上 下
14 / 34
一章

14、愛らしい着物

しおりを挟む
「こんなの感想じゃありません。ただの意地悪な文句です」
「雑誌も若い人の連載の方が人気があると伺いましたし。そろそろわたしも身の振り方を考えた方がいいのかもしれませんね」

 手紙を小さく折りたたんで、朱鷺子先生はゴミ箱を眺めつつしばらく何かを考えているようでした。
 結局性悪な女学生からの手紙は、廃棄されることはなく文箱の中にしまわれました。

 どうして?
 そんなの捨てておしまいになればいいのに。お庭で燃やしてしまえばいいのに。
 この深雪が、先生の代わりにびりびりに破いてしまってもいいのですよ。

「批判ではあっても、正直な感想に違いはないわ」

 そう語る朱鷺子先生の瞳は、まっすぐに文箱の蓋の螺鈿をご覧になっていました。
 母貝に宿る夕陽の薄紅、海の翡翠、先生のため息の霞色。黒い漆は虹に光る螺鈿を包んでおりました。

 文箱にはきっと素敵なお手紙ばかりではなく、つらいお手紙も入っているのですね。
 いいことも悪いことも、先生は受け止めておいでなのですね。
 そんな強い先生のことが、深雪は大好きです。

「わたしね、大事な人のお話を書こうと思うの。とても愛しい殿方よ」

 顔を上げた時、朱鷺子先生の表情は晴れやかでした。
 まぁ、そんな方がいらしたの? わたし、ちっとも知らなくてよ。
 先生ったら照れやさんなのかしら。教えてくださればよかったのに。

「ねぇ、どんな方なの? お写真はないのですか?」

 ずいっと身を乗りだすわたし。
 きっと目は好奇心で輝いてるわね。
「ふふ」とはにかんだ笑みを浮かべながら、朱鷺子先生は衣桁に掛けてある赤い縞模様のふらんねるの着物にちらっと目を向けました。

 夏も間近な季節には不似合いの、愛らしいお着物。
 朱鷺子先生がお召しになるには、少々お派手かしら。

「深雪さんなら、あの着物も似合いそうね」

 頭の中を読まれてしまったようで、わたしはあわあわと両手を動かしました。
 こういうことが多いの。朱鷺子先生には、わたしの考えなんてお見通しなんですもの。困ってしまいます。

 愛らしいお着物ですのに。それを眺める先生の目は、とても寂しそうで。
 ええ、微笑んでいても泣いているように見えるんです。

 その夜から、わたしは朱鷺子先生に会うことが減りました。
 いえ、先生がお忙しそうに机に向かっているものですから。わたしがお部屋に入っても、お気づきにならないの。

「ねぇ、先生。お月さまが出ていますよ」

 わたしは縁側に立って、まぁるいお月さまを指さしました。
 西の空はまだ夕暮れ。東の空は夜の色。お月さまは東天で、大きく丸くしんしんと耀いているのです。

「まぁ、今日は満月? いいえ、十三夜ね」

 わたしの声が聞こえたようで、先生は万年筆を置いて立ち上がりました。しゅっしゅっと畳の上を歩くたびに、着物の裾の擦れ合う音がします。

「お月様でいっぱいで、お月様の光でいっぱいで、それはそれはいっぱいで……」

 たゆたうようなゆったりとした言葉が、静かな夜に広がって溶けてゆきます。
 黄水晶シトリンの光が静かに縁側を、そして少しやつれた朱鷺子先生の横顔を照らしております。

「朱鷺子先生、それはどなたの詩ですの?」

 問いかけた時、確かに先生はわたしと目が合いました。
 けれど返事はありません。

 ねぇ、先生の目には何が映っていらっしゃるの? わたしと同じ月を見ているのではなくて?
 月に重なる何かが、わたしには見えないんです。
 わたしが隣に並んで立っているのに、朱鷺子先生はただ一心に冴えた月を見つめるのみでした。

 目許を手の甲で擦り、先生は文机の前へと戻ります。
 けほっと、軽い咳。
 少しお痩せになったかしら。ちゃんとご飯を召し上がっているのかしら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。  彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。  そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!  彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。  離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。  香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。

後宮で立派な継母になるために

絹乃
キャラ文芸
母である皇后を喪った4歳の蒼海(ツァンハイ)皇女。未来視のできる皇女の養育者は見つからない。妃嬪の一人である玲華(リンホア)は皇女の継母となることを誓う。しかし玲華の兄が不穏な動きをする。そして玲華の元にやって来たのは、侍女に扮した麗しの青年、凌星(リンシー)だった。凌星は皇子であり、未来を語る蒼海の監視と玲華の兄の様子を探るために派遣された。玲華が得意の側寫術(プロファイリング)を駆使し、娘や凌星と共に兄の陰謀を阻止する継母後宮ミステリー。※表紙は、てんぱる様のフリー素材をお借りしています。

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

花よめ物語

小柴
キャラ文芸
名高い騎士とおくびょうな少女の恋物語。アーサー王伝説を下地にしました。少女のもとに、ある騎士の一通の求婚状が届いたことから物語がはじまります──。 ✳︎毎週土曜日更新・5話完結✳︎

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

高校生なのに娘ができちゃった!?

まったりさん
キャラ文芸
不思議な桜が咲く島に住む主人公のもとに、主人公の娘と名乗る妙な女が現われた。その女のせいで主人公の生活はめちゃくちゃ、最初は最悪だったが、段々と主人公の気持ちが変わっていって…!? そうして、紅葉が桜に変わる頃、物語の幕は閉じる。

ヤンデレストーカーに突然告白された件

こばや
キャラ文芸
『 私あなたのストーカーなの!!!』 ヤンデレストーカーを筆頭に、匂いフェチシスコンのお姉さん、盗聴魔ブラコンな実姉など色々と狂っているヒロイン達に振り回される、平和な日常何それ美味しいの?なラブコメです さぁ!性癖の沼にいらっしゃい!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...