上 下
22 / 76

王妃の反旗(5)

しおりを挟む
「アンリ……様……?」

 苦しげなアンリの笑みに、私は呆けたように瞬いた。
 私を抱く手は強く、今は顔を合わせたまま、身じろぎもできない。
 アンリからの次の言葉はなく、私は居心地の悪さに目を伏せた。

「う、受け入れるって、二年前のあの話のことでしょうか? あの、結婚しようという、その……」

 視線を落とせば、そのままアンリの体が見える。
 腰に回る強い腕、私を抱き留める胸。その近さに気が付いて、改めて動揺してしまう。

「それでしたら、アンリ様ご自身が『求婚はなかったことに』とおっしゃいましたので――――アンリ様、その、少し距離が近くて……」

 離してもらえませんか――と言いながら、私はアンリの胸を押し返す。が、彼の体はびくともしない。
 それどころか逆に私の腕を掴まれ、ますます距離が近くなる。

「……なかったことにしなかったら、ミシェルは俺の求めに応えてくれるのか?」

 ぐっと顔を寄せられ、私は息を呑む。
 繊細なアンリの美貌に影が落ち、奇妙な凄みがあった。
 まっすぐに彼の姿を見ていられない。

「で、ですが、『資格がない』と。『近寄らないでくれ』ともおっしゃっていました。それに、ずっと私を避けていたから…………誰か、好きな方ができたのかと」
「まさか。――たしかに君を避けてはいたけど、それは別の理由からだ」
「別の理由? ……でも、それならオレリア様は」

 自分で言ってから、私は少し後悔する。
 アデライトから、『聖女オレリアとアンリの間には絆がある』と聞いたばかりだ。
 そうでなければ、魔王は倒せない――と。

 実際の魔王退治の詳細は知らないが、こういうときのアデライトの言うことは信頼できる。
 アンリが無事に帰って来たということは、つまり――――。

「オレリア?」

 と思う私の前で、アンリは顔をしかめる。
 訝しそうに――というよりも、むしろ少しばかり苦々しそうな表情で、彼は一つため息を吐いた。

「俺と彼女は、旅の仲間以上の関係はない。たしかに、俺と彼女をそういう関係にしたい人間も多いし、…………彼女の方も、なんというか、話が噛み合わないことがあるが」

 そう言ってから、アンリは気持ちを切り替えるように頭を振った。
 再び私を見つめ直し、息を吸い――断固とした声で、こう続ける。

「誤解されるようなことはなにもない。俺が好きなのは、ずっと君だけだ」

 真剣な声で、真剣な目で、彼は逃げようのない言葉を告げる。
 静かで暗い地下の中。私から視線をそらさないまま、返ってくる言葉を待っている。

 ――アンリ。

 痛いくらいの沈黙の中、私は再びうつむいた。
 アンリの顔を見ていられない。でも。

 ――ちゃんと言わないといけないわ。

 どんなに言いたくない言葉でも、私の答えは決まっているのだから。

「…………私は、従者ですから」

 ぽつりとした声が、私の口から出る。
 顔を上げられない私には、アンリがどんな表情をしているのかわからない。わからなくてよかった、とも思う。

「アンリ様の優しさで、ここにいることを許された身ですから。……私には、アンリ様の傍に立つ資格がありません。きっと、もっとアンリ様に相応しい、素敵な人がいるはずです」

 アンリのためにどんなことでもする覚悟はあるけれど、それはあくまで彼の従者としてのこと。

 だってアンリはこの国の王子で、世界を救った偉大な勇者だ。
 罪人の娘である私が、彼の隣に立つわけにはいかないのだ。
 私の存在が、アンリの名誉を貶めるなんてことは、あってはならないのだ。

「…………君はそう言うと思っていたよ」

 唇を噛む私に、アンリは苦笑めいた息を吐き出した。
 私の手首を離し、腰に回した腕を解き、代わりに肩を掴んでぐっと引き離す。

「『アンリ様の優しさ』……か」

 そう言って、アンリはかすかに口元を曲げる。
 やけに自嘲めいた表情で――彼はようやく、私から目を逸らした。

「……俺はきっと、君が思うほど優しい男ではないよ」

 ぽつりとつぶやいた言葉の真意は、今の私にはわからなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ

水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。 ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。 なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。 アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。 ※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います ☆HOTランキング20位(2021.6.21) 感謝です*.* HOTランキング5位(2021.6.22)

悪役令嬢の居場所。

葉叶
恋愛
私だけの居場所。 他の誰かの代わりとかじゃなく 私だけの場所 私はそんな居場所が欲しい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※誤字脱字等あれば遠慮なく言ってください。 ※感想はしっかりニヤニヤしながら読ませて頂いています。 ※こんな話が見たいよ!等のリクエストも歓迎してます。 ※完結しました!番外編執筆中です。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m

悪役令嬢、第四王子と結婚します!

水魔沙希
恋愛
私・フローディア・フランソワーズには前世の記憶があります。定番の乙女ゲームの悪役転生というものです。私に残された道はただ一つ。破滅フラグを立てない事!それには、手っ取り早く同じく悪役キャラになってしまう第四王子を何とかして、私の手中にして、シナリオブレイクします! 小説家になろう様にも、書き起こしております。

派手好きで高慢な悪役令嬢に転生しましたが、バッドエンドは嫌なので地味に謙虚に生きていきたい。

木山楽斗
恋愛
私は、恋愛シミュレーションゲーム『Magical stories』の悪役令嬢アルフィアに生まれ変わった。 彼女は、派手好きで高慢な公爵令嬢である。その性格故に、ゲームの主人公を虐めて、最終的には罪を暴かれ罰を受けるのが、彼女という人間だ。 当然のことながら、私はそんな悲惨な末路を迎えたくはない。 私は、ゲームの中でアルフィアが取った行動を取らなければ、そういう末路を迎えないのではないかと考えた。 だが、それを実行するには一つ問題がある。それは、私が『Magical stories』の一つのルートしかプレイしていないということだ。 そのため、アルフィアがどういう行動を取って、罰を受けることになるのか、完全に理解している訳ではなかった。プレイしていたルートはわかるが、それ以外はよくわからない。それが、私の今の状態だったのだ。 だが、ただ一つわかっていることはあった。それは、アルフィアの性格だ。 彼女は、派手好きで高慢な公爵令嬢である。それならば、彼女のような性格にならなければいいのではないだろうか。 そう考えた私は、地味に謙虚に生きていくことにした。そうすることで、悲惨な末路が避けられると思ったからだ。

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。

木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。 彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。 こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。 だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。 そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。 そんな私に、解放される日がやって来た。 それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。 全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。 私は、自由を得たのである。 その自由を謳歌しながら、私は思っていた。 悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

プロローグでケリをつけた乙女ゲームに、悪役令嬢は必要ない(と思いたい)

犬野きらり
恋愛
私、ミルフィーナ・ダルンは侯爵令嬢で二年前にこの世界が乙女ゲームと気づき本当にヒロインがいるか確認して、私は覚悟を決めた。 『ヒロインをゲーム本編に出さない。プロローグでケリをつける』 ヒロインは、お父様の再婚相手の連れ子な義妹、特に何もされていないが、今後が大変そうだからひとまず、ごめんなさい。プロローグは肩慣らし程度の攻略対象者の義兄。わかっていれば対応はできます。 まず乙女ゲームって一人の女の子が何人も男性を攻略出来ること自体、あり得ないのよ。ヒロインは天然だから気づかない、嘘、嘘。わかってて敢えてやってるからね、男落とし、それで成り上がってますから。 みんなに現実見せて、納得してもらう。揚げ足、ご都合に変換発言なんて上等!ヒロインと一緒の生活は、少しの発言でも悪役令嬢発言多々ありらしく、私も危ない。ごめんね、ヒロインさん、そんな理由で強制退去です。 でもこのゲーム退屈で途中でやめたから、その続き知りません。

婚約破棄された令嬢が呆然としてる間に、周囲の人達が王子を論破してくれました

マーサ
恋愛
国王在位15年を祝うパーティの場で、第1王子であるアルベールから婚約破棄を宣告された侯爵令嬢オルタンス。 真意を問いただそうとした瞬間、隣国の王太子や第2王子、学友たちまでアルベールに反論し始め、オルタンスが一言も話さないまま事態は収束に向かっていく…。

処理中です...