小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

文字の大きさ
上 下
57 / 78
三章

18、雑踏【2】

しおりを挟む
 男はエーミルを狙ってナイフを突き出してくる。私はその隙に、男を地面に押し倒した。
 地面に転がるナイフをなおも掴もうとするので、申し訳ないが男の手の甲を踏みつける。

 狙った相手がエーミルではなく、バート殿下であればこんなものでは済まない。

 ばたばたと治安官吏の足音が迫ってくる。男は異国の言葉で「離せ」ともがく。
 
「騎士さま、ご無事ですか」
「ああ、問題ない」
「王子や王女がこちらにいらっしゃるということは?」
「大丈夫だ。もう勤務は終わった」

 私がそう言うと官吏たちは「そうでしたか」と、ほっとした表情を浮かべた。密航者を地面に取り押さえ、後ろ手に縛ろうとしている。
 ナイフを持っていなければ、王子(ではないのだが)を襲おうとしなければ手荒な扱いは受けないだろうに。

「その男は貨物船に乗り込んでいたのです。港から逃げ出して、追っていたところです」
「なるほど」

 治安官吏の説明に、私は頷いた。
 移民として受け入れられるには条件がある。この国で五年働き納税し、不便なく読み書きができる。そうすれば居住権が得られる。
 
 言葉で言うほどに簡単ではない。自国での生活が苦しくなければ、国外に出る必要などないからだ。そして親族も知人もいない国でできる仕事など、そうそうない。
 それでもだが、新天地にくれば幸せになれるだろう、裕福な暮らしができるだろうと密航する者は少数ではあるがいる。
 
 このヴァーリン王国だけではなく、周囲の国でも問題となっている。
 どの国に生まれたか、どの階級に生まれたか。それだけで人生が決まってしまう理不尽さは、私にも理解できる。

「正規の手続きに時間がかかるのは分かる。だが密かに入りこんだ国で、其処の国民にナイフを向ける。そんな脅しに屈して要求を呑む国が、どこにある」

 男は、自国の言葉で喚き返した。
 治安官吏にもエーミルにも、その内容は分からないようだが。
 かなり品のない、眉をしかめたくなる罵りだった。

 私はクリスティアン殿下の護衛を務めていた時に、殿下の外交のお供の為に語学はかなり学んだ。
 たとえば殿下が席を外す時、敢えて私以外の者を護衛としてつかせる。
 そうすれば、部屋に残された私……たかが護衛騎士の私が何カ国語も理解できると相手は思わない。
 それはそうだろう。体を鍛えることしか興味なさそうな体格をしているからな、私は。

 相手に言葉が分からないと思えば、軽んじて本音が洩れる。
 たとえにこやかな表情を浮かべていたとしても、側近と喋る言葉が辛辣であるならば、殿下や我がヴァーリン王国のことを見下しているのであれば。
 その場で交渉は決裂だ。

 知識は力だ。勉強は難しいと嫌う騎士は、そもそも護衛騎士にはなれない。できるかできないかではなく、どれほど多くの国の言葉を理解できるかだ。

「では、このまま連行しますので」
 
 治安官吏たちは縛り上げた男を立たせて、歩くように促した。
 その時だ。
 人のほとんどいなくなった市場に、まるで軽やかに蝶が飛んできたように見えたのは。

「で……」

 エーミルが飲み込んだ言葉は「殿下」だった。
 訳が分からなかった。
 供をつけることもなく、幼いバート殿下がこちらに向かって走ってくるのだ。柔らかな髪を夕陽に輝かせながら。

 果物や米や肉が散乱した広場。その中でバート殿下の清らかさは明らかに異質だった。
 濁った水が殿下の周囲だけ、一瞬に澄んだきれいな水に変わるかのように。
 幼い少年の進みにしたがい、辺りは静謐に包まれていく。

 私とエーミルは瞬時に、殿下に向かって駆けだした。

「いらっしゃいました、こちらです」
「バートっ」

 続いて現れたのは、マルティナさまと女性の護衛騎士だ。マルティナさまがお召しになっているのは簡素な白いブラウスと薄紫のスカートだ。
 薄汚れた広場が、一瞬で王宮のはなやいだ庭へと変化したように思えた。

 だが、暢気に感慨に浸っている場合ではない。マルティナさまはすでに異変を察しているようで、表情がとても硬い。
 男が「そっちか」と呟いて、治安官吏を突き飛ばす。

 後ろ手に縛られているというのに、男はバート殿下に向かって走って来た。
 何事が起ったのか分からぬ殿下は立ち止まり、固まってしまっている。

 私とエーミルの背後にバート殿下を庇う。マルティナさまには護衛がついているから問題はない。
 突進してくる男。今はナイフを持っていない男に、エーミルは一瞬怯んだ。
 相手が武器を持っていれば、逆に怯むことなどないのに。

「エーミル。決闘ではないのだ、己の責務を全うしろ」
「は、はいっ」

 私はためらわず、剣を構える。

「殿下、動いてはなりませんよ。私もエーミルもたいそう困りますからね」
「うん」
「素直でよろしい」
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

夫と息子は私が守ります!〜呪いを受けた夫とワケあり義息子を守る転生令嬢の奮闘記〜

梵天丸
恋愛
グリーン侯爵家のシャーレットは、妾の子ということで本妻の子たちとは差別化され、不遇な扱いを受けていた。 そんなシャーレットにある日、いわくつきの公爵との結婚の話が舞い込む。 実はシャーレットはバツイチで元保育士の転生令嬢だった。そしてこの物語の舞台は、彼女が愛読していた小説の世界のものだ。原作の小説には4行ほどしか登場しないシャーレットは、公爵との結婚後すぐに離婚し、出戻っていた。しかしその後、シャーレットは30歳年上のやもめ子爵に嫁がされた挙げ句、愛人に殺されるという不遇な脇役だった。 悲惨な末路を避けるためには、何としても公爵との結婚を長続きさせるしかない。 しかし、嫁いだ先の公爵家は、極寒の北国にある上、夫である公爵は魔女の呪いを受けて目が見えない。さらに公爵を始め、公爵家の人たちはシャーレットに対してよそよそしく、いかにも早く出て行って欲しいという雰囲気だった。原作のシャーレットが耐えきれずに離婚した理由が分かる。しかし、実家に戻れば、悲惨な末路が待っている。シャーレットは図々しく居座る計画を立てる。 そんなある日、シャーレットは城の中で公爵にそっくりな子どもと出会う。その子どもは、公爵のことを「お父さん」と呼んだ。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

人質王女の恋

小ろく
恋愛
先の戦争で傷を負った王女ミシェルは顔に大きな痣が残ってしまい、ベールで隠し人目から隠れて過ごしていた。 数年後、隣国の裏切りで亡国の危機が訪れる。 それを救ったのは、今まで国交のなかった強大国ヒューブレイン。 両国の国交正常化まで、ミシェルを人質としてヒューブレインで預かることになる。 聡明で清楚なミシェルに、国王アスランは惹かれていく。ミシェルも誠実で美しいアスランに惹かれていくが、顔の痣がアスランへの想いを止める。 傷を持つ王女と一途な国王の恋の話。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。 十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。 そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり────── ※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。 ※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...