フジの数え歌

小烏屋三休

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四十八

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 物売りの大船は、海賊業半分、まっとうな商売半分で成り立つ船だった。海賊船はたいていお尋ね物であるので、港に停泊できなかったり、補給を断られることが多々ある。そういった船に国の管理の及び切らない沖合で物を売るのが仕事で、値段も質もすこぶる良心的であったりするのだが、完全にまっとうな人間が行っているものでもなかった。力のない海賊などは船をつけたとたんに商船に乗っ取られることもあった。
 ロディオンなどは、物売りの船をサローチカ号に寄せることを嫌がった。サローチカ号では乗っ取りには十分警戒をしているが、航路を盗まれることはよくあったからだ。さまざまなものを代償にし、危険を伴いながら切り開く新たな航路を、ゆるゆると後ろからついてきて、あわよくば新天地でのお宝を横取りしようとしたり、航路の情報をいち早く他の海賊に売ったりするのだった。この手の船はグンカンドリと呼ばれていた。自らは泳げないために、他の鳥が捕えた魚を強奪するこの鳥の習性と重ねられていたのだった。追尾してくる船について、ポウは策を講じようとはしない。ロディオンは長らく、追尾料金のようなものを要求すべきだと言っているが、ポウに取り合われないのが癪だった。ただ、今回の商船は、サローチカ号とも馴染みの船であった。航路の追跡なども行わず、商売を終えたらすぐに姿を消す、あっさりした物売りの船だったので、ロディオンをこれ以上苛立たせることもなかった。
 物売りの船では、肉や野菜、家畜などの食料はもちろん、樽や帆、索具、修繕道具、服や手袋といった必需品の他、長い航海を慰める楽器やゲームまで売っている。あまり沖合でなければ、春を売る女が乗っていることもあり、これが来ると男たちは意気込んで商船に向かうのだった。
 サローチカ号は精霊に沈められただ海域を行ったり、こういった沿岸部に戻り補給をしたりしながら秋の島に向かっていた。沿岸部と言っても、さすがにここらでは主要な港からは結構な距離であるため、女は乗っていなかった。それでも海賊たちはいそいそと渡された橋を通ってあちらの船に移動していった。
 フジは一人で納戸にぽつねんと取り残されていた。海賊たちはこれからの買い物に夢中で、定時のトイレ休憩にフジを連れ出しもしない。一度出たものの、財布を取りに戻るのやら、金がないので代わりに何かを売って金を作ろうとするのやらで、寝床を引っ掻き回す気配があったが、やがてサローチカ号から人気がふっつりと消えた。すると、納戸の掛け金が外れた。
「フジ。今なら誰もいない」
 扉がうっすらと開き、小人が顔をのぞかせた。フジは廊下に滑り出ると、靴を履かないままの足で音もなく上甲板を目指した。二人の小人は心配そうにその後ろ姿を見送った。

 商船への通路となる板の上を渡るときにはさすがに見とがめられるのではないかと緊張したが、幸い、誰にも気づかれずに商船に乗り込んだフジは、さっそく大樽の影に隠れた。
 商船に乗ったら、まず一番に変身の魔法をかけなければならない。サローチカ号では風邪を吹かせる以外の魔法は使えないよう誓約してしまっていたが、違う船に乗ってしまえばこちらのものだった。姿を変え、うまくロディオンから歯の箱の鍵を受け取る、もしくは奪い取る、というのが計画だ。誰にも見とがめられないように早く姿を変えなければならない。
 ただ、渡し板の上を歩くときから強く意識しているのが、トイレに行きたい、ということだった。なんでこんな大事なときに、とは思うものの、最後にトイレに行ってから四時間は経つ。
 フジは当初、ポウに姿を変える予定だった。ポウの姿でうまいことロディオンに会い、歯の箱の鍵をだまし取ろう。小人たちは反対した。そもそも、フジは今まで特定の誰かに化けたことなどない。そんな力量で実在の人物を模するのは無謀だと言った。ターパチキンは女に化けて色仕掛けをせよというし、マチャルコフは恐ろしい男になって脅し取れと言う。フジは自分に色仕掛けができる気はしなかったし、海賊に揉まれているロディオンが強面に屈するとも思えない。ポウに化けるのが一番だと言い張った。なぜだかロディオンはポウだけ特別に恐れているように見えるのだ。
 だがここにきて、ロディオンに会う前に用を足す必要が出てきた。ポウなぞに化けてなまじうろついて、ばったり本人に出くわしたら大変だ。かといって誰かほかの人物に姿を変えたすぐ後で、完成度の高い変身ができるかというと、そこまで自分を信じることはできない。いつぞやのムラサキシキブの実のように、顔の一部に植物が混じったりしかねない。そもそも、なぜ、サローチカ号にいるときにさっとトイレを済ませててこなかったのだろうか!
 ロディオンを見つけるまで本人に会わないことを祈って、ポウに化けるしかない。ポウでなければ、鍵を譲り受けることはできないのだ。
 でも、ポウの姿で用を足すなんて、破廉恥ではないだろうか。動揺のあまり足を踏み外して海に落ちるかもしれない。そもそも、男性とはどのように用を足すのだろうか?立ったまま?しゃがんで?船の水夫用トイレはあけっぴろげなのに、今まで無意識にそちらを見ないようにしていたことが悔やまれる。
 次からは、ちゃんと見ておこう。でも今回は、とりあえずポウはやめよう。だってポウは水夫用トイレなんて使わず、部屋のトイレをつかってるもの。うん、恥ずかしい部位を見なくて済んで良かった。誰かロディオンの知り合いとかに化けて、なんとか言いくるめて鍵をもらった方がいい。かも?
 誰に化けようかと再び思案しているうち、誰かが大樽に近づいてくる。フジが納戸から出て、商船にいるところを見つかったら終わりだ。顔見知りか、女か、強面か。ままよ、とにかく変身だ、と腹を決め、フジは短く舌を鳴らした。微風がおこり、フジを包んだ。鏡がないので誰になったかは分からないが、魔法はかかった。フジは顔の形が変わったことを手先で確認すると、樽の影から躍り出て、誰とも顔を合わせないようにしながら船首のトイレまで走った。
 用事を終えてすっかり気持ちも落ち着いたころ、フジは改めて甲板に降り立った。
「さて、どうしようかしらん」
 化けてしまったものは仕方ない。この姿で何ができるか考えるしかない。でも、どんな姿になったのだろうか。
「ややや!」
 突然声が上がったかと思うと、フジは横ざまに抱え上げられた。抵抗する間もなく、そのまま乱暴に屋台の影に押し込められた。押し込めたのは、他でもないロディオンだった。まだ心の準備もできていないのに!
「あ、あなたは!なぜこんなところにいるんですか!」
 フジは慌てていたが、ロディオンはもっと慌てていた。ぴたりと体を寄せて、屋台の影にフジを隠そうと必死だ。音量を抑えながらも語気を荒げているので、吐く息がフジの前髪をざわざわと揺らした。
「正体が知れたらただじゃ済まないというのに!国連の海賊取り締まり局の人間などが海賊船で見つかったら、命はまずないですよ」
 フジははっと自分の体を見下ろした。そこに、見覚えのあるパイナップル型のポシェットがかかっている。これは、国連停止地域特別委員会情報官のカリオペ女史ではなかろうか。フジは部署の名称まですらっと思い出せた自分の記憶力に脱帽した。なるほど、顔見知り、女、強面、この三つの条件をすべて満たす人物だ。顔見知りは顔見知りでも、フジの顔見知りではあったけれど。でもなんだかロディオンとも顔見知りらしい。瓢箪ひょうたんから駒だ。
「ま、まさか。潜入捜査ですか。馬鹿な!女の身で、なんという無茶をなさる」
 ロディオンは一人盛り上がっている。どう返事をしたものかと、フジが言葉を詰まらせていると、今度はロディオンは恨めしそうに上目遣いをした。
「あなたは、俺を覚えていないんですね。俺は、あなたのことを忘れる日は一日もなかったというのに。くっ。仕方ない。ほんの束の間の出来事でしたからな。その束の間で、俺の心をあなたは根こそぎ盗んでいきなすったが。しかし、これを見てください。俺のことは覚えていなくても、ご自分の持ち物は覚えているでしょうね?」
 ロディオンはベルトに引っかけていた霧吹きを外すと、フジの眼前にかざした。フジはなおも言葉が見つからないので、いっそこのまま通すことにした。
「そうです。二年前の冬の日、ンバラマの港町の路地で、あなたが俺に恵んでくださった霧吹きです」

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