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一章
3、多分、イライラしとう
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朱鷺子さんの小説の中で深雪という少女は、友人と阪神電車を青木停車場で降りた。
官營鐵道も梅が見頃となる二月からは、臨時の停車場を設けるほどの盛況ぶりだ。
阪神電車と阪急電車はどっちも私鐡で路線が近いから、よう喧嘩しとう。
とくに集客が見込める初詣とか、乗客の取り合いや。
まぁそれはええやろ。
その小説で深雪は「岡本梅林」へ観梅へと向かった。
「梅は岡本、櫻は吉野、蜜柑紀ノ國、栗丹波」と歌われるほどの梅の名所だ。
心許ない架線とトロリポールで繋がった一輌だけの電車からぞろぞろと降りてくる。
紳士や着飾った淑女の群れは華やいで。簡素な停車場には不似合いなほどだ。
田圃に挟まれた土の道にはスギナやヨモギが繁っている。紫雲英の淡い紅が左右に広がり、蜜蜂の軽い羽音までも聞こえてきそうな描写だ。
梅林は、ほの甘い香りに包まれていた。
車中では詩集を読んでいた深雪も、ひらひらと散りかかる白い花びらを手で受けようとしている。
のどかで穏やかで、瞼がとろんと重くなりそうなほどにゆったりとした書き方だった。
「えーと、君は深雪、さんかな?」
「どうしてわたしの名前を」
初対面の男に突然名前を言い当てられて、深雪はうろたえた。
「さて、なんで知ってるんやろな」
「まさか女学校の先生なの? 教師なら、わたしのことを嫌うのもわかるわ。だって、わたしは本は読むのに落ちこぼれですもの」
「そんなとこ入ったこともないわ。どうせあそこやろ。坂の上の、教会がある女学校。いっつも朝と夕方に、鐘が賑やかになっとうわ」
「じゃあ、なぜ……」
問いかける深雪の声は、かすれている。ころ、ころろ。草むらにいる蛙が鳴いた。
「深雪さんとやら、君は俺が名前を当てたことを不審がっとうけど。いきなり庭に侵入したあんたのほうが、よっぽど不審者やで」
「ちがいますっ。ここは、わたしがよく知っている朱鷺子先生のお家ですもの」
「はいはい」
俺は色褪せた『少女画報』をめくり、内容を頭に入れる。
「君はどうやら詩を読むのが好きらしいな」
「ええ……」
「詩は自分では書かへんの?」
「詠んだことなどないです」
虫の声のように小さく澄んだ声で、深雪は答えた。
ころろ。蛙の声の方が大きい。
「ふぅん。君は与えられた役割からは逸脱せぇへんのやな。そして思い込みが強いとみえる」
きっと俺はイライラしてたんやろ。
恵まれている深雪が自分が恵まれていると知らずに、薄幸を気取っとうから。
その指摘が図星やったんかどうかは分からへん。
なぜなら雑誌に載った短編連載の小説を斜め読みしかしてへんからや。そう、深雪が登場人物である小説だ。
だがざっくりと目を通しただけでも、人となりは分かる。
朱鷺子さんは彼女に何を与えようとしたんやろ。
深雪の話が載っている号を最後に『少女画報』は書棚には入ってへんかった。
官營鐵道も梅が見頃となる二月からは、臨時の停車場を設けるほどの盛況ぶりだ。
阪神電車と阪急電車はどっちも私鐡で路線が近いから、よう喧嘩しとう。
とくに集客が見込める初詣とか、乗客の取り合いや。
まぁそれはええやろ。
その小説で深雪は「岡本梅林」へ観梅へと向かった。
「梅は岡本、櫻は吉野、蜜柑紀ノ國、栗丹波」と歌われるほどの梅の名所だ。
心許ない架線とトロリポールで繋がった一輌だけの電車からぞろぞろと降りてくる。
紳士や着飾った淑女の群れは華やいで。簡素な停車場には不似合いなほどだ。
田圃に挟まれた土の道にはスギナやヨモギが繁っている。紫雲英の淡い紅が左右に広がり、蜜蜂の軽い羽音までも聞こえてきそうな描写だ。
梅林は、ほの甘い香りに包まれていた。
車中では詩集を読んでいた深雪も、ひらひらと散りかかる白い花びらを手で受けようとしている。
のどかで穏やかで、瞼がとろんと重くなりそうなほどにゆったりとした書き方だった。
「えーと、君は深雪、さんかな?」
「どうしてわたしの名前を」
初対面の男に突然名前を言い当てられて、深雪はうろたえた。
「さて、なんで知ってるんやろな」
「まさか女学校の先生なの? 教師なら、わたしのことを嫌うのもわかるわ。だって、わたしは本は読むのに落ちこぼれですもの」
「そんなとこ入ったこともないわ。どうせあそこやろ。坂の上の、教会がある女学校。いっつも朝と夕方に、鐘が賑やかになっとうわ」
「じゃあ、なぜ……」
問いかける深雪の声は、かすれている。ころ、ころろ。草むらにいる蛙が鳴いた。
「深雪さんとやら、君は俺が名前を当てたことを不審がっとうけど。いきなり庭に侵入したあんたのほうが、よっぽど不審者やで」
「ちがいますっ。ここは、わたしがよく知っている朱鷺子先生のお家ですもの」
「はいはい」
俺は色褪せた『少女画報』をめくり、内容を頭に入れる。
「君はどうやら詩を読むのが好きらしいな」
「ええ……」
「詩は自分では書かへんの?」
「詠んだことなどないです」
虫の声のように小さく澄んだ声で、深雪は答えた。
ころろ。蛙の声の方が大きい。
「ふぅん。君は与えられた役割からは逸脱せぇへんのやな。そして思い込みが強いとみえる」
きっと俺はイライラしてたんやろ。
恵まれている深雪が自分が恵まれていると知らずに、薄幸を気取っとうから。
その指摘が図星やったんかどうかは分からへん。
なぜなら雑誌に載った短編連載の小説を斜め読みしかしてへんからや。そう、深雪が登場人物である小説だ。
だがざっくりと目を通しただけでも、人となりは分かる。
朱鷺子さんは彼女に何を与えようとしたんやろ。
深雪の話が載っている号を最後に『少女画報』は書棚には入ってへんかった。
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