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一章
5、池のほとりで朝食を【3】
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ジャムを載せたスプーンが重いとマルティナさまは仰った。
そんなはずはあるまいと、さっき思ったばかりだったが。
こうして相手の反応を見つつ、ずーっとスプーンを掲げ続けるのはなかなかにしんどい。おもに気持ち的に。
いや「あーんして」と言えば、一瞬で済むことだ。頑張れ、私。
「マルティナさま、口を開いてください」
「なんだか命令みたい」
「『あーんしてください』を要約すれば、そうなりますよ」
意地でも「あーんして」を言いたくない。だが、不思議なことにマルティナさまは瞼を閉じてゆっくりと唇を開いた。
朝の光につやめく唇は薄紅の薔薇のようだ。
睫毛は少し震えて、緊張なさっているのが分かる。
私はそーっとマルティナさまの唇にスプーンを触れさせた。品よくジャムを召し上がり、そして銀のスプーンは空になった。
私は呆然としたまま、手を下ろさずにいた。
「あの、どうして急に?」
「だって。アレクが『あーんしてください』って言ってくれたわ」
「申し上げていませんよ」
とっさに否定したが、はっとした。自分の発した言葉が、脳裏をよぎったからだ。
要約すれば……とか、言ったよな。言ってしまったよな。
ボッと顔から火を噴いた気がした。
待て待て、あれは言ったうちに入るのか? カウントされるのか?
学校で学びつつ騎士を目指し修業をし、陛下や姫さまをお守りし、そんな硬い人生を歩んできたこの私が、よりによって新婚早々に「あーんしてください」だと?
穴があったら入りたい。ないなら自分で掘って潜る。いっそ池に飛び込んでもいい。
キスは平気なのに、どうして恋人っぽい素振りは苦手なんだ? いや、もう夫婦だが。
分からない。自分のことが一番分からない。
行儀は悪いが、私はテーブルに両肘をついて頭を抱えた。
「アレク。アレク。どうしたの? 頭が痛いの?」
「いえ、頭痛はしませんが」
「じゃあ、お腹が痛いの」
「大丈夫です」
椅子から立ち上がったマルティナさまが、私の傍に来ておろおろと顔を覗きこんでくる。
「ごめんなさい。わたしが無理なお願いをしちゃったから」
違うんです……違いませんが。
世の新婚の夫のように、甘く振る舞えない自分が情けないのです。そのことが姫さまを悲しませていることがつらいのです。
「ね、見て。ほら、睡蓮が咲いてるわ」
努めて明るい声をお出しになるマルティナさま。私は頭を抱えていた手を外して、池の方に視線を向けた。
まだ朝だ。昼に咲く睡蓮が花開いているはずもあるまい。
そう思ったが、確かに湖面には丸みを帯びた薄黄色い花が咲いていた。
「あれは水ヒナゲシですね」
「睡蓮じゃないの?」
「睡蓮の花はもっと尖っていますよ。咲くのも午後ですから」
「じゃあ、後で一緒に見にきましょ」
軽やかな笑顔で、姫さまが私の肩に手を添える。私もつられて微笑んでしまった。
マルティナさまは、本当に不思議だ。
お小さい頃から、私の心を引っ掻きまわすのに。すぐに乱れた心を静めてくださる。
あなたとご一緒していると落ち着かないのに、とても穏やかで落ち着いて満たされた心地になる。
「姫さまは、私のことが本当にお好きですからね」
「ええ、そうよ。当たり前でしょ」
自分で言っていて恥ずかしくなってきた。
ええ、私も姫さまのことが大好きですよ。それも「たくさん」大好きです。
そんなはずはあるまいと、さっき思ったばかりだったが。
こうして相手の反応を見つつ、ずーっとスプーンを掲げ続けるのはなかなかにしんどい。おもに気持ち的に。
いや「あーんして」と言えば、一瞬で済むことだ。頑張れ、私。
「マルティナさま、口を開いてください」
「なんだか命令みたい」
「『あーんしてください』を要約すれば、そうなりますよ」
意地でも「あーんして」を言いたくない。だが、不思議なことにマルティナさまは瞼を閉じてゆっくりと唇を開いた。
朝の光につやめく唇は薄紅の薔薇のようだ。
睫毛は少し震えて、緊張なさっているのが分かる。
私はそーっとマルティナさまの唇にスプーンを触れさせた。品よくジャムを召し上がり、そして銀のスプーンは空になった。
私は呆然としたまま、手を下ろさずにいた。
「あの、どうして急に?」
「だって。アレクが『あーんしてください』って言ってくれたわ」
「申し上げていませんよ」
とっさに否定したが、はっとした。自分の発した言葉が、脳裏をよぎったからだ。
要約すれば……とか、言ったよな。言ってしまったよな。
ボッと顔から火を噴いた気がした。
待て待て、あれは言ったうちに入るのか? カウントされるのか?
学校で学びつつ騎士を目指し修業をし、陛下や姫さまをお守りし、そんな硬い人生を歩んできたこの私が、よりによって新婚早々に「あーんしてください」だと?
穴があったら入りたい。ないなら自分で掘って潜る。いっそ池に飛び込んでもいい。
キスは平気なのに、どうして恋人っぽい素振りは苦手なんだ? いや、もう夫婦だが。
分からない。自分のことが一番分からない。
行儀は悪いが、私はテーブルに両肘をついて頭を抱えた。
「アレク。アレク。どうしたの? 頭が痛いの?」
「いえ、頭痛はしませんが」
「じゃあ、お腹が痛いの」
「大丈夫です」
椅子から立ち上がったマルティナさまが、私の傍に来ておろおろと顔を覗きこんでくる。
「ごめんなさい。わたしが無理なお願いをしちゃったから」
違うんです……違いませんが。
世の新婚の夫のように、甘く振る舞えない自分が情けないのです。そのことが姫さまを悲しませていることがつらいのです。
「ね、見て。ほら、睡蓮が咲いてるわ」
努めて明るい声をお出しになるマルティナさま。私は頭を抱えていた手を外して、池の方に視線を向けた。
まだ朝だ。昼に咲く睡蓮が花開いているはずもあるまい。
そう思ったが、確かに湖面には丸みを帯びた薄黄色い花が咲いていた。
「あれは水ヒナゲシですね」
「睡蓮じゃないの?」
「睡蓮の花はもっと尖っていますよ。咲くのも午後ですから」
「じゃあ、後で一緒に見にきましょ」
軽やかな笑顔で、姫さまが私の肩に手を添える。私もつられて微笑んでしまった。
マルティナさまは、本当に不思議だ。
お小さい頃から、私の心を引っ掻きまわすのに。すぐに乱れた心を静めてくださる。
あなたとご一緒していると落ち着かないのに、とても穏やかで落ち着いて満たされた心地になる。
「姫さまは、私のことが本当にお好きですからね」
「ええ、そうよ。当たり前でしょ」
自分で言っていて恥ずかしくなってきた。
ええ、私も姫さまのことが大好きですよ。それも「たくさん」大好きです。
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