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33 血塗られた道

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 突然停まった馬車の周囲で、うめき声が連鎖していた。アタシゃ思わず外に飛び出そうとしたんだけど、同乗していたクラウスとフーゴにとめられた。

「外は危のうございます」

 訳知り顔で言うクラウスを、アタシはにらんだ。

「どういうことだい」

「現在、御前さまはお命を狙われております。ですから以前よりご忠告申し上げていたのです。警護の人数を増やされますようにと」

「ほお、ずいぶん落ち着いてるじゃないか。まるでこの襲撃を知っていたみたいだねえ」

 イヤミを含めて言ってやると、クラウスは心苦しそうに頭を下げる。

「…はい、承知しておりました。フリッツより報告があがっておりましたゆえ」

「知っていて未然に防ごうとしなかったのかい」

「御前さまは、御身がどれほど危険な状況にあるか、ことのご認識が甘すぎます。護衛はフーゴひとり。ましてカーマクゥラの御前の名で屋敷をかまえるなど。これでは命を狙ってくれと言わんばかり。それゆえ現在の状況を、身をもって体験していただきたく━━」

 フーム、ようやくアタシも命を狙われる立場になったというわけかい。正直、遅すぎたくらいだねえ。一帯一路が完成してすでに半年。アタシゃ暗殺者を今か今かと待ちわびてたんだけどね。

 しかしクラウスの心配性め。

「アンタも偉くなったもんだねえ、クラウス。で呼ばれるようになると、主人に忠告するやり口もずいぶん辛くなるじゃないか。しかもアタシに黙って、裏影を護衛につけるたぁ、勝手が過ぎるんじゃないかい?」

 1年ほど前だったか、アタシはクラウスを褒めた。海路の開拓にあたって、港の拡張資金を見事に集めてみせた辣腕らつわんぶりをたたえたのさ。以来クラウスは『辣腕』の二つ名で呼ばれることとなる。今じゃ鎌倉の御前を知るものは、みな『辣腕』の名も知っているくらいだ。

 だけどだからといって、クラウスの忠誠心に陰りがみえたわけじゃない。それを示すように、クラウスは懐から短剣を取り出した。

「勝手をいたしましたこと、わが命をもって謝罪いたしますっ」

「すぐに死のうとするんじゃないよっ」

 こういう行動はまったく改善がみられない。というか、全体的に以前にもまして酷くなっている気がする。馬車の外から女の声が聞こえた。「御前に逆らうものに死を」だとさ。こりゃほとんど宗教じみてるねえ。ぞっとするほどの忠誠心だ。もしかして裏影の構成員の年俸を3倍にしたせいだろうか。

「御前さま、片づきましてございます」

 耳元でフリッツの声がした。言われてアタシは馬車を降りようとした。

「御前さまっ、軽率でございます。まだ暗殺者どもの残党が残っておるやもしれず…」

 フーゴにとめられて、アタシは鼻で笑った。

「アンタはまだわかっちゃいないようだね。フリッツが片づいたと言ったんだ。危険なんざあるわきゃないだろ」

 そのへんのことがキチンとわかっているんだろう、さすがにクラウスは泰然としている。実際、馬車を降りるとアタシの周囲をぐるりと黒装束の獣人たちが固めていた。安全にもほどがあるってもんさ。

 あたりを見渡すと、死体が4つ転がっていた。いずれ暗殺を生業とする悪人なんだろうけど、こいつらを悪人というなら、アタシだって同類さ。どんな事情があるにせよ、裏家業に手を出した時点で言い訳はきかない。大勢に護ってもらう価値なんざありゃしない。

「全員殺したのかい?」

「はっ、始末し終えてございます」

 足元にかしずいたフリッツが答える。となると、暗殺を依頼したヤツの正体はわからない…。

「こやつらの雇い主はノイマイヤー侯爵にございます。かの領は南東海路の発展で製糖産業に打撃を受けておりますゆえ、そのことが不満だったものかと」

 なるほど、そこまで調査済みだったから、全員殺したのかい。しかし、ノイマイヤーか。海路発展の裏に鎌倉の御前がいることをつきとめた手腕は評価できるんだがねえ。アタシひとりを殺して、万事が安直に片づくと考えたのは早計さ。すでに『鎌倉』はアタシ抜きでも回るように体制が整っている。

「ノイマイヤーをりますか?」

 フリッツに言われて、アタシはため息をついた。

「脅しで十分だろ。この暗殺者どもの死体を、ノイマイヤー侯の寝室にでもほうり込んでおきな。それでヤツも理解するだろう」

「はっ」

 フリッツが頭を下げたそのときだ。

「ワタシは許せない、です」

 おずおずと、黒装束の少女が言った。手には弓をもっているから、たぶん護衛団のひとりなんだろうけど、ずいぶん幼いねぇ。まだ子どもだ。すると珍しくフリッツがあわてる。

「ミア、御前さまの前だぞ。ひかえろっ」

「でもっ、ノイマイヤー、御前さまの命を狙った。ワタシ、許せない、です」

「どういうことだい、フリッツ」

 アタシは女の子を無視して、フリッツに訊ねる。とたんにフリッツの顔が青ざめた。

「も、もうしわけございませんっ。こやつはまだ幼いゆえ、どうか口ごたえにはおめこぼしのほどを…」

「そうじゃない。どうしてこんな子どもをアタシの護衛につけたのかって聞いてるんだ。護衛をするとなりゃ、危険もともなうし、だいたい、こんな子どもに人殺しの技を教えるたあ、いったいどういう了見だっ」

 ピシャリと言うと、フリッツがぶるぶる震えだした。「申し訳ございません」を繰り返し、しまいにゃ、短剣を取りだして「死んでお詫びを」とか言い出す。いつものことだ。

「死んで済むなら警察はいらないんだよっ」

「…ケイ、ザーツ?」

「妙なところに食いつくんじゃないっ。フリッツ、アンタともあろうものが、幼子を裏影にいれるだなんて、何か事情があるなら言ってみな」

 少し語調をやわらげると、ようやくフリッツは語りだした。

 ミアという少女は、そもそも里でいちばんの弓の名手だったらしい。10歳の頃にはどんな大人も勝てないほど、強く正確な射撃をおこなったという。身体能力もバツグンで、本人が望むなら、成人を待って裏影に所属させることを考えていたらしい。

 ところがフリッツが今回、アタシに対する暗殺計画をつかみ、護衛団の人選を行っていると、ミアは護衛団入りを強く志願した。とはいえミアは11歳の子どもだ。はじめはフリッツも拒んでいたんだが、ミアはゴネにゴネて、しまいには「御前さまの御恩に報いることができないなら、生きている甲斐がない」と言って、死のうとまでしたという。

 それで仕方なく、連れてきたってのが事情らしい。アタシゃため息をついたねえ。

「ミア、こっちにきな」

 アタシが手招きをすると、獣耳の少女はフリッツの隣にひざまずいた。だけどフリッツと違って、隠しきれない喜びが尻尾にでている。犬みたいにブンブン尻尾をふってるんだ。

「…ああ、アンタはあのときの」

 その顔立ちに、思い出したことがある。丸く大きな目に、琥珀色の髪。アタシがはじめて獣人集落を訪ねたとき、フーゴが殴った幼子だ。あれからもう5年近くにもなるかねえ。この子もずいぶん大きくなった。

「御前さまっ、ワタシを覚えてる、ですか?」

「詫びに飴玉をやった子だろ。あのときはすまなかったねえ」

 卑屈にならない程度にアタシが謝ると、ミアはボロボロと涙をこぼし、ブンブンと首を横に振り、ついでに尻尾もふりまわし、挙げ句の果には━━

「み、ミア、おまえっ」

 ━━フリッツが慌ててるんで、なにごとかとミアを仔細に見ると、少女の足元に水たまりが広がりつつあった。嬉ションだね…。獣人に向かって言いたくはないけど、こりゃ完全に犬だね。

「御前さまっ、ワタシの神様、ですっ。御前さまの敵は、ワタシが全部殺す、です。裏影は神罰のダイコーシャっ」

 目尻に嬉し涙を浮かべて尻尾を振っているミアを見ていると、アタシはなにも言えなくなっちまった。ふだんいったい何を教えてるんだ、とフリッツをにらむと、フリッツは力なく首を横に振った。どうやらミアの狂的な信仰心は、彼女のオリジナル宗教らしい。

 アタシは天を仰いでため息をついた。

 今日、アタシのためにはじめての死者が出た。そしてひとりの少女の人生が狂った。アタシゃ何を思えばいいんだろう。アタシという存在に対して、どう解釈をつけるべきなんだろうか。

 いずれにしろ、すでにアタシが歩いてきた道には、幾十もの屍が転がっている。今生のアタシも結局のところ、前世の延長線上にしか存在しえないということなんだろう。だけど。

 すでに舞台はととのった。一帯一路は成り、グレッツナー家を支えるべき人材もそろっている。だとしたら、アタシが成すべきことはひとつしかない。

 ふりかえればそこに、フリッツがいて、クラウスがいて、フーゴがいる。グレッツナー家の屋敷では、伯爵夫人になったカリーナがアタシの帰りを待っている。そして━━もうすぐアタシは15歳になる。
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