伝わっている。
 コンラート様の養子であれば身分も問題なく、父も手出しができないだろう。
 アンリと結婚をするのであれば、このまま計画を進めた方がいいのは事実だ。

 でも、この計画は一時的なもののつもりでいた。
 アンリの婚約を破棄するためだけの養子の話で、無事に終わればなかったことになるのだと。

「……いいんでしょうか、私が」
「いいもなにも」

 コンラート様は笑みのまま、当たり前のようにそう言った。

「私は最初からそのつもりでいたよ。アンリやアデライトと一緒に、君も幼いころから見て来たんだ。もとから、私の子供みたいなものだ」

 コンラート様の言葉に、レーア様が頷く。

「マルティナの計画を聞いたとき、嬉しかったのよ。ミシェルさんのことはよく知っているし、わたしたちが迷うことはなかったわ。これから、いろんな服を着ましょうね」

「あ……」

 瞬いたまま、続く言葉が出なかった。
 二人の言葉が、声音が、私を見る目が――本当に歓迎してくれているのだとわかる。

 父にも、母にも、姉たちにも、今まで一言だってそんな風に言ってもらえたことがないから――。

「あらあら、ミシェルさん、大丈夫?」
「もしかして、なにかまずいことを言ってしまったかい……!?」

「い、いえ」

 うろたえる二人に、私は慌てて首を振った。
 まずいことなんてなにもない。
 私を子供みたいに思ってくれて、娘にすることを嬉しいと言ってくれて、私に笑いかけてくれる。
 そのことが、嬉しくて。

「ありがとうございます。……こちらこそ、よろしくお願いします」

 それ以上言葉を紡げず、私は目の端を押さえた。

 〇

 そして最後は――。

「ああそう、良かったわね」

 一番応援してくれていたはずのアデライトが、つん、と顔を逸らしてそう言った。

 拗ねている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「僕は病弱なので面倒な政務は全部やってね」と言う婚約者にビンタくらわした私が聖女です

リオール
恋愛
これは聖女が阿呆な婚約者(王太子)との婚約を解消して、惚れた大魔法使い(見た目若いイケメン…年齢は桁が違う)と結ばれるために奮闘する話。 でも周囲は認めてくれないし、婚約者はどこまでも阿呆だし、好きな人は塩対応だし、婚約者はやっぱり阿呆だし(二度言う) はたして聖女は自身の望みを叶えられるのだろうか? それとも聖女として辛い道を選ぶのか? ※筆者注※ 基本、コメディな雰囲気なので、苦手な方はご注意ください。 (たまにシリアスが入ります) 勢いで書き始めて、駆け足で終わってます(汗

【完結】逆行した聖女

ウミ
恋愛
 1度目の生で、取り巻き達の罪まで着せられ処刑された公爵令嬢が、逆行してやり直す。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初めて書いた作品で、色々矛盾があります。どうか寛大な心でお読みいただけるととても嬉しいですm(_ _)m

俺の婚約者は侯爵令嬢であって悪役令嬢じゃない!~お前等いい加減にしろよ!

ユウ
恋愛
伯爵家の長男エリオルは幼い頃から不遇な扱いを受けて来た。 政略結婚で結ばれた両親の間に愛はなく、愛人が正妻の扱いを受け歯がゆい思いをしながらも母の為に耐え忍んでいた。 卒業したら伯爵家を出て母と二人きりで生きて行こうと思っていたのだが… 「君を我が侯爵家の養子に迎えたい」 ある日突然、侯爵家に婿養子として入って欲しいと言われるのだった。

悪役令嬢の生産ライフ

星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。 女神『はい、あなた、転生ね』 雪『へっ?』 これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。 雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』 無事に完結しました! 続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。 よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m

義妹が勝手に嫉妬し勝手に自滅していくのですが、私は悪くありませんよね?

クレハ
恋愛
公爵家の令嬢ティアの父親が、この度平民の女性と再婚することになった。女性には連れ子であるティアと同じ年の娘がいた。同じ年の娘でありながら、育った環境は正反対の二人。あまりにも違う環境に、新しくできた義妹はティアに嫉妬し色々とやらかしていく。

継母の心得

トール
恋愛
【本編第一部完結済、2023/10/1〜第二部スタート☆書籍化 4巻発売中☆ コミカライズ連載中、2024/08/23よりコミックシーモアにて先行販売開始】 ※継母というテーマですが、ドロドロではありません。ほっこり可愛いを中心に展開されるお話ですので、ドロドロが苦手の方にもお読みいただけます。 山崎 美咲(35)は、癌治療で子供の作れない身体となった。生涯独身だと諦めていたが、やはり子供は欲しかったとじわじわ後悔が募っていく。 治療の甲斐なくこの世を去った美咲が目を覚ますと、なんと生前読んでいたマンガの世界に転生していた。 不遇な幼少期を過ごした主人公が、ライバルである皇太子とヒロインを巡り争い、最後は見事ヒロインを射止めるというテンプレもののマンガ。その不遇な幼少期で主人公を虐待する悪辣な継母がまさかの私!? 前世の記憶を取り戻したのは、主人公の父親との結婚式前日だった! 突然3才児の母親になった主人公が、良い継母になれるよう子育てに奮闘していたら、いつの間にか父子に溺愛されて……。 オタクの知識を使って、子育て頑張ります!! 子育てに関する道具が揃っていない世界で、玩具や食器、子供用品を作り出していく、オタクが行う異世界育児ファンタジー開幕です! 番外編は10/7〜別ページに移動いたしました。

[完結]気付いたらザマァしてました(お姉ちゃんと遊んでた日常報告してただけなのに)

みちこ
恋愛
お姉ちゃんの婚約者と知らないお姉さんに、大好きなお姉ちゃんとの日常を報告してただけなのにザマァしてたらしいです 顔文字があるけどウザかったらすみません

【本編完結】捨てられ聖女は契約結婚を満喫中。後悔してる?だから何?

miniko
恋愛
「孤児の癖に筆頭聖女を名乗るとは、何様のつもりだ? お前のような女は、王太子であるこの僕の婚約者として相応しくないっっ!」 私を罵った婚約者は、その腕に美しい女性を抱き寄せていた。 別に自分から筆頭聖女を名乗った事など無いのだけれど……。 夜会の最中に婚約破棄を宣言されてしまった私は、王命によって『好色侯爵』と呼ばれる男の元へ嫁ぐ事になってしまう。 しかし、夫となるはずの侯爵は、私に視線を向ける事さえせずに、こう宣った。 「王命だから仕方なく結婚するが、お前を愛する事は無い」 「気が合いますね。私も王命だから仕方無くここに来ました」 「……は?」 愛して欲しいなんて思っていなかった私は、これ幸いと自由な生活を謳歌する。 懐いてくれた可愛い義理の息子や使用人達と、毎日楽しく過ごしていると……おや? 『お前を愛する事は無い』と宣った旦那様が、仲間になりたそうにこちらを見ている!? 一方、私を捨てた元婚約者には、婚約破棄を後悔するような出来事が次々と襲い掛かっていた。 ※完結しましたが、今後も番外編を不定期で更新予定です。 ※ご都合主義な部分は、笑って許して頂けると有難いです。 ※予告無く他者視点が入ります。主人公視点は一人称、他視点は三人称で書いています。読みにくかったら申し訳ありません。 ※感想欄はネタバレ配慮をしていませんのでご注意下さい。

処理中です...