44 / 46
43 諸刃の刃(クラウス視点)
しおりを挟む
「どうして私が後継者なのでしょう」
旦那さまと御前さまの帰りを待ちながら、居間でくつろぐカリーナさまが、ふとつぶやいた。もうすぐ時刻は22時を過ぎようとしていた。そろそろ旦那さまもご帰宅になるだろう。私は暇つぶしがてら、カリーナさまの疑問につき合うことにした。
「それは、カリーナさまがカーマクゥラを受け継ぐに相応しい識見をお持ちだからでは?」
だがカリーナさまは納得しない。
「御前さまは、ことあるごとに私を後継者だと公言してらっしゃるし、後継者としての正しいありかたをご教授くださいます。だけれど、御前さまの年齢で、後継者問題をお考えになるのは、少し早すぎるのではなくって?」
「それは、しかし御前さまもいずれ、他家に嫁ぐこともありましょうし」
「他家に嫁いでもカーマクゥラの活動は継続できるでしょう。できないような家には、そもそも嫁がないでしょうね」
「フーム」
だとしたら、不吉な想像に身を委ねるしかない。人間はいつなんどき、不幸に見舞われるかもしれないから。万が一のときのために、後継者を指名しておく。トップに身を置くものとして、当然の配慮だ。そのことを指摘すると、カリーナさまはうなずいた。
「だから、どうして私なのかという疑問につながるのです。なぜなら、私のほうが御前さまよりも年長で、自然の法則にまかせれば、私のほうが御前さまよりも早くに亡くなる道理でしょう」
「…しかし、カリーナさまとてまだ20歳。いま御前さまが後事を託しえる人物として、カリーナさまは最年少なのでは?」
そのときカリーナさまは、はぁっと盛大なため息を吐いた。
「理屈ではそうなのでしょう。だからこれは、予感めいたことになるのですけれど━━御前さまが後継指名を急がれるのは、自分の命数が長くないことを知っているからではなくって?」
「まさかっ」
「私には常々、御前さまが死にいそがれているように思われてならないのです。あるいは御前さまは、ご自身が身じまいをされるために、後継者を選んだのでは━━」
「おやめください、カリーナさまっ」
私が思わず叫んだのは、カリーナさまの言葉の中に、納得できるものが潜んでいたからではなかったか。ゆえに私は、否定せずにはいられなかった。
「御前さまは思慮深いお方。後継指名は組織として当然のことをしているだけで、他意などあろうはずがないっ」
「そう、ですわね…」
無理やり自分を納得させようとしているカリーナさまの様子に、私は苛立った。理屈でいえば私のほうが正しいのに、どうしてカリーナさまは素直に納得しないのだろう。そして━━どうして私はこんなに不安を感じているのだろうか。
そのとき、居間の窓が大きな物音をたてて開いた。そこに立っているのはフリッツだった。
「おい、なにをしている。窓から入ってくるなど、剣呑な」
「クラウスどの、それどころじゃない。御前さまが倒れられた」
「なにっ」
いましがた不吉な話をしていたばかりだったために、その凶報は私の心胆を寒からしめた。
「いまグレッツナー家の執事が、御前さまをお連れして屋敷に戻ってくる。コンラートさまは憲兵隊から事情聴取を受けている」
「な、なにがあった!」
青ざめているカリーナさまに代わって、私はフリッツを問いつめた。するとフリッツは、力なく首を横に振る。
「俺には━━御前さまがラングハイム公を挑発しているように見えた」
「おい、なぜそこでラングハイム公の名前が出る?」
「面と向かってあれほどの侮辱を受けたのだ。ただでは済まないのはわかっていた。御前さまは自ら、ラングハイム公に殺されようとしたのだ!」
「そんな、馬鹿な」
頭がクラクラした。フリッツが何を言っているのかまるでわからない。フリッツの気が変になったのではないかと疑ったほどだ。
「そもそも御前さまは俺に、護衛を外れるように指示していた。皇宮の中は安全だと、裏影が皇宮に侵入するのは不敬だとおっしゃられて」
「それでおまえ、護衛を外したのかっ」
「まさか。御前さまに気づかれぬよう、パーティーホールに着いていったさ。でなければ、ことの次第を知っているわけがないだろう」
それもそうだ。すると御前さまは━━
「侮辱されたラングハイム公は、叫び声をあげて発狂した━━悲惨なものだ。ひと目もはばからず失禁し、天井を見つめて薄ら笑いを浮かべるありさまだった。それを見た御前さまは、その場にへたりこんで呆然となり、やがて駆けつけたグレッツナー家の執事に抱かれて、気を失ってしまわれたのだ」
いつも冷静なフリッツが、血の気を失っている。カリーナさまも同様だった。だが私には成すべき役割がある。
「事情はわかった。とにかく私は旦那さまをお迎えにあがる。いざとなれば帝室にも圧力をかけて、今晩のうちに旦那さまを連れ戻す」
憲兵ごときがグレッツナー伯爵を拘禁するなど、思いあがりもはなはだしい。身の程知らずというものだった。カーマクゥラを舐めてもらっては困る。
だがフリッツの反応はにぶい。
「なあクラウスどの、俺は気を失う前の御前さまのつぶやき声が耳から離れんよ」
━━アタシは人を傷つけることしかできない。
フリッツはそう聞いたというのだ。
「俺たちは御前さまの刃として、カーマクゥラを鋭く、より鋭く研ぎ澄ましてきた。だがそれは、諸刃の刃だったんじゃないか?カーマクゥラが誰かを傷つけるたび、御前さまのお心もまた、傷ついてきたんじゃないのか?」
だとしたら、俺は。フリッツはそれきり、黙り込んでしまった。しかし、だとしてもこのまま旦那さまを放っておくわけにはいかない。御前さまとて、この場にいれば旦那さまを救おうとしたはずだ。
「憲兵総監はネルリンガー侯爵だったな。フリッツ、いますぐ情報を寄越せ」
「だが…」
「安心しろ、鞭はふるわない。利権をあたえて買収する」
私はフリッツから情報を仕入れて、皇宮へ急いだ。いまはとにかく、旦那さまを救うことだ。他にはなにも考えたくない。
それが現実逃避であることは、理解していたとしても。
旦那さまと御前さまの帰りを待ちながら、居間でくつろぐカリーナさまが、ふとつぶやいた。もうすぐ時刻は22時を過ぎようとしていた。そろそろ旦那さまもご帰宅になるだろう。私は暇つぶしがてら、カリーナさまの疑問につき合うことにした。
「それは、カリーナさまがカーマクゥラを受け継ぐに相応しい識見をお持ちだからでは?」
だがカリーナさまは納得しない。
「御前さまは、ことあるごとに私を後継者だと公言してらっしゃるし、後継者としての正しいありかたをご教授くださいます。だけれど、御前さまの年齢で、後継者問題をお考えになるのは、少し早すぎるのではなくって?」
「それは、しかし御前さまもいずれ、他家に嫁ぐこともありましょうし」
「他家に嫁いでもカーマクゥラの活動は継続できるでしょう。できないような家には、そもそも嫁がないでしょうね」
「フーム」
だとしたら、不吉な想像に身を委ねるしかない。人間はいつなんどき、不幸に見舞われるかもしれないから。万が一のときのために、後継者を指名しておく。トップに身を置くものとして、当然の配慮だ。そのことを指摘すると、カリーナさまはうなずいた。
「だから、どうして私なのかという疑問につながるのです。なぜなら、私のほうが御前さまよりも年長で、自然の法則にまかせれば、私のほうが御前さまよりも早くに亡くなる道理でしょう」
「…しかし、カリーナさまとてまだ20歳。いま御前さまが後事を託しえる人物として、カリーナさまは最年少なのでは?」
そのときカリーナさまは、はぁっと盛大なため息を吐いた。
「理屈ではそうなのでしょう。だからこれは、予感めいたことになるのですけれど━━御前さまが後継指名を急がれるのは、自分の命数が長くないことを知っているからではなくって?」
「まさかっ」
「私には常々、御前さまが死にいそがれているように思われてならないのです。あるいは御前さまは、ご自身が身じまいをされるために、後継者を選んだのでは━━」
「おやめください、カリーナさまっ」
私が思わず叫んだのは、カリーナさまの言葉の中に、納得できるものが潜んでいたからではなかったか。ゆえに私は、否定せずにはいられなかった。
「御前さまは思慮深いお方。後継指名は組織として当然のことをしているだけで、他意などあろうはずがないっ」
「そう、ですわね…」
無理やり自分を納得させようとしているカリーナさまの様子に、私は苛立った。理屈でいえば私のほうが正しいのに、どうしてカリーナさまは素直に納得しないのだろう。そして━━どうして私はこんなに不安を感じているのだろうか。
そのとき、居間の窓が大きな物音をたてて開いた。そこに立っているのはフリッツだった。
「おい、なにをしている。窓から入ってくるなど、剣呑な」
「クラウスどの、それどころじゃない。御前さまが倒れられた」
「なにっ」
いましがた不吉な話をしていたばかりだったために、その凶報は私の心胆を寒からしめた。
「いまグレッツナー家の執事が、御前さまをお連れして屋敷に戻ってくる。コンラートさまは憲兵隊から事情聴取を受けている」
「な、なにがあった!」
青ざめているカリーナさまに代わって、私はフリッツを問いつめた。するとフリッツは、力なく首を横に振る。
「俺には━━御前さまがラングハイム公を挑発しているように見えた」
「おい、なぜそこでラングハイム公の名前が出る?」
「面と向かってあれほどの侮辱を受けたのだ。ただでは済まないのはわかっていた。御前さまは自ら、ラングハイム公に殺されようとしたのだ!」
「そんな、馬鹿な」
頭がクラクラした。フリッツが何を言っているのかまるでわからない。フリッツの気が変になったのではないかと疑ったほどだ。
「そもそも御前さまは俺に、護衛を外れるように指示していた。皇宮の中は安全だと、裏影が皇宮に侵入するのは不敬だとおっしゃられて」
「それでおまえ、護衛を外したのかっ」
「まさか。御前さまに気づかれぬよう、パーティーホールに着いていったさ。でなければ、ことの次第を知っているわけがないだろう」
それもそうだ。すると御前さまは━━
「侮辱されたラングハイム公は、叫び声をあげて発狂した━━悲惨なものだ。ひと目もはばからず失禁し、天井を見つめて薄ら笑いを浮かべるありさまだった。それを見た御前さまは、その場にへたりこんで呆然となり、やがて駆けつけたグレッツナー家の執事に抱かれて、気を失ってしまわれたのだ」
いつも冷静なフリッツが、血の気を失っている。カリーナさまも同様だった。だが私には成すべき役割がある。
「事情はわかった。とにかく私は旦那さまをお迎えにあがる。いざとなれば帝室にも圧力をかけて、今晩のうちに旦那さまを連れ戻す」
憲兵ごときがグレッツナー伯爵を拘禁するなど、思いあがりもはなはだしい。身の程知らずというものだった。カーマクゥラを舐めてもらっては困る。
だがフリッツの反応はにぶい。
「なあクラウスどの、俺は気を失う前の御前さまのつぶやき声が耳から離れんよ」
━━アタシは人を傷つけることしかできない。
フリッツはそう聞いたというのだ。
「俺たちは御前さまの刃として、カーマクゥラを鋭く、より鋭く研ぎ澄ましてきた。だがそれは、諸刃の刃だったんじゃないか?カーマクゥラが誰かを傷つけるたび、御前さまのお心もまた、傷ついてきたんじゃないのか?」
だとしたら、俺は。フリッツはそれきり、黙り込んでしまった。しかし、だとしてもこのまま旦那さまを放っておくわけにはいかない。御前さまとて、この場にいれば旦那さまを救おうとしたはずだ。
「憲兵総監はネルリンガー侯爵だったな。フリッツ、いますぐ情報を寄越せ」
「だが…」
「安心しろ、鞭はふるわない。利権をあたえて買収する」
私はフリッツから情報を仕入れて、皇宮へ急いだ。いまはとにかく、旦那さまを救うことだ。他にはなにも考えたくない。
それが現実逃避であることは、理解していたとしても。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
冒険者ギルドで軽視された少女の台頭
vllam40591
ファンタジー
冒険者ギルドで軽視され、雑用係として扱われていた少女が、実は特殊な能力を秘めていたことが判明する。彼女の能力は、他の冒険者たちが太刀打ちできない強大な魔物を倒すのに不可欠だった。彼女の真価が明らかになるにつれ、かつて彼女を蔑んでいた者たちは、彼女の力に頼らざるを得なくなる。
運命のαを揶揄う人妻Ωをわからせセックスで種付け♡
山海 光
BL
※オメガバース
【独身α×βの夫を持つ人妻Ω】
βの夫を持つ人妻の亮(りょう)は生粋のΩ。フェロモン制御剤で本能を押えつけ、平凡なβの男と結婚した。
幸せな結婚生活の中、同じマンションに住むαの彰(しょう)を運命の番と知らずからかっていると、彰は我慢の限界に達してしまう。
※前戯なし無理やり性行為からの快楽堕ち
※最初受けが助けてって喘ぐので無理やり表現が苦手な方はオススメしない
寝込みを襲われて、快楽堕ち♡
すももゆず
BL
R18短編です。
とある夜に目を覚ましたら、寝込みを襲われていた。
2022.10.2 追記
完結の予定でしたが、続きができたので公開しました。たくさん読んでいただいてありがとうございます。
更新頻度は遅めですが、もう少し続けられそうなので連載中のままにさせていただきます。
※pixiv、ムーンライトノベルズ(1話のみ)でも公開中。
今世ではあなたと結婚なんてお断りです!
水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。
正確には、夫とその愛人である私の親友に。
夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。
もう二度とあんな目に遭いたくない。
今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。
あなたの人生なんて知ったことではないけれど、
破滅するまで見守ってさしあげますわ!
「霊感がある」
やなぎ怜
ホラー
「わたし霊感があるんだ」――中学時代についたささいな嘘がきっかけとなり、元同級生からオカルトな相談を受けたフリーターの主人公。霊感なんてないし、オカルトなんて信じてない。それでもどこかで見たお祓いの真似ごとをしたところ、元同級生の悩みを解決してしまう。以来、ぽつぽつとその手の相談ごとを持ち込まれるようになり、いつの間にやら霊能力者として知られるように。謝礼金に目がくらみ、霊能力者の真似ごとをし続けていた主人公だったが、ある依頼でひと目見て「ヤバイ」と感じる事態に直面し――。
※性的表現あり。習作。荒唐無稽なエロ小説です。潮吹き、小スカ/失禁、淫語あり(その他の要素はタグをご覧ください)。なぜか丸く収まってハピエン(主人公視点)に着地します。
※他投稿サイトにも掲載。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる