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本編

第2話_魅惑的な門下生

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あくる日の夕方、都内某所のとある小さな神社に、一人の男子高校生が訪れていた。
「えっと、まず先生に挨拶をして…」
まだ慣れないのか、たどたどしい所作を見せながらそうひとりつぶやくと、参道をそれて神社の敷地内にある住居に向かいかけたところで止まり、足先を元に戻す。
「――お参りしてからにしよう…」
そう律儀な性格をにじませながら社殿で拝礼し、再び住居へ足を運ぶと、少し息を整えてから呼び鈴を鳴らす。
「いらっしゃい。髙城タカシロ君」
玄関に出てきた長身の若い男に、"髙城"と呼ばれたその高校生はぺこりとお辞儀をした。
「先週振りになります、宜しくお願いします」
その仕草に、男はにこやかに口元を緩めながら頷き返す。
「うん、宜しくね。行く前にお茶飲んでいかない? この間のお菓子まだあるよ」
「! いえっ…このまま向かいます。この裏でしたよね」
「そうそう。説明したこと覚えてるかな? もう何人か生徒さん来てるから、わからなかったら聞いてみてね」
「はい」
玄関を閉じ、居宅の裏手へ回ると、道着姿の大学生かもう少し歳高くらいの女性とはち合う。
少し迷う素振りで歩く彼と目が合うと、女性は自然に微笑みながら近付いて来てくれた。
「今日初めて?」
「いえ、二度目で…荷物は更衣室へ置いておいていいんでしたっけ…」
「うん、個別ロッカーになってるから、鍵が付いたままのところは使っていいのよ。鍵は手首に掛けてね」
「! そういえば、そう言われました」
「道着は借りるの?」
「はい、まだ買えてなくて…」
「じゃあ先に道具倉庫に寄った方がいいわ。開けっ放しになってるからそのまま入って、左手前にクリーニングしたものが並べてあるから、自分のサイズのものを借りてってね」
「わかりました」
「で、更衣室は…えっと」
女性は彼の形を見て更衣室の方向を指差そうとするが、少し止まって振り返り、もう一度上から下まで熟視する。
やや間をあけ、なんとなく迷いのような思考を指先に漂わせつつ、男子更衣室を指した。
「……こっちね」
「ありがとうございます」
礼を言い、まっすぐ男子更衣室を目指していく彼の後ろ姿を、女性は首を伸ばしながら見守った。
「…大丈夫、だったよね?」



男子高校生――髙城 蒼矢タカシロ ソウヤは、幼少期から女子に間違えられることが度々あった。盛った若い男が勢いだけで判定するならまだしも、冷静な観察眼で見れるだろう歳を重ねた者でさえ、熟考したうえで出したその判断に迷いを残すほどだった。透き通るような白肌に淡く色づく頬、形の整った口元と先の尖った小さな鼻、少し長めの前髪からのぞく薄い色の大きな瞳。そんな"美人"としか言いようがない容姿に加え、体躯も15歳にしては小柄で線が細く、私服であれば初見ではだいたい女子と勘違いされてしまっていた。
しかしそこはもう、気にするような段階ではなかった。変声期を経て声が幾分か低くなり、喋れば大抵の相手は驚きはするものの、男と認識し直して改めて接してくれる。性質たちが悪いのは、彼の性別が明確になっても、それを解ったうえで情念を寄せる"男"が後を絶たないという点であった。その容姿に反して割と男らしい性格の蒼矢にとってははた迷惑以外のなにものでもなく、近年は少しでもその気を見せた相手には取り合わず、毅然と断るようにしているが、自分より大幅に年上だったりあからさまに体格差があるような相手には、あまり効果がないどころかかえって余計に気を惹いてしまことも多く、大抵は好きに弄ばれ、泣き寝入りすることがほとんどだった。
そして最近、その事情に絡むヒヤリとするような体験を経て、蒼矢はここ・・へ通う決意をしたのだった。

さて、ここ・・というのは、今しがた会話を交わした女性が着こんでいた道着から察せるように、武道場であった。神社の敷地内に設けられた古武術道場は、蒼矢が先ほど訪ねた居宅の家主である前述の若い男が開門している。
その男――楠瀬葉月クスノセ ハヅキは、ここ小社「くすのき神社」の宮司で、大学卒業を目前にした数か月前に、父親から宮司職を譲渡されたばかりだった。父は病がちで、療養のために母方の田舎へ居を移しており、今は葉月一人でこの神社を運営している。古武術の他空手や柔道もたしなんでいる彼は、家業を継いだタイミングで武道場を建て、しばらく一人で鍛錬していたが少しずつ寂しさを感じるようになり、一緒にやってくれる仲間を"生徒"という名目で募集し始めた。
武道場は建てられてまだ間もなく、全ての施設が新しく綺麗で、未経験者や幼い子供でも通いやすい雰囲気を提供しており、少しずつではあるが順調に生徒は増えている。しかも増えるその多くは生徒の口コミからなので、雰囲気を壊す輩もいない。
加えて、オーナー兼指南役である葉月はおっとりした性格で物腰が柔らかく、老若男女誰が相手でも分け隔てなく接するニュートラルな姿勢が非常に受けが良かった。また、神事で袴姿であることはもちろんだったが、普段着も着流しか作務衣、出掛ける時は羽織に足袋・草履と、この現代において数少ない常時和装スタイルで、タレ目で整った容姿に浮世離れしたその雰囲気が相まって、一般人の目を惹いた。たまに生徒とその親類や友人に請われ、和服イケメンとの写真撮影会も繰り広げられている。

そんな、知る人ぞ知る界隈に熱狂的なファンを有するくすのき道場だったが、蒼矢は口コミではなく、神社前にぽつんと貼られた生徒募集の張り紙を見て知ることとなった。予約を取り付けた初日、緊張を抱えた蒼矢を葉月は爽やかな笑顔で迎え、道場見学に来たはずなのに玄関から居間へ通し、そのままのんびりと蒼矢の学校生活や世間話に花を咲かせ、最終的に業を煮やした蒼矢の方から見学を急かされあわてて道場へ向かうという顛末に終わった。半分出鼻をくじかれたような形にはなってしまったが、蒼矢は男の柔和な人柄に安心感を覚えて入門を決めた。
前述通り、蒼矢は自分の身を守る目的で武道を習うことを決意したわけだが、初日に世間話に交えて彼の勉学状況に触れた葉月は、学業を優先にして、週何度と決めず通いたい日に通うようにした方がいいとアドバイスを送った。一日も早く強くなりたいという思いはあったが、続ければ少しずつでも確実に身に付くし、必ず身体は出来上がっていくとも言われ、葉月の言葉に従うことにした。



道着に着替えて道場に入ると、下は小学校入りたてくらいから上は孫がいそうな世代まで、幅広い年齢層の生徒達がストレッチや基礎錬に精を出していた。
初日は見学もままならないくらいにしかこの空間に滞在できなかったため、ほぼ初めてと言っていい"武道場"という空気に、蒼矢は緊張感と高揚感で背筋を伸ばした。
何をするでもなく突っ立っていると、道着姿の葉月が後から入場してくる。微笑みながらちらりと蒼矢へ視線を送ると、軽く手を叩いた。
「すみませんお待たせしました、始めましょう」
生徒達の注目を集めると、自分の脇に蒼矢を呼ぶ。
「こちら、今日から皆さんと一緒に通うようになりました、髙城君です」
「宜しくお願いします」
葉月から紹介され、蒼矢は少し緊張を滲ませながらお辞儀する。代わって蒼矢に視線が注がれる中、葉月は生徒の面々を見回した。
「ええっと、髙城君は高校一年生だから…」
葉月は丁度良い組み相手を探し始め、やがて一人の男子生徒に目をつけると、蒼矢を伴って近付いていく。
「君は高校生だったよね?」
「! はい、二年生です!」
「髙城君の相手、頼めるかな? ストレッチと基礎錬のやり方をひと通り教えてあげて欲しいんだけど」
「!! っはい…、……」
選ばれた男子生徒は元気よく返事をするものの、その後が続かず、何やら押し黙ってしまった。
「? どうしたの?」
「!! あ、いやその……」
明らかな動揺の空気を感じ、葉月はその彼へ注視する。男子生徒は、葉月とは目が合わず、ただずっと蒼矢を凝視していた。否、視線が外せなくなっているようだった。彼からの焼けつくような視線を受け、蒼矢も少し恥ずかしくなり頬を染めながら畳へ目を落とす。しかしその仕草がかえって良くなかったのか、男子生徒の顔から鎖骨が、火が出そうなくらい真っ赤になっていく。
「…? …大丈夫?」
そして、気遣うように声をかけた葉月へ腰を90度折った。
「…すみません!! 相手は…やっぱりちょっと無理です!!」
「えっ?」
頭を下げたまま固まる彼へ、葉月は戸惑いつつも再度お願いしてみる。
「今日、だけでもいいんだけど…駄目かな…?」
「……すみません!!」
しかし再びはっきりと断られてしまい、了承した葉月は彼から離れ、他のあてを探し始める。が、葉月の視線がいった先の、対象者であろう中高生男子たちは、虚空を見上げたり足元へ目をやったりと、揃って葉月から視線をそらしていた。誰彼もがみな顔を赤らめ、ぎこちない表情を晒していた。
「……」
なんとなく彼らの心中を察した葉月は、別の候補へと視線を移す。その先に見えたのは女子高生・女子大生たちで、やはり揃って興味深げに蒼矢を眺めていたが、はなから自分たちは勘定に入ってないと思っているのか、葉月と目が合ってもキョトンとした素振りを返す。
「……。」
…いや、女の子と組ませるわけには…いかない。
そう脳内で結論を出した葉月は、注目を集めていた生徒たちへ手を挙げた。
「…髙城君へは、ひとまず僕がレクチャーします。じゃ、始めましょうか」
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