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クリステルちゃん。そしてメイド、ルイーダ

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 一旦、蒼井さんのじゆうちょうの世界から抜け出して、元の世界に戻っております。

 以前クリステル雨は貧血で倒れてしまった。それからずっと彼女は、学園に出席していない。その頃のことだ。

 「またかよあいつ。たまにこーゆうことがあんだよな」
 休み時間の教室。順子とあるくが喋っている。
 「心配だね」とあるく。
 「心配なもんか。ズル休みだぜ? どうせあいつ、また落ち込んでんだよ。ったく、貧血で倒れたぐれぇで大げさなんだよ」
 「だけど心配だよ? クリステルちゃん、元気づけてあげなきゃ」

 というわけでその日の放課後、順子とあるくに加え、絵筆の三人はクリステルのおうちへと向かうのだった。

そのおうちは、おうちと呼ぶのがはばかられるような建物だった。一言で言えば豪邸。いや、大豪邸、だった。とにかく庭が広い。中央に噴水まである。この大豪邸は周囲から存在が浮き上がっており、他者の干渉を徹底的に拒絶しているように見える。
 「おら」順子は、一切の躊躇ちゅうちょなく、いかめしい門に備え付けのインターホンを押した。
 「はい」モニター画面に白人の壮年女性が出た。純白のメイド服が身体に馴染なじんでいる。その面差しには冷徹な印象があった。流暢な日本語でしゃべる。「どなた様でございましょう?」
 「俺だよ俺」順子はオレオレ詐欺のような真似をした。自分を親指で指している。
 「あら、不破様でございましたか」
 「よう、久しぶりだなルイーダちゃん」
 「はい。本当にお久しぶりでございます」クリステルの家に長らく務める壮年のメイド、ルイーダは顔をほころばせた。「今日はどういったご用件で?」
 「うん、ちょっとクリステルに会いたいと思ってね。あいつ、ここんところ学校ズル休みしてるから。ちょっとしかってやろうと思ってね」
 「これはこれは、ご心配、痛み入ります」ルイーダは両手をキチンと揃え、丁重ていちょうに、深々と一礼した。「ご学友に心配されて、お嬢様もさぞお喜びになると思います」
 順子はちょっと照れた。鼻の頭をかく。「いや、心配してんじゃなくて、俺はクリステルを叱ってやらねば、というわけでしてそのーー」何やらゴニョゴニョいっている。
 「ウププ」
 「オラァ!」順子は笑った絵筆の胸ぐらをつかみ、哀れな悲鳴を挙げさせた。
 「じゅんちゃんは、クリステルちゃんのことがとっても心配なんです」あるくがいう。
 「ありがとうございます。お会いになられるかどうか、お嬢様に伺ってまいります」ルイーダは心からの礼を施し、モニターのスイッチを切った。

 数分後、再びモニターにルイーダが出た。「まことに申しわけありません」深々と頭を下げる。お嬢様は体調が優れぬようで、今は会いたくない、とのことでございす」
 「チッ。そうかよ」
 三人はクリステル邸をあとにした。

 クリステルは常々思っている。自分の部屋にある衣装ダンスは、別の世界に通じていればいいのに。数頭のこぶりなペガサスが部屋の上空をかけている。天井にはそうした大掛かりな装置があってほしい。お姫様が寝るような、天蓋てんがい付きのベッドでいつも眠りたい。自分の部屋がこんなだったら、どれだけいいだろう。だが、実際には全く違っていた。壁にそびえる大きな書架群には世界文学全集、それに百科事典がぎっしり詰まっている。落ち着いた色調のシックなベッド。どこからともなく控えめな音量で、クラシック音楽が聞こえてくる。こうしたものは全て、厳格な母親のお仕着せだった。そうした部屋のベッドには今、大きな膨らみができている。
 それは、クリステルがベッドで毛布をかぶっているからだ。こうして落ち込むことがよくある。

 部屋にノックの音が響いた。
 クリステルはピクリとし、身をこわばらせた。それだけで、応答しない。
 「……。お嬢様」声の主はルイーダだ。応答がないので再度ノックした。
 それでもまだ、クリステルは応答しない。
 「お嬢様、お友達が参っておりますが」ルイーダは荘厳そうごんな扉をへだてて話している。
 「今は会いたくないの」
 二人は外国の言葉で話している。
 「ですが」
 「いいから。帰ってもらって」クリステルの声音にはどこかとげがあった。
 「……。ですがお友達にはなんと申し上げたら」
 「いつもみたいに言えばいいでしょ」クリステルはルイーダの言葉をさえぎり、突き放した言い方をした。
 ルイーダは沈黙する。「かしこまりました」丁重ていちょうに一礼し、扉の前を去った。

 三人の同級生が去ったあと。

 ルイーダはクリステルの自室の扉を再びノックした。「お嬢様」しばらく待っても返答がないのでルイーダは一礼し、踵を返す。
 「待って」クリステルは、依然毛布をかぶったままだ。その声は幼い子供のようだ。「きて」今のクリステルは、学園にいるときのしっかりものとしての甲冑を脱ぎ捨てている。
 「……失礼いたします」ルイーダは部屋に入り、しっかり扉をしめる。両手を体の前にそろえ、姿勢良く立っている。
 少し、時間がたった。

 クリステルが口を開く。「どうだった?」
 「はい。お友達の方々はお帰りになられました」
 「それで?」
 「と、申しますと?」
 「順子ちゃん怒ってた?」
 「……。いえ。不破様はとても心配しておいでで」
 「うそつき」
 ルイーダは答えない。
 「うそつき!」クリステルは急にかんしゃくを爆発させた。
 ルイーダは依然黙ったままだ。
 「順子ちゃんが怒らないわけないじゃない!」
 沈黙が続く。部屋にはクラシックの音だけが流れている。

 やがてクリステルは一転してしぼんだ声を出した。「怒ってたよね、順子ちゃん」
 「……。はい。少々立腹されておいででした」
 しばらく部屋の音は、クラシックとそれに混じるかすかなすすり泣きの音だけになった。

 急に怒鳴り散らしたかと思うと、今度は泣き始める。まるでわがままな駄々っ子のようだ。たかが貧血で倒れただけではないか。高校生にもなって、ここまで落ち込むようなことか? とルイーダは思った。だが口にはしない。「……。お嬢様」

 しばらくしてすすり泣きの音がやんだ。
 「お嬢様、カモミールをお持ちいたしましょうか?」
 クリステルは答えない。
 「お嬢様」
 「でてって」
 「……。ハーブティーはよろしいのですか?」
 「でてって!」
 ルイーダは押し黙る。「それでは、失礼いたします」一礼し、踵を返す。扉へ手をかけ、開けた。
 「まって!」
 ルイーダはクリステルの方へ向き直る。両手をそろえ、姿勢良く立つ。
 さっきとは一転して泣きそうな声でいう。「いかないで」
 ルイーダは黙っている。
 「きて」
 「はい」ルイーダは足を踏み出す。
 「閉めて」
 「失礼いたしました」ルイーダは一礼してから扉をしめる。
 「きて」いつの間にかクリステルは、毛布から片手をのぞかせていた。「にぎって」
 「はい」ルイーダはクリステルへ近寄り、その手を握った。
 クリステルは、嬉しそうに、ほんのかすか笑った。「ずっとそうしてて」
 「はい」(やはりお嬢様はわがままで駄々っ子だ。手に負えない。だけど、なんて可愛い子だろう。それが奥様には全然わからないのだわ)ルイーダは憤りを感じた。と同時に、クリステルの手のぬくもりで、自分の心が洗われるようだった。
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