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05 婚約者の謝罪
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「――本当に、すまなかった」
騒ぎがあった日の放課後、学生寮共用区画のいつもの部屋で、エングラウンはクリエールに向け頭を垂れて無防備な首を晒す。跪いたエングラウンの前に彼の剣が置かれたこの姿勢は、この国の貴族男性における、最上級の謝罪姿勢であった。
クリエールの入室早々、室内で待っていたエングラウンがこの姿勢を取ったため、ふたりはまだまともな挨拶すらできていない。
「わかりました。もうわかりましたから、お顔を上げてください……」
「あの後、友人たちにもしっかりと叱られた。あれ以上は、君の不名誉でしかないと」
「そ、それはそう、ですね……」
抱きしめられたまま自分の胸について公衆の面前で語られるのは、羞恥が極まって卒倒してしまう。エングラウンの友人たちが冷静で助かったと、クリエールはそっと安堵した。とはいえ、クリエールとて抱きしめられたこと自体については、まったく悪い気はしなかったのだが。
学校教師によって野次馬が解散したあと、当事者であるクリエールとエングラウン、そして参考人として各々の友人が一室に集められた。そこでクリエールとエングラウンからみた状況説明と参考人の補足が行われ、クリエールはだいたいの事情を知ることになったのだ。ちなみに、アナンツャ公爵令嬢は、別途聴取するということだった。
あの中庭をクリエールが通りかかる少し前、どこか焦った雰囲気のアナンツャ公爵令嬢がエングラウンに話しかけてきたのだという。彼女曰く「貴方が好き」「わたくしを選んで」「遠い国へ嫁がされてしまう」「諦めたくない」と。
告白と懇願の後は自分を売り込む文言が続いたが、反応の無さに焦れた彼女の言葉は、次第にクリエールと比較するものになっていったようだ。
その説明時に、エングラウンは言葉を濁していたが、家柄やクリエールの地味な容姿をあげつらったものなのだろうとの想像は容易につく。よく言われることなので、クリエールはもう気にならなくなった言葉たちだ。
そんなことを思い返していると、どこか弱々しい表情のエングラウンがゆっくりと頭を上げた。
「……君のことを貶された私は強い憤りを感じ、つい声を荒げてしまった」
「まあ、そうなのですか……」
エングラウンがぽつりと零した言葉に対するクリエールの素直な感想は、「珍しい」だった。クリエールにとってのエングラウンは、いつでも冷静だった。
騒ぎのときに中庭で見た動揺した姿もそうだが、今日は珍しい姿を沢山知れたと、クリエールはちょっとした喜びを感じていた。
「声を荒げてしまったので、友人が一旦仲裁に入ってくれたのだが……そのときに『好きな女を貶されて好感を得る男はいない』と、友人は私の感情に理解を示してくれた」
「……えっ」
「そこで私も、自らを理解した。クリエール、私は君が好きだ。結婚してほしい」
「もう婚約してますけど……………………えっ?」
何故だかクリエールの頭は、エングラウンの言葉をうまく認識してくれない。会話に必要な単語をなんとか拾おうとするものの、肝心な言葉が素通りしていく。
「すきって…………………………えっと……」
「今後、同じ感情を返して貰えるように、努力しよう。だから、君も私を意識してくれると――」
「わ、わたしの胸が、ではなく!?」
「もちろん、君の胸も好きだ。柔らかく、しかし弾力もあり……」
「け、けけ、結構です、大丈夫です! 解説は必要ありません!」
クリエールは胸について力説を始めそうなエングラウンを制止し、深呼吸をすることによって、ばくばくと荒ぶる心臓を落ち着かせようとする。
「……私は、君が私のために努力をしてくれていることを知っている。勉学はもちろん、派閥の人間との付き合い方も、私との結婚を前提としたものだろう?」
「あっ……」
「きっと、相手が私でなければ必要のなかった努力や我慢をさせているのだろう。だからこそ、私は君に敬意と好意を示したい」
エングラウンは、クリエールの努力に気がついていた。
確かに、伯爵家以下の家に嫁ぐのなら必要のない知識や経験は多い。なによりも、エングラウンという人気者が婚約者ということで受ける妬み嫉みは当然ある。後者について、エングラウンが認識しているかは不明だが、それがなくともクリエールはもう十分だった。
「好きとか、恋とか……そういったものが自分に縁があると思ってもいなかったので、はっきりとわからないのですが……」
「……ああ」
「私は、エングラウン様が婚約者でよかったと、ずっと思っています、から……」
「…………そうか」
緊張で少し強張っていたエングラウンの表情が、ふっとほころぶ――これは、クリエールが好きなエングラウンの顔だ。
同時に緊張が解けたクリエールは、跪いたままだったエングラウンを立ち上がらせ、彼の手をとる。
「これからもよろしくお願いします、婚約者様」
「ああ。こちらこそよろしく頼むよ、婚約者殿」
視線を合わせてから微笑み合えば、少しくすぐったくなり、頬が熱を持つ。
嬉しくなったクリエールが、思い切って自分から抱きつけば、エングラウンはそっと抱きしめ返した。
「……やはり、君の胸は柔らかく心地が良い」
「その報告は不要です」
エングラウンの腕の中のクリエールは、今から急いで固いコルセットを作るべきか本気で悩んだ。
騒ぎがあった日の放課後、学生寮共用区画のいつもの部屋で、エングラウンはクリエールに向け頭を垂れて無防備な首を晒す。跪いたエングラウンの前に彼の剣が置かれたこの姿勢は、この国の貴族男性における、最上級の謝罪姿勢であった。
クリエールの入室早々、室内で待っていたエングラウンがこの姿勢を取ったため、ふたりはまだまともな挨拶すらできていない。
「わかりました。もうわかりましたから、お顔を上げてください……」
「あの後、友人たちにもしっかりと叱られた。あれ以上は、君の不名誉でしかないと」
「そ、それはそう、ですね……」
抱きしめられたまま自分の胸について公衆の面前で語られるのは、羞恥が極まって卒倒してしまう。エングラウンの友人たちが冷静で助かったと、クリエールはそっと安堵した。とはいえ、クリエールとて抱きしめられたこと自体については、まったく悪い気はしなかったのだが。
学校教師によって野次馬が解散したあと、当事者であるクリエールとエングラウン、そして参考人として各々の友人が一室に集められた。そこでクリエールとエングラウンからみた状況説明と参考人の補足が行われ、クリエールはだいたいの事情を知ることになったのだ。ちなみに、アナンツャ公爵令嬢は、別途聴取するということだった。
あの中庭をクリエールが通りかかる少し前、どこか焦った雰囲気のアナンツャ公爵令嬢がエングラウンに話しかけてきたのだという。彼女曰く「貴方が好き」「わたくしを選んで」「遠い国へ嫁がされてしまう」「諦めたくない」と。
告白と懇願の後は自分を売り込む文言が続いたが、反応の無さに焦れた彼女の言葉は、次第にクリエールと比較するものになっていったようだ。
その説明時に、エングラウンは言葉を濁していたが、家柄やクリエールの地味な容姿をあげつらったものなのだろうとの想像は容易につく。よく言われることなので、クリエールはもう気にならなくなった言葉たちだ。
そんなことを思い返していると、どこか弱々しい表情のエングラウンがゆっくりと頭を上げた。
「……君のことを貶された私は強い憤りを感じ、つい声を荒げてしまった」
「まあ、そうなのですか……」
エングラウンがぽつりと零した言葉に対するクリエールの素直な感想は、「珍しい」だった。クリエールにとってのエングラウンは、いつでも冷静だった。
騒ぎのときに中庭で見た動揺した姿もそうだが、今日は珍しい姿を沢山知れたと、クリエールはちょっとした喜びを感じていた。
「声を荒げてしまったので、友人が一旦仲裁に入ってくれたのだが……そのときに『好きな女を貶されて好感を得る男はいない』と、友人は私の感情に理解を示してくれた」
「……えっ」
「そこで私も、自らを理解した。クリエール、私は君が好きだ。結婚してほしい」
「もう婚約してますけど……………………えっ?」
何故だかクリエールの頭は、エングラウンの言葉をうまく認識してくれない。会話に必要な単語をなんとか拾おうとするものの、肝心な言葉が素通りしていく。
「すきって…………………………えっと……」
「今後、同じ感情を返して貰えるように、努力しよう。だから、君も私を意識してくれると――」
「わ、わたしの胸が、ではなく!?」
「もちろん、君の胸も好きだ。柔らかく、しかし弾力もあり……」
「け、けけ、結構です、大丈夫です! 解説は必要ありません!」
クリエールは胸について力説を始めそうなエングラウンを制止し、深呼吸をすることによって、ばくばくと荒ぶる心臓を落ち着かせようとする。
「……私は、君が私のために努力をしてくれていることを知っている。勉学はもちろん、派閥の人間との付き合い方も、私との結婚を前提としたものだろう?」
「あっ……」
「きっと、相手が私でなければ必要のなかった努力や我慢をさせているのだろう。だからこそ、私は君に敬意と好意を示したい」
エングラウンは、クリエールの努力に気がついていた。
確かに、伯爵家以下の家に嫁ぐのなら必要のない知識や経験は多い。なによりも、エングラウンという人気者が婚約者ということで受ける妬み嫉みは当然ある。後者について、エングラウンが認識しているかは不明だが、それがなくともクリエールはもう十分だった。
「好きとか、恋とか……そういったものが自分に縁があると思ってもいなかったので、はっきりとわからないのですが……」
「……ああ」
「私は、エングラウン様が婚約者でよかったと、ずっと思っています、から……」
「…………そうか」
緊張で少し強張っていたエングラウンの表情が、ふっとほころぶ――これは、クリエールが好きなエングラウンの顔だ。
同時に緊張が解けたクリエールは、跪いたままだったエングラウンを立ち上がらせ、彼の手をとる。
「これからもよろしくお願いします、婚約者様」
「ああ。こちらこそよろしく頼むよ、婚約者殿」
視線を合わせてから微笑み合えば、少しくすぐったくなり、頬が熱を持つ。
嬉しくなったクリエールが、思い切って自分から抱きつけば、エングラウンはそっと抱きしめ返した。
「……やはり、君の胸は柔らかく心地が良い」
「その報告は不要です」
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