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6. 白と黒の間 (ヴェルナー視点)

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「婚約破棄には応じられないよ」

 断られるとは思っていなかったのか、リヒターは軽く目を見開いた。そんな仕草も絵になるな。

 婚約者である公爵家令息のリヒターは、美しいと評判だった母親にとてもよく似ていると言われ、髪を伸ばしていた時は男性でありながらも儚い姫という言葉がとても似合っていた。
 けれどそれは見た目だけの話で、中身は頑固だし、興味のあること以外には大雑把だ。

「何故ですか?お仕事は用意しますよ」
「そうじゃないよ。リヒター、今の君をひとりにできない」
「私ですか?」
「そう。婚約者としては、ちょっと見逃せないね」

 そんなことを言われると思っていなかったのか、きょとんとしている。可愛いなあ。

 リヒターは、すぐに孤独になろうとする。生い立ちの影響なのだろうが、それにしても切り替えというか、諦めが早すぎる。少しでもダメなら、その全てを切り捨ててしまう彼の世界には、白か黒の二色しかないのだろう。
 けれどそんな彼を、少しだけでも関わって知ったからには、ひとりにできない。
 世界には白と黒の間があることに気付いてほしい。


 私は伯爵家の次男として生まれた。
 実家は兄が継ぐので、私は隣の領の長女である幼馴染のリーゼと結婚して領地運営に携わることが、幼い時から決められていた。
 それに不満はなかったし、リーゼと結婚したときは、彼女とともにこの領で生涯で終えるのだろうと思っていた。
 けれど、リーゼは流行り病であっけなく旅立ってしまった。
 その結果、リーゼとの間に子どもがいなかった私の立ち位置はとても微妙なものになって、揉める前に自ら実家に帰った。
 それからは、実家の支援を受けながら、貴族の家庭教師などで生活していたが、ある日、母から公爵家のご令息が結婚相手を探しているので打診してみたところ色よい返事がもらえたと言われた。

 マクスウェル公爵家のリヒターが、幼い時から婚約していた第二王子殿下から陛下の許可なく婚約を一方的に破棄されたことは、社交界でも大きな話題になった。
 といっても責はないようだし、公爵家のご令息であり、さらにとても美しい方なのだから、すぐに次のお相手が決まるだろうと誰しもが思っていた。少しでも可能性があるならとお相手に名乗りを上げる人も多かった。
 そのリヒターの相手に、婚姻歴があり家格が下の私などなんの冗談かと思ったが、従弟がリヒターの弟君の友人だという縁で繋がった話のようだった。

 実際にお会いしたリヒターは、人形のようで、美しく、そして、無関心。マクスウェル公爵が決めたことに異を唱えるつもりはないようだ。
 どうやら公爵に気に入られたようで、このまま話が進みそうだが、当の本人は貴族の義務として受け入れているだけで、私にというよりも、結婚にも他人にも全くの興味がないように見える。いや、興味がないことを隠そうとしていない。

「失礼を承知で聞きますが、なぜ私だったのでしょう」
「あの子は研究にしか興味がなくてね。それは私のせいなんだが、領地で好きなことをして過ごさせてやりたいので、それを見守ってくれる人が欲しかったのだ。君なら話も合いそうだし、領地運営も任せられる」

 なるほど。家庭教師と領地運営が決め手のようだ。
 リヒター本人は誰でもいいのだろうが、息子を心配している公爵としては、研究にしか興味を示さないリヒターを理解してくれる相手を望まれたのだ。

 その後、公爵からの頼みでリヒターを植物園に誘ったが、興味を持ったのは薬草のみ、あとは義務として付き合っているのが丸わかりだった。
 美しい笑顔と所作で覆い隠されているので薬草園に行かなければ気付かなかっただろうが、澄ました普段とはかけ離れた年相応にはしゃぐ姿を見ると、いつも外に見せている姿がすべて演技なのだと分かってしまった。
 完ぺきな婚約者を演じながらも実は無関心、殿下はそれがお気に召さなかったのかもしれない。


 正式な婚約は、公爵家の希望で異例の早さで結ばれた。
 私の両親は驚きながらも、時間をおいてやはり他の方のほうが良いとこの縁がなくなるよりはと応じたが、リヒターが領地に帰りたいからだろう。

 婚約のお披露目パーティーは、公爵家としてはこじんまりと行われた。
 王家への配慮という建前だったが、こちらもおそらくリヒターが乗り気でなかったのだろう。

「リヒター、学園時代からの友人のミラルです」
「お初にお目にかかります。いつかヴェルナーの学園時代のお話を聞かせてくださいね」
「え、あ、はい、もちろん」

 リヒターの綺麗な微笑みに、私の友人であるミラルがたじたじになっている。
 公爵家令息であり第二王子殿下の婚約者でもあったリヒターは、こういう場での振る舞いは完ぺきだ。王子妃となっていれば、外交にも携わって、他国の使者をも骨抜きにしただろう。
 実際、リヒターを他の殿下の妃にという話はあったようだが、マクスウェル公爵が首を縦に振らなかった。
 本人を知ってしまえば、おそらく王子妃など不本意だっただろうことも、今の言葉が完全に社交辞令であることも分かるが、それを感じさせない完ぺきな振る舞いと人目を惹く容姿だ。

 慌ただしく成された婚約の相手が、家格が下の、しかも再婚である私ということで、実はマクスウェル公爵がリヒターに対して怒っているのではないかという疑念を持つものが少なからずいた。その疑念を打ち消すべく、パーティーの間は仲睦まじい姿を見せつけるよう振る舞ったが、そっと寄り添うリヒターは、真相を知る私でも勘違いしそうになるほど私を信頼しているように見えた。
 パーティーの後、傷心を慰めた私にリヒターが絆されて今回の婚約に至った、という噂が広まったので、作戦は成功だ。

 パーティーが終わるとすぐに、リヒターはもう十分役目を果たしたとばかりに王都を離れて、領地に引きこもった。
 見送った公爵と顔を見合わせて苦笑してしまうほど、すがすがしい顔での出立だった。

 私は王都に残り、噂を信じた周りからの誘いを適当にかわしながら、公爵領へ移動するためにあれこれを片付けている。
 公爵家の後ろ盾が得られるとあってリヒターを狙っていた者は多かったのでやっかみも受けたが、公爵家を気にして直接の被害はない。

「実際のところ、あのお姫様をどうやって落としたんだ?」
「趣味が近かったからね」
「土壌改良の研究をされているんだったよな」
「植物園に誘ったら、とても喜んでくれたよ」

 リヒターは私に落ちてなどいないが、嘘は言ってない。

 リヒターとの婚約が成立してから、私だけでなく兄も、夜会への誘いが絶えない。
 それは噂の人物を見たいというのもあるが、私たちを取っ掛かりに公爵家との繋がりを作りたいという下心が大きい。
 私としては実家のためにそれを利用したいのでなるべく参加するようにはしているが、今まで全く交流のなかったところからの誘いなどは断っている。全て出ていたら身体が何個あっても足りない。
 断った中には、元妻の家である子爵家からの誘いもあった。今更擦り寄られて、親戚関係を主張されても困る。

 そして、とある夜会で、今は伯爵家の養子となられた第二王子殿下にお会いした。
 パートナーとしてピンク色の髪の可愛らしい令息を連れていらっしゃるが、この子が噂の男爵子息か。大人しそうな子で、リヒターに濡れ衣を着せて王子妃の座を奪おうとするような野心家には見えないが、外に見えている部分がすべてではないから分からないな。
 しかし、元婚約者と現婚約者の両方を招待するとは、この夜会の主催者も思い切ったことをする。マクスウェル公爵の怒りを買うのは間違いない。兄上にこの夜会に参加している主要人物は要注意だとお知らせしておこう。

「あれは人形のようだろう」
「人の手で作った人形など敵わないほど美しいですね」

 殿下がおっしゃりたいのはそう言うことではないのは分かるが、ここで言えるわけがない。会場中が我々の会話に聞き耳を立てている。

「今日はどうした。相変わらず土いじりをしているのか」
「王都の喧騒よりも領地で土壌改良に取り組む方が合っているのでしょう。それが公爵領の発展に、ひいては国の発展につながるのですから、止める理由はございません」

 すでに領地に引きこもっていることは、私も納得済みだとアピールしておかないと、マクスウェル公爵が謹慎させたように思われてしまう。むしろ王都に留めるほうが大変だったのに。

 もしかして殿下は、今でもリヒターに未練がおありなのかもしれない。あるいは彼を振り向かせられなかったことを自分の挫折だと感じてお認めになれないのか。隣りで男爵子息が複雑な表情をしている。
 手に入らぬ月など諦めてしまえばいいと思うが、そう割り切れないのが人の心だ。

 殿下は私がリヒターの仮面の下の顔に気付いているのか探りを入れに来られたようだが、私が話に乗らなかったので興味を失くされたようだ。
 正直、殿下がお気の毒だと全く思わないわけではないが、そのおかげで私に今の立場が回ってきたと思うと、感謝する部分もある。
 私たちの会話が終わると、会場は普通の夜会へと戻って行った。


 王都での用事を全て済ませ、住まいも引き払い、私は公爵領の領主の屋敷に移り住んだ。
 代官として領地運営をしているのはマクスウェル公爵の部下だが、大きな決め事の場合は毎回王都の公爵に伺いを立てないといけない状況が改善されるとあって、予想以上に歓迎された。
 私が運営していた前の妻の領は子爵領で、経験があるとはいえ規模が違いすぎる。学ぶことも多く、リヒターとはあまり顔を合わせる時間もなかった。

 ある日仕事中に、街に出て仲良くしている冒険者と話した後にリヒターの様子がおかしくなり屋敷の部屋に籠っていると、リヒターの護衛から報告があった。
 聞くと、ふたりで甘いものを食べて話をしていた時に、リヒターが相手を置いてその場を立ち去りそのまま屋敷まで帰ってきたという。冒険者に気付かれないように距離を取っていたので、話の内容までは聞いていない。

 収穫祭が近いし、ダンスのパートナーに誘ったが断られたのか、あるいは期待したのに誘われなかったのではないか、と誰もが思いついた。
 そこで私に複雑な視線を送ってくるのは止めてほしい。

 放置も出来ないし、夕方なので今日の仕事は終わりにしてリヒターの様子を見ようと部屋に向かっている最中に、リヒターの部屋から使用人の悲鳴が聞こえた。
 急ぎ飛び込んだ部屋で見たのは、腰まであった髪を、肩の辺りでざっくりと切り落としたリヒターだった。
 リヒターはむしろ使用人の悲鳴に驚いているが、せっかく伸ばした綺麗な髪を自分で切り落とすという状況に、駆けつけた誰もが驚きを隠せない。

 すでに遅い時間だが理髪の者を手配して整えさせると、今までの儚い姫という雰囲気からガラッと変貌を遂げた。肩よりも短くなった髪はリヒターを年相応の少年に見せる。これは可愛いな。

「リヒター、昼間何があった?冒険者と喧嘩したのか?」
「大したことではありません」

 自分で髪を切ることは大したことだと思うが、言わないので、冒険者とのことが原因なのか、殿下とのことを実は引きずっているのか、分からない。
 けれど無理矢理話させるわけにもいかない。そこまでリヒターとの間に信頼関係はできていない。
 使用人になるべく目を離さないように指示して、様子を見ることにした。

 数日後、お忙しい公爵が王都からいらっしゃったことには驚いたが、むしろ話がこじれてしまい、リヒターが部屋に籠ってしまった。
 この領主の屋敷の人たちはみな、リヒターに同情的だ。6歳から8歳まで王都から出された幼子のころのイメージが強いのだろう。その時から土壌改良に取り組み、少しずつ成果が出ているのもあって、領民にも公爵本人よりもリヒターのほうが人気がある。
 なぜリヒターが領地に住まわされていたのかは公爵から聞いているし、仕方がなかったことだとは思うが、理由を知らない人たちから見れば、新しい妻と子どものために家を追い出されたと見えるし、本人もそう思っているのかもしれない。
 結局公爵が帰られるまでリヒターは部屋から出てこなかった。

「ヴェルナー、あの子を頼む」
「ルートヴィッヒ様、差し支えなければ、何があったのかお伺いしても?」
「私が産まれなければよかったと思っているか、と聞かれたよ。おそらくあの子の母親の両親だろう。学園に入ってからは会っていないはずだが、いつ言われたのか……」

 とても悲しそうに、けれど静かな怒りを込めて、公爵が答えてくださった。
 子どもの前でなんてことを言うのか。後ろに控えていた執事が息を飲んだのが聞こえた。

 けれど、その後部屋に籠ってしまったのは、失礼ながら公爵の対応があまり良くなかった結果なのだと思う。
 この親子は、お互いに愛情を持ちながら、ボタンを掛け違えいているのではないだろうか。

 結局、公爵は後ろ髪を引かれながらも、これ以上は滞在を伸ばせずに王都へと帰って行かれた。

 そして、冒頭に至るのだ。
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