上 下
428 / 503

2人の時間10

しおりを挟む
 突然のエミルの行動に、星は少し怯えた様に目を大きく見開いた瞳を向けた。

(エミルさん。私が水苦手なの知ってるのに……)

 シャワーを握り締めてにっこりと微笑むエミルの瞳からは、正気が消えていた。

 その顔は、以前星に無理やり手錠をはめた時と似ている。もしかすると星は今、エミルの触れてはならない何かに触れてしまったのかもしれない。すると直後、虚ろな瞳のエミルの手が星の頬を撫でる。

「……星ちゃん。まだ逃亡癖が治ってないのね。これはやっぱり、首輪かしら……そうね。鮮血みたいな、真っ赤なやつがいいわね……」

 怯えた表情の星の首筋を、エミルの細く長い指先がなぞる。
 ダークブレットの一件以来。いや、ライラのことが最大の原因かもしれないが、エミルは時折常軌を逸した行動に出ることがある。

 そんなエミルを正気に戻さないことには、このシャワーの水責めも終わらないと考えた星が、以前の出来事を思い出して大声で叫んだ。

「えっと、確か……私の処女膜をぶち破ってみろ。この――」
「――星ちゃん! そんな汚い言葉を使っちゃだめって前に言ったでしょ! その言葉は私以外に絶対言っちゃだめよ!? いいわね!!」

 エミルはシャワーもその場に放り投げ、星の顔を両手で挟み込むと、真剣な面持ちで星に告げた。

 星は目を丸くしながらゆっくりと頷く。だが、言葉の意味は分からないもののこの呪文は凄い。いつか困った時には使ってみよう。そう心の中で呟くとひとまず去った危機に、星はほっと胸を撫で下ろしていた。

 星の咄嗟の機転を利かした言葉にすっかりいつも通りに戻ったエミルが、星の体に残っていた泡をシャワーで洗い流し、微笑みを浮かべると、星の髪を短く結わえる。

「私も体と髪を洗わないといけないから、先に湯船に入っちゃって」

 っと言われ、星は素直にそれに従った。

 一人用の設定なのだろう。浴槽も子供の星でやっと足を伸ばせるほどでそれほど大きくない。
 視線をできるだけ合わせないようにを心掛けている星は内心では、エミルの様子がまたおかしくなったらと思うと怖かった。
    
 時折、普段の彼女とは別の人格が出るような、そんな感覚に襲われることがある。
 以前の手錠の件と、先程のベッドに押し倒されたこととさっきの首輪発言といい、時折狂気に走った行動を取る。

 それもまた、この世界に閉じ込められていることによるストレスなのだろう。とエミルの横顔を時折見遣って星は考えていた。どっちにしても、その真相を知っているのはエミルだけなのだが……。

 その時、青く長い髪を結わえていたエミルと視線が合う。

「どうしたの?」
「えっ!? い、いえ……」

 素早く目を逸らす星を見て、エミルは何か思い付いたように、意味ありげな微笑みを浮かべ手招きする。

 星は首を傾げながらも、湯船から上がってエミルの側までいく。そんな星にエミルはボディーソープを染み込ませたスポンジを渡すと、そのスポンジを見て小首を傾げながら星はエミルの顔を見つめる。 

「……これって」
「私の背中。洗ってくれない? 手が届かなくて」
「いいですけど。私初めてなので……うまくできないかも……」
「ふふっ、いいのよ~。お姉ちゃんが教えて上げる」

 エミルは今までにないほど、だらしなくにやけている。ただ単に、星にそのセリフを言わせたかっただけなように感じるが。

 そんなこととは無関係に、星は真剣な面持ちでスポンジを泡立てると、その泡を手に取って「いきます」と生唾を飲み込み、緊張しながらエミルの背中に塗り広げていく。

 懸命に手を動かしてエミルの背中を洗っていると、エミルがニヤニヤしながら呟く。

「星ちゃんの手は、小さくてぷにぷにしてて気持ちいいわね~」
「そ、そうですか? 私、上手くできてますか?」
「うんうん」

 エミルは上機嫌で頷くのを見て、星は安堵したように息を漏らす。
 現実世界なら分かるが、どうしてゲーム世界で素手で体を洗わないといけないのかが分からない。

 タオルなどを使うよりも素手の方が肌にいいと現実の世界では言われているが、それがこの世界に適応されるかと言えば全くないだろう。
 まあ、このままこの疑問をぶつければ、またエミルが豹変しかねない。ここは彼女の機嫌を損なわせるのは得策ではない。

 ふと、思い出し。彼女の機嫌がいいうちに、星は心の中で思っていたことを聞いてみる。

 一生懸命に手を動かしながら、星は意を決して口を開いた。

「あの。エミルさんは、早く元の世界に帰りたいですか?」
「……ん? どうしてそんな事を聞くの?」

 振り返って尋ねるエミルに、星は眉をひそめながら言葉を続ける。

「いえ、エミルさんがこの頃怖いと感じる時があって……その、エミルさんもストレスが溜まってるのかな……って」

 ついつい口が滑ってしまったと思って口を塞いだ時にはすでに遅く。その言葉に、エミルの表情が一瞬で険しいものへと変わり。彼女の青い瞳が、星の紫色の瞳をまっすぐ見つめる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

不死王はスローライフを希望します

小狐丸
ファンタジー
 気がついたら、暗い森の中に居た男。  深夜会社から家に帰ったところまでは覚えているが、何故か自分の名前などのパーソナルな部分を覚えていない。  そこで俺は気がつく。 「俺って透けてないか?」  そう、男はゴーストになっていた。  最底辺のゴーストから成り上がる男の物語。  その最終目標は、世界征服でも英雄でもなく、ノンビリと畑を耕し自給自足するスローライフだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  暇になったので、駄文ですが勢いで書いてしまいました。  設定等ユルユルでガバガバですが、暇つぶしと割り切って読んで頂ければと思います。

寝てても勝手にレベルアップ!? ~転生商人がゲーム知識で最強に!?~

月城 友麻
ファンタジー
 就活に失敗し、人生に絶望した主人公・ユータ。「楽して生きていけたらいいのに」と願いながら、ゲーム漬けのニート生活を送っていた彼は、ある日、不摂生がたたってあっさりと死んでしまう。 「まあ、こんな人生だったし」と諦めかけたその時、まぶしい光に包まれて美しい女性が現れる。それはなんと大学時代の憧れの先輩! どうやら彼女は異世界の女神様だったらしい。 「もったいないことして……。あなたにチャンスをあげる」  女神は、ユータに「鑑定スキル」を授けて異世界へと送り出した。  ユータは鑑定スキルを使って試行錯誤するうちに、勝手にレベルアップする【世界のバグ】を見つけてしまう。  どんどん勝手に強くなっていくユータだったが、なかなか人生上手くいかないものである。彼の前に立ちはだかったのは、この世界の英雄「勇者」だった。  イケメンで人気者の勇者。しかし、その正体は女性を食い物にする最低野郎。ユータの大切な人までもが勇者にさらわれてしまう。 「許さねえ...絶対に許さねえぞ、このクソ勇者野郎!」  こうして、寝るだけで最強になったニート転生者と、クソ勇者の対決の幕が上がった――――。

アルケディア・オンライン ~のんびりしたいけど好奇心が勝ってしまうのです~

志位斗 茂家波
ファンタジー
新入社員として社会の波にもまれていた「青葉 春」。 社会人としての苦労を味わいつつ、のんびりと過ごしたいと思い、VRMMOなるものに手を出し、ゆったりとした生活をゲームの中に「ハル」としてのプレイヤーになって求めてみることにした。 ‥‥‥でも、その想いとは裏腹に、日常生活では出てこないであろう才能が開花しまくり、何かと注目されるようになってきてしまう…‥‥のんびりはどこへいった!? ―― 作者が初めて挑むVRMMOもの。初めての分野ゆえに稚拙な部分もあるかもしれないし、投稿頻度は遅めだけど、読者の皆様はのんびりと待てるようにしたいと思います。 コメントや誤字報告に指摘、アドバイスなどもしっかりと受け付けますのでお楽しみください。 小説家になろう様でも掲載しています。 一話あたり1500~6000字を目途に頑張ります。

ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました

カティア
ファンタジー
 疲れ切った現実から逃れるため、VRMMORPG「アナザーワールド・オンライン」に没頭する俺。自由度の高いこのゲームで憧れの料理人を選んだものの、気づけばゲーム内でも完全に負け組。戦闘職ではないこの料理人は、ゲームの中で目立つこともなく、ただ地味に日々を過ごしていた。  そんなある日、フレンドの誘いで参加したレベル上げ中に、運悪く出現したネームドモンスター「猛き猪」に遭遇。通常、戦うには3パーティ18人が必要な強敵で、俺たちのパーティはわずか6人。絶望的な状況で、肝心のアタッカーたちは早々に強制ログアウトし、残されたのは熊型獣人のタンク役クマサンとヒーラーのミコトさん、そして料理人の俺だけ。  逃げるよう促されるも、フレンドを見捨てられず、死を覚悟で猛き猪に包丁を振るうことに。すると、驚くべきことに料理スキルが猛き猪に通用し、しかも与えるダメージは並のアタッカーを遥かに超えていた。これを機に、負け組だった俺の新たな冒険が始まる。  猛き猪との戦いを経て、俺はクマサンとミコトさんと共にギルドを結成。さらに、ある出来事をきっかけにクマサンの正体を知り、その秘密に触れる。そして、クマサンとミコトさんと共にVチューバー活動を始めることになり、ゲーム内外で奇跡の連続が繰り広げられる。  リアルでは無職、ゲームでは負け組職業だった俺が、リアルでもゲームでも自らの力で奇跡を起こす――そんな物語がここに始まる。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート! ***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

藤森フクロウ
ファンタジー
 相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。  悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。  そこには土下座する幼女女神がいた。 『ごめんなさあああい!!!』  最初っからギャン泣きクライマックス。  社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。  真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……  そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?    ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!   第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。  ♦お知らせ♦  余りモノ異世界人の自由生活、コミックス3巻が発売しました!  漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。  よかったらお手に取っていただければ幸いです。    書籍のイラストは万冬しま先生が担当してくださっています。  7巻は6月17日に発送です。地域によって異なりますが、早ければ当日夕方、遅くても2~3日後に書店にお届けになるかと思います。  今回は夏休み帰郷編、ちょっとバトル入りです。  コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。  漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。  ※基本予約投稿が多いです。  たまに失敗してトチ狂ったことになっています。  原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。  現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。  

一期一会の人々

相良武有
現代文学
 人生における一期一会の出逢いと別れを特集する短編集。  人生の一時期や一生に一度の機会に於ける巡り合いや関わり合いや別れ合い。忘れ得ぬ記憶の中から鮮明に蘇えるあの人この人、あの一コマこの一コマ、それは今を生きるその人それぞれの、その時々の生そのものなのである。

処理中です...