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本編

第7話_見えざる守護者たち

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「……っ…」
身体中に吸い上げられるような風を感じ、僅かな間隙の後、空気の変化を覚えた蒼矢ソウヤは恐るおそる目を開く。
「…??」
曇天のような一面灰色の空に、土ではない・・・・土色の地表。見える視界に構造物は無く、まるでとてつもなく大きな箱の中にいるような、何もない空間が広がる。道路や大学キャンパスをはじめとするさっきまで見えていた景色も、人々や車の行き交う喧騒も、何もかも消え去っていた。
「――平気?」
横から声をかけられ、振り向くと葉月ハヅキが柔らかく微笑んでいた。
「は…い…」
彼へ見上げてからひと呼吸置いて、蒼矢はぎょっとして目を見張る。先ほどまで袴姿だった装いはがらりと変わっていて、少し長めの襟足は高い位置で一つに結えられ、全身ボディスーツに膝丈のブーツ、格闘用のプロテクターグローブのようなものを手にはめた彼は、まるで…
「いやぁ…初見相手に改めて見られると、やっぱり気恥ずかしいなぁ」
「…!!」
苦笑いする彼を見て思わずうつむいた蒼矢は、みずからの着衣も変わってしまっていることに気付き、更に動揺する。
気付くと、二人の近くに影斗エイトと先ほど会った彼――アカリもいて、細かなパーツやポイントカラーは違えど、自分を含め全員が揃いの格好をしていた。
「『アズライト』」
葉月からの呼びかけに、蒼矢はぴくりと反応する。
頭の中に降りてきたその"名"と、自身の心の中に湧き水のように溢れてきた『アズライト』の自我がぶつかった。
「…はい」
蒼矢――『アズライト』の瞳の色が変わったことが確認できると、葉月――『エピドート』はその肩に優しく手を置いた。
「これから『僕たち』がすることを、見ていて。ひとまず知っておいて欲しいことは、やりながら説明する。離れてても、頭で会話出来るからね」
「…!」
途中から口を閉じ、視線だけを向けながら話すエピドートの仕草に、アズライトは驚きながらも理解する。
「――さて、お出ましだ」
灯――『ロードナイト』が声掛けし、全員がその視線の先へ目をやると、土色の地面が波立ってぼこぼこと膨れ上がり、人型となった[異形のもの]が視界一面に現れた。
「…? またこいつらか」
「妙だね。それに、この間より多い気がしないか…?」
つぶやき合う"二戦目"の彼らを横目に、影斗――『オニキス』が、篭手の装具『暗虚アンキョ』を呼び出しながら前に出た。
「増えようが、おんなじことするだけだろ」
通り過ぎながら、オニキスはアズライトを一瞥する。今いる4人が集まってから初めて投げられたその視線に、アズライトは思わず委縮してしまい、目を足許に落とす。
「…連れて来たんならちゃんとガードしとけ。0.1ミリでも傷つけたら金輪際参加しねぇ」
「…まぁまぁ。折角久々に顔合わせたんだから、協力しようぜ」
ついで睨み据えられたロードナイトは苦笑すると、前へ向けた掌を身体の正面に掲げ、真横へ滑らせた。彼のその手の動きに合わせ、アズライトの身体の周りを一瞬熱風が横切る。
「防御壁を張った。その辺りから大きく離れない限り、君に危害が加えられることはない」
そうアズライトへ言葉をかけると、ロードナイトは太刀の装具『紅蓮グレン』を呼び出し、オニキスの後に続く。
同じように装具『雷嵐ライラン』を呼び出したエピドートは、いつの間にか360度全方位からじわじわと距離を詰めていた[異形]へ向けて、その斧槍を薙いだ。
突如巻き上がった突風に[異形]たちが円の外側へ吹き飛ばされていったのを皮切りに、3人は無数の茶色の群の中へ突っ込んでいった。
高熱の防御壁に囲われたアズライトは、口を半開きにしたままに、彼らの動きを目で追っていた。
頭の中に、時折エピドートからの声が響く。
「ここは『転異空間』といって、僕らがいる地球…『現実世界』って呼んでるんだけど、そことは違う次元にある空間なんだ。景色が変わってるのはそのせいだよ」
オニキスの鉤爪が、[異形]の頭部を片っ端から吹き飛ばしていく。
「今相手にしてるこの茶色いのは[異形]といって、さっき言った『転異空間』とはまた別の次元にある[異界]から『現実世界』へ、危害を加えることを目的に侵入してくる。変身して、この『転異空間』に[異形]を呼び込んで、まぁ…今やってるみたいに退治するのが僕たち『セイバーズ』の仕事」
ロードナイトの太刀がブーメランのように放たれ、[異形]たちの胸から上部を根こそぎ刈っていく。
「さっきまで君の手にあったあの青い鉱石は、『セイバー』に変身して『転異空間』を作るエネルギーになるんだ。…とても大事なものだから、常に肌身離さず持っていて欲しい。君は鉱石に選ばれた人間なんだからね」
「…選ばれた…」
思わず微かにつぶやくアズライトの眼前で、エピドートの振り上げた雷嵐に呼応して、空間一帯に落雷が起こる。
雷が当たって粉々に飛び散っていく無数の[異形]を背景に、アズライトへ振り返ったエピドートは静かに語りかけた。
「そう。『セイバーアズライト』として戦う…それが君に与えられた使命だよ」
「……」
その凄惨な光景をまっすぐ見つめ、全身で受け止めていたアズライトの胸の奥が、じわりと温かくなっていく。
そして、胸の前に青白い光が集まり、徐々に結晶していく。
エピドートも彼の異変に気付き、注視した。
「…それが、君の『装具』か」
空間に浮かぶ、白い柄に透明な刀身の短剣――『水面ミナモ』は、受け止めるようにアズライトが両手を添えると、くるくる回転してから、ぱたりと手のひらに落ちる。
…小さい装具だな…攻撃用じゃないのか? …いよいよ、ノーデータの『彼』の立ち位置が判るな…
ロードナイトも同じように視線をやっていて、セイバーたちの頭に届かないよう内で呟いていた。
「――随分と喰い散らかしてくれるじゃねぇか」
ふいに、一面に広がる土色の屍のから、腹に響くような声が届く。聞こえた方へセイバーたちが一斉に振り向くと、その真後ろが音も無く盛り上がり、一番至近距離にいたロードナイトへ豪速に迫る"何か"が襲った。
「! くっ…」
受け身を取れず、直撃を受けたロードナイトは大きく飛ばされ、[異形]の海に落ちそうになるところでかろうじてその頭部を踏み台に大きく跳躍し、元いた場所へ戻ってくる。
ロードナイトに当たって再び[異形]たちの中に沈んだ"何か"は、ぬるりとその姿を現した。
「俺の可愛い[下僕]どもをぞんざいに扱ってくれた、ほんの挨拶だ…効いたかぁ?」
そう唸るように低く声を発すると、ばさばさの髪に土気色の肌の"男"はぎょろりとした黄色い双眼をむき出しにし、大きく裂けた口から赤い口腔を嫌らしく覗かせた。
「……!!」
その形相に、アズライトは視線を外せないまま固まってしまった。同じくエピドートも驚愕の表情を晒す。
「…!? 何故……」
「そうか、てめぇか…俺の[片割れ]を葬ってくれたのは。…たっぷりお礼してやるからなぁ…?」
「エピドート、どういうことだ?」
体勢を立て直したロードナイトは、"男"の方を見ながら脳内からエピドートへ問いただす。
「昨日、一人で転送して…倒したんだ。いや…倒したはずだ」
「ああ、あの時か…一瞬だったから駆けつける間も無かったな。…あっちは[片割れ]って言ってるぞ、別物なんじゃないのか?」
"男"は[異形]の上で踏ん張ると、先ほどより更に速度を増して、エピドートへ突進していく。エピドートは寸ででかわす。
「[あいつ]と[俺]は同じ卵から生まれた存在だ…今俺の中に渦巻く空虚感を埋めるには、きっとお前を殺すしかないなぁ…。…いや、やっぱお前ら全員だ。小賢しい『セイバー』どもめ…"搾取"してから八つ裂きにして、骨までしゃぶりつくしてやる」
その言葉を聞き、エピドートの中で理解ができる。
…倒せていた。それはそれとして、[異形]が前回と同じなのが不可解だったけど…なるほど。
同じく聞いていたオニキスが、横からにやりと水を差す。
「"同じ卵"だって。あんたら・・・・と同じじゃん、ロード。仲良くしてやれよ」
「馬鹿言え、俺はあいつ・・・と双子だってことを常に後悔してる。あいつの墓前で[奴]と同じほど殊勝な口がきける気がしないな」
「うへぇ、辛辣ぅ」
オニキスの煽りを受け流すと、ロードナイトは沈黙してしまったエピドートに代わり、アズライトへ説明する。
「アズライト、あれが[侵略者]…[異形]の親玉みたいなものだな。大抵現れるのは一体で、あれを倒せば[異形]もまとめて片づけられる」
ロードナイトは、心なしか顔色を悪くしているアズライトを少し気に留めたが、フォローはどうやら事情を知っているらしいエピドートへ任せることにして、『紅蓮』を再び呼び出す。
彼らの眼前で、崩れ落ちていたはずの大量の[異形]が再び形を成していく。
「とりあえず[奴]の頭部を狙う。オニキス、頼むから調子合わせてくれよ」
「…言われなくても?」
そう声を交わすと、二人は同時に別方向から[侵略者]へ切り込んでいく。
エピドートは蘇った[異形]へ雷撃を浴びせ続け、援護と足止めに徹する。
その完璧とも言える息の合わせ方とチームワークに、アズライトはただ呆然と彼らを眺めるしかなかった。
自分がこの『彼ら』の一員になるなんて、頭では漠然と理解できても身体がついていけない。
更に今アズライトの脳内には、昨日身体に刻みつけられた"恐怖"が再び思い起こされてきていた。別物だとはいうが見てくれは全く同じで、そもそもこれほど異質な外見をした得体の知れないものに、怖れを感じないなんてことは不可能だろう。あのぎらついた巨大な目が視界に飛び込んできてからずっと、足が動かせない。
「……っ」
…情けない…、しっかりしろ…!!
アズライトは、震える手で自分の胸を掴んだ。
そんな彼の気持ちに応えるように、再び身体の奥がほんのり温かくなる。
[異界のもの]と戦う存在としての"アズライト"になった今、"蒼矢"の時に感じた恐怖の片隅から、別の感情が彼の中に広がっていった。
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