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本章

Episode22/決心

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 あれから不破と身体を重ねることはない。
 プロジェクトに追われる不破が目に見えて忙しいのもそうだが、あかりも本田のヘルプに回ることが増えて自身の抱える仕事と追われることになる。仕事が忙しいと気持ちが紛れていい、そう思うのに、ふとしたときに襲ってくる寂しさがたまらなかった。

 孤独。
 また孤独が襲ってくる。

 人肌に触れて前よりも寂しい、自分を求めてくれる手が離れたことが孤独を突きつけてくる。
 不破に抱かれてからあかりは幸せだった。

 不破のために下着を買い、喜んでくれるかと考えて迷えること。毎日の髪の手入れも丁寧になった。寝るのもなるべくゴールデンタイムに寝るように心がける。食事も少し気を付けるようになった。雑だった自分への暮らしがあきらかに丁寧になりつつある、それは人として女として満たされる気持ちが湧いた。

 誰かのために生きる、それを感じて幸せだった。
 自分のためじゃない、自分が誰かのために生きれる、暮らしを大切にできる、それが嬉しかった。

 仕事の合間でも時たま目があえば優しく微笑まれたりしたときの胸のときめき。
 名前を呼ばれて跳ねる胸。
 二人の時になったときの、自分しか知らない不破の顔。
 不破と触れ合わない時間が増えるほど考える、頭の中が不破に支配される。

 子宮が――疼く。

(辛い……)

 あかりは思う。
 自分が望んだことがどれだけ乱暴で浅はかだったのか。独りよがりな気持ちだった、子供が欲しいなんて身勝手で自己満足だった。

 不破の人生を自分が狂わせる、それが辛い。
 不破にリスクを背負わせたくない、あかりは思い始めている。

 大切だから、不破が好きだから、だからもうこの関係を終わらせるべきだ。終わらせてほしい、不破に言わなければ。

 結局妊娠はしていなかった。やはりストレスから来ていたのかホルモンが乱れていたのか。
 妊娠する前に終わりにしなければ、あかりはそう思った。

 ――不破の子供は産めない。


「天野さーん」
 本田に呼ばれて振り向く。

「今日飲み行きません?愚痴聞いてくださいよぉ、俺もう最近やばいっすー」
「そんな疲れてるの?まだ水曜だよ?」
「今日ノー残じゃないっすか、ダメですか?」
 あの告白から本田は態度を変えずあかりと接していた。オフィス内でも平気でそんな会話をしてくるからあかりは内心気まずいものの本田の気持ちを汲んで同じように接している。

「とりあえず、昼休みにでもはなそっか。今はみんな仕事してるしさ」
「うっす、あ……天野さん、髪に……」
 そう言って席を立つついでにあかりの毛先を指でソッと触れてきて、耳元で囁く。

「ゴミ……ついてますよ」
「――あ、ありがと……」
「綺麗な髪っすね、細くて……指に絡む。あと……好きだな、この匂い」

 ――俺好き

 不破の言葉が頭の中でよみがえる。
 あかりの下着を見て、そんな風に喜んでくれたことがあった。思い出しただけで胸が痛いくらいに締め付けられた。

「こ、こら!!それセクハラ!!」
「すんません」
 堂々と頭を下げて笑いを取る様な態度、周りもそれに笑っている。

「ほら!はやく自分の業務戻って!あ、メール確認しといてね!」
「了解っすー」
 安定の軽さの本田を席にまで戻してあかりも業務に意識を向ける。不破を思うと胸が高鳴る、それをなんとか抑えたくて集中しようと自分を奮い立たせた。

 定時前、打ち合わせから戻ってきた不破は新藤と並んでなにか話をしている。なんとなく目に入ってそれが気になるあかりは耳を澄ませてしまった。

「あんまり引きずるな。前のミスはもう終わった、それは新藤の経験にしかならないんだから次同じミスをしなければいい、取り戻せるミスならしたほうがいいよ、その度自分の成長にも繋がるしな。実際、最近ミスも減ってる、丁寧になってきた、頑張れよ」
「――はい、ありがとうございます」
 そう言って不破を見つめる新藤の瞳は恋をしている、そういう風にしか見えない。不破は部下へのフォローも怠らない、それはみんなが知っている。でも――。

(好意を寄せている相手にその優しさは罪すぎる……俺のこと好きになれって言ってるようなもんだし……)

 パソコンを打ちながら悶々している自分の気持ちに収集がつけられないあかりは仕事に集中できないまま何度もタイプミスをしていた。

 嫉妬。
 ヤキモチ。
 妬み。
 艶羨。

 あかりの中にうごめく感情はどれもその類のモノばかりだ。
 不破はいつか誰かを選ぶのに、それが新藤であってもいい。新藤の気持ちを応援してやればいいじゃないか、そう思う気持ちもある。

(無理――、嫌、嫌だ!)

 新藤が不破に近づくのが嫌だった。不破が新藤に優しい言葉をかけるのは上司だから当然だ、新藤は部下だ、だから当たり前。あの優しい言葉は上司として投げかけられてるんだと言い聞かせて、そして思う。

 なら、自分は――?

 自分は不破にとって何者なのだ?上司と部下の関係、それを踏み越えて今どんな関係を作ってしまったのか。

 もう上司と部下にも戻れない。

 不破にとって自分はただの都合のいい女――、それがもう耐えられないほど切ない。
 それでもいい、不破に必要とされるならそんなものでも傍にいたい。そう思ってその思いを打ち消す。

(戻りたい)

 上司と部下に戻りたい、信頼する上司の下で仕事するただの部下に戻りたい。
 あかりはそう思った。


 三カ月に一度の1on1。
 今回は少し間が開いて四カ月が過ぎていた。あかりは不破に呼び出されて打ち合わせ室の扉を開けた。

「失礼します」
「ん、座って」
 あかりと不破の距離感はあれから縮まっていない。職場ではさほど対応は変わらないが二人になると不破の空気があきらかに距離を感じるようになった。

(潮時だよな……今しかない)

 あかりは不破が口を開く前に口火を切った。

「なかったことにできませんか?」
「――何が?」
「例の、私の計画の話です」
 そう言ったら不破の表情は硬く厳しいものに変わった。

「もういらなくなったってこと?」
「……はい」
「子供が?それとも俺が?」
「――え?」
「精子バンクで精子を買うほうにシフトするってこと?」
 不破がため息交じりでこぼすのであかりも無性に歯がゆくなった。

(そんな……そんなつもりじゃない――)

 けれどあかりはなにも伝えていない、不破に理解を求めるには無理があった。悩んだ末にあかりは口を開く。

「部長の子供は、もう産めません」
 それがあかりの言える、精一杯の言葉だった。

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