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10 琥珀の雫

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 シェーンハイト商会との交渉にのぞんで、アタシは徹底的に自分の正体を隠すことにした。その理由を大雑把にまとめると、グレッツナー家を守るためだ。

 これからアタシは、なにかと悪目立ちすることになる。これはもう確定なんだ。せいぜい姿を隠すようにはするけれど、肝心の交渉や会議には出席せざるをえないからね。確実に目立っちまうだろう。

 だけどアタシは爵位をもつ貴族じゃないし、女だ。この世界は、女が権力を持つことに寛容じゃない。つまり、アタシがグレッツナー家で辣腕をふるっていることを、権力をもつ人間に知られると、一方的に潰されちまうんだ。

 アタシひとりが暗殺されて終わるならそれもいいんだが、たぶんグレッツナー家も巻き添えを喰らうだろう。そうした面倒ごとを避けて、グレッツナー家を豊かにするためには、正体を隠すのがいちばんさ。いまからアタシは、グレッツナー家とは無関係の、いち協力者として活動していく。

 マルコ・シェーンハイトが来訪するまでに、アタシは木彫をあしらったアンティークなついたての後ろに隠れ、部屋を暗くした。ついでに香も焚いておく。ロウソク明かりの中でゆらゆらと揺れる香の煙。怪しさだけはバツグンってところだ。

 しばらくして入室してきたシェーンハイトは、室内の異様な雰囲気に度肝を抜かれた様子だった。

「あちらには高貴な御方がひかえておられます」

 アタシの隠れているついたてを指して、クラウスが説明した。ついたてのすきまからは室内が見通せる。シェーンハイトが首をひねっているのが見えた。

「高貴な方、とおっしゃられますと、グレッツナー伯爵さまではございませんので?」

「伯爵からこの交渉を委任された御方でございます」

 シェーンハイトはなおも怪訝そうにしている。そして彼は当然の質問をした。

「差し支えなければご芳名などをお教え願えませんでしょうか」

 これにはクラウスも困ったようだ。クラウスには、アタシの正体を隠すとしか説明してないからねえ。アタシはホウとため息をついた。

「悪いが名前は明かせないよ」

「はあ、それではなんとお呼びすればよろしいですか?せめて偽名などお名乗りいただくわけにはまいりませんか」

 困惑混じりにシェーンハイトは言う。さて、どうしたものかね。こういう黒幕ってやつは、西洋じゃ『灰色の枢機卿』なんて呼ばれるみたいだが、あいにくアタシは日本人だし、この世界には枢機卿という身分はない。だとしたら。

「…そうだね『鎌倉の御前』とでも呼んでおくれよ」

「カーマクゥラ…。なにやら不思議な響きですな」

 シェーンハイトはひどく発音しづらそうに、何度か鎌倉とつぶやいた。

 昔から日本では、政財界の黒幕は、鎌倉に住んでいると相場が決まってるんだ。それで『鎌倉の老人』とか『鎌倉のあの男』とか『鎌倉御前』とか呼ばれるんだよ。アタシゃ鎌倉に住んだことはないけど。

「それで?アンタたちは開拓事業に金を出すってことでいいのかい?」

 キリがないから、アタシは本題を切り出した。シェーンハイトがおずおずと席につき、ロウソク明かりの下で書類をめくりだす。

「左様でございます。可能な限りの支援をさせていただきます」

 あいまいな言い方だ。「可能な限り」という但し書きがついてる以上、無制限に出資することは断るという意味だろう。だけどシェーンハイトの言葉の裏がわからなかったらしいクラウスは、顔面に喜色を浮かべている。のんきなやつだ。

 アタシはクラウスを無視してシェーンハイトに訊ねる。

「どのくらい出せるんだい?」

「事業内容にもよります」

「開拓地に植える作物しだいだね?」

「左様で」

「グレッツナー家は麦を植えようかと考えてる」

「…麦ですか」

 シェーンハイトの瞳がギラリと光った。

「それでしたら50億ゴールドでいかがでしよう」

 とたんにクラウスの鼻息が荒くなった。充分すぎる投資額だからね。興奮を隠しきれないわけだ。だけどアタシは不足を感じた。

「グレッツナー家としては同意しかねるねえ」

「は、それではいかほどお望みでしょうか」

「最低でも150億ゴールドだね」

 シェーンハイトが目をみはった。そのあと嫌な薄笑みを浮かべてついたてを見据える。

「…御前さま、失礼ですがあなたは相場というものをご存知ないとみえる」

「なんの相場だい?」

「開拓工事にかかる費用の相場でございますよ。工事期間は半年。規模は500ヘイノール。この程度の開拓にかかる費用は、せいぜい30億ゴールドでございます」

 まったくシェーンハイトの言うとおりさ。その程度の試算は、クラウスですらやってのけている。アタシが知らないわきゃないさね。

「そこを150億出せと言ってるのさ」

「…御前さまはグレッツナー家の返済能力をどのようにお考えで?」

「そうさね、150億が利息をつけて160億か。5年と言いたいところだが、10年はかかるとみたほうがいいかもしれないね」

 とたんにシェーンハイトが笑いだした。

「利息の率にも不満はありますが…、まあそれは置くとしても、グレッツナー家が160億を10年で返済できるとは、私にはとうてい思えませんな。ゼロがひとつ足らないのでは?」

 ゼロひとつ、つまり100年か。

「100年も待ってたらシェーンハイト商会が干上がっちまうよ?いいのかい?」

「よくはありません。ですから申し上げています。50億しか出せませぬ。それでもおそらく、返済に50年はかかりましょう」

「ずいぶんな言いようじゃないか。アタシの勘定では、160億を10年で返済できるんだがね。欲を言やあオタクが300億出してくれりゃ、確実に5年で完済できる」

「これは…どうも、御前さまは小麦の取引相場をずいぶん高くかっておられますようで」

 もはやシェーンハイトは小馬鹿にした態度を隠すつもりもないらしい。ソファにふんぞり返ってしきりに首をふっている。

 だからアタシも負けじと笑い飛ばしてやった。

「マルコ・シェーンハイトともあろうものが、コイツはどういう間違いだい?アタシがいつ、開拓地に小麦を植えるだなんて言ったね」

 それでシェーンハイトはカチンときたらしい。語気を荒げて反駁する。

「し、しかしあなたは確かに麦を植えると」

「麦とは言ったが小麦だなんて言っちゃいないよ。いいかい、耳の穴ァかっぽじって、よーく聞きな。グレッツナー領の開拓地に植える作物はね、麦は麦でも大麦さ!」

「大麦ですと!」

「そうさ。作物を植えるための開拓に30億、醸造所の建設と設備投資に30億、職人の招聘に10億、商品ができるまで職人や百姓に賃金を保証するために80億。これ以上はビタ一文まからないよ」

「すると、その商品というのは…」

「琥珀の雫さ」

「ウイスキー…!」


 ぐうっと唸り声をあげてシェーンハイトは黙り込んだ。
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