上 下
9 / 19

9、女の子は難しい

しおりを挟む
 夜には涼しい風がふく。
 月はまだのぼっていないので、星の白さがいっそう涼しく輝いている。

 ストランド家の庭に面したテラスに置かれた椅子にすわり、レオンはウィスキーを飲んでいた。グラスをかたむけると、ゆらりと琥珀色の液体がゆれる。シングルモルトの、スモーキーな香りがふわっと立ちのぼった。

「今夜はしずかだな」

 虫の声が、りりりとレオンの独り言に応じる。

「ふだんは酒を飲むときも、ストランド男爵令嬢がそばにいるからな」

 いつもどおりにテラスのテーブルにはミリアム用の飲みものがおいてある。涼しい季節にはココア。初夏のいまは、レモネードだ。

「よくそんなお薬みたいなのが飲めますね」
「ストランド男爵令嬢?」

 ふと聞こえた声にレオンはふり返ったが、そこには誰もいなかった。夜風がただ耳をかすめただけ。

「なんだ空耳か」

 そういえば以前、ミリアムにレオンの飲んでいるウィスキーが薬くさいと指摘されたことを思いだした。

 議会のあいだ、王都のタウンハウスにはレオンとメイドしかいない。だから家にいるときは静かであたりまえ。
 だが、この館にいるときは、つねにミリアムが猫のようにまとわりついてくる。
 それをうるさいと思ったことはないが、にぎやかではある。

「今夜はブルーノもいないな。彼女のところにいるのか」

 あの裏切り者め、とレオンは苦笑した。

「お、おにいさま……」
「また空耳か。今日は疲れたのかな」
「空耳じゃないです」

 いまにも消え入りそうな声に、レオンは椅子から立ちあがった。
 テラスに出る窓によりかかるようにして、ミリアムがひっそりと立っていた。ブルーノが心配そうに彼女の顔を見あげながら寄り添っている。

「大丈夫か? よれよれじゃないか」
「よれよれです。よれよれになってしまったの」

 テラスのテーブルにおいた蝋燭しか明かりがないから、ミリアムの表情はよく見えない。だが、涙声なのはレオンにもわかった。

「いったいなにがあったんだ」
「強くひっぱりすぎたのかしら。力まかせだったのかしら」
「くぅん」

 応じるブルーノは、何があったのかをわかっているようだ。

(これが議員相手なら「貴殿に詳細な説明を求める」と言い放てるのに。まだおさない少女相手になんて言えばいいんだ)

 わからない。

(女の子の相手は難しいんだよ)

 レオンは助けを乞うために、ブルーノに視線を向けたが。愛犬は、わざと無視をして顔をそむける。

「ごんなになっでしばいばしたぁ」

 涙声でミリアムがさしだしたのは、くしゃくしゃになった布だった。レオンが広げてみると、どうやら刺繍がほどこしてあるらしい。

「これはなにかな?」
「花のうたげです」
「ほぉ。聞いたことがないな」

 あわいむらさき色の布に、とりどりの色糸でざっくりと刺してあるのは花の模様。そして実をつけた枝をはこぶ小鳥のモチーフ。
 おそらくは全体の十分の一ほどの図案しか刺せてはいないようだ。
とはいえ線画のようなステッチであり、図案も大きいのでとても目立つ。

「花の宴っていうのは、季節の花を眺めながらお食事をとることなんです。ほんとうはお酒も、ですけど」

 さっきまでの涙声がウソのように、ミリアムはすらすらと説明をはじめた。

「古い詩集であるんです。王宮のお庭にさきほこるお花をうたった詩なんですけど。花のしたで王族が宴をもよおしていたんです。そこで、お子様さまがなかなかお生まれにならない王妃さまのもとに、小鳥がヤドリギの白い実を運んでくるの。そうしたら王子がお生まれになったという内容なんですけど」

「つまり縁起がいいということだな」
「ええ。それと、お外でお食事がとれるというのも女性にならわかるかなぁって思って」

 もじもじと恥ずかしそうに、ミリアムは体の前で指を組んだり外したりしている。

「でも、でも……わたし、刺繍が苦手で。布がくしゃっとなってしまって」
(あ、また泣く)

 レオンはとっさにミリアムの頭に手をのせた。
 どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからないといった風に、ちいさな頭に手をおいたままで、レオンは固まった。

「あー、つまりだな。外の菩提樹の枝からこの布を下げて、目隠しにするんだな? あと、女性にだけつうじる看板がわりにもなる。そうだろ?」
「そ、そうでず。どうしでおわかりになるの」
「おわかりになりますよ」

 ミリアムの口調がうつってしまったレオンは、困ったように微笑んだ。

(きみはいい子なのだな。俺の店の客のことをこんなにも考えて。すぐに実行してくれる。きみのような子が、ずっと一緒にいてくれたら……)

 そう考えてハッとした。

(いやいやいや。いくら婚約者とはいえ、ストランド男爵令嬢はまだ子ども。好ましいと感じているのは、もし俺に妹がいればこんな風に仲よくできるかもと思うからだ)

 ミリアムは、レオンが実家のリングダール伯爵家では、決して味わうことのできなかったぬくもりを与えてくれる。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【番外編】小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃
恋愛
主従でありながら結婚式を挙げた護衛騎士のアレクと王女マルティナ。戸惑い照れつつも新婚2人のいちゃいちゃ、ラブラブの日々。また彼らの周囲の人々の日常を穏やかに優しく綴ります。※不定期更新です。一応Rをつけておきます。

ご胞子します!マイコニメイド

未羊
恋愛
 人間社会に憧れているモエは、周囲の反対を押し切って森から出ていこうとする。だが、森から出られないどころか偶然出くわした人間に襲われてしまうのだが、そこをとある貴族に救われる。  彼女はその貴族の家でメイドとして働きながら、持ち前の明るさと特殊な効果を持つ胞子で襲い来る困難を乗り越えていく。 キノコの亜人マイコニドのメイドと青年の恋物語です。 ※タイトルは誤字ではありません

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜

楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。 ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。 さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。 (リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!) と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?! 「泊まっていい?」 「今日、泊まってけ」 「俺の故郷で結婚してほしい!」 あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。 やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。 ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?! 健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。 一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。 *小説家になろう様でも掲載しています

異世界で王城生活~陛下の隣で~

恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。  グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます! ※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。 ※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。

クラヴィスの華〜BADエンドが確定している乙女ゲー世界のモブに転生した私が攻略対象から溺愛されているワケ〜

アルト
恋愛
たった一つのトゥルーエンドを除き、どの攻略ルートであってもBADエンドが確定している乙女ゲーム「クラヴィスの華」。 そのゲームの本編にて、攻略対象である王子殿下の婚約者であった公爵令嬢に主人公は転生をしてしまう。 とは言っても、王子殿下の婚約者とはいえ、「クラヴィスの華」では冒頭付近に婚約を破棄され、グラフィックは勿論、声すら割り当てられておらず、名前だけ登場するというモブの中のモブとも言えるご令嬢。 主人公は、己の不幸フラグを叩き折りつつ、BADエンドしかない未来を変えるべく頑張っていたのだが、何故か次第に雲行きが怪しくなって行き────? 「────婚約破棄? 何故俺がお前との婚約を破棄しなきゃいけないんだ? ああ、そうだ。この肩書きも煩わしいな。いっそもう式をあげてしまおうか。ああ、心配はいらない。必要な事は俺が全て────」 「…………(わ、私はどこで間違っちゃったんだろうか)」 これは、どうにかして己の悲惨な末路を変えたい主人公による生存戦略転生記である。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

処理中です...