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二章
5、南の海で
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南の海辺は王都にある湖畔や、多島海とはまったく違う。
なぜなら、魚釣りをしているわけでもないのに人が続々と海に入っているのだから。
陽射しがあまりにも強くて、つばの広い麦わら帽子をわたしは目深にかぶった。
「アレク、大変よ。あの人たち、溺れないのかしら」
「大丈夫だと思いますよ。南方の人々は泳ぎに長けていますから」
アレクと手をつないで、わたしは浜辺を歩いている。
普段では考えられないくらいの薄着。だって袖がなくて、肩紐を結ぶ形のワンピースなんて着たこともないわ。
そういえば荷物を詰める時に侍女が「あちらは暑いですからね。厚着は体調を崩しますからね」と用意してくれていたんだわ。
足下も素足に革のサンダルで心許ない。細かな砂がサンダルの中に入るから、気になって仕方がないし。
潮の香りが、同じ海とは思えないほど強いの。
目の前を裸足の男性が波打ち際へと走っていく。湖畔の草の上を素足で歩いたことはあるけれど、それも子どもの頃のことだし。
ちらっと視線を上げると、アレクが「足だけでも、海に入ってみますか?」と尋ねてきた。
「いいのかしら。はしたなくない?」
「こちらでは普通のことですよ。誰も気にしません」
わたしは辺りをきょろきょろと見まわした。王都から遠く離れているからかしら。誰もわたしが王女であることに気づかない。
足首を結ぶ紐をほどいて、サンダルを手に持つ。
「あつっ、うわ、熱いのね」
足の裏をくすぐるさらさらした砂は涼し気な白なのに、とっても熱くてじっとしていられない。
わたしの足の近くを、とんがった巻貝がのそのそと歩いている。「それはヤドカリですよ」とアレクが教えてくれた。
知らないことだらけだわ。こんなにも広い空も、もくもくと湧く大きな白い雲も見たことがないし、まっすぐな水平線がある海も初めて見たかもしれないわ。だってわたしの知っている海には、小さな島が空まで連なって水平線を隠しているんだもの。
足首まで海に入ると、寄せる波に合わせて指の間を砂が押したり引いたりする。その感触がくすぐったくて、わたしは自然と笑っていた。
◇◇◇
マルティナさまは初めて海に足をつけるのが、楽しくて仕方がないらしい。
足首まで濡らしたかと思うと、今度は砂浜に上がってきて「どうしよう。足の裏も指も砂だらけよ」と困惑した顔をなさる。
「足が濡れていますからね。そりゃあ、砂もべったりとくっつきますよ」
「とれないわ」
普段、王宮にいる時ならハンカチでマルティナさまの足を拭くところだが。以前、この浜を訪れたことのある私は知っている。
「少々熱いと思いますが、砂を足にかけるといいですよ」
「え? どうして? もっと砂がついてしまうわ」
「では少々失礼します」
マルティナさまにワンピースの裾を少し持ち上げるよう指示をして、私は彼女の白い足に両手で砂をかけた。
てのひらにじんわりと伝わってくる熱。
不思議なものだ。同じ国だというのに、王都の浜は石ばかりが多く、誰も海に入ろうともしない。
「熱いって、アレク」
「そうですね、私の手も熱いですよ。おそろいですね」
「おそろい……」
何気ない言葉だったのに、マルティナさまは急に頬を染めた。麦わら帽子に結んだ淡い紫の、暮れなずむ夕空のような色のリボンが風にひらりとなびく。
帽子の陰になっていても、頬に朱がさしているのが分かるのだ。
あなた、私のことが好きすぎるでしょう?
ふと目測を誤って、私の指がマルティナさまの足の甲に触れた。
びくりとした小さな動きが、指に伝わってくる。
「……恥ずかしいですか?」
「恥ずかしい、です」
「世の夫婦は、これくらいでは動揺しませんよ?」
「そうだけど」
まぁ、私も思いがけずにマルティナさまの素肌に触れてしまったことで少々緊張したが。それは内緒だ。
愛しい妻となった彼女を、日々腕の中に抱きしめて眠っているが。
まだそういう関係には至っていない。
白い結婚というのとは意味が違うだろうが。
なんというか……そういうことをするのが申し訳なく感じてしまうのだ。
――いつでもどんとこい、よ。大丈夫、ロマンス小説はたくさん読んでるから。
先日、マルティナさまはご自分の胸を拳でぽんと叩いたが。
そういうことじゃないんだよなぁ。
いつしかマルティナさまの足についた砂は乾いて、手で払うと簡単に落ちた。タオルもハンカチも必要とせずに、きれいになった足を彼女は目を丸くして見つめていた。
今まで王宮から出ることの少なかったマルティナさまにとって、この新婚旅行は初めてが多いのだろうな。
なぜなら、魚釣りをしているわけでもないのに人が続々と海に入っているのだから。
陽射しがあまりにも強くて、つばの広い麦わら帽子をわたしは目深にかぶった。
「アレク、大変よ。あの人たち、溺れないのかしら」
「大丈夫だと思いますよ。南方の人々は泳ぎに長けていますから」
アレクと手をつないで、わたしは浜辺を歩いている。
普段では考えられないくらいの薄着。だって袖がなくて、肩紐を結ぶ形のワンピースなんて着たこともないわ。
そういえば荷物を詰める時に侍女が「あちらは暑いですからね。厚着は体調を崩しますからね」と用意してくれていたんだわ。
足下も素足に革のサンダルで心許ない。細かな砂がサンダルの中に入るから、気になって仕方がないし。
潮の香りが、同じ海とは思えないほど強いの。
目の前を裸足の男性が波打ち際へと走っていく。湖畔の草の上を素足で歩いたことはあるけれど、それも子どもの頃のことだし。
ちらっと視線を上げると、アレクが「足だけでも、海に入ってみますか?」と尋ねてきた。
「いいのかしら。はしたなくない?」
「こちらでは普通のことですよ。誰も気にしません」
わたしは辺りをきょろきょろと見まわした。王都から遠く離れているからかしら。誰もわたしが王女であることに気づかない。
足首を結ぶ紐をほどいて、サンダルを手に持つ。
「あつっ、うわ、熱いのね」
足の裏をくすぐるさらさらした砂は涼し気な白なのに、とっても熱くてじっとしていられない。
わたしの足の近くを、とんがった巻貝がのそのそと歩いている。「それはヤドカリですよ」とアレクが教えてくれた。
知らないことだらけだわ。こんなにも広い空も、もくもくと湧く大きな白い雲も見たことがないし、まっすぐな水平線がある海も初めて見たかもしれないわ。だってわたしの知っている海には、小さな島が空まで連なって水平線を隠しているんだもの。
足首まで海に入ると、寄せる波に合わせて指の間を砂が押したり引いたりする。その感触がくすぐったくて、わたしは自然と笑っていた。
◇◇◇
マルティナさまは初めて海に足をつけるのが、楽しくて仕方がないらしい。
足首まで濡らしたかと思うと、今度は砂浜に上がってきて「どうしよう。足の裏も指も砂だらけよ」と困惑した顔をなさる。
「足が濡れていますからね。そりゃあ、砂もべったりとくっつきますよ」
「とれないわ」
普段、王宮にいる時ならハンカチでマルティナさまの足を拭くところだが。以前、この浜を訪れたことのある私は知っている。
「少々熱いと思いますが、砂を足にかけるといいですよ」
「え? どうして? もっと砂がついてしまうわ」
「では少々失礼します」
マルティナさまにワンピースの裾を少し持ち上げるよう指示をして、私は彼女の白い足に両手で砂をかけた。
てのひらにじんわりと伝わってくる熱。
不思議なものだ。同じ国だというのに、王都の浜は石ばかりが多く、誰も海に入ろうともしない。
「熱いって、アレク」
「そうですね、私の手も熱いですよ。おそろいですね」
「おそろい……」
何気ない言葉だったのに、マルティナさまは急に頬を染めた。麦わら帽子に結んだ淡い紫の、暮れなずむ夕空のような色のリボンが風にひらりとなびく。
帽子の陰になっていても、頬に朱がさしているのが分かるのだ。
あなた、私のことが好きすぎるでしょう?
ふと目測を誤って、私の指がマルティナさまの足の甲に触れた。
びくりとした小さな動きが、指に伝わってくる。
「……恥ずかしいですか?」
「恥ずかしい、です」
「世の夫婦は、これくらいでは動揺しませんよ?」
「そうだけど」
まぁ、私も思いがけずにマルティナさまの素肌に触れてしまったことで少々緊張したが。それは内緒だ。
愛しい妻となった彼女を、日々腕の中に抱きしめて眠っているが。
まだそういう関係には至っていない。
白い結婚というのとは意味が違うだろうが。
なんというか……そういうことをするのが申し訳なく感じてしまうのだ。
――いつでもどんとこい、よ。大丈夫、ロマンス小説はたくさん読んでるから。
先日、マルティナさまはご自分の胸を拳でぽんと叩いたが。
そういうことじゃないんだよなぁ。
いつしかマルティナさまの足についた砂は乾いて、手で払うと簡単に落ちた。タオルもハンカチも必要とせずに、きれいになった足を彼女は目を丸くして見つめていた。
今まで王宮から出ることの少なかったマルティナさまにとって、この新婚旅行は初めてが多いのだろうな。
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