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三章
21、夕暮れのお店
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お酒を出しているお店は混んでいるけれど、アレクが選んだお店は空いていた。
赤や青の小花が咲いた植木鉢が入り口に並んでいる。
水をあげたばかりなのかしら。葉先からは水が滴って、その一粒一粒に宵の美しい藍や紫の空の色を閉じ込めている。
中に入るとお客さまは女性ばかりで、わたしに気づいたのか軽く微笑んだり会釈はするけれど、気に留める様子もなかった。
王女であることはばれているみたいだけれど。
こんな風に適度に関心を示されないのが、とても心地よい。
でも反対に、女性客の中で体格のいいアレクはとても目立ってしまうけれど。
大通り側とは反対の、庭に面した窓辺の椅子をアレクが引いてくれる。
一見すると草におおわれた庭に見えるけれど。庭師のおじいさんが教えてくれたことのある、グラスガーデンなのだと気づいた。
涼やかな細い葉が、宵の風にさやさやと揺れている。王宮のお庭にもある白銀葭、それと変わった色の猫じゃらし。緑の猫じゃらしと、赤紫のも。
それらが高さの違う位置で、それぞれ風に吹かれてるのだから。きっと猫は大喜びね。
「何になさいますか?」
アレクがメニューを開いて渡してくれる。
搾りたてのジュース、紅茶の数々。ケーキもあるし、ベリーを封じ込めた透明なゼリーや、すみれの花の砂糖漬けを載せたマフィン。
ああ、だめ。選べない。
頭の中がぐるぐると混乱し始めた時、わたしの目に「林檎とブラックベリーのコンポート。シャンティクリームとショートブレッド添え」という一文が飛び込んできた。
「これ。これにしますっ」
「飲み物は紅茶でよろしいですね? ミルクで?」
「うん」
アレクはお店の人を呼ぶと、注文をしてくれる。彼はハーブティーと、それとは別に持ち帰りでサンドウィッチを頼んでいた。
今は勤務中ではないけれど。わたしがいるから……わたしを送り届けないといけないから、お酒は飲まない。
そういえばアレクがお酒を飲んでいるところを、見たことがないかも。
「アレク、市場に行っていたけど。夕食を買いに行っていたの?」
「その予定でしたね」
しばらくしてわたしの前に、ガラスの器に入った鮮やかな濃い赤のコンポートと、真っ白なクリーム、細長くて温かいショートブレッドが載せられたお皿が運ばれてきた。
ああ、赤と白の対比がきれい。
ずっと見つめていたいほどよ。
「姫さ……マルティナさまはベリーとクリームの取り合わせが、殊の外お好きでいらっしゃいますね」
「一応、ゼリーと悩んだのよ」
「両方頼んでも良かったんですよ?」
まぁ、なんて魅惑的な誘惑。でもね、淑女は食べたいものをずらりとテーブルに並べたりしないわ。
深い緑と琥珀色の二つのキャンドルホルダー。その中の蝋燭に灯がともされて、光が揺らめいている。
アレクはティーポットに入ったお茶を大ぶりのカップに注いだ。
レモンは入っていないのに、レモンの香りがする。
「レモングラスですよ」
「アレクはレモンの匂いが好きなの?」
「え? ああ、確かにそうかもしれませんね。でも、どうして?」
「……アレクはレモンの匂いがするもの。昔から、ずっと。だからね、姿が見えなくてもふわっとレモンの香りがしたら、アレクがいるって分かるのよ」
何気ない言葉だったのに、向かいの席のアレクは瞬きもせずにわたしを見つめていた。
そして徐々に耳が赤く染まっていったの。
顔色は変わっていないのに。
「す、済みません。そうでした、姫……マルティナさまは幼い頃から、私をすぐに見つけていらっしゃいました」
アレクは急に照れだした。
落ち着いた彼にしては、カップをソーサーに当てて音を立ててしまうし。
どうしたのかしら。
「姫さまの愛は年季が入っていますね」
「そうなの。アレクを好きなことにかけては、誰にも負けない自信があるわ」
「……っ」
今度はアレクは、窓の方を向いてしまったの。随分と日が暮れてしまったから、グラスガーデンはもう宵闇に沈んでいるのに。
「ねぇ、アレク。こっちを見て」
「いえ、それはできません」
「お願いしても?」
「たとえマルティナさまのお願いであろうと、無理なものは無理です」
もう、純情ね。
「わたし、昔からずっと『好き』って言い続けているわ」
「分かっています」
「じゃあ、どうして急に照れるのかしら」
意地悪く言ってみる。
だって、そうでしょ。これまでわたしが愛情表現をしても、アレクってば冷静だったり飄々としてることが多かったんだもの。
林檎とブラックベリーのコンポートは、とても甘いけれど。
でもね、アレクの照れてる姿を見ていると、もっと甘くなっちゃうの。
赤や青の小花が咲いた植木鉢が入り口に並んでいる。
水をあげたばかりなのかしら。葉先からは水が滴って、その一粒一粒に宵の美しい藍や紫の空の色を閉じ込めている。
中に入るとお客さまは女性ばかりで、わたしに気づいたのか軽く微笑んだり会釈はするけれど、気に留める様子もなかった。
王女であることはばれているみたいだけれど。
こんな風に適度に関心を示されないのが、とても心地よい。
でも反対に、女性客の中で体格のいいアレクはとても目立ってしまうけれど。
大通り側とは反対の、庭に面した窓辺の椅子をアレクが引いてくれる。
一見すると草におおわれた庭に見えるけれど。庭師のおじいさんが教えてくれたことのある、グラスガーデンなのだと気づいた。
涼やかな細い葉が、宵の風にさやさやと揺れている。王宮のお庭にもある白銀葭、それと変わった色の猫じゃらし。緑の猫じゃらしと、赤紫のも。
それらが高さの違う位置で、それぞれ風に吹かれてるのだから。きっと猫は大喜びね。
「何になさいますか?」
アレクがメニューを開いて渡してくれる。
搾りたてのジュース、紅茶の数々。ケーキもあるし、ベリーを封じ込めた透明なゼリーや、すみれの花の砂糖漬けを載せたマフィン。
ああ、だめ。選べない。
頭の中がぐるぐると混乱し始めた時、わたしの目に「林檎とブラックベリーのコンポート。シャンティクリームとショートブレッド添え」という一文が飛び込んできた。
「これ。これにしますっ」
「飲み物は紅茶でよろしいですね? ミルクで?」
「うん」
アレクはお店の人を呼ぶと、注文をしてくれる。彼はハーブティーと、それとは別に持ち帰りでサンドウィッチを頼んでいた。
今は勤務中ではないけれど。わたしがいるから……わたしを送り届けないといけないから、お酒は飲まない。
そういえばアレクがお酒を飲んでいるところを、見たことがないかも。
「アレク、市場に行っていたけど。夕食を買いに行っていたの?」
「その予定でしたね」
しばらくしてわたしの前に、ガラスの器に入った鮮やかな濃い赤のコンポートと、真っ白なクリーム、細長くて温かいショートブレッドが載せられたお皿が運ばれてきた。
ああ、赤と白の対比がきれい。
ずっと見つめていたいほどよ。
「姫さ……マルティナさまはベリーとクリームの取り合わせが、殊の外お好きでいらっしゃいますね」
「一応、ゼリーと悩んだのよ」
「両方頼んでも良かったんですよ?」
まぁ、なんて魅惑的な誘惑。でもね、淑女は食べたいものをずらりとテーブルに並べたりしないわ。
深い緑と琥珀色の二つのキャンドルホルダー。その中の蝋燭に灯がともされて、光が揺らめいている。
アレクはティーポットに入ったお茶を大ぶりのカップに注いだ。
レモンは入っていないのに、レモンの香りがする。
「レモングラスですよ」
「アレクはレモンの匂いが好きなの?」
「え? ああ、確かにそうかもしれませんね。でも、どうして?」
「……アレクはレモンの匂いがするもの。昔から、ずっと。だからね、姿が見えなくてもふわっとレモンの香りがしたら、アレクがいるって分かるのよ」
何気ない言葉だったのに、向かいの席のアレクは瞬きもせずにわたしを見つめていた。
そして徐々に耳が赤く染まっていったの。
顔色は変わっていないのに。
「す、済みません。そうでした、姫……マルティナさまは幼い頃から、私をすぐに見つけていらっしゃいました」
アレクは急に照れだした。
落ち着いた彼にしては、カップをソーサーに当てて音を立ててしまうし。
どうしたのかしら。
「姫さまの愛は年季が入っていますね」
「そうなの。アレクを好きなことにかけては、誰にも負けない自信があるわ」
「……っ」
今度はアレクは、窓の方を向いてしまったの。随分と日が暮れてしまったから、グラスガーデンはもう宵闇に沈んでいるのに。
「ねぇ、アレク。こっちを見て」
「いえ、それはできません」
「お願いしても?」
「たとえマルティナさまのお願いであろうと、無理なものは無理です」
もう、純情ね。
「わたし、昔からずっと『好き』って言い続けているわ」
「分かっています」
「じゃあ、どうして急に照れるのかしら」
意地悪く言ってみる。
だって、そうでしょ。これまでわたしが愛情表現をしても、アレクってば冷静だったり飄々としてることが多かったんだもの。
林檎とブラックベリーのコンポートは、とても甘いけれど。
でもね、アレクの照れてる姿を見ていると、もっと甘くなっちゃうの。
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