上 下
57 / 76

真夜中の嵐(1)

しおりを挟む
 フロランス様の部屋を辞し、私たちはそれぞれの部屋に戻ることになった。

「お兄様もお母様もいるんだし、魔族なんて余裕よ!」

 とすっかりやる気のアデライトは、「ふんす!」と荒く鼻息を吐く。
「そうだな」とアンリは宥めるでもなく苦笑して、今にも走り出しそうな彼女を止めるのは私の役目だ。

 いつもと変わらないやり取りのあと、私たちは部屋の前で別れ――。

 〇

 私は一人、離宮の門の前を訪れていた。

 空を見れば、月は頭の真上にある。
 星々はまばらで、周囲はおそろしく暗い。
 吹き抜ける真夜中の風は、冷たかった。

 なにげなく見たフロランス様の部屋は、未だ明かりが消えていない。
 私たちが出て行ったのとは入れ替わりに大臣たちが入って行ったのを見たから、きっとまだ話し合いを続けているのだろう。

 ――これから、どうなるのかしら。

 アンリが勇者になって、魔王を倒して戻ってきたときは、やっと平和になると思っていた。
 でも、聖女との婚約宣言からこっち、ずっとグロワールは騒がしいままだ。
 想像もしていないことばかりが起こって、この先の未来も予想がつかない。

 ――早く落ち着いて、アンリが安心して暮らしていけるようになってほしいな。

 門に背中を預けて、私は足で地面を蹴った。
 医者に「捻挫」と言われた足は、今もまだ痛い。かかとには靴擦れができていて、痛めてない方の足まで痛かった。

 ――慣れない格好なんて、するものじゃないわね。

 苦笑すると、私は顔を上げた。

 私はマルティナにはなれない。
 ミシェルが、アンリの前に立たないと。

 ……暗い夜の門に、近づいてくる影が見える。



「――もう、遅い時間ですよ」

 私は門の前に立ち、影に向けて言った。
 月明かりの下。月の光さえも避けるように、その影は暗闇の中に立っている。

 風に流れる髪は、闇を透かすようだ。
 太陽みたいだと思ったその姿は、今は夜の闇そのものに見えた。

「お部屋に戻りましょう――アンリ様」
「ミシェル」

 私の言葉に、影が――アンリが困ったように目を細める。

「君、いつからそこで待っていたんだ」
「フロランス様のお部屋を出て、部屋に戻って着替えたあとは、ずっと」

 破れたドレスを着替えて、いつもの履き慣れた靴に変え、それからすぐにここまで駆けてきた。
 フロランス様の部屋を出たときには、すっかり日も暮れていたけれど――それでも、アンリを待って四、五時間くらいは経っているだろう。

「俺が来ないとは思わなかったのか?」
「……来ないなら、来ないで良かったんです」

 苦笑するアンリに、私も笑うようにくしゃりと顔を歪める。
 私の心配が杞憂なら、それで良かった。その方がずっと安心だった。

「でも、来ると思っていました。……離宮を出るためには、この門を通らないといけないので」
「敵わないな」

 アンリは肩を竦め、私に一歩足を踏み出した。
 何気ない足取りなのに、なぜだか私はぎくりとする。
 威圧感とでも言うのだろうか。彼の姿に、本能的な恐怖が沸き上がる。

 アンリの視線はまっすぐに私に向かっていた。
 暗い瞳の奥は、見えない。

「それで、俺が来たとして――君は、一人で止められるつもりだったのか?」

 ぐっと私は息を呑む。
 近づいてくるアンリに、体がかすかに震えていた。

 アンリは軽装だ。
 動きやすい服、歩きやすい革靴。荷物はほとんどなく、腰に剣を下げているだけ。
 まるで旅立つみたいな身軽な格好だけど――それでもたぶん、今の彼に敵う者はいないだろう。
 人間にも、きっと魔族にも。

「……力では、止められません。でも」
「君の言葉が止めるって?」

 私の声を遮り、アンリは「はっ」と鼻で笑う。
 私を見る目は細められている。だけど、その表情は、笑みとはあまりにかけ離れていた。

 もっと冷たく、暗い――嘲笑に似ている。

「俺にとって、君の言葉にそれほどの価値があると思うのか?」

 さらに一歩、アンリの足がにじり寄る。
 知らず、私は足を引いていた。肌が粟立ち、血の気が勝手に引いていく。

「君は一体、俺のなにでいるつもりなんだ」

 アンリは嗤っている。
 私は闇のような彼の問いに、答える言葉を持っていなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「僕は病弱なので面倒な政務は全部やってね」と言う婚約者にビンタくらわした私が聖女です

リオール
恋愛
これは聖女が阿呆な婚約者(王太子)との婚約を解消して、惚れた大魔法使い(見た目若いイケメン…年齢は桁が違う)と結ばれるために奮闘する話。 でも周囲は認めてくれないし、婚約者はどこまでも阿呆だし、好きな人は塩対応だし、婚約者はやっぱり阿呆だし(二度言う) はたして聖女は自身の望みを叶えられるのだろうか? それとも聖女として辛い道を選ぶのか? ※筆者注※ 基本、コメディな雰囲気なので、苦手な方はご注意ください。 (たまにシリアスが入ります) 勢いで書き始めて、駆け足で終わってます(汗

【完結】逆行した聖女

ウミ
恋愛
 1度目の生で、取り巻き達の罪まで着せられ処刑された公爵令嬢が、逆行してやり直す。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初めて書いた作品で、色々矛盾があります。どうか寛大な心でお読みいただけるととても嬉しいですm(_ _)m

俺の婚約者は侯爵令嬢であって悪役令嬢じゃない!~お前等いい加減にしろよ!

ユウ
恋愛
伯爵家の長男エリオルは幼い頃から不遇な扱いを受けて来た。 政略結婚で結ばれた両親の間に愛はなく、愛人が正妻の扱いを受け歯がゆい思いをしながらも母の為に耐え忍んでいた。 卒業したら伯爵家を出て母と二人きりで生きて行こうと思っていたのだが… 「君を我が侯爵家の養子に迎えたい」 ある日突然、侯爵家に婿養子として入って欲しいと言われるのだった。

悪役令嬢の生産ライフ

星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。 女神『はい、あなた、転生ね』 雪『へっ?』 これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。 雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』 無事に完結しました! 続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。 よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m

義妹が勝手に嫉妬し勝手に自滅していくのですが、私は悪くありませんよね?

クレハ
恋愛
公爵家の令嬢ティアの父親が、この度平民の女性と再婚することになった。女性には連れ子であるティアと同じ年の娘がいた。同じ年の娘でありながら、育った環境は正反対の二人。あまりにも違う環境に、新しくできた義妹はティアに嫉妬し色々とやらかしていく。

継母の心得

トール
恋愛
【本編第一部完結済、2023/10/1〜第二部スタート☆書籍化 4巻発売中☆ コミカライズ連載中、2024/08/23よりコミックシーモアにて先行販売開始】 ※継母というテーマですが、ドロドロではありません。ほっこり可愛いを中心に展開されるお話ですので、ドロドロが苦手の方にもお読みいただけます。 山崎 美咲(35)は、癌治療で子供の作れない身体となった。生涯独身だと諦めていたが、やはり子供は欲しかったとじわじわ後悔が募っていく。 治療の甲斐なくこの世を去った美咲が目を覚ますと、なんと生前読んでいたマンガの世界に転生していた。 不遇な幼少期を過ごした主人公が、ライバルである皇太子とヒロインを巡り争い、最後は見事ヒロインを射止めるというテンプレもののマンガ。その不遇な幼少期で主人公を虐待する悪辣な継母がまさかの私!? 前世の記憶を取り戻したのは、主人公の父親との結婚式前日だった! 突然3才児の母親になった主人公が、良い継母になれるよう子育てに奮闘していたら、いつの間にか父子に溺愛されて……。 オタクの知識を使って、子育て頑張ります!! 子育てに関する道具が揃っていない世界で、玩具や食器、子供用品を作り出していく、オタクが行う異世界育児ファンタジー開幕です! 番外編は10/7〜別ページに移動いたしました。

[完結]気付いたらザマァしてました(お姉ちゃんと遊んでた日常報告してただけなのに)

みちこ
恋愛
お姉ちゃんの婚約者と知らないお姉さんに、大好きなお姉ちゃんとの日常を報告してただけなのにザマァしてたらしいです 顔文字があるけどウザかったらすみません

【本編完結】捨てられ聖女は契約結婚を満喫中。後悔してる?だから何?

miniko
恋愛
「孤児の癖に筆頭聖女を名乗るとは、何様のつもりだ? お前のような女は、王太子であるこの僕の婚約者として相応しくないっっ!」 私を罵った婚約者は、その腕に美しい女性を抱き寄せていた。 別に自分から筆頭聖女を名乗った事など無いのだけれど……。 夜会の最中に婚約破棄を宣言されてしまった私は、王命によって『好色侯爵』と呼ばれる男の元へ嫁ぐ事になってしまう。 しかし、夫となるはずの侯爵は、私に視線を向ける事さえせずに、こう宣った。 「王命だから仕方なく結婚するが、お前を愛する事は無い」 「気が合いますね。私も王命だから仕方無くここに来ました」 「……は?」 愛して欲しいなんて思っていなかった私は、これ幸いと自由な生活を謳歌する。 懐いてくれた可愛い義理の息子や使用人達と、毎日楽しく過ごしていると……おや? 『お前を愛する事は無い』と宣った旦那様が、仲間になりたそうにこちらを見ている!? 一方、私を捨てた元婚約者には、婚約破棄を後悔するような出来事が次々と襲い掛かっていた。 ※完結しましたが、今後も番外編を不定期で更新予定です。 ※ご都合主義な部分は、笑って許して頂けると有難いです。 ※予告無く他者視点が入ります。主人公視点は一人称、他視点は三人称で書いています。読みにくかったら申し訳ありません。 ※感想欄はネタバレ配慮をしていませんのでご注意下さい。

処理中です...