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王妃の反旗(5)
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「アンリ……様……?」
苦しげなアンリの笑みに、私は呆けたように瞬いた。
私を抱く手は強く、今は顔を合わせたまま、身じろぎもできない。
アンリからの次の言葉はなく、私は居心地の悪さに目を伏せた。
「う、受け入れるって、二年前のあの話のことでしょうか? あの、結婚しようという、その……」
視線を落とせば、そのままアンリの体が見える。
腰に回る強い腕、私を抱き留める胸。その近さに気が付いて、改めて動揺してしまう。
「それでしたら、アンリ様ご自身が『求婚はなかったことに』とおっしゃいましたので――――アンリ様、その、少し距離が近くて……」
離してもらえませんか――と言いながら、私はアンリの胸を押し返す。が、彼の体はびくともしない。
それどころか逆に私の腕を掴まれ、ますます距離が近くなる。
「……なかったことにしなかったら、ミシェルは俺の求めに応えてくれるのか?」
ぐっと顔を寄せられ、私は息を呑む。
繊細なアンリの美貌に影が落ち、奇妙な凄みがあった。
まっすぐに彼の姿を見ていられない。
「で、ですが、『資格がない』と。『近寄らないでくれ』ともおっしゃっていました。それに、ずっと私を避けていたから…………誰か、好きな方ができたのかと」
「まさか。――たしかに君を避けてはいたけど、それは別の理由からだ」
「別の理由? ……でも、それならオレリア様は」
自分で言ってから、私は少し後悔する。
アデライトから、『聖女オレリアとアンリの間には絆がある』と聞いたばかりだ。
そうでなければ、魔王は倒せない――と。
実際の魔王退治の詳細は知らないが、こういうときのアデライトの言うことは信頼できる。
アンリが無事に帰って来たということは、つまり――――。
「オレリア?」
と思う私の前で、アンリは顔をしかめる。
訝しそうに――というよりも、むしろ少しばかり苦々しそうな表情で、彼は一つため息を吐いた。
「俺と彼女は、旅の仲間以上の関係はない。たしかに、俺と彼女をそういう関係にしたい人間も多いし、…………彼女の方も、なんというか、話が噛み合わないことがあるが」
そう言ってから、アンリは気持ちを切り替えるように頭を振った。
再び私を見つめ直し、息を吸い――断固とした声で、こう続ける。
「誤解されるようなことはなにもない。俺が好きなのは、ずっと君だけだ」
真剣な声で、真剣な目で、彼は逃げようのない言葉を告げる。
静かで暗い地下の中。私から視線をそらさないまま、返ってくる言葉を待っている。
――アンリ。
痛いくらいの沈黙の中、私は再びうつむいた。
アンリの顔を見ていられない。でも。
――ちゃんと言わないといけないわ。
どんなに言いたくない言葉でも、私の答えは決まっているのだから。
「…………私は、従者ですから」
ぽつりとした声が、私の口から出る。
顔を上げられない私には、アンリがどんな表情をしているのかわからない。わからなくてよかった、とも思う。
「アンリ様の優しさで、ここにいることを許された身ですから。……私には、アンリ様の傍に立つ資格がありません。きっと、もっとアンリ様に相応しい、素敵な人がいるはずです」
アンリのためにどんなことでもする覚悟はあるけれど、それはあくまで彼の従者としてのこと。
だってアンリはこの国の王子で、世界を救った偉大な勇者だ。
罪人の娘である私が、彼の隣に立つわけにはいかないのだ。
私の存在が、アンリの名誉を貶めるなんてことは、あってはならないのだ。
「…………君はそう言うと思っていたよ」
唇を噛む私に、アンリは苦笑めいた息を吐き出した。
私の手首を離し、腰に回した腕を解き、代わりに肩を掴んでぐっと引き離す。
「『アンリ様の優しさ』……か」
そう言って、アンリはかすかに口元を曲げる。
やけに自嘲めいた表情で――彼はようやく、私から目を逸らした。
「……俺はきっと、君が思うほど優しい男ではないよ」
ぽつりとつぶやいた言葉の真意は、今の私にはわからなかった。
苦しげなアンリの笑みに、私は呆けたように瞬いた。
私を抱く手は強く、今は顔を合わせたまま、身じろぎもできない。
アンリからの次の言葉はなく、私は居心地の悪さに目を伏せた。
「う、受け入れるって、二年前のあの話のことでしょうか? あの、結婚しようという、その……」
視線を落とせば、そのままアンリの体が見える。
腰に回る強い腕、私を抱き留める胸。その近さに気が付いて、改めて動揺してしまう。
「それでしたら、アンリ様ご自身が『求婚はなかったことに』とおっしゃいましたので――――アンリ様、その、少し距離が近くて……」
離してもらえませんか――と言いながら、私はアンリの胸を押し返す。が、彼の体はびくともしない。
それどころか逆に私の腕を掴まれ、ますます距離が近くなる。
「……なかったことにしなかったら、ミシェルは俺の求めに応えてくれるのか?」
ぐっと顔を寄せられ、私は息を呑む。
繊細なアンリの美貌に影が落ち、奇妙な凄みがあった。
まっすぐに彼の姿を見ていられない。
「で、ですが、『資格がない』と。『近寄らないでくれ』ともおっしゃっていました。それに、ずっと私を避けていたから…………誰か、好きな方ができたのかと」
「まさか。――たしかに君を避けてはいたけど、それは別の理由からだ」
「別の理由? ……でも、それならオレリア様は」
自分で言ってから、私は少し後悔する。
アデライトから、『聖女オレリアとアンリの間には絆がある』と聞いたばかりだ。
そうでなければ、魔王は倒せない――と。
実際の魔王退治の詳細は知らないが、こういうときのアデライトの言うことは信頼できる。
アンリが無事に帰って来たということは、つまり――――。
「オレリア?」
と思う私の前で、アンリは顔をしかめる。
訝しそうに――というよりも、むしろ少しばかり苦々しそうな表情で、彼は一つため息を吐いた。
「俺と彼女は、旅の仲間以上の関係はない。たしかに、俺と彼女をそういう関係にしたい人間も多いし、…………彼女の方も、なんというか、話が噛み合わないことがあるが」
そう言ってから、アンリは気持ちを切り替えるように頭を振った。
再び私を見つめ直し、息を吸い――断固とした声で、こう続ける。
「誤解されるようなことはなにもない。俺が好きなのは、ずっと君だけだ」
真剣な声で、真剣な目で、彼は逃げようのない言葉を告げる。
静かで暗い地下の中。私から視線をそらさないまま、返ってくる言葉を待っている。
――アンリ。
痛いくらいの沈黙の中、私は再びうつむいた。
アンリの顔を見ていられない。でも。
――ちゃんと言わないといけないわ。
どんなに言いたくない言葉でも、私の答えは決まっているのだから。
「…………私は、従者ですから」
ぽつりとした声が、私の口から出る。
顔を上げられない私には、アンリがどんな表情をしているのかわからない。わからなくてよかった、とも思う。
「アンリ様の優しさで、ここにいることを許された身ですから。……私には、アンリ様の傍に立つ資格がありません。きっと、もっとアンリ様に相応しい、素敵な人がいるはずです」
アンリのためにどんなことでもする覚悟はあるけれど、それはあくまで彼の従者としてのこと。
だってアンリはこの国の王子で、世界を救った偉大な勇者だ。
罪人の娘である私が、彼の隣に立つわけにはいかないのだ。
私の存在が、アンリの名誉を貶めるなんてことは、あってはならないのだ。
「…………君はそう言うと思っていたよ」
唇を噛む私に、アンリは苦笑めいた息を吐き出した。
私の手首を離し、腰に回した腕を解き、代わりに肩を掴んでぐっと引き離す。
「『アンリ様の優しさ』……か」
そう言って、アンリはかすかに口元を曲げる。
やけに自嘲めいた表情で――彼はようやく、私から目を逸らした。
「……俺はきっと、君が思うほど優しい男ではないよ」
ぽつりとつぶやいた言葉の真意は、今の私にはわからなかった。
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