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25 麒麟児

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 ショックをうけて、ほとんど気絶しているクラウスを尻目に、アタシはなんとか軌道修正を図ろうとしていた。このさい誤解を解くどころじゃないよ、カリーナは

 そもそも女ってのは、勘の鋭い生き物さ。だけどたいていの場合、それ以上のものでありえない。性別っていうのはよくできていて、女には女の得意な分野、男には男に長じた才がある。ところが時々、その両方の長所をもつ人間が存在する。たぶん、カリーナがそれだ。

 女の勘に、男の論理的思考━━。

 鎌倉の御前の正体を隠そうと思うなら、カリーナには近づかない方がいい。けど今日のところは、アタシがカリーナを屋敷に招いた手前、逃げ出すわけにはいかない。だとしたら、無難な話題に終始しようじゃないか。貴族令嬢のおしゃべりといったら、お茶とお花とお菓子、ドレスに宝石にロマンス小説だ。

「か、カリーナさまのお召し物は、素敵な藍染ですのね」

 を聞いて「あらあらまあまあ」と戸惑っていたカリーナだったが、アタシがドレスの話題に水を向けると、ニコリと微笑んだ。

「ええ、このドレスは絹ですの。お父様のすすめであがないまして。私、恥ずかしながら絹のドレスを手に入れたのは初めてなんです」

 アスペルマイヤー家はにわかに景気が良くなったからねえ。綿のドレスも絹に出世したというわけだ。しかし、絹、絹か…。

「…絹糸の産地といえば東のミュンヒハウゼン領が有名ですが、やはり東方の気候風土が、養蚕に向いているのでしょうか」

 ━━言ってから、アタシは自分の失敗に気づいた。せっかく無難にドレスの話題をふったのに、ドレスのデザインじゃなく、素材のことに言及するだなんて、まったく貴族令嬢らしくない。そもそも、こんな問いには、カリーナだって答えようがないだろう。

 ところがだ。

「どうでしょう。たとえば桑の木はアスペルマイヤー領にも生えておりますけれど、蚕の生育環境として、気候が整っているのかといわれれば…」

 カリーナの回答に、アタシは瞠目した。この娘は…。

「カリーナさまは、他のご令嬢がたとは違っているようですね。ふつう、絹という繊維は知っていても、それが蚕という虫の繭だとは知りません。ましてや蚕の食べるものが桑の葉だなんて、貴族令嬢は知るはずもないでしょうね」

「…たしかに、言われてみればそうかもしれません。私は変わり者だと言われることがしばしばあります。ですが自分が着ているドレスが、どういった材料でできているのか、みんなは気にならないものでしょうか」

 気にならないだろうさ、脳みそが花畑の貴族令嬢は。

 この時点で、アタシはカリーナを無難にやり過ごすことをやめた。この娘は特別だ。特別な生き物だ。アタシはカリーナが欲しくてたまらなくなってしまった。

「カリーナさまは、アスペルマイヤー領で養蚕を始めようとは思わなかったのですか?」

 アタシが訊ねると、カリーナは少し考え込んだあと━━

「…たしかに産業の育成が必要かもしれません。いま、アスペルマイヤー領には国軍が駐留し、領内が活気づいていますが、軍需産業以外に外貨を得る手段をもたなければ、いずれ国軍がふたたび駐留地を移したとき、アスペルマイヤー領は困窮することにもなりかねませんわね」

 ━━と言った。

「素晴らしいわ!カリーナさまはアスペルマイヤー伯が生み出した、生涯最高の傑作です。これほどの宝なればこそ、伯はお家の運命をかけてカリーナさまを守ろうとしたのでしょう」

 アタシゃ、もう手を叩いて大笑いしたもんだ。対してカリーナはキョトンとしている。どうやら自覚がないらしい。だけどね、これだけの識見をもっていること自体、貴族社会においては奇跡に近いんだ。少なくともカリーナの父親であるフンベルト・フォン・アスペルマイヤーは、これほど聡くなかった。

 間違いない、軍事工場をアスペルマイヤー領に建設せしめたのは、カリーナさ。決断したのは領主であるフンベルトかもしれないが、決断させたのはカリーナだろう。カリーナの無自覚な発言は、アスペルマイヤー家の家中において、重きをなしているに違いない。そりゃ、そうだろ。

 実質100歳を越えているアタシと違って、カリーナは弱冠18歳。それも経済が未発達の世界で育った18歳だ。それが、フンベルトから軍事工場の話を聞いて、有益であると判断した。この娘は天才だ。フンベルトにゃもったいないくらいの器量人さ。

 こうなったら、どうしてもカリーナが欲しい。

 アタシは手を叩いた。

「クラウス、お兄様を呼んできなさい!ボーっとしてないで、早く!」



「おお、これはカリーナ嬢、ご挨拶が遅れましたな」

 呼ばれてやってきたコンラートは、人の良さそうな笑みを浮かべていた。そのコンラートと、後ろにひかえたクラウスの間で、カリーナの視線がせわしなく往復している。

 ああ、そういえばカリーナは誤解したまんまだったね。道ならぬ主従の恋、とか考えているんだろう。かすかに頬が赤らんでさえいる。

「では、ゆっくりしていってください」

 あいさつだけして立ち去ろうとするコンラートを、アタシは呼び止める。

「ちょっと、お兄様。もう少し話していかれませんこと?」

「あ、いや…。せっかく歳の近いふたりなんだから、私は邪魔かと思ってね」

「そんなに遠慮がちなことでどうします!お兄様ははや三十路にさしかかり、結婚を急がなければならない身の上。せっかく年頃のカリーナさまがいらしているというのに、食らいついていかないことには…」

「ハンナ、お前は何を言い出すんだ!」

 慌てるコンラートの手を引っ張って、無理やりソファに座らせる。これがいちばん手っ取り早いのさ━━カリーナをアタシのものにするにゃあ。

 カリーナはコンラートのことを憎からず思っているし、コンラートだって、カリーナなら不満はないだろ。なにせカリーナは完璧だ。帝国三大美人で性格が良くて頭が良い。頭の良い女が苦手な男もいるんだろうが、コンラートの場合は問題ない。領地経営に口を出して、しかも成功している妹を見て、嫉妬もせずに平然としている男だからね。つまらないプライドなんかもちあわせてないんだろう。

 だったらこの良縁を、アタシがまとめてやろうじゃないか。

「そういえばカリーナさまは18歳でしたね。もう社交界デビューはお済みでしょう。お気に召した男性はいらして?」

「…ハンナさま、私、社交界デビューはしていませんわ」

「えっ、でも」

「アスペルマイヤー家が豊かになったのは最近のことですもの。ふつう伯爵家は、娘を社交界デビューなんかさせません。社交界で出会った男性と恋愛結婚するだなんて、大貴族だけに許された贅沢ですわ」

 生まれた娘をいちいち社交界デビューさせていたら、伯爵家の財政規模では、すぐに破産してしまう、とカリーナは言う。言われてみればそうかもしれないね。グレッツナー家はアタシひとりを社交界デビューさせるのに四苦八苦していたんだ。じゃあたとえば娘が3人生まれた伯爵家はどうなるんだって話さ。

 だけどだとしたら、こりゃアタシがコンラートから聞いていた話とはずいぶん違うねえ。

 鋭い視線をコンラートに突き刺さしてやると、蛇ににらまれたカエルみたいに縮こまっている。それでもアタシは言わずにはいられなかった。

「お兄様、貴族令嬢は全員が社交界デビューするんだと、私はお兄様から教わりましたが?」

「いや、それは…」

「私の社交界デビューにそなえるために、お金を貯めなければいけないと、この数年、グレッツナー家は奮闘してきたのですよ?」

 カリーナの話が本当なら、伯爵令嬢が社交界デビューするってのは、貧乏人が子どもを私立の小中高大一貫校に入学させるようなモンだ。無理をするほどのことじゃなかったんだよ。公立の学校だってあるんだから。それなのに━━。

「お兄様は、ご自分の結婚まで犠牲にしたわ。お金が足らないからといって、ずっと縁談を断ってきたことを、私が知らないとでも思っているのですか!」

 こんな、こんなくだらないことのために。

「私の自由のために、お兄様は自分ひとり犠牲になるおつもりだったのですか!」

 結婚と子づくりは貴族の義務だ。血統を遺し、地位を継承させていくってことだからね。こんなグレッツナー家でも、700年以上続いてきた帝国貴族の一員なんだよ。その誇りは、コンラートの中にも確かにあったはずなんだ。だけど700年の伝統よりも、アタシの幸福をコンラートは選んだ。伯爵家を断絶させる汚名をかぶってでも、アタシに自由を与えようとした。

 こみあげてくるものを必死でこらえているアタシの目の前で、コンラートの唇がふるえる。

「わ、私はお前がグレッツナー家にきてくれたことが嬉しくて、その、お前に後悔してほしくなかったのだ。私の妹になったことを後悔してほしくなかった」

「だから与えられるものをすべて与えてきたというわけですか。優先順位を見誤るんじゃないよ!」

「ハンナ、お客様の前で大きな声を…」

「知ったこっちゃないよ、このバカ!」

 なんだか胸が詰まってしまって、アタシはそれ以上何も言えずにサロンを飛び出した。

 これほど惜しげもなく、すべてを与えられたのはいつぶりだろう。もしかしたら、初めての経験だったかもしれないね。前世の両親でさえ、夫でさえ、自分の地位や生活を犠牲にしてまでアタシに与えようとはしなかった。

 アタシゃわかっていたようでわかっていなかった。コンラートのバカさ加減を見誤っていた。あいつの人の良さは底が抜けていて、それから溢れ出した優しさが、あいつに関わった者すべてを優しく包み込む。

 コンラートのために命をかけてもいい、アタシゃそう考えていたはずなんだけどね。そんな覚悟は、屁にもならなかった。

 これだけの恩を返す手段を、アタシは知らない。
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