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真夜中の嵐(1)
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フロランス様の部屋を辞し、私たちはそれぞれの部屋に戻ることになった。
「お兄様もお母様もいるんだし、魔族なんて余裕よ!」
とすっかりやる気のアデライトは、「ふんす!」と荒く鼻息を吐く。
「そうだな」とアンリは宥めるでもなく苦笑して、今にも走り出しそうな彼女を止めるのは私の役目だ。
いつもと変わらないやり取りのあと、私たちは部屋の前で別れ――。
〇
私は一人、離宮の門の前を訪れていた。
空を見れば、月は頭の真上にある。
星々はまばらで、周囲はおそろしく暗い。
吹き抜ける真夜中の風は、冷たかった。
なにげなく見たフロランス様の部屋は、未だ明かりが消えていない。
私たちが出て行ったのとは入れ替わりに大臣たちが入って行ったのを見たから、きっとまだ話し合いを続けているのだろう。
――これから、どうなるのかしら。
アンリが勇者になって、魔王を倒して戻ってきたときは、やっと平和になると思っていた。
でも、聖女との婚約宣言からこっち、ずっとグロワールは騒がしいままだ。
想像もしていないことばかりが起こって、この先の未来も予想がつかない。
――早く落ち着いて、アンリが安心して暮らしていけるようになってほしいな。
門に背中を預けて、私は足で地面を蹴った。
医者に「捻挫」と言われた足は、今もまだ痛い。かかとには靴擦れができていて、痛めてない方の足まで痛かった。
――慣れない格好なんて、するものじゃないわね。
苦笑すると、私は顔を上げた。
私はマルティナにはなれない。
私が、アンリの前に立たないと。
……暗い夜の門に、近づいてくる影が見える。
「――もう、遅い時間ですよ」
私は門の前に立ち、影に向けて言った。
月明かりの下。月の光さえも避けるように、その影は暗闇の中に立っている。
風に流れる髪は、闇を透かすようだ。
太陽みたいだと思ったその姿は、今は夜の闇そのものに見えた。
「お部屋に戻りましょう――アンリ様」
「ミシェル」
私の言葉に、影が――アンリが困ったように目を細める。
「君、いつからそこで待っていたんだ」
「フロランス様のお部屋を出て、部屋に戻って着替えたあとは、ずっと」
破れたドレスを着替えて、いつもの履き慣れた靴に変え、それからすぐにここまで駆けてきた。
フロランス様の部屋を出たときには、すっかり日も暮れていたけれど――それでも、アンリを待って四、五時間くらいは経っているだろう。
「俺が来ないとは思わなかったのか?」
「……来ないなら、来ないで良かったんです」
苦笑するアンリに、私も笑うようにくしゃりと顔を歪める。
私の心配が杞憂なら、それで良かった。その方がずっと安心だった。
「でも、来ると思っていました。……離宮を出るためには、この門を通らないといけないので」
「敵わないな」
アンリは肩を竦め、私に一歩足を踏み出した。
何気ない足取りなのに、なぜだか私はぎくりとする。
威圧感とでも言うのだろうか。彼の姿に、本能的な恐怖が沸き上がる。
アンリの視線はまっすぐに私に向かっていた。
暗い瞳の奥は、見えない。
「それで、俺が来たとして――君は、一人で止められるつもりだったのか?」
ぐっと私は息を呑む。
近づいてくるアンリに、体がかすかに震えていた。
アンリは軽装だ。
動きやすい服、歩きやすい革靴。荷物はほとんどなく、腰に剣を下げているだけ。
まるで旅立つみたいな身軽な格好だけど――それでもたぶん、今の彼に敵う者はいないだろう。
人間にも、きっと魔族にも。
「……力では、止められません。でも」
「君の言葉が止めるって?」
私の声を遮り、アンリは「はっ」と鼻で笑う。
私を見る目は細められている。だけど、その表情は、笑みとはあまりにかけ離れていた。
もっと冷たく、暗い――嘲笑に似ている。
「俺にとって、君の言葉にそれほどの価値があると思うのか?」
さらに一歩、アンリの足がにじり寄る。
知らず、私は足を引いていた。肌が粟立ち、血の気が勝手に引いていく。
「君は一体、俺のなにでいるつもりなんだ」
アンリは嗤っている。
私は闇のような彼の問いに、答える言葉を持っていなかった。
「お兄様もお母様もいるんだし、魔族なんて余裕よ!」
とすっかりやる気のアデライトは、「ふんす!」と荒く鼻息を吐く。
「そうだな」とアンリは宥めるでもなく苦笑して、今にも走り出しそうな彼女を止めるのは私の役目だ。
いつもと変わらないやり取りのあと、私たちは部屋の前で別れ――。
〇
私は一人、離宮の門の前を訪れていた。
空を見れば、月は頭の真上にある。
星々はまばらで、周囲はおそろしく暗い。
吹き抜ける真夜中の風は、冷たかった。
なにげなく見たフロランス様の部屋は、未だ明かりが消えていない。
私たちが出て行ったのとは入れ替わりに大臣たちが入って行ったのを見たから、きっとまだ話し合いを続けているのだろう。
――これから、どうなるのかしら。
アンリが勇者になって、魔王を倒して戻ってきたときは、やっと平和になると思っていた。
でも、聖女との婚約宣言からこっち、ずっとグロワールは騒がしいままだ。
想像もしていないことばかりが起こって、この先の未来も予想がつかない。
――早く落ち着いて、アンリが安心して暮らしていけるようになってほしいな。
門に背中を預けて、私は足で地面を蹴った。
医者に「捻挫」と言われた足は、今もまだ痛い。かかとには靴擦れができていて、痛めてない方の足まで痛かった。
――慣れない格好なんて、するものじゃないわね。
苦笑すると、私は顔を上げた。
私はマルティナにはなれない。
私が、アンリの前に立たないと。
……暗い夜の門に、近づいてくる影が見える。
「――もう、遅い時間ですよ」
私は門の前に立ち、影に向けて言った。
月明かりの下。月の光さえも避けるように、その影は暗闇の中に立っている。
風に流れる髪は、闇を透かすようだ。
太陽みたいだと思ったその姿は、今は夜の闇そのものに見えた。
「お部屋に戻りましょう――アンリ様」
「ミシェル」
私の言葉に、影が――アンリが困ったように目を細める。
「君、いつからそこで待っていたんだ」
「フロランス様のお部屋を出て、部屋に戻って着替えたあとは、ずっと」
破れたドレスを着替えて、いつもの履き慣れた靴に変え、それからすぐにここまで駆けてきた。
フロランス様の部屋を出たときには、すっかり日も暮れていたけれど――それでも、アンリを待って四、五時間くらいは経っているだろう。
「俺が来ないとは思わなかったのか?」
「……来ないなら、来ないで良かったんです」
苦笑するアンリに、私も笑うようにくしゃりと顔を歪める。
私の心配が杞憂なら、それで良かった。その方がずっと安心だった。
「でも、来ると思っていました。……離宮を出るためには、この門を通らないといけないので」
「敵わないな」
アンリは肩を竦め、私に一歩足を踏み出した。
何気ない足取りなのに、なぜだか私はぎくりとする。
威圧感とでも言うのだろうか。彼の姿に、本能的な恐怖が沸き上がる。
アンリの視線はまっすぐに私に向かっていた。
暗い瞳の奥は、見えない。
「それで、俺が来たとして――君は、一人で止められるつもりだったのか?」
ぐっと私は息を呑む。
近づいてくるアンリに、体がかすかに震えていた。
アンリは軽装だ。
動きやすい服、歩きやすい革靴。荷物はほとんどなく、腰に剣を下げているだけ。
まるで旅立つみたいな身軽な格好だけど――それでもたぶん、今の彼に敵う者はいないだろう。
人間にも、きっと魔族にも。
「……力では、止められません。でも」
「君の言葉が止めるって?」
私の声を遮り、アンリは「はっ」と鼻で笑う。
私を見る目は細められている。だけど、その表情は、笑みとはあまりにかけ離れていた。
もっと冷たく、暗い――嘲笑に似ている。
「俺にとって、君の言葉にそれほどの価値があると思うのか?」
さらに一歩、アンリの足がにじり寄る。
知らず、私は足を引いていた。肌が粟立ち、血の気が勝手に引いていく。
「君は一体、俺のなにでいるつもりなんだ」
アンリは嗤っている。
私は闇のような彼の問いに、答える言葉を持っていなかった。
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