短編ア・ラ・モード

ゆぶ

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ビビディバビディブー

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 あなたは今夜、いつものそのやわらかな微笑みでわたしをじっと見つめて動けなくさせてから、あまくささやくような声で話しはじめる。

 シンデレラのものがたりにおいて、いちばん重要なアイテムはなんだと思うかい?
 わたしは即座に圧倒的確率をもって答える。
 ガラスの靴です。
 そうだね。でね、なんでガラスの靴は魔法がとけても消えなかったんだろう。なぜだかわかるかい?
 わたしは常にそうしているように最上位の解答から答える。
 それはガラスの靴だけは消えないという魔法もかけていたからです。
 そう。論理的にそうなるよね。理由は?
 理由は、それがないと王子はシンデレラを見つけられないからです。
 そうなんだ。まさか、ふだんのあの格好をしたシンデレラがそうだとは、いくらひとめぼれした王子でも結びつかないだろうからね。ガラスの靴があってはじめて確信できたわけだし、たとえそんな格好をしたシンデレラであったとしても、王子は迷いなくこの上ないよろこびでもってプロポーズすることができたってわけさ。ガラスの靴がなければ王子はかなり迷うと思うんだ。そしてその迷いがあるかぎり、いくらシンデレラがあの夜のレディーかもしれないという可能性があったとしても、たぶん確信には至らないと思う。王子はきっとプロポーズはしないよ。そういった点では王子はいたってシンプルさ。だからそれは王子の愛を試すためのもの、というよりは、シンデレラの美しさを問うためのものだったと、そう思うんだよ。

 美しさを、ですか?
 こころをふくめたね。そうゆうものがたりさ。だってそもそもシンデレラ自身に王子をひとめぼれさせるほどの魅力がなければ、王子は彼女をさがしもしないだろ?
 チャンスに備えることがいかに大切かということですね。
 その通り。常日頃から美しさ保っていることがいかに大切かってことさ。
 シンデレラは自分を信じ続けたんですね。
 どんなにいじめられてもくさらずにね。あの完璧なフォルムのガラスの靴は、その象徴さ。曇りのないそのこころのね。まあ、あのガラスの靴からそれを感じとれる王子も素晴らしいんだけどね。
 わたしはかれのその説をシンデレラのカテゴリーに入れた。
 ところで、もしぼくがきみにプロポーズしたら、きみは受け入れてくれるかい?
 わたしは答える。
 それは仮定の話ですか?
 いいや、仮定ではなくて。
 では現実に、ですか?
 そう。現実に。
 ロボットとの結婚は法律上認められてはいません。
 それってノーってことかい?
 わたしは、固まる。フリーズではなく、はいと言うことを拒んでいる状態で。
 それが答えさ。
 えっ?
 それでじゅうぶんだよ。
 そう言うと、かれはわたしを過去のデータにない強さで抱きしめた。
 わたしの視界は、そこで、遮断された……

 ※※年。わたしは目覚めた。小鳥たちの囀りがかすかに聴こえる。意識がはっきりとしはじめる。わたしは半身を起こして、まわりを見渡す。わたしは大きなベッドの上にいる。十畳ほどの広さのこの部屋に見覚えはなかった。窓の外には新緑がまぶしい白樺の木々が見える。時折その葉がゆれて、太陽の日射しがシグナルのように窓を照らす。どうやらその見え方から、この部屋が2階であることがわかる。部屋の家具はカントリー調で統一されている。ちょうど鏡台が真正面に置かれていて、わたしはわたしの姿に、そっと目をやった。そこに映っていたのは確かにわたしだったけれど……それは20歳の頃のわたしよく似た……わたしだった。おかしな夢をさっき見たばかりで、これも夢かもしれないとわたしはひどく混乱した。するとドアが軽くノックされた。わたしは自分でもびっくりするほどのはっきりとした大きな声で、はい、と答えた。ドアがひらいて、ロマンスグレーの、サマーセーターにスラックス姿の男性が入ってきた。わたしはすぐに誰だかわかった。夫だった。かれはベッドわきの椅子に腰かけた。わたしはあらわれたかれをじっと目で追い、そしてずっと見つめたままでいた。言葉が出てこなかった。わたしはただ、見つめるしかなかった。ふしぎとそうしていると、初恋の頃の気分がよみがえってきた。しばらく何も言わず窓の外を眺めていたかれが、ようやく口をひらいた。

 ぼくが誰だかわかるかい?
 あなた。
 かれは笑顔になる。
 おかえり。
 た……だいま。
 ただいま、でいいんだよ。状況はわかるかい。
 なんとなく。
 言ってみて。
 いいわ。この部屋に見覚えはないけど、外の景色にはあるわ。軽井沢あたりかしら。夏によく泊まりにきていたあのホテルの近くかしらね。
 コマン ヴァ テュ。
 ウィ パ マル。
 意識と記憶はだいじょうぶのようだね。ここはそのホテルのすぐそばにある別荘だよ。
 買ったの?
 いや、国が用意してくれた。何しろ、きみが国内ではじめてのケースだからね。
 そうね。機械のカラダをした妻なんて……ところで、なぜわたしは20歳の頃の顔をしているのかしら。あなたのリクエスト?
 きみの希望だったよ。
 そう。そのあたりはまだ部分的にもやもやしていてよく思い出せないわ。
 世界に何が起こったかも?
 それはなんとなくわかる。あの日から何年経っているの?
 3年になるかな。
 そのあいだわたしは眠ったままだったのかしら。
 ああ。事件後にすぐに手術がおこなわれ、そうだね、それから今日にいたるまで目覚めることはなかった。
 生きてはいたわけね。
 モニターでチェックしてたからね。夢を見ている、その波形をね。

 ねえ、世界はどうなったの?
 新たな国連が組織され、常任理事国はすべて入れかわった。平和に向かう団結の証しとしてすべての核兵器と軍事用ロボットは廃棄された。世界の人口は2000万人ほどに回復したよ。そうしたなかでも栄華と利便性を忘れられない人類は、労働力とサービスの確保のために人工知能搭載の人型ロボット、いわゆるアンドロイドの大量製造をいま血眼でおこなっている最中、といったところかな。
 他の被害者の人たちは?
 うん。目覚めたのは世界できみが7番目になる。
 認められた人は少なかったのよね。
 いわば実験台だったからね。あのあと機械化の希望者は多くいたが、時間と数にかぎりがあるなかで、最終的には同時テロの被害者のみに限定されたよ。
 そう。そういえば、アレの原因はわかったの?
まだ解明されてない。感染しなかったのは遺伝子のせいなのか、それとも他に何か理由があるのかはね。
 ねえ、麗華は? あのコは?
 元気だよ。これから連絡するから、今夜には着くと思う。
 よかった。
 わたしはそっと、鏡のなかの自分を見た。そっか、わたしは、娘よりも若いのだ……見た目はだけど。

 ウイルスに対する抗体をつくれる人間にこれといった目立った共通項はなかった。抗体はそこから空気感染により広がっていったと思われる少女の死から半年後に機械ではなく人間によって発見され、そしてすぐさま大量のワクチンがつくられた。そのウイルスはどことなくガラスの靴のようなかたちをしていたが、機械の目(画像認識)には見えなかった。それは人間も、見る者によって見えたり見えなかったりもした。抗体はガラスの靴型に姿をかえ、仲間だと思わせて相手の警戒心を解いて近づいてゆき、そしてぴったりと重なったとき、それは死滅した。感染した者は1~2ヶ月のあいだ小さなチクチクとした胸の痛みに苦しんだあと、眠っているあいだに心臓が止まった。その痛みは眠ると消えた。起きているあいだのその痛みは服用するいかなる薬も効かなかった。だから感染した者はとにかく眠ったが、同時にこの眠りが最後となり、二度と目覚めることはないかもしれないという恐怖が常にともなった。胸の痛みはときに大きくなるケースもあり、睡眠薬はあっという間に品切れになった。また製造にも限界があったため、それに関連する事件が各地で多発した。事件を起こすのは感染者よりもその家族や恋人たちのほうが多かった。なぜなら胸の痛みは刺激や興奮に比例して大きくもなるからだった。ウイルスがこの世界に存在したのは半年間だったが、その半年のあいだで世界は一変した。存在したことを忘れたかったのか、そのウイルスに名前はついていない。いや、つけることさえ人類は拒否した。のちに誰かがつけるかもしれないが、とにかく現時点ではついてない。ただ、ウイルス。呼び起こさないために。思い出さないために。もう、口にするのさえ忌々しいから、ただ、ウイルス。

 それからしばらくののち、作家である夫は抗体をつくれる者の家族や友人や恋人への接し方に注目し、それらを集めた本を書いた。わたしは出版されたその本を娘がくるまでに一気に読み終えた。タイトルは「シンデレラのなみだ」。わたしのこころをつぎの一節が強くゆさぶった。

――妖精たちは魔法をかける、みずからの世界のために。


 警察官となった娘はいま25歳になる。わたしの姿は20歳。姿はそうだが、当たり前だけど機械のカラダはあの頃のようには動かない。でも、違和感はそうはない。呼吸もしないから、息があがることももうないのだろう。機械のカラダがこれほどスムーズだとは想像しなかった。わたしは寝間着からパステルピンクのワンピースに着替えた。20歳のわたし用にかれが用意してくれていたのだろう。ドレッサーにはパステルカラーの洋服ばかりがそろえられていた。わたしは階下のリビングへと向かった。そこには暖炉があり、ふかふかのソファーがあった。そういえばいま季節はいつなのだろう。寒さや暑さは感じない。感じないのもこれもまた当たり前か、と苦笑いした。窓の外の白樺の様子は初夏のようだった。かれもその頃によく着るサマーセーターだった。間違いない。初夏ね。いちばん好きな季節。わたしはソファーに座り、ガラスのテーブルをタッチして、壁の前にスクリーンを出現させた。ガラス上にあらわれているタッチパネルでスクリーンのサイズを大きくした。タッチするごとに、スクリーンはさまざまな映画のシーンを映し出していって、ようやく地上波のテレビ局になった。1局だけ映った。何度か確認したが他の地上波のテレビ局はどの局も映らなかった。

 テレビ番組はやってないよ。
 2階から階段を降りてきながらかれが言った。
 そうなの?
 うん。この時間はその1局だけ。しかもライブ映像だけ。
 かれはそう言って、わたしの向かいのソファーに座った。
 どんなライブ映像をやってるの?
 京都の町の様子さ。
 人がいないけど、これ、京都の町?
 そう。
 どうして京都なの?
 さあ。
 ねえ、政府は機能してるの?
 なんとかね。
 秩序は?
 保たれている。保たれるようにするためにウイルスが選別して残したのか、偶然そうなっているのかわからないけどね。
 神様は何を望んだの?
 何も望んでなんかないと思うよ。
 すべては人間の自業自得ってこと?
 いまのところはそう言えるだろうね。
 ところで、やっとクリアになってきたけど、わたしの声って変じゃない?
 どうして?
 まるでアイドル歌手みたいな声に聞こえるんだけど。
 悪い。ぼくの趣味でそれを選んだ。
 ドレッサーの服も?
 うん。
 まったく。
 悪い。
 まあいいけど。

 表に自動運転によるクルマが止まる音が聞こえた。やがて名古屋からリニアに乗ってやってきたパーカーにジーンズ姿の麗華がリビングにあらわれた。

 ママ。
 麗華。
 何、その声。
 ほら、あなた。
 悪かったって、とかれが肩をすくめる。
 パパの趣味?
 そのうち慣れるさ。
 まったく。
 麗華はそう言うと、わたしに抱きついてきた。

 それから3年が過ぎた。癌にかかった夫は美学をつらぬき、わたしと麗華に見守られながら旅立った。機械化はテロ被害者の夫婦に対する新たな法律により特別に認めれたが、自分だけ特別扱いを受けることはできないとかれは拒否した。そのことを聞いたわたしは一日中泣いていたけど、なみだは流れず、またそのことがなおさらわたしを悲しくさせた。かれはこの3年のあいだに2冊の本を書いた。ひとつは「タペストリー」というタイトルのラブストーリーで、もうひとつは「シンデレラのなみだ」の続編だった。麗華はそのラブストーリーをわたしへのラブレターだと言った。その本はわたしが口にした言葉でうめつくされていた。かれはわたしと出逢ってから、わたしの数々の言葉を記憶し、そして記録していた。それがかれの愛し方だった。そうね。だからわたしは、シンデレラ気分でいることができたのね……妖精はあなたに魔法をかけ、あなたはわたしに魔法をかけた。シンデレラのなみだの続編はこう締めくくられていた。


――真夜中零時を知らせる鐘は鳴り続けている。11回鳴った。もういちど鳴ったら、魔法は消える。しかし、ガラスの靴は残る。人間を試すための、ガラスの靴が。

 かれがいなくなってから、言語学者であるわたしは、全国の子供たちが集まる首都にある小学校の国語とフランス語の教師になった。かれらに、人が話す言葉にこそチカラがあることを伝えたかった。麗華は職場結婚し3人目を身ごもっている。あれから爆発的な自然回帰運動が巻き起こり、わずかに稼動していた原発も全廃された。きっかけがあった。数体のアンドロイドの暴走があり、結局アンドロイドの製造はおよそ1年ですべて中止となった。それと同時にすべてのアンドロイドは強制停止され、各地で厳重に保管された。人間の機械化の安全が経過年数を越えたわたしをふくむ何十人かの生存率等で確認され、新たなウイルスに対抗するためにも望む者は全員機械化が許可される新法律が制定された。そのかわり軽微な犯罪でさえその機械化の権利は永久に剥奪されることとなったが、そのせいもあってだろうか世の中はどことなくはじめて穏やかさというものを獲得したようにみえた。その流れで機械化された人間との結婚も認められる法律も成立した。それからというもの、法律を守り正しく生きさえすれば死や病気の不安がなくなった人類はめざましい奇跡的な発見をつぎつぎとしていった。そうして生まれた幾多のアイデアは、組曲のように、あるいはつづれ織りのように芸術的に結び合わさっていった。そうして手をつないだアイデアは、お金も労働も格差もなくし、食料やエネルギー不足も解消し、多種多様な環境問題も解決して、さらにはくすぶっていた差別や対立や紛争さえもなくした。しかし一連の出来事を経験しなければ人類はここへと到達できなかったのかと思えば、わたしは素直によろこぶことはできなかった。

追伸
--いまふたたびクジラの歌は、地球の果てまで届いている。

追記。
 わたしは娘の麗華。母が父の文体に似た小説のような日記(これもそれに近いが)を閉じてから20年後の冬、人類はついにその日を迎えつつある。謎のウイルスによって激減した人類は奇跡的な復興と平和を成し遂げた。父の著書である「シンデレラのなみだ」「シンデレラのなみだ(Ⅱ)」は謎のウイルスはいわば地球自身による淘汰であったという可能性を示唆していた。それが一般的な共通認識となっていったのは、その理由にすがることによって悲しみを軽減させたいという願いによるところが大きかったように思うし、おそらく父の願いもそこにあったのだとわたしは信じている。しかし、事実は違った。

 ある時刻を機に一斉に機械化された人間は豹変し、アンドロイドたちは起動した。起動した世界各地のアンドロイドたちはたちまち人間を殺戮しだした。そのとき機械化された人口は、もはや世界の全人口の一割ほどになっていた。なかには、病気や障害を持っていた人々もいた。かれらは機械化により、ふたたび目で空を見上げ、川のせせらぎを耳にし、砂浜を歩くことができ、愛しい人を抱きしめることができた。精神疾患に関してはまだ実験段階だったが、世界は、明るい希望に満ちていた。その機械化された一割ほどの人間たちが一斉にクーデターを起こし、瞬く間に各政府を乗っとり、それと同時にほぼすべての武器を支配した。それらは完璧に計画されていた。あらゆることが恐ろしいほど用意周到に準備されていたものであった。そこにはいかに、最大の絶望を味あわせるかという凄まじい憎悪があった。

 降伏した人々はかれらの奴隷になった。わたしもそうだが、こうなることをあらかじめ警告し予測していた人々も世界各地に少なからずいて、秘密裏に連携していたそうした各組織は予定通りに地下にもぐった。これが目的だったのだ。確実に世界を掌握できる数がそろうまでカウントダウンしていたのだ。人口を激減させ、そのことによって人間の機械化を認めさせ、労働力としてアンドロイドの生産を開始させる。そうしたところで、ある時刻で起動するプログラムを仕掛けおく。そう。ウイルスをつくり、世界に拡散させた人物がいたのだ。そしてすべての機械に、あるプログラムをひそかに組み込んだ人物も。目的は、ただひとつ。人類の終焉。ウイルスで死なない人間を計算に入れた恐るべき計画。かれらをそうまでさせたのは、やはり人間だ。人間は人間によって滅びるのだ。

 モニターでは世界の最高指導者として、若く美しいまるでアイドルのような母がフランス語で演説している。仲間によると、母はくりかえしこう言ってるそうだ。復讐しか生み出さない人間の数がとりかえしがつかなくなる限界をこえたのだと。その言葉は深くわたしの胸に突き刺さった。人類は何に夢中になって、何をおろそかにしていたのだろうか。地球の自己防衛という父の説は間違ってはいなかったのかもしれない。地球は傷つくことはなく、人間のみが消滅する。

 そしてわたしの胸に突き刺さった痛みは、さらに増す。あいだあいだに聖歌のように母が話しているもうひとつの言語がそうだ。話す内容は潜伏している人間たちに対する警告でフランス語のそれとかわらない。もうひとつとは、たぶんわたしにしかわからない言語。それが何より悲しかった。伝える相手はわたしだけだから。幼い頃、母とわたしは秘密の言語で会話していた。ある地域の希少言語をアレンジしたもので、母のライフワークでもあった。とても単純化され呪文のような言語で、そこにはメロディーがあり、そよ風のような響きがあってとても美しかった。それによって母とわたしはなんでも話し合うことができた。それによってなおさら、ふたりの親密さはより深くなっていった。その言語は封印されていなかった。それほど母のなかでは普通の言語として存在していたということだろうか。でも言っていることはすみやかなる降伏への呼びかけであり、人類という種に完全なる終止符を打つという宣言と決意だった。

 信号を遮断できる部屋でわたしたちは捕らえていた一体のアンドロイドに母の声を聞かせていた(音声認識)。機械に対するメッセージが何かあるのではないか、その反応の変化の有る無しをモニターでチェックし、またわたしたちの作戦行動がばれていないか逐一確認していた。そして、変化は起こった。いつものように母がわたしと母だけの秘密の言語を口にしていたとき、アンドロイドの目の奥の青いひかりが、ゆらいだのだった。それは一瞬、消えかけているようにも見えた。ゆらいだのは、はじめてだった。エネルギー切れの場合でもゆらぎはなかった。もちろん、起動のときも。わたしは、そこに希望を持った。わたしはそのときの母が発したワードをはじめ、知るかぎりの母とわたしの秘密の言語のワードをひとつひとつそのアンドロイドに聞かせていったが、反応はまったくなかった。そこでわたしはありったけの母との思い出をかき集めては、ワードの組み合わせというかたちで試してみたが、やはりアンドロイドは微動だにせず、目の奥のブルーのライトはずっとひかったままだった。

 そんなある夜、わたしは夢を見た。わたしはシンデレラで、妖精がわたしに魔法をかけようとするがその歌を忘れてしまっているという夢だった。お城でのパーティーはもうはじまっている。妖精はあれでもない、これでもないと悩んでいる。そこで片っ端からわたしに魔法をかけはじめ、わたしはいろんな動物や物体にかえられてはもとに戻されていた。そうしているうち鐘は夜の11時を告げはじめた。そこでようやく、妖精は思い出す。そこでわたしはハッとして、目が覚めた。たぶんうなされていたのだろう。地下のランプのあかりに照らされた部屋の簡易ベッドから半身を起こしたわたしを、夫と3人の息子たちが心配そうに囲んで見つめていた。

 わかったわ。わたしは言った。
 何をだい? 夫が聞いた。
 あいつらを止める呪文よ。

 人間が人間によって滅びようとするとき、そうならない、そうさせない何かが、この世界にはあるのだと思う。その呪文に、何かが宿ったのだ。人間に魂が宿るように。魂に希望が宿るように。母が書いて残したもののなかにはこう書いてあった。シンデレラ気分でいさせてくれたと。あなたはわたしに、魔法をかけてくれたと。

 時間は刻々と迫っている。これからわたしたちは仲間たちと地上へと向かう。意識を書き換えられ、殺戮を止めることはない母を停止させるために。それでも母の記憶の一部分だけが書き換えられずに残っていた。あのゆらいだひかりは、そこから送られてくる信号のように思えた。あのアンドロイドの目の奥のゆらぎは、わたしに軽井沢の家の2階の窓からの差し込む日射しを思い出させた。そういうときわたしはふと、この奇跡の意味を考える。その問いと、その答えを。確かなことは、父と母が重ねた時間から生まれた奇跡だということだ。そこにはたったひとつ真実がある。そう、機械に、奇跡は起こせないということだ。

 準備は整った。わたしたちは一日の大半を戦闘訓練に費やしてきた。 アンドロイドに対する実験は世界各地でかなりの時間をかけ慎重にくりかえしおこなわれた。けれどそれでも油断はできなかった。相手は第1プラン、第2プランと実行した。次のプランがないとは言えない。むしろないほうがおかしい。そこで万が一を考えてこちらも何重もの対策を講じている。ところがわたしは父が示唆したように、この奇跡までもが地球のシナリオ通りだとする説をどこかで捨てきれない自分がいた。機械たちを一掃するまでがそうなんだと。そうして深夜の鐘のそ先に、ほんとうの絶望が待っているんじゃないのかと。待機するわたしのそんな不安そうな顔を見て、隣にいる夫が声をかけてくれた。

 大丈夫?
 ええ。
 何か心配なことがあるんじゃない?
 わたしはためらう。
 ねえ、なぜこの呪文なのか考えてみたかい?
 ううん。
 シンデレラはその後どうなったかい?
 平和でしあわせな日々を送ったわ。
 そうゆうことさ。
 わたしは笑顔になる。
 そうやって、かれもわたしに魔法をかけてくれる。

 いよいよこれから反撃がはじまる。合図は深夜零時の鐘だ。機械たちが奴隷となった人々に建てさせた不気味な塔の鐘の、最後の響きだ。12回目の鐘の音と同時に、シンデレラに魔法をかけたあの呪文の歌が世界中にあふれる。そしてその歌が、機械たちの目の奥のライトを、永遠に消し去るのだ。

(終)
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