上 下
3 / 72
エピソード1

とまどいの一カ月③

しおりを挟む
ご飯を食べて時計を見たらもう21時前で、もう別れないと行けないのかと心の中で少し落ち込んでいたら久世さんがお会計を済ませて戻ってきた。



「ほんとにいいんですか?ご馳走になって」

「いいよ?そんな大した金額じゃない」



「すみません、お言葉に甘えます。ご馳走さまでした」

「いい食いっぷりでした」笑われて顔が赤くなる。

「なんかすみません、美味しすぎて」



「よく食べる子、好きだよ」



サラッと言われて卒倒しかける。

二人になると柔らかい雰囲気を出してくれるけど、なんとなくまだ上司と部下感が抜けない。

そんな気持ちを久世さんも感じているのか。店を出たら「ねぇ」と声をかけられて同時に手を繋がれた。



「……家、来ない?」



その言葉の意味がわからないほど幼くないけど、それを容易に想像できるほど経験が豊富ではない。



「……」



すぐに言葉にできない私にフッと笑うと「無理しなくていいよ」と優しく言ってくれた。



(無理とかじゃなくて)



頭の中では色々言えるのに言葉にならない。首を横に振ると久世さんがジッと見つめてくる。



「まだ、一緒に……いたい、です」



素直な気持ちを吐き出した。

久世さんの住むマンションは私の最寄駅より3つ手前であまり降りたことのない駅だった。



「わぁ、なんかお洒落なお店いっぱいある!」

キョロキョロしているとクイッと引っ張られた。



「他所見してると危ない」

「あ、あそこケーキ屋さん?可愛い」

「だから、前見て」

「ごめんなさい」はしゃぎすぎてしまった。



「あんまりこの駅降りたことなかったから。すごい素敵なお店いっぱい並んでますね」

「そう?あんまり立ち寄らないからわかんないけど」



「ええ?もったいない」

「開いてる時間に通らないしね」



(ワーカーホリックの現実……)



「じゃあこれから私が色々立ち寄っていきますね」



深く考えずに言ってしまってからハッとした。



(なんか今のこれからしょっちゅう来ますみたいに聞こえる。厚かましい!)



頭の中でグルグルしていたら優しく見つめられていた。



「そうして?」破壊力がやばい。





(私、これからこの後持つのだろうか。すでにキャパは超えかけている気がする)



マンションは五階建ての三階だという。私の住む所とは全然違うシックな建物。



(かっこいい人は住んでるところもカッコいいのか。しかし家賃高そう)



「なに?行くよ?」



見上げて足が止まるから久世さんに腕を引っ張られてなんとか前に進む。



「なんか、そんなに珍しいのある?」



キョロキョロばかりするからだろう、田舎者みたいな私に久世さんがおかしそうに笑っている。



「だって、なんかやっぱり私とは住む世界が違うみたいな感じがして」

「世界って。めっちゃ同じところに生きてるけど」



「いや、どこがですか?素敵な人は素敵な街で素敵な家に住んでて素敵なことしかないって感じじゃないですか?」

「そお?ただの最寄駅でいつも通る時は街灯しかついてないただの一本道で帰ってもほぼ寝るだけみたいな家。素敵な要素なんにも感じない、つまんないよ、俺の世界なんか別に」



仕事人間にはそうなるのか、そんな風に言われるのは悲しい。

いや、悲しいというのは久世さんみたいな人が自分をつまらないと言ってしまうことで。



(そんなことあるわけないのに)



「なら……これからは、私がつまらないって思う時に一緒にいれたらいいな」



ガチャ、と鍵が開いて扉が開かれた。



「どうぞ」

背中を押されて久世さんのプライベートに踏み込んだ。





―――――――――――――――――――――





駅から家までの道を歩く時、終始楽しそうにキョロキョロする彼女は可愛くて。

それと同時に危なっかしくて自然と手を引いた。

普段は本当に周りをあまり見ずに歩いていたんだと今になって思う。店が開いている時間に歩かないのも本当だけれどこんなに店が並んでいたのかと思うのは普段なにも周りを見ていない証拠だろう。

ほとほと興味がなかったのだと気付かされる。



「じゃあこれから私が色々立ち寄っていきますね」



そう微笑む彼女に釘付けになった。

これから、そう告げる言葉がなんとなく胸に沁みた。

マンションに着いてもいちいち驚いて一向に進んでこないから仕方なく引っ張り、なんとか玄関まで連れてくる。

素敵という言葉を連呼するから少し呆れた。

彼女は俺を美化しすぎているのだ、自分がいかに外の世界に興味がなくて仕事しかしてないつまらない人間か伝えると幻滅されるかな、そう思っていたら彼女がつぶやく。



「なら……これからは、私がつまらないって思う時に一緒にいれたらいいな」



(なんだろう、この気持ちは)



ざわざわとした、今まで感じなかった気持ちが胸の中を駆け巡った。

それが落ち着かなくてなのになぜか無性に心地よくて。

扉を開けて彼女の背中に触れた瞬間衝動的に感じる気持ちがあった。



(抱きたい)



誘った時に下心があったのは本音だけれど別にいきなりする気もなかった。

彼女の気持ちもあるし上司と部下として始まった関係もいきなり崩せるとも思わなかった、けれど。



「あ……」



入った瞬間彼女が発した言葉に息が止まる。



「久世さんの匂いがする」そんなことを恥ずかしそうに言うから理性が切れかける。



(小悪魔なのか?)



警戒心が強いくせにいきなり無防備な一面を見せて戸惑う。

計算?打算?ただの天然?どれも当たりそうでどれも違うような。



(いきなり振り回されてる……)

そう思った。彼女のコロコロ変わる表情に、発言に俺自身が戸惑う。



「お邪魔します」



靴を揃えて入る彼女。キチンとしてるのも普段からそうなのだなと些細な行動でみえてくる。

特に面白いものはないはずだけど、やっぱりキョロキョロしていると動きが止まった。



「久世さん、これなんですか?」



彼女が目に止めたのはティッシュ箱よりは小さい長方形の家電。



「スピーカー、Bluetoothで飛ばせる。電源押してみて」



言われる通り電源を押す彼女のそばで携帯を操作してアプリから音楽を選んだ。



「ジャズ……好きなんですか?」「結構聞く。母親が好きで」「実は私もジャズ好きです、そんなに詳しくないけど……ベタだけどOver the rainbowとか好き」



彼女が好きと言う曲を選んで流すと微笑んだ。



「すごーい、今こんなスピーカーあるんですね」

「そんな新しいヤツじゃないよ、それ」

「でもいいな、音楽がある暮らし」聴き慣れた曲なのに彼女と聴くと新鮮に響く。



「この曲好きになったのも映画キッカケなんですけど。ヒューマン映画と思ってみたらしっかり恋愛映画で。蓋を開けたら人種差別がテーマでした」



思い出すように彼女が話し出す。



「黒人女性が主人公で、白人男性と気持ちは惹かれ合うのに周りが批判して。魚と鳥が恋をしたらどこに巣を作るの?ってセリフがあるんです。あのセリフ、高校生だった私には衝撃的だったな。ひと同士なのに生き物の存在として違うのかって。人種差別の重さをそこで初めて知った気がしました。でも、案外世の中って差別なことばっかりですよね」



「……魚と鳥が恋をしたら魚鳥になるんだって、入手可能なありとあらゆる組み合わせで歌い続けて、歌って自分を産み出す」

「……え?」



「昔、本で読んだな。われらが歌う時、って知らない?」問うと首を横に振った。



「白人作家が書いたユダヤ人物理学者と黒人歌手が恋をする話。音楽を通じて時間や家族をつなぐ絆となれるのか……自分の曲を、自分の歌を生み出して生きようって話かな」

彼女の大きな瞳が真っ直ぐ見つめるからそれを見つめ返す。



「俺たちは魚と鳥でもないし、差別されるほど違った世界に生きていないよ。同じ空間で、お互いのプライドがあって今を生きてる」



指が勝手に頬に触れていた。



「なりたい自分になればいいよ。周りなんか気にしないで」



差別の話は結局また派遣に結び付けているんだろう。

どれだけ仕事を与えても、彼女が悩んできた錘を簡単には取ってやれない。

自分でつけた錘は自分で外していくしかないのはわかっている。

でも外せないなら俺がそれをといてやる。



「久世さんは……」



触れた指に彼女の手が重なった。



「私のことをどうする気ですか?」

「え?」

「なんでも、わかっちゃうんですか?」見つめる大きな瞳が揺らいで潤みだした。

「久世さんに、隠し事ってできない気がします」



そう笑う顔は妙に色っぽくて。

熱を孕んだ潤む瞳で見つめられて、なにをわかれというのか。



「なに考えてるか全然わかんないけど」



そんな瞳で俺を見てなにを考えているのか。

ただ素直に見つめているのか、試しているのか。



(ダメだ、我慢できそうにない)



触れてただけの指先をずらして首裏を掴んで引き寄せる。



「んっ」
くちびるを重ねると彼女の息ごと飲み込んだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ドS変態若社長に調教溺愛されそうなので全力で回避したいけど無理かもしれない

酉埜空音
恋愛
メイド服でお屋敷を疾走する社長令嬢彩葉を追いかけるのは、イタリア製スーツを着こなす大企業の若き社長住良木辰之進。 だが彼はとんでもない趣味があった。完璧な外見からは想像つかない変態なのである。 「さぁ、お仕置きだ」 淫らなお仕置きに、無自覚ドMの彩葉は抗うことができない。 流されてしまわないよう、なんとしても回避しようと試みるのだが……! 変態ドS坊っちゃま×無自覚ドM社長令嬢、はたして無事に結婚できるのか!? 完結後の後日談更新していきます。(タイトルがキャラ名のもの) ※他サイト重複掲載しています

【R18】翡翠の鎖

環名
ファンタジー
ここは異階。六皇家の一角――翠一族、その本流であるウィリデコルヌ家のリーファは、【翠の疫病神】という異名を持つようになった。嫁した相手が不幸に見舞われ続け、ついには命を落としたからだ。だが、その葬儀の夜、喧嘩別れしたと思っていた翠一族当主・ヴェルドライトがリーファを迎えに来た。「貴女は【幸運の運び手】だよ」と言って――…。 ※R18描写あり→*

【R18?】あのっ、とりあえず服着ませんか!?〜私と部長のはずかしいヒミツ〜

鷹槻れん
恋愛
ノックもなしにドアが開いて、全裸の男が入ってきた。そんな出だしから始まるちょっぴり不思議なドタバタなオフィスものラブコメ♥ --------------------- 荒木 羽理(あらき うり)/25歳は青果専門に扱う商社『土恵商事(つちけいしょうじ)』の経理課で働くTL小説の執筆が趣味の、猫好きなOL。 屋久蓑 大葉(やくみの たいよう)/36歳は、羽理には直接関わりのない雲の上の総務部長。 ある夏の日の夕方。 羽理は仕事帰り、家の近所の神社で催されていた夏祭りで、たまたま見付けた可愛い猫のお守りに一目惚れ。 「あなたに良縁結びますニャ!」と書かれたパッケージを見て、軽い気持ちで「お願いしますニャ!」と願掛けしたのだけれど――。 ※ちょっぴり不思議な現代モノオフィスラブ!? ※BL的な雰囲気がちらほら。 ※レーティングはお守り程度です。 (執筆期間:2022/06/25〜) --------------------- ○表紙絵は市瀬雪ちゃん(https://x.com/yukiyukisnow7?s=21&t=QMTHZgxLmWb6bE3RZSSmJA)に依頼しました♥(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします) ○公開後に加筆修正する場合がございます。 ○素人が趣味で書いている無料小説です。ヒーローとヒロインにはそれなりに思い入れがあります。どうか優しい気持ちで見守ってやって下さい♥ ---------------------

【完結】定期試験ゲーム 〜俺が勝ったら彼女になって〜

緑野 蜜柑
恋愛
入学以来、不動の1位の成績をキープしてきた私。地味で勉強しかできない私に、隣のクラスに転校してきた男の子が提案した『定期試験ゲーム』は、次の定期試験で私が負けたら、人気者の彼の "彼女" になるというものだった。

【本編完結】【R-18】逃れられない淫らな三角関係~美形兄弟に溺愛されています~

臣桜
恋愛
ムシャクシャしてハプニングバーに行った折原優美は、そこで部下の岬慎也に遭遇した。自分の願望を暴かれ、なしくずし的に部下と致してしまう。その後、慎也に付き合ってほしいと言われるが、彼の家でエッチしている真っ最中に、正樹という男性が現れる。正樹は慎也と同居している兄だった。――「俺たちのものになってよ」 ※ムーンライトノベルズ、エブリスタにも転載しています ※不定期で番外編を投稿します ※表紙はニジジャーニーで生成しました

『ファースト・サマー・メリカ(体液提供ドール・いいなり美少女メリカ・2)』(ボーナストラック:F編)

深夜遊園地トシワカ丸
恋愛
前作『愛尿(あいにょん) …体液提供いいなり美少女メリカ』の続編です。 ・・・と言いましょうか、前日譚です。 メリカが経験した、肉体的・精神的に激動の<初夏>を描きます。 と言いたいのですが、私も忙しく、全てを書ききる余裕がありません。 けれど、「愛尿」が確実にお気に入りを増やしています。 なんとか、皆さんの好意に報いたい…。 故に、ボーナストラックとして、メリカの初フェラと、真也によるフェラ指南の話を書かせていただきます。 いやはや、私は実は、責めるほうが好きで、フェラとかされるほうをうまく描けるか不安なんですが、純粋なメリカにフェラをさせるという「精神的な責め」で話を盛り上げていきたいと考えておりまする^^v ほんじゃ、『ファースト・サマー・メリカ』の第12章「初めてのフェラチオ(前篇:自由演技)」第13章「初めてのフェラチオ(後篇:規定演技)」をお読みください。

【R18】ひとりで異世界は寂しかったのでペット(男)を飼い始めました

桜 ちひろ
恋愛
最近流行りの異世界転生。まさか自分がそうなるなんて… 小説やアニメで見ていた転生後はある小説の世界に飛び込んで主人公を凌駕するほどのチート級の力があったり、特殊能力が!と思っていたが、小説やアニメでもみたことがない世界。そして仮に覚えていないだけでそういう世界だったとしても「モブ中のモブ」で間違いないだろう。 この世界ではさほど珍しくない「治癒魔法」が使えるだけで、特別な魔法や魔力はなかった。 そして小さな治療院で働く普通の女性だ。 ただ普通ではなかったのは「性欲」 前世もなかなか強すぎる性欲のせいで苦労したのに転生してまで同じことに悩まされることになるとは… その強すぎる性欲のせいでこちらの世界でも25歳という年齢にもかかわらず独身。彼氏なし。 こちらの世界では16歳〜20歳で結婚するのが普通なので婚活はかなり難航している。 もう諦めてペットに癒されながら独身でいることを決意した私はペットショップで小動物を飼うはずが、自分より大きな動物…「人間のオス」を飼うことになってしまった。 特に躾はせずに番犬代わりになればいいと思っていたが、この「人間のオス」が私の全てを満たしてくれる最高のペットだったのだ。

【R18】らぶえっち短編集

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
調べたら残り2作品ありました、本日投稿しますので、お待ちくださいませ(3/31)  R18執筆1年目の時に書いた短編完結作品23本のうち商業作品をのぞく約20作品を短編集としてまとめることにしました。 ※R18に※ ※毎日投稿21時~24時頃、1作品ずつ。 ※R18短編3作品目「追放されし奴隷の聖女は、王位簒奪者に溺愛される」からの投稿になります。 ※処女作「清廉なる巫女は、竜の欲望の贄となる」2作品目「堕ちていく竜の聖女は、年下皇太子に奪われる」は商業化したため、読みたい場合はムーンライトノベルズにどうぞよろしくお願いいたします。 ※これまでに投稿してきた短編は非公開になりますので、どうぞご了承くださいませ。

処理中です...