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一章
14、愛らしい着物
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「こんなの感想じゃありません。ただの意地悪な文句です」
「雑誌も若い人の連載の方が人気があると伺いましたし。そろそろわたしも身の振り方を考えた方がいいのかもしれませんね」
手紙を小さく折りたたんで、朱鷺子先生はゴミ箱を眺めつつしばらく何かを考えているようでした。
結局性悪な女学生からの手紙は、廃棄されることはなく文箱の中にしまわれました。
どうして?
そんなの捨てておしまいになればいいのに。お庭で燃やしてしまえばいいのに。
この深雪が、先生の代わりにびりびりに破いてしまってもいいのですよ。
「批判ではあっても、正直な感想に違いはないわ」
そう語る朱鷺子先生の瞳は、まっすぐに文箱の蓋の螺鈿をご覧になっていました。
母貝に宿る夕陽の薄紅、海の翡翠、先生のため息の霞色。黒い漆は虹に光る螺鈿を包んでおりました。
文箱にはきっと素敵なお手紙ばかりではなく、つらいお手紙も入っているのですね。
いいことも悪いことも、先生は受け止めておいでなのですね。
そんな強い先生のことが、深雪は大好きです。
「わたしね、大事な人のお話を書こうと思うの。とても愛しい殿方よ」
顔を上げた時、朱鷺子先生の表情は晴れやかでした。
まぁ、そんな方がいらしたの? わたし、ちっとも知らなくてよ。
先生ったら照れやさんなのかしら。教えてくださればよかったのに。
「ねぇ、どんな方なの? お写真はないのですか?」
ずいっと身を乗りだすわたし。
きっと目は好奇心で輝いてるわね。
「ふふ」とはにかんだ笑みを浮かべながら、朱鷺子先生は衣桁に掛けてある赤い縞模様のふらんねるの着物にちらっと目を向けました。
夏も間近な季節には不似合いの、愛らしいお着物。
朱鷺子先生がお召しになるには、少々お派手かしら。
「深雪さんなら、あの着物も似合いそうね」
頭の中を読まれてしまったようで、わたしはあわあわと両手を動かしました。
こういうことが多いの。朱鷺子先生には、わたしの考えなんてお見通しなんですもの。困ってしまいます。
愛らしいお着物ですのに。それを眺める先生の目は、とても寂しそうで。
ええ、微笑んでいても泣いているように見えるんです。
その夜から、わたしは朱鷺子先生に会うことが減りました。
いえ、先生がお忙しそうに机に向かっているものですから。わたしがお部屋に入っても、お気づきにならないの。
「ねぇ、先生。お月さまが出ていますよ」
わたしは縁側に立って、まぁるいお月さまを指さしました。
西の空はまだ夕暮れ。東の空は夜の色。お月さまは東天で、大きく丸くしんしんと耀いているのです。
「まぁ、今日は満月? いいえ、十三夜ね」
わたしの声が聞こえたようで、先生は万年筆を置いて立ち上がりました。しゅっしゅっと畳の上を歩くたびに、着物の裾の擦れ合う音がします。
「お月様でいっぱいで、お月様の光でいっぱいで、それはそれはいっぱいで……」
たゆたうようなゆったりとした言葉が、静かな夜に広がって溶けてゆきます。
黄水晶の光が静かに縁側を、そして少しやつれた朱鷺子先生の横顔を照らしております。
「朱鷺子先生、それはどなたの詩ですの?」
問いかけた時、確かに先生はわたしと目が合いました。
けれど返事はありません。
ねぇ、先生の目には何が映っていらっしゃるの? わたしと同じ月を見ているのではなくて?
月に重なる何かが、わたしには見えないんです。
わたしが隣に並んで立っているのに、朱鷺子先生はただ一心に冴えた月を見つめるのみでした。
目許を手の甲で擦り、先生は文机の前へと戻ります。
けほっと、軽い咳。
少しお痩せになったかしら。ちゃんとご飯を召し上がっているのかしら。
「雑誌も若い人の連載の方が人気があると伺いましたし。そろそろわたしも身の振り方を考えた方がいいのかもしれませんね」
手紙を小さく折りたたんで、朱鷺子先生はゴミ箱を眺めつつしばらく何かを考えているようでした。
結局性悪な女学生からの手紙は、廃棄されることはなく文箱の中にしまわれました。
どうして?
そんなの捨てておしまいになればいいのに。お庭で燃やしてしまえばいいのに。
この深雪が、先生の代わりにびりびりに破いてしまってもいいのですよ。
「批判ではあっても、正直な感想に違いはないわ」
そう語る朱鷺子先生の瞳は、まっすぐに文箱の蓋の螺鈿をご覧になっていました。
母貝に宿る夕陽の薄紅、海の翡翠、先生のため息の霞色。黒い漆は虹に光る螺鈿を包んでおりました。
文箱にはきっと素敵なお手紙ばかりではなく、つらいお手紙も入っているのですね。
いいことも悪いことも、先生は受け止めておいでなのですね。
そんな強い先生のことが、深雪は大好きです。
「わたしね、大事な人のお話を書こうと思うの。とても愛しい殿方よ」
顔を上げた時、朱鷺子先生の表情は晴れやかでした。
まぁ、そんな方がいらしたの? わたし、ちっとも知らなくてよ。
先生ったら照れやさんなのかしら。教えてくださればよかったのに。
「ねぇ、どんな方なの? お写真はないのですか?」
ずいっと身を乗りだすわたし。
きっと目は好奇心で輝いてるわね。
「ふふ」とはにかんだ笑みを浮かべながら、朱鷺子先生は衣桁に掛けてある赤い縞模様のふらんねるの着物にちらっと目を向けました。
夏も間近な季節には不似合いの、愛らしいお着物。
朱鷺子先生がお召しになるには、少々お派手かしら。
「深雪さんなら、あの着物も似合いそうね」
頭の中を読まれてしまったようで、わたしはあわあわと両手を動かしました。
こういうことが多いの。朱鷺子先生には、わたしの考えなんてお見通しなんですもの。困ってしまいます。
愛らしいお着物ですのに。それを眺める先生の目は、とても寂しそうで。
ええ、微笑んでいても泣いているように見えるんです。
その夜から、わたしは朱鷺子先生に会うことが減りました。
いえ、先生がお忙しそうに机に向かっているものですから。わたしがお部屋に入っても、お気づきにならないの。
「ねぇ、先生。お月さまが出ていますよ」
わたしは縁側に立って、まぁるいお月さまを指さしました。
西の空はまだ夕暮れ。東の空は夜の色。お月さまは東天で、大きく丸くしんしんと耀いているのです。
「まぁ、今日は満月? いいえ、十三夜ね」
わたしの声が聞こえたようで、先生は万年筆を置いて立ち上がりました。しゅっしゅっと畳の上を歩くたびに、着物の裾の擦れ合う音がします。
「お月様でいっぱいで、お月様の光でいっぱいで、それはそれはいっぱいで……」
たゆたうようなゆったりとした言葉が、静かな夜に広がって溶けてゆきます。
黄水晶の光が静かに縁側を、そして少しやつれた朱鷺子先生の横顔を照らしております。
「朱鷺子先生、それはどなたの詩ですの?」
問いかけた時、確かに先生はわたしと目が合いました。
けれど返事はありません。
ねぇ、先生の目には何が映っていらっしゃるの? わたしと同じ月を見ているのではなくて?
月に重なる何かが、わたしには見えないんです。
わたしが隣に並んで立っているのに、朱鷺子先生はただ一心に冴えた月を見つめるのみでした。
目許を手の甲で擦り、先生は文机の前へと戻ります。
けほっと、軽い咳。
少しお痩せになったかしら。ちゃんとご飯を召し上がっているのかしら。
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