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9、女の子は難しい
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夜には涼しい風がふく。
月はまだのぼっていないので、星の白さがいっそう涼しく輝いている。
ストランド家の庭に面したテラスに置かれた椅子にすわり、レオンはウィスキーを飲んでいた。グラスをかたむけると、ゆらりと琥珀色の液体がゆれる。シングルモルトの、スモーキーな香りがふわっと立ちのぼった。
「今夜はしずかだな」
虫の声が、りりりとレオンの独り言に応じる。
「ふだんは酒を飲むときも、ストランド男爵令嬢がそばにいるからな」
いつもどおりにテラスのテーブルにはミリアム用の飲みものがおいてある。涼しい季節にはココア。初夏のいまは、レモネードだ。
「よくそんなお薬みたいなのが飲めますね」
「ストランド男爵令嬢?」
ふと聞こえた声にレオンはふり返ったが、そこには誰もいなかった。夜風がただ耳をかすめただけ。
「なんだ空耳か」
そういえば以前、ミリアムにレオンの飲んでいるウィスキーが薬くさいと指摘されたことを思いだした。
議会のあいだ、王都のタウンハウスにはレオンとメイドしかいない。だから家にいるときは静かであたりまえ。
だが、この館にいるときは、つねにミリアムが猫のようにまとわりついてくる。
それをうるさいと思ったことはないが、にぎやかではある。
「今夜はブルーノもいないな。彼女のところにいるのか」
あの裏切り者め、とレオンは苦笑した。
「お、おにいさま……」
「また空耳か。今日は疲れたのかな」
「空耳じゃないです」
いまにも消え入りそうな声に、レオンは椅子から立ちあがった。
テラスに出る窓によりかかるようにして、ミリアムがひっそりと立っていた。ブルーノが心配そうに彼女の顔を見あげながら寄り添っている。
「大丈夫か? よれよれじゃないか」
「よれよれです。よれよれになってしまったの」
テラスのテーブルにおいた蝋燭しか明かりがないから、ミリアムの表情はよく見えない。だが、涙声なのはレオンにもわかった。
「いったいなにがあったんだ」
「強くひっぱりすぎたのかしら。力まかせだったのかしら」
「くぅん」
応じるブルーノは、何があったのかをわかっているようだ。
(これが議員相手なら「貴殿に詳細な説明を求める」と言い放てるのに。まだおさない少女相手になんて言えばいいんだ)
わからない。
(女の子の相手は難しいんだよ)
レオンは助けを乞うために、ブルーノに視線を向けたが。愛犬は、わざと無視をして顔をそむける。
「ごんなになっでしばいばしたぁ」
涙声でミリアムがさしだしたのは、くしゃくしゃになった布だった。レオンが広げてみると、どうやら刺繍がほどこしてあるらしい。
「これはなにかな?」
「花の宴です」
「ほぉ。聞いたことがないな」
あわいむらさき色の布に、とりどりの色糸でざっくりと刺してあるのは花の模様。そして実をつけた枝をはこぶ小鳥のモチーフ。
おそらくは全体の十分の一ほどの図案しか刺せてはいないようだ。
とはいえ線画のようなステッチであり、図案も大きいのでとても目立つ。
「花の宴っていうのは、季節の花を眺めながらお食事をとることなんです。ほんとうはお酒も、ですけど」
さっきまでの涙声がウソのように、ミリアムはすらすらと説明をはじめた。
「古い詩集であるんです。王宮のお庭にさきほこるお花をうたった詩なんですけど。花のしたで王族が宴をもよおしていたんです。そこで、お子様さまがなかなかお生まれにならない王妃さまのもとに、小鳥がヤドリギの白い実を運んでくるの。そうしたら王子がお生まれになったという内容なんですけど」
「つまり縁起がいいということだな」
「ええ。それと、お外でお食事がとれるというのも女性にならわかるかなぁって思って」
もじもじと恥ずかしそうに、ミリアムは体の前で指を組んだり外したりしている。
「でも、でも……わたし、刺繍が苦手で。布がくしゃっとなってしまって」
(あ、また泣く)
レオンはとっさにミリアムの頭に手をのせた。
どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからないといった風に、ちいさな頭に手をおいたままで、レオンは固まった。
「あー、つまりだな。外の菩提樹の枝からこの布を下げて、目隠しにするんだな? あと、女性にだけつうじる看板がわりにもなる。そうだろ?」
「そ、そうでず。どうしでおわかりになるの」
「おわかりになりますよ」
ミリアムの口調がうつってしまったレオンは、困ったように微笑んだ。
(きみはいい子なのだな。俺の店の客のことをこんなにも考えて。すぐに実行してくれる。きみのような子が、ずっと一緒にいてくれたら……)
そう考えてハッとした。
(いやいやいや。いくら婚約者とはいえ、ストランド男爵令嬢はまだ子ども。好ましいと感じているのは、もし俺に妹がいればこんな風に仲よくできるかもと思うからだ)
ミリアムは、レオンが実家のリングダール伯爵家では、決して味わうことのできなかったぬくもりを与えてくれる。
月はまだのぼっていないので、星の白さがいっそう涼しく輝いている。
ストランド家の庭に面したテラスに置かれた椅子にすわり、レオンはウィスキーを飲んでいた。グラスをかたむけると、ゆらりと琥珀色の液体がゆれる。シングルモルトの、スモーキーな香りがふわっと立ちのぼった。
「今夜はしずかだな」
虫の声が、りりりとレオンの独り言に応じる。
「ふだんは酒を飲むときも、ストランド男爵令嬢がそばにいるからな」
いつもどおりにテラスのテーブルにはミリアム用の飲みものがおいてある。涼しい季節にはココア。初夏のいまは、レモネードだ。
「よくそんなお薬みたいなのが飲めますね」
「ストランド男爵令嬢?」
ふと聞こえた声にレオンはふり返ったが、そこには誰もいなかった。夜風がただ耳をかすめただけ。
「なんだ空耳か」
そういえば以前、ミリアムにレオンの飲んでいるウィスキーが薬くさいと指摘されたことを思いだした。
議会のあいだ、王都のタウンハウスにはレオンとメイドしかいない。だから家にいるときは静かであたりまえ。
だが、この館にいるときは、つねにミリアムが猫のようにまとわりついてくる。
それをうるさいと思ったことはないが、にぎやかではある。
「今夜はブルーノもいないな。彼女のところにいるのか」
あの裏切り者め、とレオンは苦笑した。
「お、おにいさま……」
「また空耳か。今日は疲れたのかな」
「空耳じゃないです」
いまにも消え入りそうな声に、レオンは椅子から立ちあがった。
テラスに出る窓によりかかるようにして、ミリアムがひっそりと立っていた。ブルーノが心配そうに彼女の顔を見あげながら寄り添っている。
「大丈夫か? よれよれじゃないか」
「よれよれです。よれよれになってしまったの」
テラスのテーブルにおいた蝋燭しか明かりがないから、ミリアムの表情はよく見えない。だが、涙声なのはレオンにもわかった。
「いったいなにがあったんだ」
「強くひっぱりすぎたのかしら。力まかせだったのかしら」
「くぅん」
応じるブルーノは、何があったのかをわかっているようだ。
(これが議員相手なら「貴殿に詳細な説明を求める」と言い放てるのに。まだおさない少女相手になんて言えばいいんだ)
わからない。
(女の子の相手は難しいんだよ)
レオンは助けを乞うために、ブルーノに視線を向けたが。愛犬は、わざと無視をして顔をそむける。
「ごんなになっでしばいばしたぁ」
涙声でミリアムがさしだしたのは、くしゃくしゃになった布だった。レオンが広げてみると、どうやら刺繍がほどこしてあるらしい。
「これはなにかな?」
「花の宴です」
「ほぉ。聞いたことがないな」
あわいむらさき色の布に、とりどりの色糸でざっくりと刺してあるのは花の模様。そして実をつけた枝をはこぶ小鳥のモチーフ。
おそらくは全体の十分の一ほどの図案しか刺せてはいないようだ。
とはいえ線画のようなステッチであり、図案も大きいのでとても目立つ。
「花の宴っていうのは、季節の花を眺めながらお食事をとることなんです。ほんとうはお酒も、ですけど」
さっきまでの涙声がウソのように、ミリアムはすらすらと説明をはじめた。
「古い詩集であるんです。王宮のお庭にさきほこるお花をうたった詩なんですけど。花のしたで王族が宴をもよおしていたんです。そこで、お子様さまがなかなかお生まれにならない王妃さまのもとに、小鳥がヤドリギの白い実を運んでくるの。そうしたら王子がお生まれになったという内容なんですけど」
「つまり縁起がいいということだな」
「ええ。それと、お外でお食事がとれるというのも女性にならわかるかなぁって思って」
もじもじと恥ずかしそうに、ミリアムは体の前で指を組んだり外したりしている。
「でも、でも……わたし、刺繍が苦手で。布がくしゃっとなってしまって」
(あ、また泣く)
レオンはとっさにミリアムの頭に手をのせた。
どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからないといった風に、ちいさな頭に手をおいたままで、レオンは固まった。
「あー、つまりだな。外の菩提樹の枝からこの布を下げて、目隠しにするんだな? あと、女性にだけつうじる看板がわりにもなる。そうだろ?」
「そ、そうでず。どうしでおわかりになるの」
「おわかりになりますよ」
ミリアムの口調がうつってしまったレオンは、困ったように微笑んだ。
(きみはいい子なのだな。俺の店の客のことをこんなにも考えて。すぐに実行してくれる。きみのような子が、ずっと一緒にいてくれたら……)
そう考えてハッとした。
(いやいやいや。いくら婚約者とはいえ、ストランド男爵令嬢はまだ子ども。好ましいと感じているのは、もし俺に妹がいればこんな風に仲よくできるかもと思うからだ)
ミリアムは、レオンが実家のリングダール伯爵家では、決して味わうことのできなかったぬくもりを与えてくれる。
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