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11 鎌倉の御前(シェーンハイト視点)
しおりを挟むウイスキー。それは貴族の口にしかはいらないと言われる高級酒の代名詞だ。なにせビールのような安酒と違い、手間暇もかかれば熟成に時間もかかる。よく熟成されたウイスキーは珍重され、貴族社会では目の飛び出るような高値で取引されている。
グレッツナー家ごとき小領主と商談するためにやってきて、その名を聞こうとは思いもかけなかった。それにしてもこの『カーマクゥラの御前』というのはどういった人物なのだ。いや、いまはそんなことよりも。
「金を出すのか出さないのか、どっちなんだい?」
瀟洒な木彫をあしらったついたての向こうから落ち着いた声が聞こえた。そうだ、今は利益を計算しなければ。ウイスキーの相場は…。500ヘイノールの畑から、どれくらいのウイスキーが生み出されるのか…。少なく見積もって…。
年、30億ゴールド⁉
まさか、なにかの間違いでは?いや、そもそもこんな馬鹿げた量のウイスキーが市場に出回ったことがないのだ。実現すればとんでもないことになる…。
「さ、参考までにお伺いしたく…」
「なんだい」
「グレッツナー領というのは、そのう、ウイスキーの製造に向いた気候風土なのでしょうか」
「おや、商談するためにやってきて、グレッツナー領のことを知らないんだねえ」
ぐうっ。
反論のしようもなかった。相手がたかが伯爵家だと飲んでかかった私の失態だ。帝都三大商会に数えられるシェーンハイトのトップである私ともあろうものが。顔が熱い。たぶん赤くなっているのだろう。部屋が暗くて助かった。いや。
たぶんカーマクゥラの御前には、すべて見透かされていることだろう。
「いいかい、グレッツナー領はカルネー山脈の麓にあり、水利豊か。山際には清らかな湧水あり、ウイスキー樽を作るためのオーク材もあり。まさにウイスキーの名産地となるべくして生まれた領地さ」
「な、なるほど」
水か。そうだ、酒を作るには何よりまず水が大事。となれば御前の言うとおり、気候風土は整っていると見るべき。
「アタシゃ、中途半端な商品を作るつもりはないよ。品質を妥協しないさ」
「伝統という付加価値がないぶん、中身で勝負を、ということでございますな」
「よくわかってるじゃないか」
私の言を肯定しつつ、御前はコロコロと笑った。まるで童女のような声だ。だがこれほどの商才、童女であるはずがない。魔法で声色を変えているのか?それに加えて、はすっぱな娼婦のような口調。真に娼婦か。いや、女であるという証拠もない。下町の出身ならば、男性でこのような口調もありえる。
ことさら童女の声を用いるのは、正体を隠さんとする意図からだろう。そう考えると、口調まで計算づくで喋っているとしか思われぬ。私はまったく、御前に惑わされっぱなしだった。
「ついでに言やあ、オタクが300億も出してくれたら、醸造所をもう2軒建てて畑も大きくできる。5倍は出荷できるだろうねえ」
5倍…!
つまりそのぶん、値段は下げられる。大量に出荷されるからには、貴族社会の外でも出回るかもしれない。いや間違いなく出回るだろう。たとえは、歓楽街の高級クラブ。商家の贈答品。子爵や男爵などの下級貴族。どれほどの規模の市場になる?計算が追いつかない。
小麦なら小麦。綿花なら綿花。原料のままだったら計算は楽だったのだ。商人は原料を右から左に流すだけで利益があがる。だが、加工することで原料の価値はハネが上がる…。
「さて、時間は有限さ。シェーンハイト商会、そろそろ勘定は終わったかい?」
御前の声でハッとした。迷うことなどもはや何もなかった。
「…300億ゴールド、出資させていただきたく思います」
「醸造所の職人の手配も頼めるかい?」
「もちろんでございます」
ふと気づけば、ついたてのそばで家宰のクラウスどのが茫然自失になっている。金額の大きさに驚愕しつつも、おそらくまだ、ピンときていないのだろう。だがこれから、グレッツナー家は年々空前の利益をたたき出すことになる。そう思うとクラウスどのの姿が妙に可笑しかった。
「さて、300億となると利息の計算はどうなるだろうね」
「そのことでございますが、シェーンハイト商会といたしましては、300億ゴールド、無利子にて出資いたしたく」
「はうっ」
クラウスどのが水揚げされたマグロのようにビクンとはねた。ますます可笑しい。
ついたての奥で御前が身じろぎをした気配があった。おそらくは交渉はこれからだと考えているのだろう。実際にそうだ。ここまでは単に、わがシェーンハイト商会が御前の思惑にのせられただけのこと。
「ほう、無利子でね。となるとシェーンハイト商会はどうやって利益を得るつもりかねえ」
「グレッツナー産ウイスキーの取引を独占させていただければと」
私が提案すると、すこし間があいた。
「いつまでだい?」
「期間を区切られるおつもりで?」
「そりゃそうさ、グレッツナー家としても、良い条件を出す相手と取引したいからねえ」
「これは弱りましたな」
くそっ、ここでデカい魚を逃してたまるか。意地でもくらいついてやる。
「出資額を返済するまでは独占させてやってもいいがねえ」
「たった5年でございますか。それはいささか、欲が勝ちすぎてございます」
5年と言うが、ウイスキーが出来るまでに3年はかかる。実際に取引をはじめてから、シェーンハイト商会が独占できる期間は2年でしかない。ましてウイスキーは熟成させてからのほうが値が上がる。そうなってから独占権を失ったのでは、美味いところを取り逃がしたに等しい。
だが私の必死さをあざ笑うように、御前は言う。
「欲をかいてるのはアンタのほうさ、マルコ・シェーンハイト。いまの条件だって、シェーンハイト商会はずいぶん儲かるはずさね」
「しかし出資金の額に比して、利益が薄すぎます」
これは嘘だ。御前の言うとおり、5年の独占権でも、出資額に見合った利益は出るだろう。だが自分が商人として欲をかきすぎているとは思わない。この商談はまだ食らいついていける段階にある。
「もう少しうまみがほしい、か」
そうだ、もう少しうまみがほしい。すべて御前の言うとおりだ。なにもかも御前に読まれているのだろう。まるで手のひらのうえで踊らされている気分だ。よし、こうなったらいくらでも踊ってやる。御前が満足するまでいくらでも。
だからもっと利益をよこせ。
「ならこういうのはどうだい」
願いが通じた。御前がなにやら、あらたな提案をもちかけてくる。私はゴクリと生唾を飲んで、御前の言葉を待つ。
「シェーンハイト商会に、グレッツナー領における免税特権を与えよう」
「なんですと!」
「おや、気に入らないのかい?」
「いえ、そんな、まさか。そのう、免税というのは、シェーンハイト商会が扱うすべての荷について、でございますか?」
「すべての荷と人にかかる税を免除する」
とてつもない提案だった。いったいそれがどれほどの利益になるやら、検討もつかない。第一に、シェーンハイト商会がグレッツナー領に持ちこむ商品は、すべて他の商会よりも安く売れる。第二にシェーンハイト商会がグレッツナー領から持ちだした商品は、すべて他の商会よりも安く売れる。もちろんウイスキーもだ。
これはウイスキーの独占権を得ているに等しい。
「それは、その、無期限で?」
「もちろんさ。この条件で承知するかい?」
「承知いたしますとも。ええ、300億が500億でも、無利子にて出資いたします!」
「そんなにはいらないよ」
御前がコロコロと笑う。なんという好条件だろうか。グレッツナー産ウイスキーがいずれ莫大な利益をあげるとはいえ、気前が良いにもほどがある。カーマクゥラの御前は、商人を手懐ける呼吸がわかっているのだ。
ここで条件を渋られていたら、私はたぶん、御前のこともグレッツナー領のことも、単なるいち取引相手としか見なかっただろう。
だがいまやグレッツナー領はシェーンハイトにとって特別だ。特別になってしまった。これから先、御前やグレッツナー伯爵が無理を言ったとしても、少々の融通は利かせてしまうだろう。
シェーンハイト商会はグレッツナー領に義理ができてしまった。それにしても。
いまからウイスキーが出荷される2年後が楽しみだ。私の心は未来の夢でワクワクと弾んでいた。
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